第3話
眩しさに銀髪の魔導士は目を覚ます。
魔導士団長の自室は窓がなく、いつも魔法の灯で同じ明るさだった。昼も夜もろくに感じずに過ごしている。季節感も、ほぼわからない。
鳥のさえずりがかすかに聞こえ、太陽の光で満ちている部屋で目覚めたのは、本当に久しぶりだった。
熱は完全に下がったようで、多少の気だるさはあるが、起き上がる事はできそうだった。隣のベッドは空っぽで、しっかりとシーツも整い、几帳面に毛布が畳まれ、ベッドの隅に積まれていた。
体を起こし、ベッドの端に座る。昨日は醜態をさらしてしまったと、今更ながら恥ずかしい。そういえば、あの子供はどうしたのだろう?
などと考えていると、ドアがそっと開いた。
「あっ、起きてらっしゃいましたか」
寝ている病人を気遣って、音を立てないように扉を開けていたのかと思うと、セトルヴィードはなんともくすぐったい気持ちになった。
「顔色はいいですね、ちょっと失礼」
持っていた荷物をテーブルに置き、すたすたと近づいてくると、夕べ同様に手を使って体温を確認してくる。引き締まった細身の騎士だが、額に触れる手は、剣士らしい逞しさがある。
改めて思い出すと、自分から人に触れる事はあったが、他人の方から自分に触れられる事も、セトルヴィードにはかなり久しぶりに思えた。
「もう大丈夫そうですね」
「世話になった」
立ち上がり、去ろうとする仕草を見せると、黒髪の男はタオルを差し出してきた。
「洗面所はあっちです。顔を洗ってきてください」
パッと輝くような、晴れやかで爽やかなこの笑顔を向けられると、なんとも拒否しがたい。
渋々タオルを受け取り、素直に洗顔を済ませて戻ると、テーブルの上に軽食が広げられていた。
「食堂で、病み上がりでも食べられそうな物を作ってもらってきたんですよ、一緒に食べましょう」
「朝は食べない」
簡潔に彼が返答すると、コーヘイは表情を改めて、キリっとした顔で言う。
「そんなのだから、雨に濡れたぐらいで熱を出すんですよ!朝食は大事です!まさか好き嫌いまで、あったりしないでしょうね」
黒い瞳の、思わぬ迫力に押され、素直に椅子に座る。
「食べられないものは、ない」
「ピーマンが嫌いだとかニンジンが嫌いだとか、子供みたいな事を言い出したら、どうしようかと思いましたよ」
ぱっと明るい笑顔に戻る。
実は、ブロッコリーが大の苦手である、という事は言い出せない雰囲気になってしまった。銀髪の魔導士は、ブロッコリーが食べられない。
「そういえば、あの子供はどうした」
もそもそと、薄パンのサンドイッチを食みながら聞く。挟まれた野菜が瑞々しくて食べやすい。騎士団の食堂は美味しいとは聞いていたが。魔導士団には食堂はなく、各々が王城や合同庁舎の食堂を利用するか、配達を手配する。
魔法が使えないので冷たいですが、と断りつつ、グラスに入った茶をセトルヴィードの前に置きながら、コーヘイは答えた。
「夕べはセリオンさんの部屋に連れていってもらいました。捨て子か孤児、という事で、今日のうちに自分がどこかの施設に預けられるよう手配してみます」
「私が引き取ってもいい」
瞳の色に親近感も沸くし、いっそのこと本当に自分の子として届けでてもいいかもしれないと彼は思った。そうすれば多少は縁談話も静かになるであろうし、魔法の素養があるなら、そろそろ取らねばならぬ弟子にもできる。
「自分の世話もできてないのに、育児は無理では……?」
顔を見合わせたが、セトルヴィードはぐうの音も出ない。時々この黒髪の騎士は、適格なところを突いてくる。
軽いノックの音の後、騎士団の制服をまとった灰色の瞳の騎士が子供を抱えて入ってきた。
「お、ピクニックか」
「混じってもいいですよ?」
「そうしたいのは山々だが、閲兵の時間が近い」
子供は昨日と同じ、毛布にくるまれた姿だ。セリオンは子供をベッドの端に座らせながら言う。
「夕べはいい子だったぞ、そっちはどうだった」
「うちの子も、いい子でしたよ」
灰色と黒の視線が、銀髪の魔導士に向けられる。
「おはようございます団長閣下」
セトルヴィードは右手をあげて無言でセリオンに挨拶を返す。一見偉そうだが、単にタイミング的に口の中がいっぱいで、開けなかっただけだ。
コーヘイにうちの子扱いされた事も、言い返せないでいる。
「この子、服をどうにかしないといけないな」
「自分、今日は休暇を取ってますから、何か仕入れてきますよ」
コーヘイはベッドから椅子に座ったまま子供を担ぎあげると、膝の上に向かい合うように乗せた。
「何か食べたいものはないかなー?」
カットされたリンゴを、子供の口元にもっていくが、口を開く気配はない。
「その子、何も食べないんだ、昨日もずっと」
セリオンが心配そうに言う。
「なんだか、ぼーっとしてる感じで、喋らないし、反応も鈍い。気づいたら寝てる」
「魔導士団の方で診てみよう」
口元を拭きながら、乗りかかった船だからと言わんばかりに紫の瞳を向ける。
随分、打ち解けた雰囲気にもなってきており、セリオンは安堵した。
三年前のあの事件からここ最近まで、この魔導士は以前にも増して、かなり無茶な鍛錬をしていたと聞く。直接的な関係はなかったので、魔導士団の受付をしているアルタセルタからその夫ローウィンへ、ローウィンからコーヘイとセリオンに、その話は伝わっていた。誰も傍に近寄らせず、死の寸前まで力を使い切り、回復すればそれを繰り返す。そうせずにはいられない衝動があるのだろうと、同情する。
今は亡きフレイアも、辛さ苦しさを、内に向けて閉じ込め続けていたようだが、この魔導士も、全く同じタイプに思える。
人にぶつける事なく、頼る事もなく、一人で耐え続けるその姿がとても似ている。
狙ったわけではないが、今回このような時間を過ごせたのは、この孤高の魔導士のために良かったのではないかとも思える。
セリオンは騎士団の仕事に行き、コーヘイは子供服の手配、セトルヴィードは子供を抱えて魔導士団の区画に戻る事になった。
美しい受付嬢は、何やら書類を書きながら、いつものように入口に控えていた。夕べ戻らなかった団長の気配を感じ取り、紺色の瞳を上げる。
「団長、おかえりなさいま……」
言い終わる直前で、目を疑う光景に気付いて、言いよどむ。
銀髪の魔導士の腕に、子供。髪色以外はまるで、抱いている男のミニチュアのようにそっくりな女の子が。
「あとで騎士団の防衛副団長コーヘイ卿が来る、通すように」
受付嬢の反応をことさらに無視し、孤高の魔導士は廊下の奥に消えていった。
「は、はい……」
完全に姿が見えなくなってやっと、受付嬢は返事をした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
コーヘイは、異世界人登録局の扉を叩いた。
このエステリア王国では、時たま異世界から人が落ちて来る事に対応するため、専門の部署を立てていた。落ちて、というのは比喩で、降って来ることを指すわけではない。
異世界から来た人々は、この世界にない知識を持っており、その知識を取り入れたり、危険な知識や思想が市井に広まったりしないよう、コントロールする役目も担っている。
異世界人を発見したら、即保護をして、申請登録するというのが、この国での決まりになっており、身柄もたいてい一度は、王都に送られる事になる。
この世界についての説明や、異世界との差異の解説、これからの暮らしのサポートなど、もし異世界に送り込まれるなら、この国がもっとも理想的だろう。一番安全に異世界生活をスタートできると言える。
決まりは破るためにある、という層も存在するので、この世界に来て最初に出会う人物によっては、多少の例外はあるが。
コーヘイもかつて、ここで登録を受けた身だ。
局員は当時、五名いたが、現在は四名である。
扉を開けると、この部署で最も年長者である眼鏡姿のローウィンが見えた。今年五十歳で、硬さに渋みを加えた中年になりつつある。
「あれ?コーヘイどうしたの?」
声を上げたのは、姿勢悪く机に向かっていたボサボサの金茶の髪、丸い茶色の目がやんちゃな印象のマンセルだ。
「今日はマンセルさんに用があって」
「いいよー、何?相談ごと?」
書類仕事より、相談業務のほうが断然マシ。ラッキー、と思ってるのが態度でわかる。異世界人登録局では、この世界の生活に悩む異世界人の相談業務も行っており、たいていどんな事も相談に乗ってくれる。
「子供服の調達が必要になって、マンセルさんの実家のお店で手配をお願いできないかなと」
「えっ何、買い物?大歓迎だよ。でもなんで子供服?いつ結婚したの?いつ生まれたの?おめでとうって言うの、今からでも間に合う?」
「いえ、あの、自分の子供のではないです。孤児を保護してしまって」
なんとなく訳あり感のある、という言葉は飲み込む。
ローウィンが日誌を閉じ、マンセルの頭をそれで殴る。
「相談業務のやり方がなってない」
日誌の角ではないところが、少しだけ他の局員と比べると優しい。
「だから、禿げちゃうって」
相変わらずの光景だった。
「昼食は家に帰って食ってるから、よかったらこれから一緒に行って、直接店で選んだらいいよ」
くるりと期待の目でローウィンを見やる。ローウィンはため息をつきながら、了承する。
「わかったわかった、まだ昼休憩には早いが、行ってよし」
やった!というあからさまな表情を隠そうともしない。
「行こうぜ、コーヘイ!」
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