第二章 異世界から来た歌姫
第5話
マンセルはまた、昼休みを超過して戻って来た。
登録局の部屋の前まで来た時、部屋の中が騒がしい事に気付く。
遅刻の件もあって、そっと扉を開けて様子をうかがう。
登録者が来て、シェリがその応対をしているようだが……。
「だからっ、なんとかならないの?って言ってんのよ」
「です~から~、その方法は、確立されていないといいますか~」
「ちんたら喋ってんなよ、このデブ!」
「……!」
シェリはプルプルと怒りで震えているが、なんとか耐えていた。少し痩せたとはいえ食べる事が大好きな彼女の事、やはりぽっちゃりのカテゴリに入る体型であった。肩までの内側に少し巻いた明るい金髪も、顔を丸く見せてしまう。この体型を本人は特に気にしてはいなかったが、こんな風に罵られるとさすがに腹が立つ。
マンセルが更に身を乗り出して覗き込むと、シェリの前には我儘そうだけどスタイル抜群の美女がいた。これが今日の登録者のようなのだが、どうにも性格に難がありそうだ。
異世界人も色々あって、暴れ狂う人、泣きやまない人、怒鳴り散らす人がいれば、夢でないと知って失神する人もいる。なかなかこの部署もきつい職場である。
そういう事もあって本来なら二名で対応する事が多いのだが、マンセルが当然の如く遅刻してしまったので、今はシェリが一人で対応していた。
このままじゃまずいとマンセルは空気を換えるように、なるべく元気いっぱいに扉を開ける。
「すみません、遅れました!」
「マンセルッ!」
シェリが半分涙目でプルプル怒りで震えている。この登録者に怒っているのか、遅刻をしたマンセルに怒っているのかわからない。
「えーと、引き継ごうか?」
「そうして!」
シェリがおっとりとした喋り方を辞めるのは、怒りが頂点に到達したときだけだ。今は怒髪天を衝くといったところか。
シェリはマンセルと入れ違うように出て行ってしまった。
マンセルは足を組んでふんぞり返っていた美女の前に、椅子を引いて向き合う。美女のスカートがすごく短いため、目のやり場に困る。
「登録局のマンセルです。先ほどは局員が何か失礼でも?」
あまりフランクに対応するなといわれている彼だが、今日に限ってはマニュアル通りに声をかける。女性はシェリに対するより、少し態度を改めた様子だった。
「さっきの女より、あなたはマシなのかしら?」
ふぁさっと、茶色の長い髪をかきあげる。香水の艶やかな香りが、マンセルの鼻に届いた。琥珀色の瞳が挑戦的にマンセルを見やる。
「ええと、登録について、どこまで説明が進んでいましたか」
「名前と年齢、職業は言ったよ」
「この世界の説明については」
「もう戻れない、って所までは聞いたわ」
登録書類にはロレッタ・ハフィントンと書かれていた。
「えーと、ロレッタさんでよろしいでしょうか」
「そうよ」
「先ほどは戻る戻れないというお話でしたか?」
「ええ」
憮然としている。
「おそらく先ほどの局員も説明したと思うのですが、こちらの世界から元の世界に戻る方法は見つかっておらず、当局としては、生まれ変わったつもりでこの世界を楽しむ事を推奨しています」
マニュアル通りの応対、辛い。
でも、もうひと踏ん張りとばかりマンセルが続ける。
「こちらでは、その生活サポートや就労サポートも行っているので、お悩みがあればその都度相談していただければと思います」
「戻れるようにしよう、っていう努力はしてないわけね」
「こちらに来る原理がわかれば、送り返す事も出来ると思いますが、なぜそちらの世界から、こちらに来るのかまだわかってなくて」
「古臭くて遅れてそうな国だと思ったけど、世界自体の知恵が遅れてるってわけね、わかったわ」
なんとなく、頭に来る。
「あーあ、イケメンの金持ちとの結婚が決まってたのになぁ」
「こ、こちらの世界にもお金持ちとか、顔立ちの整った人はいるので……」
「もういいわ、あたしはあたしの考えでやっていく」
ギリッとした強い瞳の輝きとその表情が鬼気迫る感じで、マンセルは冷や汗をかいた。正直なところ、次に相談に来られたら、相談業務が大好きなマンセルでも、好んで対応したくない。
マニュアル通り当座の生活としての宿舎の部屋の案内、食堂の場所の案内、就労支援につてい説明を終える。
終わったのは夕方近くだったが、マンセルはとてつもなく疲労困憊していた。
シェリはついにその日、局室には戻ってこなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
コーヘイは魔導士団の区画にいた。
周囲の目線がちょっと痛い。やはり異世界人には、魔導士の多い区画というのは針のむしろのようだ。この視線に耐えられる異世界人はいるのだろうか?とも思う。
敵意、侮蔑、悪意、嫌悪。
こんな視線をあからさまに投げかけられたら、とてもじゃないけど平常心でいられない。
受付に見知った顔を見つけた時は、心の底からほっとした。
赤紫の髪の美女が受付の机で書類仕事をこなしている。
「すみません、騎士団のコーヘイです」
受付嬢アルタセルタは、顔を上げて何か言いたそう……というか、聞きたそうだったが、自分の興味より仕事を優先した。下働きの少女に声をかける。
「伺っています、案内の子についてお進みください」
トコトコとあるく下働きの少女が、大きな扉の前までコーヘイを案内しお辞儀をして引き返していった。
コーヘイが扉をノックする。
「コーヘイです、例の物を持ってきました」
しばらく間があって入るよう促す声が聞こえたので、扉を開ける。
部屋に入ると右手側にベッドがあるのだが、そこに銀髪の魔導士はローブを脱いだドレスシャツ姿でぐったり仰向けで倒れ込んでいた。
「えっ! また熱がぶり返しました!?」
荷物を抱えたまま、慌ててそばに駆け寄る。
「大事ない、気にするな」
気にするなと言われても……。
魔導士の周辺の状況を見ると、シーツの上には大量の魔方陣の用紙が乱雑にまき散らされており、なんとなく何をしていたか分かった気がする。
「一応聞きますが、何してたんですか」
「日課の鍛錬を……」
コーヘイは呆れを通り越して怒りが沸いてくる。敬称で呼ぶのすら忘れて叫んだ。
「バカですか、バカですよね! あなた夕べ、熱を出して寝込んでたんですよ、何やってるんですか! 今日ぐらい休んだらどうですか」
「すまん」
両腕で目元を覆い隠すようにして、呼吸が落ち着くのを待っているようだ。
水でも……と思ったが、この部屋は水を出すのも、湯を沸かすのもすべて魔法がありきの構造で、コーヘイには扱えない。
子供のための荷物から、もしかしたらお菓子なら食べるかな? と思い買ってきた袋を開け飴を取り出した。一口サイズの飴玉に小さな子供でも安全に舐めやすいように棒がついている。
「これでも舐めててください」
セトルヴィードの口に強引に飴が突っ込まれる。
とりあえずカロリーを取らせればなんとかなるだろう、という軍隊方式である。
「甘い」
そりゃそうでしょうよ! という顔をコーヘイはしたが、魔導士の隣で毛布に包まれてぼんやり座り込んでる子供を見て、本来の目的を思い出す。
「服を着せちゃいますね」
よく寝てる子だったので、コーヘイは服のデザインよりそのまま寝間着として使っても大丈夫そうな肌触りの良い布で仕立てられた服を選んでいた。
「手際がいいな」
腕の隙間から、紫の瞳だけをコーヘイの方に向けて素直な感想を言う。
「これぐらいの年頃の姪っ子がいたんですよ、姉のとこの末っ子で。休暇の日はよく世話をしてましたから。もう大きくなっただろうなあ」
服を着せ終わった子供の脇をもって、目線まで抱え上げてみる。
「可愛い!」
「可愛いだろう、私の娘だ」
コーヘイは子供を抱え上げたまま、セトルヴィードの方を、びっくりした顔で振り返って見てしまう。
「身に覚え、あったんですか?」
「あった、というか、やらかしてしまったらしい」
魔導士は飴でも多少は回復したようで、体を起こす。ベッドの上で胡坐を組むと手を伸ばして子供を寄こせという仕草をしたので、コーヘイは素直に渡す。
棒付き飴をくわえたまま服を着せられた幼女を確認し、カイルの憶測について語った。
「なんか、すまない」
「いえ、閣下の責任ではないのでは」
「まだ、わからない事は多いが、とりあえず私でも世話は出来ると思う、たぶん」
「こんなに年中、ひっくり返ってる父親は、教育上良くないのでは」
「いつも倒れている訳ではない、と思う。おそらくだが」
「何で自信なさげに言うんですか」
以前のイメージと違ってそれなりに喋る人だなとコーヘイは思った。孤高を貫いているが、人が嫌いという訳ではなさそうだ。
「この子の名前、フレイアになるんですか?」
「いや、彼女であって彼女ではないからな。新たに付けた方がいいだろう」
「元の記憶、ないんでしょうか」
「魂は記憶を運ばないだろうな」
なんとなく二人でしんみりとした空気を作ってしまう。
シーンと静まり返った部屋。不意にセトルヴィードが明後日の方向に顔を向ける。
「どうしました、閣下」
「入口で何かあったようだ。少し見て来るから、子供を頼む」
くわえていた飴の残りを、子供の口に突っ込んでベッドから下りると、いつもの仕立ての良い魔導士団長のローブを羽織って、部屋から出て行った。
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