第16話


 コーヘイは明日、王都を出る事になっていた。


 今しがた、最後の部屋の片づけを終えた所だ。持ち出す荷物はほとんどなかった。

 旅慣れているディルクが一緒なので、この世界での初めての旅に不安はない。


 セリオンからは、愛用の片手剣を譲って貰った。手入れの行き届いた良い品で、長く大切にされてきた事を感じる。この世界に来てからずっと、守るように傍にいてくれた存在が、今回の旅立ちにも付き添ってくれるようで心強くあった。


 仕事の引継ぎは昨日のうちに終え、異世界人登録局の面々への挨拶も、昼のうちに終えており、後は魔導士団の方へ別れを告げに行くだけだった。


 そこを最後にしてしまったのは、やはり辛く感じたからだ。


 いつものように受付に声をかける。

 アルタセルタはコーヘイの声を聞いて、跳ねるように顔を上げると、今日は別の部屋に行くように言った。


 現在、治癒の副団長の部屋に、魔導士団長はいるらしい。何かあったのかと不安になってくる。少し会わない間に、不摂生をして体を壊したのだろうか?


 案内の子が立ち去ったのを確認して、扉を叩く。

 

「よく来てくれた」


 紺色の長い髪を後ろに束ねた長身の魔導士が、扉を開けて出迎えてくれた。この人は面識があるが、その奥にいた魔導士は初めて会う。


「君がコーヘイ君か、はじめまして。私は封印を専門にする副団長をしているマクシミリアンだ」


 赤い髪を短くし、右側の耳の前だけ伸ばして小さな三つ編みをしていて、魔導士らしからぬ大柄で屈強な男性だ。コーヘイは握手を交わした。


「あの、団長閣下は。どうかされたんですか」

「ついてきてくれるか」


 カイルとマクシミリアンに促され、部屋の奥のカーテンの向こう、小さな小部屋がたくさんある廊下を通り、その扉の一つを開けるように促された。


 コーヘイが扉を開けると、中央に天蓋のあるベッドがあり、そこに横になっている見覚えのある魔導士の姿。


「団長閣下!!」


 駆け寄って様子を確認する。

 銀髪の魔導士は微動だにしない。呼吸すらしていないのだ。


「大丈夫、死んでいる訳ではない。魔法で、肉体の時間を止める封印を施しているだけだ。私がやった」


 赤毛の魔導士が言う。


「何故そんな」

「困った事が起きたのだ」


 不意に足元から小さな女の子の声がして、目線を送ると、そこにはユスティーナがいた。魔導士団長と同じ、紫の瞳が見上げる。


 ユスティーナは、両手をコーヘイに向かって広げ、抱っこしろ、という感じの仕草をした。コーヘイは、ユスティーナが体を起こす、目をこする、以外の動作をしているのを初めて見た。

 いつものように、抱き上げる。


「子供の扱いにすごく慣れてるな、この騎士」


 マクシミリアンが笑いながらも、感心したように言う。


「あちらで話そう」


 団長の眠る部屋の扉を閉めて、カイルに促されて最初の部屋に戻る。椅子を引き、全員が座る。ユスティーナはコーヘイの膝の上だ。


「セトルヴィードは、うっかりその子に入ってしまったらしい」


 カイルが結論から言った。コーヘイは慌てて膝上の子供を見る。


「うっかりって」


 コーヘイが唖然とした。


「うっかりとか言うな。おまえは説明がひどい」


 膝上の黒髪の幼女が、少し舌ったらずな感じで、銀髪の魔導士の口調で話す。

 マクシミリアンは噴き出しそうになっている。二人の高位魔導士たちに、これといって緊張感がないようなので、コーヘイは少し安堵した。


「どういう事なんでしょうか?」


 カイルが説明してくれた。最近ずっと、魔導士団長はおかしな夢を見ていた。あまりにもリアルな夢を見たその日、目が覚めたらユスティーナの中に意識があったらしい。


「意識だけが、その子の中に移ったようなんだ。理由はわからない」

「本体に戻る方法もわからないし、体を動かさないままにしておくと、筋肉が萎えて、例え戻れても動けなくなるから、マクシミリアンに頼んで体の時間を止めてもらったのだ」


 幼女に似つかわしくない憮然とした表情をしながら続けて言う。


「夢の内容を考えると、どうもガイナフォリックス前団長が、この不可解な事態に絡んでいるように思えてならない」


 膝上の幼女が、真上を見上げるようにしてコーヘイに視線を向け、続ける。


「だからお前に頼みがある」

「何でしょうか」

「コーヘイは騎士団をクビになって、明日から北の地に向かうと聞いた。私も連れて行って欲しい」


 コーヘイは驚いた顔をして、カイル、マクシミリアンの方を向いた。


「そもそも、連れていけるものなんですか」

「いける」


 カイルが短く即答する。


「魂も肉体もあそこで転がっているから、意識だけが別の場所に行くのは何の問題もない」

「転がってるって言うな」


 突っ込みもたどたどしい喋り方だ。

 黒髪の幼女はコーヘイの膝上から飛び降りると、改めてコーヘイの方を向いた。


「フレイアの育った家に行きたい。普通、団長職は引き継ぎのために手記の類を残すのだが、前団長は何も残していない。もしあるとするなら、きっとそこにある」

「自分が行って、探して持ってきましょうか?」


 さすがにこんな状態の魔導士団長を、連れて歩ける気がしない。


「魔導士の本は機密のために、特定の場所から出せないように処理している事もある。直接見る必要があるのだ。封印されていたら、魔法の使えないお前では開く事もできないし」


 黒髪の騎士は、二人の高位魔導士に、どうしたらいいのか救いの目を向けた。


「ぜひ、連れて行って欲しいと思ってる」


 カイルがユスティーナを見ながら、語る。


「おそらくだが、その子供の存在自体が、運命の仕込みなんだ。セトルヴィードの意識が取り込まれたのも、理由があると思う。このままここに置いても、おそらく本体に意識が帰らないように感じる」

「私も同感だ。本人もやる気だし、君の事はよく聞いている。コーヘイ君なら、団長を無事に目的の場所に連れていけるのではないかとも思っている」


「頼む」


 上目遣いの可愛らしい子供が、懇願の紫の瞳を向けて言うのだ。コーヘイには断りようがなかった。


「わかりました」


 コーヘイは子供をすくい上げるように抱きかかえると、膝の上に置く。


「急に走りだしたり、勝手にどっかに行ったりしないって、約束してくれますか」

「中身は大人だ。そんな三歳児の行動はしない、たぶん。おそらくだが」

「だからなんで、肝心なところをいつも自信なさげに言うんですか」


 コーヘイは笑った。


 意識だけでも、この人が王都の外に出られる、貴重なチャンスでもある。

 もう会えなくなってしまうかもと思った人と、一緒に旅ができるなんて最高じゃないか。

 危険もあるだろう。中身はともかく、こんなに小さな子供を連れてそんな旅をするなんて無謀かもしれない。

 でもこの世界の騎士は、魔導士を護るためにいる。自分は騎士だ。

 精一杯、この人を守ってみようと思った。今度こそ、守りきりたいとも。


「注意事項としては、体の組成的に呪術師に操られやすい」

「悪意ある呪術師に出会ったら、どうしたらいいんですか」

「呪術師と目を合わさせないようにすることだ。もし操られたら、呪術師を殺すまではそのままになってしまうから気を付けろ。連れ去られたら取り戻すのは難しい」


 コーヘイは頷いた。


「その体だと、魔法もほとんど使えないと思う。使うにしても、生活魔法程度にするようにした方がいいな。使いすぎると体が維持できなくなる」

「それは私が、自分で気を付けよう、どれくらいまでいけるかは、わかる」


 全員で目線を交わし頷きあった。


「君と頻繁に会うようになって、セトルヴィードは学生の頃に戻ったように明るくなった。俺はとにかくそれが嬉しい。団長をよろしく頼む」


 カイルは、親友が重圧に押しつぶされて、どんどん表情を失っていくのを見ているのがとにかく辛かった。気に入った娘を失って、よりそれが加速した後に、新しい心の支えを手に入れたのだ。


 この夏の空のように爽やかな表情をする青年に、大事な親友を託してみたいと、そう思った。

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