第15話
魔導士は夢を見ていた。
以前は、力尽きて気を失うように眠っていたから、夢を見るような事はなかったのだが。
最近は幼い娘に合わせ、そうなる前に眠るようにしたせいか、物語のある光景を毎夜、見るようになっていた。
腕枕をして、幼い娘を寝かしつけたその日も、セトルヴィードは夢を見ていた。
回を重ねるごとに、リアリティが増すようで、目覚めても内容を覚えている。
この日は、より鮮明に見たように思う。
明るい森の中、小川が見える。鳥のさえずり、若葉に透ける光が明るくて美しい。太陽の光が、川面にキラキラと反射して、すべてに暖かな雰囲気があった。
春が満ちた森、という感じだろうか。
小川には小さな橋がかかっていて、橋を渡ったその先には、六人ぐらいしか泊められなさそうな小さな宿屋が一軒。
建物の前に、洗濯籠を抱えた、儚げな少女の姿。髪は長くまっすぐなプラチナブロンドで、水色の瞳は透明感があり、春の妖精といった風情がある。村娘の素朴な服装が、不似合いのようにも思えた。
その少女の隣に、こげ茶の髪、緑の瞳の青年が並び立っている。こちらは服装からして、身分の高い貴族のようだった。二人の声が聞こえる。
「私、小麦を育てようと思います」
「小麦?」
「ええ、小麦です」
「どうしてまた」
「必要になるからです」
少女は洗濯籠を地面に置くと、背伸びをして青年に、約束のためのキスをした。
「待ってますから」
二人は別れがたそうに長い時間、抱擁を交わしていた。やがてどちらとも知れずに体を離し、青年は去って行った。少女はそれを見送っている。
不意に、夢でその光景を見ているはずのセトルヴィードの方に、その少女が眼差しを向け、まるで彼が見えているかのように微笑みかけてきた。
その笑顔が、失ったあの娘に似ているようで、魔導士の胸を熱くさせた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
騎士団の主要な将校各位が、急遽、王子の招集を受けた。
広間に集まる面々。
大きな戦いの前に行われるような急な招集に、全員が色めき立った。どこかの国が攻めてくるような噂も聞こえておらず、この招集についての真意を理解できる者は誰一人いなかった。
最近の王子はとにかくおかしくて、信用をどんどん失っている。
命令も行動も、一人の女性に踊らされているようで、周辺の視線もどんどん冷ややかになりつつある。
先日、王子に呼び出された副団長が、血を流して歩いていたのを目撃した人間も多数いた。
今日もまた、ろくでもない事を言い出す予感がして、ざわざわとした雰囲気は収まる事がない。
しばしの時間の後、騎士団長ヘルが壇上に上がり、声を上げる。
「これより、殿下からお言葉がある」
この宣言でやっと喧噪が収まり、わずかな衣擦れの音、甲冑の音が聞こえるだけになった。
王子は騎士団長と入れ替わるように、檀上に立つ。
最初は、これまでの騎士団の功績を褒めるもの、これからの活躍を期待する、というような内容だった。こんな事を言うために、人を集めたのか?と全員が怪訝な顔をしはじめた時、副団長コーヘイの名が呼ばれる。
コーヘイは命令されるがまま、檀上の前のアリステアを見上げる位置に立った。
王子は黒髪の騎士を見下ろすと、高らかに宣言をした。
「本日をもって、この男の防衛担当の副団長の任を解く」
どよめきが一気に沸き上がった。騎士団長ヘルも、そんな話は聞いていないとでもいうような驚きの表情をした。
コーヘイは微動だにせず、目だけを伏せたが、すぐに黒い視線を王子に向ける。
「理由をお伺いしても?」
「国の重要な役職に、異世界人を置くというのは、兼ねてより疑問を感じていた。またお前は、妃を傷つけるという大罪を犯した。王都追放を命ずる。一週間の猶予を与える。それまでに引き継ぎを終えよ。なお騎士の称号は取り上げない。どこかの辺境伯の元で身を立てるがいい」
ここにいる全員が、王子に失望をした。何を言ってるんだこのバカ王子は!と。
アリステアは檀上からゆっくりと、コーヘイに近づいて来る。コーヘイの真横に立つと、彼の耳にだけ届くような小声で言った。
「すまない、ロレッタが君の顔を見るのがとてつもなく辛いようなんだ、頼む、去って欲しい、彼女の目に入らない場所へ」
コーヘイは一礼し、王子に背を向けると、広間の扉の奥に消えて行った。
「それではこれより、防衛部隊の解散および再編成を行う!」
背後から王子の高らかな宣言が聞こえて来た。
コーヘイは納得しがたい気持ちもあったが、解放感も感じていた。
夜、セリオンとディルクがコーヘイの部屋に訪ねて来た。
ベッドの端にセリオンが座り、椅子にディルクとコーヘイがそれぞれ座っている。
「こんな人事、すぐに覆るぞ」
「陛下も黙ってはいないでしょう、さすがにこれは」
コーヘイはしばし無言だったが、意を決したように口を開いた。
「自分はこれを、受け入れようと思います」
セリオンが驚きの表情をする。何か言いたそうなセリオンを、黒髪の騎士は手で制した。
「いい機会だと思います。自分にはもう少し、身軽な身分が合うのではないかと」
「だが、王都追放だぞおまえ」
「今、やりたいと思っている事があって」
コーヘイはディルクの方に視線を送る。
「ディルクさんの、例の山賊調査に同行させてもらいたいのです」
副団長の身分があると、何かあっても私情では自由に動く事ができない。その身分がなくなれば、好きに行動できる。
山賊が使っている武器が、とても気になっていた。この不安が的中しないで欲しいと願いながら、自分の目で確認したいとずっと思っていた。
「それは、こちらとしては願ってもない事ですが」
おそらく使われているのは異世界の武器。その知識があるコーヘイが調査に同行するとしたら、とても心強い。
「わかりました。ただ僕も、勝手な判断で行動はできないので、陛下の許可をいただく必要はあります。それでよろしいでしょうか」
「お願いします」
セリオンは、コーヘイの強い意志を感じて、説得を諦めたようだ。
「おまえの部下たちの事は、俺に任せて欲しい」
せめてそれぐらいは自分を頼って欲しい、セリオンはそう思った。
「言わなくてもやってくれるって、信じてましたよ?」
いつものように爽やかな笑顔を向ける。
セリオンの顔もほころぶ。こいつは本当に……!
そして、再び表情を改める。
「ただ、本当にこの命令は王子の個人的都合でしかない。ゆくゆくはなかった事になると思う。王都を出ても、連絡が細やかに取れる状態でいて欲しい」
コーヘイは頷いた。
役職が無くなるのはあまり気にならない。だが、王都追放の件は気になる。みんなは会いに来てくれるだろうけど、王都から出られないあの人と会えなくなるのは、とても嫌だった。フレイアの花畑にも行けなくなる。
山賊の武器の問題が片付いたら、セリオンやディルクの手を借りて、異世界人登録局の皆にも頼って、王都追放についてはどうにかしたいと思っている。
それからの一週間、コーヘイは引き継ぎもあって多忙を極めて行った。
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