第7話


「コーヘイ殿は理解が早くて助かる」


 三年前から攻撃を担当する隊を指揮する事となった副団長の一人、バートランドは、アッシュブラウンのウェーブのかかった肩までの髪をゆらし、満足げに頷いていた。淡褐色の瞳には信頼の色も浮かぶ。彼は今年三十七歳になる。


 この日は朝から先日行った軍事演習の結果と反省を踏まえ、隊列や戦略の練り直しを副団長四人で行っていた。


 大きな卓の上にそれを覆い隠すほどの地図が広げられ、チェスの駒のような模型があちこちに並べられている。


「魔法の知識がほとんどないのに、魔法戦の特徴をうまく活用しているな」


 緑がかった黒髪の巻き毛の男、悪魔的美貌の持ち主レオンも、コーヘイの出した案に対し感心しきっていた。未だ公式の実戦経験がないとは到底思えない。

 部下からの信頼も厚いし、人望もある。用兵に関して全くと言って不安がない。異世界人ではあるが、この国に必要な人材として立派に成長を遂げたと感じていた。


「しかし、その場合だと、これがこう来て、こうなった場合……」

「その場合はこちらの隊を、……こう、ですね」


 セリオンとコーヘイは駒を動かし合い、戦略を深める。


「そういえば……」


 コーヘイは防衛を担うにあたり、どうしても気になる事があった。


「王都の防衛については、考えなくていいんですか?」


 戦略会議のその内容はこれまですべて、国境沿いを想定したものであった。そこで食い止められなかった場合を想定して、王都の守りについても、コーヘイは考えておきたかった。


 コーヘイを除く三人の副団長は、そうか説明をしていなかったかもと、顔を見合わせた。セリオンが代表して説明をはじめる。


「王都は、魔導士団長が一人で防衛できるから」

「え!一人でですか!?」


 王都は円形の大きな城壁に囲まれているが、結構な広さである。魔法を駆使して、それをすべて防衛してみせるというのだろうか。


「王都を囲む、強固な防衛の専用魔法陣があるんだ。王都が危険にさらされた時、発動される。古代魔法の一つで、扱えるのは魔導士団長、ただ一人だ」

「あの方、すごいんですね……」

「まあ、王都まで戦火が寄った事はここ最近なくて、実際にその発動を見た人間は今はいだろうな。最後に発動したのは、確か先々代国王の頃だったと思う」


 そうなのか、魔法ってやっぱすごいんだなあと、ひとしきり感心した。今更ながら魔法が主体の世界にいるのだという実感が沸いてくる。


「さて、次回の演習についてだが……」


 会議はその後、夕刻まで続いた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 セリオンと夕食を取り、その後の一杯は断ってコーヘイは魔導士団の区画にいた。ユスティーナの着替えの追加を仕入れたので、それを魔導士団長の元に持っていくためだ。


 今後、ユスティーナの状態がどうなるのかわからないため、その存在は公にはせず魔導士団の中でも知っているのは魔導士団長、治癒の副団長、受付のアルタセルタのみである。


 入室の許可を得てコーヘイはセトルヴィードの部屋に入る。


「お疲れ様です、失礼します」

「手間をかけさせてるな」


 今日の魔導士は椅子に深く腰をかけて、分厚い本のページを繰っていた。

 コーヘイの入室を確認すると、栞を挟み机の脇にやる。

 ユスティーナはその机の脇に置かれた椅子で、いつものようにぼんやりと座っている。顔立ちが整っているので、瞬きと呼吸による動きがなければ本当に人形のようだ。


 コーヘイは新しく仕入れた服を、魔導士団長に広げて見せる。


「うちの娘は可愛いから、なんでも似合ってしまうな」

「親ばかが暴走してますね」


 ちゃんと世話ができているようで、コーヘイは安堵した。


「そういえば今日、初めて聞いたんですけど、王都の防衛は閣下一人でこなされるんですってね」


 新しい服を畳みなおし、積み上げながら言う。

 銀髪の魔導士が若干、反応を渋ったのが意外で、コーヘイは怪訝な表情をしてしまう。


「団長閣下?」


 返事をしない魔導士に、再度の声をかけてしまう。


「お前には、話ておいてもいいかもしれないな」


 どこから話すべきか思考をまとめている間があり、それから語りはじめた。


「魔導士団長が、どのような基準で選出されるか、知っているか?」

「魔力量が多い事、というのが最低条件という話は」


 背もたれに、深く体を預けながら魔導士は頷く。


「王都防衛の魔法陣には、最低限必要な魔力というものがあるのだ。その魔方陣に使う魔力は、魔導士団長から切り離されてそれ専用の状態になっている。切り離された魔力は私の魔力であっても、自分の意思では使う事ができない」

「でも閣下、普段魔法を使ってらっしゃいますよね」

「使える。ただしそのためには王都防衛の魔法陣の維持に必要な分に足して、副団長クラスが持ってる分ぐらいの魔力量が追加で必要になる」


 セトルヴィードは椅子から立ち上がり、コーヘイのそばまで歩み寄って来た。

 真正面、手を延ばせば届く距離に彼は立った。身長はほぼ同じぐらい。

 銀髪と黒髪が向かい合う姿は、一瞬、対を成す彫像のようにも見えた。


 わずかな間をおいて。


 彼はローブを脱ぎ落し、おもむろににシャツの前ボタンを外し始める。


「閣下……?」


 突然の事にコーヘイは狼狽えた。

 魔導士はシャツの前を開き、白い胸元を顕わにした。

 美しい肌の上に、複雑な魔方陣が、入れ墨のように刻まれているのが見えた。


「これは、そうだな、発動の扉を開けるための鍵穴というべきか」


 セトルヴィードは静かにコーヘイの右手を取り、その胸に記された魔法陣の中央に手を当てさせる。

 コーヘイの掌に、トクトクという脈動と体温のぬくもりが伝わって来る。


「発動が必要になったとき、国王がここに鍵を刺す。鍵は、剣の形をしている」


 静かな微笑をたたえながら、感情のこもらない声で魔導士は言った。


「まさか、命と引き換えに……?」


 魔導士は特に返事をしない。紫の瞳がしばし、黒い瞳をまっすぐに見つめる。

 コーヘイの手が、力なくその胸から離れるのを待ってセトルヴィードはシャツのボタンを留めはじめる。


 茫然と立つ騎士をそのままに、魔導士はローブを床から拾い上げると、机の上に投げ置いた。


「だから最高位魔導士の地位、魔導士団長の任期は、団長が死亡するまで、となっているのだ」


 再び椅子に座り、机の上に肘をついて手を組む。


「もし今、私が死んだ場合、次の候補は十歳の少年だ」


 コーヘイは返事をする事が出来ない。


「私が結婚して、子供が生まれれば、おそらくその子が候補になるだろうな。どうだ?なかなか逃げ場がないだろう」


 笑ってくれてもいいぞ、と言いたげに自嘲の色が濃い。


「古代魔法って、なんていうか、酷いですね」

「今、廃れていっているのは、この世界の人間にも、それなりには良識があるという事だろうな。古代魔法は、必ず発動に対価を欲する」


 魔導士団長が重責を担っているというのは知っていたつもりだったが、まさかここまでの物とは思っておらず、コーヘイはかける言葉が見つからなくなってしまった。

 彼は王都から、出る事すら敵わないのだ。


「もし、逃げ出した場合ってどうなるんですか」

「魔力だけが王都に取り残されて分断されるから、魔導士は死ぬだろうな。魂が半分になって生き残るような奴はいないだろう」

「でも、前団長って失踪してるんですよね……?」


 銀髪の魔導士は、不意を突かれたようにきょとんとした顔をした。


「そういえばそうだな……」


 セトルヴィードは局長エリセからの聴取で、フレイアの育ての親が前団長ガイナフォリックスであることを聞いていた。少なくとも、フレイアを育てた期間は健在であったという事だ。


 あの分解の魔法は、元々は王都防衛の魔法陣と自身を切り離すために開発したのだろうか?そう考えると得心がいく。古代魔法には解除の方法がない。分解して消すしかなかったのだろう。

 フレイアに受け継がれた理由はまだわからないが、なぜあんな魔法が作られたのかという疑問がひとつ、解決した気がした。


「まあ、私の王都防衛方法はこういう物だ。他言はするな」

「はい」


 コーヘイの表情が、沈痛なものになっていることに気付いた魔導士は、重い話をしすぎたことに気付く。


「私を長生きさせたければ、騎士であるおまえが頑張ればいい。王都が危なくならなければ、扉は開かれない。頼んだぞ、防衛担当」


 笑って見せた。

 しかしその笑顔が余計に、コーヘイの心を重くさせた。


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