第4話


 コーヘイとマンセルは町中を歩いていた。

 城下町という事もあって人通りが多く雑踏が賑やかだ。あちこちからいい匂いがしてくる。


「そういえば、こうやって一緒に歩くのも久々ですね」


 コーヘイとマンセルが町中を一緒に進むのは、大事なあの子が行方不明になった時以来である。あの時はのんびり会話を楽しむ暇はなかったが。


「コーヘイも随分、忙しそうだよなー」


 せっかく異世界に来たのだからあちこちを見て回りたいと思っていたが、あの事件の後すぐに副団長を任命されてしまい、気軽に行き来できる身軽な身分ではなくなってしまっていた。

 有事の際に留守などとならないように、あれからコーヘイも訓練以外では王都から出ていない。国に縛られるという言葉の意味を少しだが理解できたと思う。魔導士団長という立場になればもう、城から出る事すら滅多にできない事なのだろう。


 不自由な立場の銀髪の魔導士を、心底気の毒に思う。


 ただコーヘイも騎士団の副団長になると他部隊とのすり合わせ、部下の扱いなど上に立つ者としてのストレスもある。休暇も滅多に取る事なく、今回も随分久々だ。

 町中を見ながら歩くのはいい気分転換になった。


 マンセルの実家の店で子供に必要なひと揃いを選びマンセルと別れて城に戻る。マンセルは昼食のあと、軽く昼寝をしてから局に戻るらしい。毎回の遅刻の原因はその昼寝のせいでは……とコーヘイは思ったが、エリセ局長がしっかり締めてくれるだろうと特に口を挟まなかった。



 度重なるダメージで将来、禿げなきゃいいが。とは思った。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 セトルヴィードは自室には戻らず、直接治癒の専門家である副団長カイルの元を訪れた。ノックをすれば勝手に入って来いという返事があり、銀髪の魔導士は扉を開けた。


誰何すいかぐらい、したらどうだ」

「別に誰に来てもらっても構わないからな」


 長い紺色の髪を後ろで無造作にまとめた髪色とそう変わらない紺色の目の魔導士が、何やら作業をしながら部屋の奥にいた。

 手を止めて入室してきた声の主の方を向く。


「えっ、誰に産ませたの?」

「お前も言うのか」


 銀髪の魔導士に抱きかかえられた幼女をカイルはまじまじと見やる。

 セトルヴィードとも何度も見比べる。


「分裂した、とかじゃないならそれしかないだろう?」

「分裂などしない。が、身に覚えもない」


 カイルは記憶を手繰る。子供の頃から一緒にいるからこの男がいかにモテていたかもよく知っている。付き合っていた女性もそれなりにいたはずだ。


「本当の本当に?」


 この言い方、どこぞの誰かにすごい似てるなと銀髪の魔導士は思った。だが誰に問われても答えは同じだ。


「本当の絶対に、確実に覚えはない」


 付き合っていた女性は確かにそれなりにはいた。だが彼女らは、自分自身を見てくれていないと早々に気付いてしまった。見目の良い、地位のある大貴族の男。付き合ってると言えば自慢ができるというそういう類の意識が透けて見えて興ざめだった。深い関係になる等と考えたくもない。心が通い合わなければ虚しいだけだと、高潔な魔導士はずっと自分自身を見てくれる存在を求めていた。

 やっとそういう存在に出会えたと思ったのだが……。


 こういうちょっとした会話のたび彼女の事を思い出してしまって、苦しくなる。だから人を遠ざけた部分もあった。このカイルとも滅多に会う事はない。


 重苦しく黙ってしまった男の紫の瞳に暗い影が落ちるのを見て、カイルはからかうのをやめて真面目に応対する事にした。


 この三年、治癒術師としては看過できないと思う毎日だった。この男が自分の事をどう思っているのかわからないが、カイル自身はセトルヴィードの事を親友だと思っていた。魔導士間では数少ない友情の絆が、二人の間にはあると信じている。


「その子の事で来たのか」

「そうだ、昨日騎士団の副団長が保護したのだが、どうにも様子がおかしい」


 どれどれという感じで、カイルは少女を受け取る。

 椅子ではなく机の上にちょこんと座らせる。毛布をめくろうとして、カイルは言う。


「なんで裸なんだ?」

「服は今、手配中だ。裸の状態で発見されてる」


 カイルは人体についてとても詳しい。魔力の理論についても、誰よりも頭が一つ飛びぬけてる。セトルヴィードは総合力はあるが、何かひとつ突出しているという専門分野はない。

 自分にはわからないが彼にならわかるだろうという信頼を置いていた。


「この子、人間じゃないな」

「なんだって、見た目も、体温も、重さも普通の子供だと思ったが」

「お前らしくないな、魔力の様子を確認してみろ」


 言われて、はじめて、額に指をあてて確認してみる。


「なんだ、これは」


 子供の中で魔力が循環しているように感じる。通常なら、魔力は固まりのように感じられるはずだ。


 ひとしきり確認し顎に手をやって考える。銀髪の魔導士がこの仕草をするときは、長孝に入ってしまっており、中々現実に戻ってこない。

 カイルはそれを知っていたので友人を横目で見ながら、引き続き診察を続ける。

 その間子供はウトウトしはじめ、やがてスヤスヤと寝息を立て始めた。

 

 カイルは眠った子供を毛布でくるみなおすと、セトルヴィードに渡す。


「座って話そうか」


 高位の魔導士二人は、手近な椅子を引いて腰を下ろした。

 幼女はセトルヴィードの膝上で眠っている。

 彼は反射的に子供の髪を撫でてしまう。


「あまり情を移さない方がいいぞ。いつ崩壊して消えるかわからん」

「これが何かわかったのか」

「魔導士団長殿、おまえ、何をやらかしたんだ」


 飽きれたようにカイルが言う。


「私が何かしたと?」


 少しむっとして、語気強めに返してしまう。


 カイルは言うか言うまいか少しの間をおいて考えたが、諦めたように溜息交じりに言う。


「今、膝上で寝てるのは、おまえのお気に入りだ」


 驚いて幼女をみやる。


「まさか彼女なのか?似ても似つかないが……」

「彼女そのもの、ではないな」

「何が何だかわからない」

「おまえ、葬儀で何かやっただろう?」

「ただのありきたりな、送るための儀式だったが」


 記憶の糸をたぐる。


「普通、葬儀ではやらない事をやっただろう」


 そう言われて思い出す。


「名付けの儀式をやった」

「元の名前をつけなおしただけなのか?」

「いや、魂がまた束縛されないように……」


 カイルがじっと紺色の瞳で紫の瞳を見やる。セトルヴィードは若干言いにくそうに続けた。


「私の隠し名の一つを追加して与えた」


 しばらく二人は沈黙していた。

 先に言葉を発したのは銀髪の魔導士の方だった。


「だが、それでこんな不可解な事が起こるか?」


 これは憶測だが……と前置きをして、紺色の髪の魔導士は語り始める。


 彼女の最後は圧倒的な大量の魔力を浴びた。浴びたというか、彼女を通り過ぎてる。彼女自身が魔力の塊になったと言ってもいい。それに体は耐えきれなかったが心は……魂は耐えきったと、最後に立ち会った者から聞いている。

 つまり彼女の魂は大量の魔力を帯びていて、あの時にあっても完全な死んだ人間の魂の結びつきの状態ではなかったのではないか。


 再度、名付けられたことでこの世界に存在が定着し、魔力の塊となった魂は魔導士の贈った名前と指輪によってセトルヴィードと紐づけられた。


「つまりここ三年、おまえが滅茶苦茶な鍛錬で魔力量を増やした事で、この子が実体化できる域に到達した、とオレは考える」

「信じられない、聞いた事なぞないぞ」

「今まで葬式で、再度の名付けをするバカがいなかったからでは」

「私のせいなのか」


 ショックを受けた。


 彼女の魂は天国で静かに安らいでいるか、世界のどこかで再び生まれ変わっていると思っていた。そうなるように心を込めて送ったつもりだった。自分が彼女を縛ってしまったと聞き彼は落ち着かない気持ちになる。


「きっかけはきっとそれだろう。彼女の魂を、おまえの魔力が包んでいる状態だ。その魔力を使って生き物としての形を作ってる。外見がお前に似ているのは、そのせいだろうな」


 ただ、とカイルは続ける。


「そもそもお前のお気に入りは、普通と違う。存在自体が魔方陣だぞ、わけがわからん。なんであんなものが仕込まれていたんだ」

「それは私も気になってる。記憶をむりやりこじ開けられた場合の備え、にしては大仰すぎる、まるで……」


 彼女を使って発動されたあの古代魔法への備え……?という答えは、いったん飲み込んだ。彼女が古代魔法発動の要因になる事を知っていたというのだろうか。

 だがあんなものを使わせたら、どうなるか知れたものじゃない。愛娘にそんな責務を負わせるだろうか?


 先代団長ガイナフォリックス。


 おそらく歴代魔導士の中で、最も最高位に相応しい力の持ち主。

 古い約束を果たすためという理由で、本来なら死ぬその日をもって引退という最高位の地位を失踪という形で投げ捨てた。

 後を継ぐセトルヴィードは、本来なら最高位の地位に就くまで多少の時間猶予があったはずだった。いきなり失踪されて二十三歳という若さでこの重責を担う事になってしまったのだ。その事もあり、銀髪の魔導士は若干の恨みがましい気持ちを、先代団長に抱いている。


「まぁとにかく、今は情報が足りないな。当面の問題はそれをどうするかだ」

「……どうしたらいいんだろう」


 声に力がなく、今まで聞いた事のないような弱弱しい返事にカイルも困惑した。

 膝上の重みとぬくもり。

 人間じゃないというなら一体なんだというのか。


 人間じゃないから、もう一度魂を手放させるために死なせた方がいいとでも、言うのであろうか。


「魔力で肉体の構成を維持している、食事はいらないだろうな」

「これはどういう状態なんだ」

「精霊や、魔獣にその構成が近い。魔法生物、というべきか。呪術師には気を付けないと、一瞬で持っていかれるぞ」

「育つのだろうか」


 一瞬の間。


「……胸の話じゃないからな」


 さすがに今、そんな冗談は言えない。さすがのカイルでも。


「成長するかどうかはわからん、どれくらいの期間、維持されるのかも、だ。前例がとにかくないから、今この段階で判断できない」


 セトルヴィードは、静かに子供の頭を撫で続けている。


「今はとにかく、その形状維持だけで、手持ちの魔力がフル稼働というのは間違いないかな。おまえの魔力をこまめに与えてみて、しばらく様子を見てみるというのはどうだろう」


 本当なら情が移る前に引き離したい、とカイルは思っていた。再び、大事に慈しもうと思っていたものを失ったら、今度こそこの男は世界を悲観するのではないだろうか。


 だがもはや、引き離すには遅過ぎるようにも思えた。

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