第8話

 ロレッタは、今日も自由気ままだ。

 服装はこちらの世界の物となったが、やはり露出度については譲れないらしく、体のラインが出るロングワンピースのスカート部分には、きわどいスリットが入っていた。


 あの地位のありそうな銀髪の男性に、もう一度会ってみようかしら?等と、昨日迷い込んだ暗い回廊を探すが、一向に見つからない。道順も、それほど複雑ではなかったはずなのだが……。


 あの受付にすらたどり着けなくて、どんどん飽きて来た。

 

 今度はあっちに行ってみよう。そんな軽い気持ちで方向を変える。

 


 ロレッタは、美しく、あまりにも堂々としていた。



 足はどんどん警備の厳しい城の深部に向かっていたが、彼女の昂然とした態度に、警備隊は彼女がそこに来るのが当たり前に見えてしまい、見逃してしまった。彼女が不審者に見えなかったのだ。


 もしも遊撃警備隊の精鋭が見咎めたなら、ロレッタは奥に進めなかっただろうが、するりするりと、その目を、運良く掻い潜り続け、いつしか豪奢なダンスホールにたどり着いていたという。


 城のダンスホールに相応しく、煌びやかで豪華。ロレッタはその空間に立った瞬間、もう戻れないと言われた元の世界の事を鮮明に思い出してしまった。

 自分はこういう煌びやかな世界に、到達したはずだったに、と。




 この世界に来る直前が、彼女の幸せの絶頂だった。


 彼女の美しさを目当てに、多数の男が群がっていたが、真剣だった初恋は切ない終わり方をしていた。欲しい物だけが手に入らない、それが彼女の前半の人生。


 そんな彼女に幸運が次々とやってきた。


 一目惚れした男性から思いがけぬ求婚を受けた。

 生き別れていた妹が見つかった。

 親友の難しい手術が成功した。

 憧れだった歌手になる夢が叶う事になった。


 登録局の職業には、”歌手”と答えた。


 ああ……、大好きだった歌、歌手になる夢!血を吐くような努力でやっとつかんだチャンス。死に物狂いでライバルを掻き分けて、手を汚すのも厭わずに、上へ上へと泥をすすりながらよじ登ったあの日々。


 デビュー決定の連絡を受けて、夢だと思った、でも夢じゃない、本当なんだ!と、足取り軽く帰った夜道。

 毎日通った帰宅の際に通り抜ける公園から、いつまでも抜け出せないと思ったら、この世界にいたのである。



 辛くなると歌いたくなる……。


 靴を鳴らすと、反響が豊かにダンスホールに広がって行く。

 彼女は大きく息を吸うと、高らかに歌い始めた。


 それは元の世界で名高い、ミュージカルの、有名な一曲。

 

 切ない歌詞、美しくも悲しいメロディが、強く、絞り出すように、豊かな声量をもって彼女の心を表現し尽くしていく。


 空に招き入れられそうな天使の声に、妖艶な色香を纏わせて。

 悪態をついていた口と、同じ口から発せられているとは思えない、至高の歌声。


 こういう性格だから、友達はあまりいなかった。

 でも親友と呼べる子はちゃんといたし。大好きな彼、大切な妹、少し仲は悪かったけど、両親もきっと心配してる。帰れないって何?

 私がいったい、何をしたっていうの。


 理不尽に対する怒り、苛立ち、苦しみ、悔しさ。



 魂の叫びを込めて歌い終わると、少し気分が落ち着いていた。

 彼女にとって歌は涙だった。ひとしきり泣けばスッキリするように、彼女は歌う事で辛さを吐き出す事ができるのだ。


「このままじゃ、私の人生、本当にバカみたいじゃない……」


 両手の拳に力を籠める。


「諦めるものか、絶対に」


 そろそろ帰ろうかな、と振り向いたロレッタの目線の先に、体格の良い金髪碧眼の美男が立ち尽くしていた。

 童話に出て来る王子様を、現実的に逞しくしたような見た目。


 男は魅入られながら、やっと声を絞り出す。


「美しい……」


 ロレッタには聞きなれた賛美だったので、特段の感動を覚えず、すかさず相手の身なり、顔立ち、地位をチェックして、合格点をつけた。

 合格点に達しない場合、無視する事に彼女はしている。キリがないから。


「あなた、だぁれ?」

「私は、この国の第一王子アリステアだ。貴女はいったい」


 ロレッタは、どうしようかと少し考えた様子はあったが、色々な損得勘定の計算を終えたようで、異世界人登録局に発行してもらった登録証明書を、胸元から取り出す。

 

 誘うような妖艶なほほえみと共に、それを差し出した。

 男が夢心地にそれを見終わったのを確認して、登録証明書を胸元に仕舞い、ゆっくりと男の首に腕をまわす。



 王位継承者の王子は、異世界から来たセイレーンに捕まった。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 「次!!」


 数日後の朝、剣技鍛錬場にコーヘイの姿があった。

 もう十数人、連続で相手をし続けている。


 剣と剣の打ち合う音が、朝日の中で休む事なく響く。

 相手をしていた部下の剣を絡め取り、足をかけて転がす。


 「次!!」


 続けて別の部下が相手に入る。代わる代わるの右、左、右、右。次々と閃く剣の動きには、この人数を相手していながら未だに疲れ知らずのキレがある。生まれつきの反射神経と、突き詰めた日々の訓練で極めた動きは隙がなく、無駄がない。

 そしてこの体力は、単調で退屈な基礎の鍛錬の繰り返しで培われている。


 ついに三十人目が地面に転がった所で、彼の朝の鍛錬を終了した。


 さすがにこの人数になると息は上がり、汗だくだ。

 パサっとタオルが黒髪の頭の上にかぶせられる。


「わっ」

「お疲れ」


 セリオンが後ろからタオルをかぶせてきていたのだ。


「おはようございます、セリオンさん」

「相変わらず、訓練量がおかしいな、お前は」

「実戦経験が乏しいので、これぐらいはやらないと」


 まだまだ強くなりそうだなと、セリオンは黒髪の相棒を見やる。


 セリオンは今年の冬に三十歳になる。コーヘイは二十七歳になったところだ。

 年を取れば体力はやがて落ちていくだろうが、技巧は円熟を極め、早々に腕が落ちるという事はないように思われた。


「魔導士団長のところのちびっこは元気か」

「相変わらずな感じですね」


 ユスティーナの事は、セリオンにも伝えてある。……人間ではない事も。


 ふと、城壁から落ちる影に気付いて、コーヘイが顔を上げると、そこに長い茶色の髪をたなびかせている女性が見えた。

 こちらを見ていたようだが、コーヘイが気づいて見上げたのを見て、どこかに行ってしまった。


「今の人、誰でしょう?」

「ああ、あれか。王子殿下の新しいお妃候補だそうだ」



 第一王子は婚姻の夜に花嫁を殺された過去がある。


 その最愛のキリカ妃を失った後、王子は女性に対する偏見がひどく、ことあるごとにキリカ妃と比べてこき下ろすという感じで、国王も手を焼いていたと聞く。

 女性に関する事以外に対しては、それなりに名君の器であったため、今までは黙認されていたが……。


「新しいお相手で、落ち着くといいですね」

「どうだろう、悪化する可能性もあるからな」


 コーヘイは城内の噂に興味がないため、耳に入っていない様だったが、付き合いの広いセリオンは、良くない話もチラホラ聞いていた。


 アリステアはあの女性を、昼夜問わず、片時も離さないという。


 キリカ妃の最期を思うと、それもやむを得ないかもしれないが、度が過ぎる。


 王子は、妃を失ったあの日に、すでに心を壊してしまっていたのではないかと、セリオンは思っている。


 ひび割れた心ほど、毒はよく沁み込む。


 あの女が、毒婦でなければいいがと願う。

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