第三章 それぞれの正義

第9話


 異世界人登録局、局長のエリセは、一枚の命令書を前に、頭を抱えていた。

 目の前の紙を見ては、溜息をつく。この日は久々に全員が局室に揃っていたので、さすがに他の局員も、その内容が気になってくる。


「なんか、面倒なものが来たんです?」


 赤毛の局長は無言で、その命令書をマンセルに手渡す。


「えっ、何コレ、この仕事をうちがやるの???」


 その命令書は王子の名前で出されており、内容は異世界人の送還業務についてだった。希望する異世界人は送還する事、という旨が記載されている。


「送還って、送り返す事でしょ?そんなのできないでしょ?どうしろっていうの」


 シェリが、その理由に気付き、不機嫌になってくる。


「あの女のせいですよ~」

「あの女って、ロレッタさんだっけ?性格の悪い美人」

「口も悪い」


 ローウィンが間髪を入れずに情報を補う。


「あの人、まだ帰る事、諦めてないの?」

「諦めてないんだろうな」


 ローウィンは気がかりな事がある。


「アリステア王子が、このロレッタという女性に溺れてるという話は、城仕えの友人に聞いているのだが、その状態で、こんな風に彼女を手放す事をやらせようとするだろうか」

「まさかとは思うけど、ロレッタさんが帰りたがってるの、知らないとか?」


 全員で考えてみたが、何が何やらわからない。


「どのみち、送還方法はわかってないから、どうしようもない。こんな命令をされてもな……」

「今のところ、学者が原理と原因究明に頑張ってる~、っていう段階ですもんね~」


 命令書は、とりあえず資料フォルダに挟み込まれた。全員で見なかった事にするしかない。


「しっかし、なんであんな女に、王子が惚れるの?バカなの?」

「随分と尖った趣味をしてるのではないか」

「好みは~千差万別ですからね~悪趣味も~趣味のうちです~」


 エリセが、局員が口々に言う悪口を、さすがに諫める。


「それぐらいにしておけ、不敬だぞ」


 局長クラスの会議では、あまり王城内部の話は入ってきていない。騎士団の方が情報を持っているぐらいだが、セリオンからも詳しい話はまだ聞けていない。


 今わかるのは、王子がロレッタに溺れ切っており、ロレッタの要望というだけで精査せず、どんどん無茶な命令しているという所だ。

 こういう考えなしの行動が酷く成れば、アリステア王子の立太子は無かったことになりかねない。そうなるとキース王子の派閥と対立する事になる。そうなれば国を二つに割る可能性だってあるのだ。


 今までエステリア王国は、外敵をずっと退け続けて来たが、国内を二分するとなるとどうなるか。

 女一人の我儘で起こった戦争も、かつて歴史上にあっただろうから、油断はできないとエリセは思っている。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「何でもいいから、見目の良い物を見せてやってくれ」


 王子の背中には、まとわりつくように琥珀色の瞳の女がしなだれかかっていて、誘惑的で悩まし気な目線を、この国の最高位魔導士に送っていた。


 セトルヴィードは王子の酒宴の席にいきなり呼び出され、さぁ魔法を使って見せよ、と言われているのである。曲芸師の如くの扱いである。


 プライドの高い魔導士の中で、数少ない高位魔導士の、その頂点にいる男に対して、この言い草であるから、この部屋にいる者は、気が気ではない。


 騎士団は王子管轄であるが、魔導士団は国王管轄である。このような呼び出しは無視しても良かったのだが、何度断っても、酒宴のたびに呼び出しの連絡が来るのが煩わしくなった。一回限り、という事で出てきたら、かつて彼を精神的疲労に追い込んだ女がいた訳である。


「妃はまだ、ちゃんとした魔法を見たことがないから、どうせ見せるなら、より良い物をと思ってお前を呼んだのだ」


 護衛騎士も、近衛も、従者も、召使いも、全員が顔面蒼白である。


 まだ妃じゃないだろうと、王子に突っ込める者もおらず、更にこのような暴挙を諫められる者もいない。酒に酔っているにしても、ひどすぎる。


 魔導士団長は立ったまま無言を貫き、出来る限り目線を下げて、琥珀色の瞳と、目が合わないように気を付けていた。

 このような事由で魔法を使っていては、最高位魔導士としての沽券に関わる。簡単な魔法を披露するなど容易い事ではあったが、立場として使う訳にはいかなかった。王子も、その程度の事は理解していると思っていたのだが……。


 だがそうは思っても、王族を無碍にも出来ず、ここは無言を貫くしか方法がない。


 この横暴に、全員が黙って耐えた事で生まれた沈黙は、広間の扉が開け放たれる音で破られた。

 中央の出入口から、数人の護衛騎士を連れたキース王子が入室してきたのだ。


「兄上!何をなさっておいでですか!!」


 かつて誘拐されかけた所をフレイアに助けられた少年は、十歳になったところである。まだ子供ではあるが利発で、何が良くて何が悪いかをしっかりと理解している。兄がとんでもない事をやらかしていると聞き及び、駆けつけて来たのだ。


 国王を除くと、アリステア王子を諫められる立場にあるのは、兄弟であるこのキース王子以外にない。騎士団長ヘルも、本来ならば諫める側の立場であったが、キリカ妃の殺害を防げなかった事で責任を感じ、それ以降はアリステアに強く言えなくなっていた。


 第二王子は機知に富み、十歳という年齢にしてこの行動力。周囲から期待が高まるのも当然だろう。

 今日この日も、アリステア王子とロレッタ以外の全員が、キース王子が来てくれたことで、やっとこの気まずい空気が終わると胸を撫でおろしたのだ。キース王子の方が、素晴らしい人格者なのでは?と思われるの無理なき事である。


「魔導士団長を酒宴の余興に呼びつけるなど、あってはならぬことです。こんな事が父上のお耳に入ったら……」


 アリステア王子は煩わしそうに腹違いの弟を見て、そして自分の命令を聞かない魔導士団長を睨みつける。場の雰囲気はかなり悪くなっていった。


 引き時を感じて、ロレッタの表情から誘惑めいた表情は消えていた。


「王子さま、あたしつまらない、もういい」

「全員下がれ!!一人残らず出ていけ!」

「ちょっとだけ待って」


 ロレッタは、王子から軽やかに離れると、立ち去りかけたセトルヴィードの元に小走りで向かった。


 自分の美貌になびかない男は、ロレッタにとって許しがたい存在だった。だが、相手もこれ以上ない眉目秀麗さである。さすがに、この男が自分を賛美しない事は、彼女のプライドを傷つけはしなかった。

 だが、聞いておきたい事があり、声はかけたい。


 セトルヴィードの耳に届く程度の小声で、ロレッタは言う。


「ねえ、あなたの魔法で、私を元の世界に戻せない?」

「そういう魔法は、存在しない」

「なんだ、最高位って言っても大したことないのね、幻滅」


 これだけ言うと、ぱっとアリステアの元に戻って行った。


 魔導士は、わずかな感情の揺らぎをその紫の瞳に湛えたが、涼しい顔で一礼し、広間を後にした。



 二人だけが残った広間。アリステアはかなり酔っているようで、目は虚ろだ。対するロレッタの眼差しは、一緒に飲んでいたはずなのに冴え冴えとしている。


 王子に甘えて呼び出してもらった、この国一番の魔法使いが、以前会って素敵だと思った人なのは意外ではあったが、自分を元の世界に戻せないような力は、ロレッタにとっては、あって無いような物だ。

 魔法はなんとなく、すごいもの、何でも出来るというイメージがロレッタにあったので、心から幻滅してしまっていた。


 アリステアの目にはそんな美女の様子が、先ほどの事で不機嫌になっているように見えて、自分に恥をかかせたキース王子と、魔導士団長に憎しみに似た感情を芽生えさせていた。

 そして同時に、この美しい人の機嫌を取らなければと思い立った。


「そうだロレッタ、愛する美しい人よ。これをあげよう」


 王子は自分の首にかけられた、豪華な装飾のついた大振りのネックレスを外して、ロレッタに手渡した。

 ズシリと重みもあり、デザインが好みではなく、ロレッタはこんな物をもらっても、と思ったが、顔には出さず、代わりに悩ましい吐息を出して見せた。


「素敵」

「そうだろう、中に面白い物が入っているのだ、開けてみると良い」


 ロレッタは、手の中にある大き目のペンダントトップをまじまじと観察すると、開けられそうな部分を見つけた。

 長い爪をかけて、パチリという軽い音を立てて開けてみる。


 中には小さく畳まれた羊皮紙が入っていた。


 アリステアの顔を見ると、心底自慢げに笑ってる。ロレッタは羊皮紙に目線を戻すと、それを広げてみた。


 中には細やかに文字があるが、まるで五線譜に踊る旋律のようにも見える。

 しかし、旋律として見るには、メロディラインも歌詞もぐちゃぐちゃなので、楽譜的なものではないようだ。


「それは今は使われていない古代魔法。強力な退魔の魔法陣を構築するための詠唱文なのだ。魔方陣そのものではないから、これ自体に退魔の効果があるわけではないが、今ではとても珍しい物だ。御守りとして使うといい」

「こんな素敵なもの、ありがとう。嬉しい」


 ニコリと笑うと、酔った王子に抱き着いた。


 この世界の楽譜は数字の羅列だったから、ロレッタは久々に見る音符のような記述に懐かしい安らぎを感じ、予想外に気に入ってしまったのだ。

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