第6話
コーヘイがセトルヴィードの部屋を訪れていた頃。
異世界人登録局で暴言を吐いていたロレッタは、フラフラとあちこち歩きまわっていた。茶色のウェーブのかかった長い髪、大きなぱっちりとした琥珀色の瞳は長いまつ毛に縁どられ、すらりとした手足にバランスの良い胸と腰。すれ違う人が、一度は振り返るような容姿端麗な美女だった。
「ふぅん、まぁまぁカッコイイ人、多いわね」
服装が異世界のままだったので、それを奇異に思っての目線もチラホラある。
足を組めば下着が見えそうなミニスカート、体の線が見えるリブニット。ブーツのヒールも高い。
適当に歩き回ったせいで随分奥まで来て、周囲は騎士や警備が増えてきた。でも案内板があるわけでもなく、立ち入り禁止とも書かれていない。誰かに呼び止められる事もない。ロレッタは適当に、思うままに歩き回っていた。
やがて遠巻きに見る目が増えてきたが、彼女は欠片も気にしない。人にどう思われようと関係ない、という感じだ。
薄暗い回廊に迷い込んできて、さすがの彼女も引き返そうかと思い始めた。周辺にいる人間は、長いコートのようなものを着ていて、厚着の中にロレッタの薄着は全く馴染んでいない。
視線の内容も、絶世の美女だから注目している、という訳ではなさそうで、ロレッタは不機嫌になる。
インフォメーションカウンターのようなものが見えたので、道でも聞いてみるかと、気軽に声をかける。
「ハーイ、ちょっと聞きたいんだけど?」
声をかけられた受付嬢のアルタセルタは、いつものように不愛想な応対をした。それがロレッタを苛立たせた。
「ちょっとぉ! その態度何よ、どういう躾されてんの?」
「こちらは魔導士団の受付です。どのようなご用件ですか」
アルタセルタは、キッと睨みつける。ロレッタも負けていない。
「こちらは客よ? お・きゃ・く・さ・ま!お客様に対する対応、教わってないの?」
「ですから、ご用件を」
「ここどこなのよ」
アルタセルタは、ことさらに大きなため息をつく。
「魔導士団の受付と申しておりますわ」
アルタセルタも魔導士であるから、異世界人を嫌っている。そして今、ここで暴言を吐いている女も、服装から異世界人と察した。こんなとろまで迷い込ませるなんて、異世界人登録局は何をしているんだと、そこに努めている夫にも怒りが沸く。
魔法で叩きだしてもいいのだが。
実は魔導士団受付でこのようなトラブルは、これまで皆無である。「誰それに会わせろ!」とか、「何々をやれ!」という命令をしてくる人間は稀にいるが、魔導士がプライドの高い人間であるという事は、この世界に住んでいるなら共通認識なので、態度が悪いと怒って来る人はまずいないのである。魔導士は態度が悪くて当たり前なのだ。
それでいて、ロレッタというこの女性、とにかく相手がイラっとする急所をつく発言をする。結果、女二人による暴言の応酬、ののしり合いに発展してしまったのである。
さすがにこの異様な気配は、ここを管理する魔導士団長なら気づいてしまう。
何事かと、団長自ら確認に出て来ることになってしまったのだ。
「何をしている」
女二人がつかみ合いのケンカをしているのを目の当たりにして、セトルヴィードは眩暈を起こして倒れそうになった。
さっきまで倒れていたのだから、実際倒れてもおかしくはないのだが。
なんとか気丈に踏みとどまる。
アルタセルタは、ハッとした。こういうトラブルを防ぐべき受付が、よもやトラブルの原因になっているとは。しかも団長が自ら出てこられたことに、真っ青になって恐縮した。
アルタセルタの態度が急に変わったので、ロレッタも罵る言葉をやめた。腕を組んで偉そうに胸を張る。
そして歩み寄ってくるローブ姿の男性を、頭の先から爪先までじろじろと不躾に眺めやる。
「何があったんだ」
もう一度問う。
「申し訳ございません、闖入者がありまして」
「あなたが責任者?」
ロレッタは鋭く言う。
「そうだ」
短く返答をする。
「受付の社員教育ぐらいちゃんとしておきなさいよ、何なのあの態度」
服装からして異世界人というのはわかったが、この世界では受付が愛想よくする文化がないので、なぜそのような事を言われるのか理解に苦しみ、魔導士団長は返答に窮した。
今までこの世界に来たばかりの異世界人が、受付まで来た例はない。コーヘイが感じたように、並の胆力では敵意の目線を受けつつも更に奥に進もうなどと思わせない雰囲気が、この魔導士団の区画にはあるからだ。
セトルヴィードが何も言えないでいる間、ロレッタはこの美しい男性をじっくり吟味していた。
肩までのサラリとした銀糸のような髪に、眉目秀麗な顔立ち、吸い込まれるように美しい紫の瞳。身長もそれなりに高く、服装から高貴さと裕福さも感じる。更に、地位もある感じがロレッタを満足させた。
「今日見た中では、あなたが一番素敵ね」
そう言うと、突然歩みよりセトルヴィードの首に手をまわそうとしてきた。
さすがにそれを許す事はできず女の両手首を掴んで拒否する。
「何をする」
「ふふ、ツバつけとこーかなー?って」
妖艶に笑うロレッタに対し、寒気がした。
身の危険を察知して。
主に、貞操の。
反射的に最高位魔導士らしく、無詠唱の転移魔法で区画外に弾き飛ばした。先ほどまで鍛錬をしていて魔力はほぼ空っぽなのだが、それでも何とか飛ばせた。
必死だった。
ロレッタは、次の瞬間には合同庁舎の出口前に戻されていた。
「あら?」
何が起こったのかわからなったけど、そろそろ戻ろうと思ってたからラッキー、程度の軽いノリで匂いに惹かれて食堂の方に向かって行った。
魔導士団詰め所入口では、アルタセルタが恐縮してセトルヴィードに謝罪をする。
「もういい、あれが二度とここに近づかないように、処置しておいてくれ」
アルタセルタは深々とお辞儀し、特定の人間の侵入を阻む固定式の魔方陣の準備に取り掛かった。
銀髪の魔導士は内心かなり動揺していたが、虚勢を張って何事もなかったように颯爽と部屋に戻る。
部屋に入り扉を閉めると、フラフラとベッドの方に向かって歩き、たどり着くやいなや床に座り込むと同時にベッドにしがみつくように突っ伏す。
「団長閣下、どうされたんですか」
子供を抱いて待っていたコーヘイが、あまりの魔導士団長の疲弊ぶりに心配の声をかける。
「コーヘイ」
「はい」
「私は、まだ生きてるか?」
「今にも死にそうに見えます」
魔導士は数秒そのままだったが、顔を上げなんとか立ち上がると、ローブを脱いでベッドの上に放り投げた。
そのままベッドに座り込む。
その様子を見てた黒髪の騎士は、子供をいったん椅子に座らせ、菓子袋をあけると銀髪の魔導士の口に新しい棒付きの飴を再び突っ込んだ。
いい大人がしおらしく棒を持って飴を舐めているのを、コーヘイは見守る。
「魔力って飴でも回復するんです?」
「そんなわけないだろう」
「でも、ちょっと元気になってますよね」
そうか? という顔はしているが、多少は何か効果がありそうにコーヘイには見えた。とりあえず、また倒れたら飴を突っ込もうと思った。
「あ、そうだ。この子も飴を食べましたよ」
魔導士が子供の方を見ると、先ほどの食べかけを舐め終えたようで、残った棒をがじがじと噛んでる。
「多少は、成長しているのだろうか。何か食べるとは思わなかった」
「そろそろ、名前を付けないと不便じゃないですか?」
「呼び名はユスティーナ、というのはどうだろう。隠し名に私とフレイアの名前の一部を仕込んでおこう」
そう言いながらセトルヴィードは、いつものように顎に手をやって考える。
「隠し名に、コーヘイの名前の一部も入れる。ササキだったか」
「え、何故です?」
そうじゃないと、フェアじゃないような不思議な気持ちが沸いたからだ。でも口に出したのは別の言葉だった。
「なるべく長く、複雑な方がバレにくいし、異世界人の名前の音の並びは、こちらの世界の人間には思いつきにくい。安全策だ」
パスワードのようなものかと、コーヘイは納得した。
魔導士は名付けの儀式を行い、この子はユスティーナとなった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
アルタセルタは城下町にある自宅で、台所のテーブルに突っ伏して、わんわん声を上げて泣いていた。
「ハニー、もう泣くのはおよし」
「だって、ダーリン……」
異世界人登録局のローウィンと、魔導士団受付アルタセルタは、三年前の事件をきっかけに結婚していた。結婚して三年とはいえ未だに新婚冷めやらぬというラブラブ夫婦である。
「団長、きっと怒ってらしたわ」
ぐすっぐすっと鼻をすする音が混じる。
「でも団長も、どうせ飛ばすなら、もっとどこか、無人の山奥にでも吹っ飛ばしてくれたら良かったのだわ、南にある死の砂漠でもいい」
うわーん! と、また子供のような泣き声を出す。
ローウィンも実はすごく疲れていた。しかし愛する妻を慰める事を優先する。
「ああ、ハニー、可哀相に」
「あの女……わたくしのことを……厚化粧の若作りババァ呼ばわりしたのですわ」
「許せんな!!」
いつもは感情を出す事のない、ローウィンから怒気がみなぎる。
愛する妻は、仕事中は確かに化粧は濃い。だがあれは、あくまで呪術的な意味があるという。その艶やかな化粧をした姿は、もちろん美女を形作る。
そして今、目の前にいる化粧を落とした妻も、また美しい、とローウィンは思っている。年齢に相応しい、かすかな薄いシワもあるけれど、それを隠そうが隠さまいがどちらも自分の愛する妻である。
化粧を落とした素顔は家でしか見せないから、自分しか知らないと思うと、なお一層愛おしい。
「さぁハニー、嫌な事はもう忘れて、今日はもう寝よう」
ロレッタはあの後、食堂でもトラブルを起こしていた。ローウィンは仲裁に駆け回り、精神的にも肉体的にも疲れきっていた。
フレイアが培ってきた異世界人への信頼感を、あの女が一瞬ですべて破壊しつくしそうで、ローウィンはそれが怖い。
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