第2話 オリックスの生き方
第一章
熱く乾いた風が、
風が止まると大地からの熱がじわじわと立ち上がってくる。気温は摂氏四十度は越しているだろうか、滅多に雨も降らないこの土地では、乾ききった大地はひたすら太陽の熱を貯め込んでいるようだ。
目の前にいる生き物と言えば、少し離れたところからこちらを見ているシマウマ一頭と、二頭でこちらへと歩いて来るスプリングボック、そしてこれも一頭で草を食べているオグロヌーだけしかいない。オリの仲間であるオリックスはまわりに見えない。
でも今頭の中に聞こえてきたこの声はなんなのだろう。
「ウゴクナ。ジットシテイロ」
オリにとって聞いたことのない声だが、何を言っているのかは分かる。
オリックスは立ち姿が美しい動物である。偶蹄目ウシ科のレイヨウ類の中では中くらいの大きさである。頭までの高さは百五十センチくらいだが、腹の位置は地上一メートルほどで、熱を放出する地面とは距離を取っている。細く引き締まった長い四肢だけで重い身体を支えている。その引き締まった脚は細いが力強さがあり、立ち姿は美しい。
日本の形容詞に『カモシカのようなすらりとした脚』という言葉があるが、実際に日本のカモシカとこのオリックスを並べてみれば一目瞭然でどちらの姿が美しいかは分かるだろう。まあ基準は見る者の美意識であるから、カモシカがどう思っているかは別だろうが。
そしてオリックスをより精悍に見せているのが仮面のような顔面の白黒模様と、一メートルもの長さを持つその角だろう。頭頂から伸びた二本の角は、根元から先まであまり太さを変えず、わずかに湾曲しながらまるでサーベルのように後方に向かって伸びきっている。これもオリックスを美しく見せている一つの要素だ。
この国ではオリックスよりもゲムズボックという名で呼ばれている。国旗をあしらった国章では、二頭のゲムズボックが国旗を支えている。この国が様々な歴史を経て、千九百九十年に念願の独立を果たした時、この国の力強さと優美さを象徴するこの地方固有の動物として、ゲムズボックは国章に記録された。
今周りを気にしているオリックスのオリは、最近この土地にやって来たばかりだ。
オリは広大な乾燥湖があることで知られるエトーシャ国立公園の中で生まれた。十数頭の群の一員として母親や仲間に大切に育てられた。
乾燥の大地と言われるこの砂漠地帯での暮らしは実に厳しい。わずかに生える草を求めて群で移動を繰り返す、そんな終わりなき毎日を生き延びてきた。
間もなく八歳になるというこの年の春、オリの群はこの時期だけ出現する草原を目指し東に向かって移動していた。この国立公園の東のハズレに砂漠には珍しい一本の川がある。ほとんどの期間、川とは名ばかりで石ころだらけの河原には水は流れていない。しかし年に一度、上流に降った雨のおかげで幻の川が出現し水が流れる季節がある。その時だけ萌え出る若草を目当てにオリの群は移動していた。
間もなくありつけるはずだと最後の見通しの悪い丘を越えたその時、突然現れたヒトの操る大きな動物『ランクル』にオリの群は追い立てられた。その怪物は群の真ん中に向かって走り込んでくるため、群は分散して逃げるより仕様がなかった。
何回かこの攻撃を受け、オリは群からひとりだけ引き離されてしまった。そしてその怪物に追い立てられてある場所に押し込められた。その場所は『あなぐら』のように暗く妙に足下が揺れる。木の葉で隠された大きな動物『トラック』の背中であった。そこへ入ると急に後方に大きな壁が引き落とされ塞がれてしまった。その後も他の何頭かが次々に同じ『あなぐら』に追い立てられ押し込められた。そのたびに足下が揺れた。仲間のオリックスの声が何度か聞こえたのだが、間を壁で仕切られていて顔を見ることは出来なかった。
そして急に『あなぐら』もろとも動き出した。脚を踏ん張っていないと倒れそうになった。そのまま長い時間この揺れは続いた。
何回かその揺れは突然止まり、そしてまた動き出すことが続いた。また揺れが収まったと思った時、目の前にあった壁がいきなり引きあげられ強烈な光が差し込んできた。そしてまわりで待ち構えていたヒトが迫ってきて、オリは外へ引っ張り出された。
そしてオリだけをその場に残すと、その怪物はヒトもろとも走り去ってしまった。それがこの見知らぬ土地での第一歩だった、それから丸一日が経ったばかりだった。一緒に捕まった仲間はあちこちに分散されて下ろされたようで周りには見当たらず、オリックスは自分一頭だけとなっていた。
とりあえず周りを歩き回ってみる。ここはナミビアの北部にあるオリが生まれたエトーシャの風景とよく似ている場所だが、なんとなく妙な感じがする。それは風景ではなく、周りにいる生き物たちのたたずまいの問題のようだ。
彼が育ったエトーシャではオリックスは十頭から二十頭にもなる群で暮らしている。オグロヌーはたまにしか会わないがそれでも数十頭、時には何百頭もの群でやって来る。シマウマだって大抵が家族で行動を共にしている。しかし今オリの周りにいる者たちは単独で行動しているやつばかりなのだ。この土地では群を見ていない。それが妙な感じがする原因のようだ。
それだけでなくさっきから聞こえている頭の中の声は今まであまり経験したことのないものだ。声の主は誰だろうと見回したその時、草を食んでいたオグロヌーに何かが走り寄るのが見えた。それはたてがみも豊かなオスのライオンだった。藪の中に隠れていたのか、突然姿を現した時にはすでに走っていた。ヌーまで数メートルの距離に迫っている。ヌーは気づくのが遅すぎだ。もう飛びかかられる、とオリは思った。
しかしその時だった。突如「バン!」と音がすると、飛び上がった姿勢のままライオンは地面に落下した。襲われたヌーはその音に驚き走り出した。間一髪で命拾いしたようだ。ヌーはしばらく走った後、立ち止まり振り返って見た。もう何事も起こっていないと知る。
ライオンは一瞬だけ起き上がろうとあがいたようだが、ゆっくりと頭を地面に伏せた。その額から赤い血が流れ出た。命の光の消えた目は、何が起こったのか分からないまま見開かれていた。
周りで見ていた者たちは気を取り戻すと、それぞれの方向に走り出した。オリは一瞬どちらへ逃げるか迷った。その時また頭の中で声がした。
「コッチヘコイ」
灌木の先で土煙が上がり、そこでは一頭のシマウマが後足で土を蹴りこちらを見ている。そしてそのシマウマは突如走り出した。それに誘われるようにオリもその後を追って走り出した。危険が迫ればそこから逃げ出す、それが野生で生き延びる最善の対処法である。
二百メートルも全力疾走したあと、前を行くシマウマが足を止めた。オリもそれに倣って止まり後ろを振り返ってみた。
倒れたライオンはもう動かないようだ。そして大きな音と共に丘の向こうから四角く大きな怪物が走り出てきた。
それはこの地方では最近よく見かけるようになった観光サファリ用の屋根のない四輪駆動車だ。運転席の後方には階段状に三列の席が取りつけられた特別車である。倒れたライオンの横に車を寄せると、助手席のガイドが後席にいる観光客の白人たちに話しかけている。人間たちは興奮したまなざしでライオンの死骸をのぞき込んでいる。
銃を持った一人がその車から降りると、恐る恐るライオンの死骸に近付く。そして死んでいるのを確認すると死骸に片足を乗せ満面の笑みで写真を撮ってもらっている。
遠目にそんな人間たちの様子を見ていたオリに後から声がかかった。
振り向くとそれは逃げるよう合図をくれていたシマウマであった。
「コレデオシマイダ」
倒れたライオンはあれでおしまいだ。もう起き上がりはしない、と言っているようだ。
驚いたオリは心の中で(あれ、シマウマのくせに、ボクと話ができるの。そんなのあるのか?)と思った。
するとすぐに頭の中で
「そうだよおいらが話してる。シマウマとでもオリックスとでも話せるよ」
そう話しかけられオリはびっくりした。
「ここを離れるよ」
とまたシマウマはオリに語りかけた。まるで付いて来いと言うように首を振るとシマウマは走り出した。
オリはどうするか少し悩んだが、ここは一緒に行動した方が良いだろうと判断し後を追うことにした。
走りながらシマウマが話しかけてきた。
「おいらはゼブ。オマエはだれだ?」
「ボクはオリックスのオリだよ」
頭の中でシマウマと話せている事を不思議に思いながらも聞いてみた。
「ところでここはどこなんだい」
「おいらもよく知らない。でもここはいつでも水が飲めるし、時々食べ物も落ちてたりするからそんなに悪いところじゃないよ」
オリはとりあえずこのゼブと共に行動しようと思った。これまでいつも群の仲間と行動を共にしていたオリにとって、一人でいることは心細くて堪らないのだ。
こうしてオリとゼブの奇妙な関係は始まった。
第二章
シマウマのゼブは少し変わった経歴を持っている。
東アフリカ・ケニアのサバンナで生まれたのだが、すぐに母親をライオンに殺されて孤児となった。乳も飲むことができずもう死んでしまうかと思ったその時、突然現れた人間に保護されある場所に連れて行かれた。そこでは、白い服を着た何人もの人間たちにじろじろと見つめられた。そしてゼブは人間の研究の材料とされたのだった。
この施設は活性脳波研究所(ABI)と呼ばれている。様々な動物の脳波を研究し、ゆくゆくは人間の脳波から思考を取り出す事を目的としている。この施設では動物を使って脳波の研究が行われていた。いくつもの部屋があり、それぞれチーターやサイ、ラクダ、ダチョウそしてオランウータンなど様々な種の動物が集められ研究されていた。
どの動物も手術で脳に脳波増幅器とアンテナが埋め込まれている。動物の脳波を検知して、思考回路をデジタル化することを研究課題としている。
ゼブもこの施設で脳に器機が埋め込まれ、数年にわたり脳波の詳細なデータが取られ研究された。しかしシマウマの脳波はどうも勝手気ままで、その上思考の種類が多すぎデータの整理がなかなか出来上がらなかった。そこでゼブはしばらくの間自然に戻され経過を見守られることとなった。再びの回収が楽になるよう、特別な管理がされているこの私設農場に預けられることになったのである。そしてもう数ヶ月をこの農場で過ごしている。
ゼブは走り疲れ喉が渇いてきたので水場へと向かう。こうした乾燥地帯には珍しく、簡単な屋根で被われたコンクリート製の水場が作られている。水は地下からくみ出されているらしく、水場の囲いからあふれて流れ出している。オリは初めて湧きだしている水を見た。エトーシャでも水場はあったがこれほど水量が豊富ではなかった。大抵は足先が濡れる程度の溜まり水しかなかった。乾燥のきつい時期には泥と混じった水分を舐め取るような水の飲み方しかできなかった。
しかしここではこんなに楽に水が飲めることに驚いた。ゼブは口を水に突っ込むようにして水をたっぷりと吸い上げている。シマウマはオリックスより乾燥に弱いため、貴重な水に出会った数少ないチャンスには思いっきり水を飲むようにしているのだろう。
そこへ先ほど命拾いをしたオグロヌーが水場にやって来た。
「あぶなかったね、ゴン」
とゼブが話しかけると、オグロヌーのゴンは
「あ~、びっくりした。もうダメかと思った」
と当然のように会話をしている。またまた驚くオリ。
それにその会話が自分にも聞こえていることにも驚いた。
「オリびっくりしないで、おいらのあたまの中の声は周りのものにも聞こえるようになるみたい」
とゼブがオリに教えた。
「まったくゼブはへんなやつだよね」
オグロヌーのゴンも水を飲みながら話に入ってきた。オリとしては今まで他の種の者たちとは話したことがなかったので、ここでは驚くことばかりである。
「おれだって話せるぜ」
と聞こえたのは、水場の反対側から現れたアフリカスイギュウだった。頑丈そうな角を持つウシの仲間でバッファローとも呼ばれるが、大抵は群でいるのだがここではこいつも一頭だけである。
「おれブル おれも水を飲ませてもらうよ」
と話しかけながら水場の仲間に入り込んできた。
オリはなんとも驚きの連続だったが、なんとなく皆敵ではないと感じられた。
こうしてこの奇妙な仲間たちと行動を共にするようになった。
第三章
ナミビアの首都ウィントフックから一台の車が北に向かって走り続けている。
絶滅生物研究所ESI本部からの指令で、ナミビア・エトーシャ国立公園に向かっている三石正三とカノンが後部座席に乗っている。どこまでも同じ景色の続く荒野の中をすでに数時間走り続けている。
ナミビア西部の海岸地帯には、世界最古の砂漠と言われるナミブ砂漠が数百キロにわたり続いている。砂漠地帯は海岸から内陸側百キロほどまで地表には砂が満たされている。そしてそこから東への内陸に向かっては、土くれが乾いてかたまっている土漠が続いている。この乾燥の大地にはわずかな灌木しか育たない。所々に茶色の草むらと痩せた低木があるだけの殺風景な荒野が続く。農業には不向きなこの土地では、長い間移動しながら狩猟を続ける人間しか入り込んではいなかった。それ故に厳しい環境ながら、野生動物にとっては人間からは迫害されることのない楽園であり続けてきた。
しかし国家として独立して以来、かつては貴重な水場を持つオアシスであった町を中心に道路が整備された。そして荒れた土地に地下水を利用して牧草地を開き、今では牧畜がこの国の主な産業となっている。その他には地底に眠る鉱物資源が見つかり鉱山産業もいまでは大きな国力となっている。
正三とカノンへの本部からの指令は、ナミビア・エトーシャ国立公園で起こっている野生動物に関するある事件の調査である。
最近この国立公園内の動物たちが突然消えてしまう事件が何度も起きているという。これまでも地元狩猟民であるカバンゴ族などに、食糧としてシマウマやスプリングボックなどが狩られるような事件はあった。生きるための伝統的猟は、原則として年間狩猟可能頭数を決めて認められていた。
だが最近起こっているのは、オリックスやシマウマなどが群れごと消えてしまう事件である。公園の内部ではこうした事件は確認されていないが、国立公園と民間利用地との境界周辺部で起こっているらしい。
部族による狩りでは、その場で獲物が解体されて運ばれるため地面に血痕や、時に食べられない頭部や蹄の付いた足先などが残されるものだ。しかし群れごと消えてしまう事件の時にはそんな解体の後は残されず、群れごと突然消えてしまっているという。
正三とカノンに依頼されたのはこの事件の解明であった。
国立公園事務所に到着し経緯を聞くと、先ず二人はこの国立公園のレンジャーであるサムの案内で「エトーシャ・パン」と呼ばれる広大な湖に行ってみることにした。
灌木とブッシュが時々見受けられるが、ここには大きな森はない。砂漠と言うより土漠と表現される乾燥地帯である。南部アフリカでも最大級の自然保護区でもあるこの国立公園には、アフリカゾウ、クロサイ、シマウマ、アフリカスイギュウなど様々な草食動物の群れや、ライオン、チーターやジャッカル、ハイエナとアフリカを代表する動物たちとも出会える。この乾燥した大自然がこれだけの命を養える力を持っている事には驚かされる。
どこまでも大地が続いているように見えるのは、わずかな大地の起伏が続くためであろうか。いくら進んでも目の前の丘を越えると、又その向こうにも次の丘が連なりなかなか先が見通せない。
そして突然現れたのがエトーシャ・パンであった。
エトーシャ塩湖ともいわれるこの場所は、見渡す限り白く平らな乾いた土地であった。東西百二十キロメートル、南北六十キロメートルにおよぶこの湖の面積は約四千八百㎢。日本で言えば山梨県の面積と同じほどの広さである。
そして塩湖とは言うものの、雨期のわずかな時期以外はこの湖に水は見られない。わずかに雨量のある時期でも水深は十センチにも満たないほどだ。そのわずかな水分が蒸発する時、地中に含まれる塩分が引き出されてしまう。こうして干上がり塩のこびりついたこの土地では植物も根付かない。この不毛の土地は乾燥の大地として何千年も何万年もそのままであり続けているようだ。
その平らな大地の上をゆらりと進む一団が遙か彼方に見える。
正三が双眼鏡で探してみると、真っ白な塩湖の上を十数頭のオリックスがゆっくりと進んでいるのが見えた。
オリックスはこの乾燥地帯に最も適応している動物だとレンジャーのサムが教えてくれた。
引き締まった身体を被う表皮は、体内からの水分の蒸発を防ぐ事が出来る。また長い四本の脚は、胴体部分をできるだけ地面から離して支えることで地面からの熱を避け、腹の下に風を通しやすくして体内の熱がこもるのを防いでいるという。
そして生存のために欠かすことの出来ない水分も、食糧として食べる植物から十分に摂取出来ているという。水場が干涸らびていても、林の中にある特別な木の肉厚な葉を食べれば、その水分だけでしばらくは身体が持つ。砂漠でも時には固い皮で包まれたメロンのような果実を見つけることもある。この野生のメロンの実は固い皮を噛み破ることさえ出来れば、わずかな甘みがあって水分も申し分なく含まれている。こうした植物だけで必要な水分を手に入れられる大切な技術は、オリックスが先祖から受け継いできた能力の一つでもあるという。
こうした灼熱乾燥の環境への適応を身につけている動物はそんなに多くはない。だからこのナミビアの国の自然を象徴する動物として、国章などにオリックスが描かれているのだとサムが教えてくれた。
国民のアイドルなのだろう。
そんなオリックスなのだが、一ヶ月ほど前に消えてしまった群について、未だにどうしていなくなってしまったのかが分からないとサムは言う。最初はこのパンの向こう側へ渡ってしまったのではと思われていたのだが、消えた群れの半数ほどが帰ってきているのを一週間ほど前に確認したという。それも北に広がっているパンとは方向が違う東の方向から戻ってきたのを、住民が見たとの報告があった。
国立公園の敷地から東に出た場所には、このあたりでは数少ない川があるという。決まった時期にだけ水が流れ新しい草が生え出る。オリックスはその草を求め移動していたと思われる。しかしそうした移動時には群がかたまって行動するのが普通である。なぜ群が半数ほどしか戻っていないのか、その理由が分からない。オリックスを獲物とする肉食獣に襲われたのか、密猟者に捕らえられてしまった可能性もある。いまのところ国立公園の敷地内では、そうした事件の痕跡は見つかっていない。
そこで正三とカノンはその国立公園の敷地の東側にある、川がある場所へ行ってみることにした。
第四章
オリックスのオリはシマウマのゼブといつも一緒に行動していた。
ゼブが周りのことを良く知っていることがとても頼りになった。どこへ行けば水場があるのか、ライオンやチーターなど出会いたくないやつがいる場所はどこだ、とかゼブはみんなに教えてくれた。それ以外にも、ヒトにも怖いのとそうでないのがいることも教えてくれた。
ゼブにはヒトの考えていることも分かるという。
少し前あのへんな生き物「ランクル」に乗ってヒトが近づいてきた時も、
「こいつらはおいらたちを殺す気はないよ 見ていたいだけだよ ダイジョウブ」
そうゼブが皆に知らせた。そのヒトたちはただ我々を見てほほえんでいるだけであった。
しかしある時には
「気をつけろ こいつはおいらたちの命を狙ってる アブナイヤツダ」
みんなすぐに全速力で逃げよう、と突如走り出したこともあった。
ゼブは相手のヒトが考えていることが分かるからだという。この能力は仲間にはとても役に立つものだ。だからみんな離れず一緒に行動している。
オリにはもうひとつ気づいたことがあった。
シマウマとヌーとバッファローとオリックス。変な取り合わせだが、食事の時にそれぞれの好みがあることを知った。シマウマのゼブは草原に着くと草の上の方だけをかじり取るように食べていく。ヌーのゴンはそのゼブの食べた後の残りの葉や茎をしっかりと食べ尽くしていく。バッファローのブルはもっと柔らかい葉が好きなようで、水場の近くの草ばかりを食べる。食事の時だけはそれぞれが勝手に散らばって過ごす。だから食べ物の取り合いにはならない。
これは不思議なことだった。
オリックスの群で生活していた時は、皆が同じ草しか食べない。そこで一つの草場ではすぐに草はなくなってしまい、しょっちゅう次の草場に移動しなければならなかった。食べることは慌ただしく忙しいことだと思っていたのだ。
それがこの仲間といると食べ物の取り合いはまずない。まあ今は頭数が少ないからかもしれないが。それにしても全くこれまでに経験したことのない事がたくさん見えてきた。
正三はカノンと共にエトーシャ国立公園の東の端に来ていた。
公園管理事務所からここまでの二百㎞程の道のりは、ほとんど起伏のない道を走り続けてきた。 ずっと左側に見えていたエトーシャパンはどこまでも平たく、乾いた白い湖面が続いていた。
それがこのあたりからは、どこから流れているのか細々とした川の流れが筋のように続くようになってきた。川の周辺には少しだけ緑の草むらが見られるようになってきた。この時期だけに降る雨が、細々と地下を流れているのだろう。 そして国立公園との境になっているナムトニ・ゲートが見えてきた。そこを出ると一本の交差する道に出会った。その道の横に溝が掘られているのは、国立公園の敷地と一般の土地との境界の意味があるようだ。
ここまでで保護区は終わるが、野生の動物たちにとってわずかな鉄線と溝だけの境界は意味が無いように思われる。
今も道の上をスプリングボックの一団がゆっくりと横断して渡ってきている。この先に彼らが食べられる草のある場所か水が得られる場所があるのかもしれない。
溝を渡り境界の鉄線の前に来ると、軽々とその上を飛び越えて国立公園の側に入って来た。
「オリックスを見なかったか」
と、正三はスプリングボックに話しかけてみた。
「ダレダオマエ」
と最初は驚いたスプリングボックだったが、危害が加えられないと分かると
「この前その先の草場で怪物に追いかけられて、みんなばらばらに逃げてたよ」
と正三の質問に答えてくれた。
正三はかつて自分の脳の手術の際、手違いで誤って脳内にアンテナを埋め込まれたせいで、今では動物たちとも意思疎通が出来るようになっている。
以前にオランウータンと話をして一緒に行動したこともあった。カノンもそれは承知していた。
正三はカノンに事情を話し、スプリングボックがやって来た公園の外へ行ってみることにした。
三十分ほど車を走らせると、ツメブという小さな町に着いた。
その町に一軒だけある食堂を見つけると、中に入って聞き込みをする事にした。
昼食に来ていた近隣に住む農家の人間は、最近エトーシャ国立公園の敷地のすぐ外側でオリックスの群を捕らえ運んでいったトラックを見たという。
食事中の運送トラックの運転手は、そのトラックがこの近くの観光農場に入って行ったのを見たという。そこは個人の経営する観光農場だという。入場料を取って動物を見せるだけではなく、敷地内で野生動物のハンティングが出来ることを売りにしているという情報も得られた。
これは「トロフィー・ハンティング(娯楽のための狩猟)」と呼ばれている。高額の料金を支払い、政府公認の規制の下で行う狩猟は、野生動物を保護するための財源にもなっていて、動物とその生息地を守るモデルの一つだと擁護する意見もある。
観光農場は最近二十年ぐらいに、南部アフリカで流行している狩猟目的のサファリ農場の一つである。欧米の狩猟ファンを相手に私有地の中に様々な動物を買いそろえ、観光サファリを行うだけでなく、客が望めば気に入った動物を猟銃で射止めさせることもしている。
もともと欧米の白人たちの中には、財力を誇示したり権力を見せつけるステータスとしての狩猟を楽しむ人々がいる。古い時代から貴族たちは自分で狩りをした動物たちの首を応接間に飾る事を競った。最近の金持ちはアクセサリーとして野生動物の剥製をオフィスや自宅に飾りたがる。狩猟民族を先祖に持つ人間にとって、野生動物を手に入れたいと思うのは自然の衝動なのかもしれない。
そんな人々の要求を今も引き受けてくれるのがこうした狩猟観光農場である。南部アフリカでは各地に設立が続いている。そこでは標的となる獲物は各農場で繁殖させて増やした動物もいるが、多くは専門ブローカーから買い取った、出所がはっきりしない野生動物が多い。しかし時には頭数調整で国立公園などから正規に売りに出された動物が入って来ることもあるという。ライオンやチーターなどの肉食獣は狩猟の希望者が多い。ライオン一頭を仕留めさせる料金は、次の動物を調達するのに十分な額だという。少しでも安く動物が手に入れば継続して経営は成り立つという。
第五章
正三とカノンは、食堂で聞き込んだ観光農場が怪しいと目星を付け、そこへ行って見ることにした。しばらく車を走らせるとその農場らしきものが見えてきた。
道路との境には、国立公園の境界に設けられていたものより頑丈な柵と鉄線が張り巡らされている。3メートルほどの高さの柵、その上部は内側に傾いた作りとなっている。下部には有刺鉄線が頑丈に巻き付けられている。
広大な面積の農場の周りにはぐるりとこんな柵が巡らされているらしい。鉄線の前には「注意、高圧電流通電中」の警告が書かれた立て札が置かれている。しかし進入禁止などの文字は小さくしか書かれていない。この柵は外部からの侵入を防ぐ目的よりは内部の生き物の脱走防止が目的のように見える。
柵に沿って少し進むと『ヨハンソン観光農場』と書かれた門が見えてきた。
閉ざされた木製の門の前に車を止めて、カノンは車を降りて近づいてみた。
「誰だ。何か用か?」
と突然門の上のスピーカーから声が聞こえてきた。そのスピーカーの横には監視カメラがあり、そのレンズはカノンに向けられている。
「エトーシャ国立公園の調査を請け負っているものです。少し話を聞きたいのだが。」
とカノンが答える。
少し間があったものの、
「今そちらへ回るので、少し待ってくれ。」
と返事があった。
しばらくすると門の向こう側で車が到着する音がし、門の片側が開かれた。
ライフルを持った二人の男が後ろにひかえると、恰幅のいい中年の男が門を出てきた。
「私はこの観光農場のオーナーのヨハンソンだ。どんな用かね。」
と威圧的な態度で話しかけてきた。
正三はこの男の心の声を聴こうとして注目した。
カノンはヨハンソンに、国立公園から依頼され消えたゲムズボックを探していることを告げた。ヨハンソンは表情も変えずに黙って聞いていた。そして
「私の農場は規則通りの経営をしている。だからそんなイリーガルな動物は扱っていない。お帰り願おうか。」
と薄笑いしながら答えた。
カノンは正三の顔を見た。正三は小さく首を横に振った。
「この目で見ないと信用できないですね。中を見させてもらいたい。それに規則通りなら飼育許可書や繁殖証明書を持ってるはずだから、それを見せてもらえますか?」
とカノンは一押ししてみた。
ヨハンソンは少しだけ考えると、
「証明書は確かに持っているが、全部を今すぐに出すのは難しいよ。明日また来てくれれば用意しておくがそれでいいか。」
カノンは再度正三の顔を見た。正三はいぶかしい顔をするが、ここはこれ以上ごり押しもできないだろうと考えた。
「それじゃ明日までに用意しといてください。」
そうカノンはヨハンソンに伝えると車に戻った。
ヨハンソンはカノンたちを見送りながら、手下たちに目配せをした。
ひとまず町まで引き返すことにした車中で、正三がカノンに伝えた。
「あのヨハンソンという男は、消えたゲムズボックの話を知ってたみたいだ。それに何か策を思いついたらしい。きっとあの農場の中に消えた動物たちがいるに違いないね。」
「そうね。あたしも怪しいと感じた。明日は絶対内部に入ろう。」
第六章
正三たちがヨハンソン農場を訪ねた次の日、オリックスのオリはヨハンソン農場の中を歩いていた。周りにシマウマのゼブの姿はない。
少し前、ゼブは他の水場を見てくるとひとりで出かけて行った。オリは食べていた草があまりにおいしくて、ゼブに先に行っておいてと言って自分だけ残ったのだった。
新芽のおいしい部分をあらかた食べ終えて、やっとおなかが落ち着いてゼブの行った方向へ歩き出した。
小さな岩山の角を曲がると数頭のスプリングボックが歩いているのに出会った。その前のほうにもサザビーという牛の仲間が子供を連れて歩いている。そしてキリンもやはり同じ方向に進んでいる。どれも同じように進んでいるのが変な気がした。どうしてなのかとオリは思って、近くのスプリングボックに
「どこへ行くの」
と聞いてみた。
しかしスプリングボックからの返答はない。それどころか少し近づくと、こちらを見もしないで鼻を鳴らし早足に離れてしまった。ゼブと話しているときのような反応が全くないのだ。
オリはこの感覚を思い出した。
これは生まれ育ったエトーシャで暮らしていた時と同じだ。それぞれにやりたいことがありそれが邪魔されたり、あるいは水場などで場所争いで追い出そうとする時以外は、ほかの種の動物とコミュニケーションをとることはまずなかった。この不愛想なスプリングボックに感じたのはそれだった。
その後から歩いてきていた単独のイボイノシシにも話しかけてみた。こちらも同じ反応で、まるで少しでも接近されるのが我慢出来ないとでも言うように走り去られてしまった。
オリはこれが普通だったことを思い出した。オリックスならオリックスの同じ種の個体同士でも、群が違っていれば接近もしないし、同じ群れでも母子以外は身体の接触もしなかった。
ゼブとの関係のようにお互いが話し合えないと、相手は何を考えているのかほとんど理解出来ない。そんな相手に接近することは大きな危険も潜んでいる。なるべく距離を置くのが一番安全な方法なのだ。だからゼブがいないと異種間コミュニケーションはうまくできないのは当たり前なのかとオリは思った。これが普通だったのに今はなぜか寂しい思いがする。
しばらく立ち止まってしまった。すると横から急に声がかかった。
「どうした」
ゼブが近づいてきて聞いた。
「うん、やっぱりゼブといないとおしゃべりは出来ないのが分かったよ」
と、話が出来ることにほっとしながらゼブに少し愚痴をこぼした。
「どうだった」
と聞いてみると。
「サザビーのお母さんが教えてくれたけど、あっちこっちで水場の水が枯れたんだって」と返事をくれた。どの動物とも話せるのはやはりゼブだけなのだとオリはわかった。
「だからみんなに、この先の岩山の間の水場だけは水が出てると教えといたよ」
そうゼブは教えてくれた。
皆が同じ方向に進んでいるのは、他の水場では水が涸れてしまったためで、残った水の出る場所を探して移動しているからなのだ。
実はこの水涸れを引き起こしたのは、農場主ヨハンソンの指示だった。あちこちの水場で地下水汲み上げポンプが止められていたのだった。
それでもゼブはまだ水の出ている水場を早々に探し当て、オリのところに戻りながら、途中で出会ったみんなにその場所を教えて戻ってきていたのだった。
すぐにその岩山にたどり着けた。
その場所は少し先に人の家があるのが気になるが、周りは岩山に囲まれていて少し中まで入って行くと、そこにたっぷりの水が流れ出している水場があった。そこには、なぜかいつもは会わないキリンやクロサイなどもやって来ていた。
ゼブが聞いてみると、どこでも水場の水が急に枯れてしまったという。みな導かれるようにこの水場に集まってしまったようだ。ライオンやチーターはそんな草食動物の後をついてきたようで、少し離れたブッシュのかげでこちらをうかがっている。周りを岩山に囲まれたこの水場だけ水が止まっていないようだ。
オリは何となく嫌な予感がした。三方を囲まれたこの場所は危険な臭いがする。それでも二十数頭の草食動物たちは水を飲みに集まった。
その時だった。入ってきた後方の岩場の陰からあの「ランクル」と呼ばれるへんな怪物が走りこんできた。みな突然のことでパニックになった。とりあえずより奥の方へと走り出した。
すると「ランクル」は引きずってきた大きな柵で岩山の入口を塞いでしまった。そしてその向こう側では「トラック」と呼ばれる大きな怪物が何台も入って来ると、柵を隠すように横に並んでしまった。外側はもう見ることも出来なくなった。
これでオリたちは奥の岩山と手前の新しい障害物に完全に囲まれてしまった。
第七章
その頃農場の入口では、正三とカノンそして急遽呼び寄せた国立公園のレンジャーのサムも一緒に到着したところだった。レンジャーのサムには事情を説明し、証明書の中身を確認してもらう手はずになっていた。
門の監視カメラの前に立ち手を上げると、ほんの少し間があったが門が開いた。
農場の持ち主であるヨハンソンがライフルを持った手下一名を引き連れて出てきた。
「これがこの農場で所有している動物の証明書すべてだ。確認してもらおう。」
といきなり書類をカノンに突き出してきた。
同行したサムが受け取り内容を確認し始める。この間、正三はヨハンソンの表情を見ながら観察をする。
ヨハンソンは余裕の表情で、証明書の確認をするサムとカノンを見つめている。その時、門が少し開きほかの手下が手招きした。寄っていったヨハンソンは耳打ちで何かを聞いている。
(終わりました)
(よし。しっかり見張っておけ)
そう正三には聞こえている。
正三はカノンに合図を送った。何かありそうなら次の行動に移ることに決めていた。
カノンはサムに目で合図すると、
「この飼育依頼の書類にあるシマウマは、今もこの農場にはいるのか。確認のため実際にそのシマウマを見たいのだが、同行して確認をさせて欲しい。」
と、サムはヨハンソンに農場内を案内させるよう申し入れた。
「ああ、それではその目で見てもらおう。まあ広いからすぐにそいつと会えるかは分からないがね。」
ヨハンソンは余裕の表情で答えると手下に門を開けさせた。
ヨハンソンたちは自分たちのランクルに乗り込み、カノンたち三人は自分たちの車に乗り込み先に出たランクルを追う形となった。
「さっき顔を出した手下は『終わりました』と言っていたけどその前に、『岩山に追い込み完了』と心の中で伝えていたよ。その岩山が怪しいようだ。」
と、正三はカノンに告げた。サムはいぶかしげにその会話を聞きながら運転している。
合流したばかりのサムには正三の能力については告げていない。
岩山と柵とその先のトラックに囲い込まれてしまったオリたちは、最初はばたばたと出口を探して走り回っていた。しかしどこにも出口がないと分かると、二十数頭の動物たちは柵に近い一カ所にかたまった。
「みんなあわてるな。まずは外の音を聞いてみるんだ。」
シマウマのゼブが呼びかけると、皆一斉に動きを止め耳をそばだてた。
その時、岩山の奥から一頭のスプリングボックが走り出てきた。
「どうした」
とゼブが聞くと
「ライオンだ、奥に一頭いて目が合っちゃったんだ」
と知らせると岩山の出口に向かって走って逃げだそうとした。しかしすでに出口は閉じられていた。
岩山の奥から大きな雄ライオンが一頭、ゆっくりと歩み出てきた。頭を低くして警戒しながらこちらに進んで来る。するとアフリカスイギュウのブルは、鼻息を荒くするとまっすぐライオンに向き直り、ずいと正面に進み出た。
ライオンはその勢いに押されその場で立ち止まった。ブルはそれでもまっすぐにライオンに向かって進む。ライオンは背を低くして防御の構えをした。そして上唇を引きつらせて大きな牙を見せるようにし、低くうなり声も上げている。
ブルはこのうなり声を聞き急に立ち止まった。そして周りで見ているゼブたちを振り返って見た。皆その場に突っ立ったままである。
「おいみんな、どうしたんだよ。おまえたちもこっちへ来いよ。」
ブルはみんなに声をかけた。
群で暮らすアフリカスイギュウは、ライオンやチーターなどが近くにいることを知ると、逃げ出すのではなく皆で敵に向かっていく。数の多さで相手を脅かし追い払う行動である。もともと走るスピードが遅いため逃げても追いつかれてしまう。また単独でいれば、ここぞと襲ってくるライオンなどに対して勝ち目はない。そこで相手よりこちら側の数を多くして、皆で揃って対峙し堅い角を向ければ相手が戦意を失うことを知っているのだ。
それがアフリカスイギュウの普通の行動なのだが、今ここにいるのは数こそ多いが種類はまちまちだし、頼りになる武器を持った者はほとんどいない。
「おいみんなで立ち向かえば、こんなライオンなんて恐くないぞ」
そうブルは皆に呼びかけた。
「ライオンは一匹だけだし、取り囲んじゃえば襲ってこられないよ」
その声を聞いてゼブも周りを見回してみた。周りは草食動物ばかりで、他のライオンの姿は見られない。そういえばこの場所ではライオンたちはしょっちゅうあの人間の乗った怪物に追いかけられ、時には銃で撃たれて殺されたりしていた。だからライオンは家族の群れを作れていない事を思い出した。
「そうかライオンは一匹だけだ。身体の大きい奴はみんな集まってライオンを取り囲め。恐くはないぞ。」
そうゼブが呼びかけると、サザビーやヌー、そしてキリンまでもが意を決してライオンに近づき始めた。そしてスプリングボックもその後から恐る恐るではあるがライオンを囲む輪に入った。
オリも怖わごわゼブの後をついてライオンに近づいてみた。やはり怖さはあるが、みんなと一緒だとなんだか勇気が湧いてくる。角を振り回して少しだけ威嚇をしてみた。
こうして周りをぐるりと二十頭ほどの草食動物に囲まれてしまったライオンは、首を回して状況を確認する。すでに後方まで回り込まれ、突破する場所も見つからない。
そういえばこの身のすくむ様な恐怖感は前にも味わったことがあった。前に家族を離れ昼寝をしていた時、いつの間にかバッファローの群れに取り囲まれたことがあった。こちらは攻撃の意思はなかったのだが、バッファローはなぜか興奮して大勢で集まって来た。そしてぐるりと周りを囲まれてしまった。あの時は家族のメスたちがやって来てバッファローの群れの注意を逸らすことが出来、やっとのことで逃げ出せた。
しかし今ここでは助けてくれる家族もいない。ついには腹を地面につけ防御の姿勢を取るしかなくなってしまった。
「俺たちを襲うのはやめろ」
突然頭の中にこんな声が聞こえたライオンは、驚いて辺りを見回す。
「おいらの声だよ」
と、ゼブが一歩踏み出して前脚で地面を踏み叩いた。
ライオンはゼブの目を見た。
「そう驚くなよ。今みんなにもこの声は聞こえている。もうおいらたちを襲うのはやめろよ。お前さんも含めてみんな変なところに閉じ込められちまったとこだ。これはまずいぞ、この先何かやばいことが起きそうだ。まずはここを逃げ出すのが先だ。お前もここを出るために一緒にやろうよ」
ライオンは自分が声を理解出来ることに驚きながらも、いつもは獲物だったシマウマも同じような事を感じているのが分かった。
「おまえたちもそうやって先のことなんか考えるんだ」
「同じだよ。今はここを出ることだけを一緒に考えようよ」
「分かった。もう襲わないよ」
周りの者たちも、この様子を見、ライオンの声も聞こえてそれまでの緊張が一気にほどけた。
オリもライオンの声と気持ちが分かったことに、我ながら驚いた。
第八章
正三たちは同じ農場の中を二台の車で走っていた。
先行するヨハンソンの車は門を離れ北の方向へ向かっている。農場の中心となる建物が西の方に見える。そしてもっと西の方向には少し高い丘が見える。岩山のようだ。
ヨハンソンの車が進む方向にはほとんど動物の姿は見えない。これほど動物が見られないのは狩りのやり過ぎではないかとレンジャーのサムは言う。先ほど見た飼育許可証や繁殖証明書に登録されている数からすると、もっと頻繁に動物に出会うはずだという。
そんな事を話しながら進んでいると、ある水場に到着した。 立派なコンクリート製の水場が作られているのだが、その水の量はわずかしかない。そしてチーターが一頭だけ腹ばいになって水場の横で座り込んでいる。それ以外他の動物は見当たらない。
止めた車から降りてきたヨハンソンは正三たちの車に歩み寄り、
「このチーターがこの繁殖証明書に載せられている一頭だ。こっちの証明書のもう一頭のチーターは先週来たアメリカ人の客にハンティングされたばかりだ」
「ここへ来るまでほとんど動物に会わなかったけど、どうしてこんなに少ないんだ」
とサムが訪ねる。
「おかげさまでね、ここんとこ客が続いてやって来たもんだから」
とハンティングが盛んに行われて、いまでは所有していた動物の数は減っているという。 今は国立公園が自然増で増えすぎた動物を、頭数制限をするために動物を売り出すのを待っているところだという。
「ところでさっき西の方に岩山があったけど、あそこの上から全体を見せてもらえないかな」
とサムはヨハンソンに頼んだ。
これだけの広さがあると全部は回れない。動物が集まっていそうな地形を探そうと思ったのだ。
ヨハンソンは一瞬嫌な表情をした。そして手下に顔を向ける。視線を受けた手下はあいまいではあるが行かせないでくれとでもいうように首を小さく横に振った。
この会話を正三は見逃さなかった。
「動物たちがどこにいるかはわかっているから、これから連れていく」
とごまかそうとするヨハンソンにサムは、
「なにか岩山に不都合なことでもあるのか。見せたくないものでもあるのか」
とカマをかけてみた。
「勝手にするがいい。こちらは次の客の用意があるからこれで失礼する」
ヨハンソンはそそくさと車に乗り込み走り去った。
「きっと何か企んでいる。岩山に急いだほうがいいようだ」
と言う正三の言葉にカノンもサムも同意した。
小高い丘にある岩山へと車を走らせた。
そのころ岩山の中に閉じ込められたオリたちは、ある脱出の方法を試していた。 閉められた柵は高さが五メートルほどある。キリンが首を伸ばしても届かない高さである。そして後方の岩山はそれより数メートルは高く覆い被さるように迫っている。
今は襲うのをやめたライオンの提案では、先ず柵の上まで単独ではジャンプ出来そうにないが、サイの背中を借りて二段ジャンプをすれば届きそうだ。そして柵の向こうに降りて開け口を探すか、抜け穴を見つけて皆を逃がす。
そんなアイデアである。
まっすぐ走って逃げることしか考えつかない草食動物よりさすがにライオンは役に立つ考えをするモノだと、ゼブはライオンのアイデアに感心した。
そしてそれを実行に移してみた。
初めクロサイのリノはライオンにお尻を向けることがなかなか出来なかった。肉食獣に背中を見せる事の恐ろしさが身についているからだ。
そしてライオンも後ろ姿が目の前にあると、どこに牙を刺せば仕留められるかと考えてしまうのを止めるのがやっとだった。
「ほら、どっちもここから逃げ出すことだけ考えろよ」
というゼブの言葉に現実に戻る二頭。
恐ろしさを押さえつけ背中を差し出したリノをめがけ、ライオンがジャンプをした。軽々と二段ジャンプで柵の上に飛び上がったのだが、柵の向こうにはあの大きな「トラック」と言うヤツがいくつも並んでいた。
大嫌いな人間の匂いがぷんぷんとする。このまま下へ降りても良いことはないと思った。横を見ると柵の端が岩山へと続いている。すぐに背を低くしてそちらへ移動する。岩山を伝っていけば人に見られないで外へと逃げられそうだ。素早く岩山へと進むと、岩の間に隙間がありそれが向こうへと延びている。もうライオンの頭には外へと逃げ出すことしかなかった。
「あいつらなんか知ったことか」
そう考えた時、頭の中にゼブの言葉が聞こえてきた。
「おい、どこへいった。早く抜け道を探してよ」
ライオンはどうしようと思いながらも結局自分のことだけを考えて、目の前の崖の間の道に入り込み走り出した。
第九章
正三たちは岩山の裏側にやって来ていた。
車を降りた正三とカノンは先を行くサムの後を追って岩山にとりついた。足がかりがあまりない滑りやすい岩肌なためなかなか登れない。登れるルートを探して山の裾を回って行くと、岩の割れ目が一筋の道となって上に延びている場所にたどり着いた。
サムは早速そこを上へと進んでいった。
その時だった、正三の頭の中で何かの声が聞こえた。
「おい、どこへいった。早く抜け道を探してよ」
そしてすぐ後には
「おれは逃げたいんだ。もう関係ないよ」
という別の声が聞こえてきた。いったい誰の声なのかと正三は怪しみながら、岩山を登り始めた。
少し登った時、先を歩いていたサムの足がぴたりと止まった。そして緊張して腕を先に指し示した。
カノンがその方向を見ると、岩の間の道に一頭のオスのライオンが立ち止まってこちらをにらんでいた。狭い道の中で鉢合わせてした双方が、ともに張り付いて動けなくなってしまった。
「君はどこから来たんだ。ゲムズボックを見なかったか」
とっさに正三はライオンに語りかけてみた。
「なんだおまえは。どうしてヒトのお前と話が出来るんだ。でもさっきはシマウマとも話せた。これはなんなんだ?」
ライオンはこの突然の出来事に少し混乱した。しかしさっきのシマウマとも話が出来たのだから、こんなこともあるものかと自分を納得させた。
正三がカノンの方を見ると、大丈夫と手真似でサムを落ち着かせている。
正三はもう一度ライオンに尋ねてみた。
「ゲムズボックを探してる。このあたりで見なかったか」
「ゲムズボックもいたけどもっといろいろいたよ。この先を登って岩の上に出ると反対側に谷が見える。そのなかに奴らはいるよ。おれは急いでるんだ道を空けてくれ」
正三もカノンもそしてサムもライオンが通れるだけの道を空けた。ライオンは素早く走り降りて行く。
「ありがとう」
と正三が声をかけると、ライオンは立ち止まりこちらを振り向いたが、すぐに先に進み見えなくなった。
正三はすぐに気を取り直しカノンとサムを促して、岩山の上を目指して歩き出した。
岩山の下ではゼブをはじめ皆が期待を込めて、閉まっている柵の方を見つめていた。 ライオンが外から柵の外に出られる場所を探してくれるとだれもが期待していた。しかし少し時間が経つとオリは不安になってきた。
「ライオンはホントに出口を見つけてくれるよね。自分だけ逃げ出したりしないよね」
「うーん、まあ信じるしかないけどね」
と、ゼブの返事は歯切れが悪い。 さっきはライオンの考えがとっても良いアイデアに思えていたのだが、今思うと本当にそれが一番だったかあやしく思えてきた。少し前までは自分たち草食動物を獲物として狙っていたライオンが、そう簡単に仲間になれるはずもないかと思えてきた。
「おーい。うまくいってるか。どんな様子か教えてよ」
と、ゼブは強く心の中の声を張り上げてみた。他の皆も返事を待って耳をそばだてた。
岩の間の道を登っていた正三は、わずかに聞こえてきた声を聞きつけ立ち止まった。
「おーいライオン。早く開けてよ」
確かに誰かが呼び掛けている。さっきすれ違ったライオンに伝えているのは間違いないようだ。正三は道の先へと急いだ。
登り道は進むほどに角度が緩やかになり、開けた場所に出た。岩山の中腹当たりらしい。その先には岩山の縁があり、そこまで進むと向こう側は谷となって落ち込んでいる。 その谷の中を覗いてみると、多くの動物が集まっているのが見える。谷の縁沿いに少し降りていくと、その先には大きな柵が立てられているのが見える。そこまで歩いて行こうとした時だった。
その向こう側に置かれていた大型トラックが突然動き始めた。そして柵の一部が車を使って引き開けられている。
柵の向こうで急にいろいろな音がし始めた。
オリとゼブが身構えていると柵がゆっくり開き始めた。やっとライオンが開けてくれたのかと皆見つめた。
そして柵の隙間が大きく開かれた直後、数人のヒトが走りこんできた。そして中にいた動物たちを柵の外に追い出し始めた。
はじめは皆驚き、人が来る方向とは反対の側に走って逃げようとした。
しかし岩山の奥に行っても逃げられないとわかると、追い回されながら柵の方向へ走り出した。こんな時はスプリングボックは逃げ足が速い。数回のジャンプで柵の外へと走り去った。オリはどうするか迷った。少し前にこうして追い回され怖い場所に閉じ込められたことが思い出されたからだ。
ゼブがそんなオリの考えを理解した。
「みんな、ちょっと落ち着け。もう少し様子を見よう」
しかし走り出してしまった周りのものはもう足を止められなくなっていた。このあたりが、なんでも逃げ出すことで生き残って来た草食動物たちの習性なのだろう。
次々に柵の向こう側へ走り込んでいく。そして足音がカンカンと響いて聞こえてきた。
オリとゼブも柵の側まで近づいて外側をのぞき込んだ。
そこにはあの大きなトラックと呼ばれるヤツが大きな口を開けて待っていた。その口元へと坂が付けられており、走り出した者たちはその板の坂道を登るより進む道がない。 逃げ回った勢いで柵の外へ走り出てきたため、次々と大きな口の中へ後から押し込む形になってしまった。オリとゼブは柵の中へと引き返そうとしたが、柵の中から仲間を追い出してきたヒトに遮られ、大きな口の方へと追い戻されてしまった。そしてとうとう坂を登って恐い場所へと追い込められてしまった。
中では追い詰められた仲間がぎゅうぎゅうになっていた。そして後にしかなかった口が大きなモノで閉められてしまい、中は真っ暗になってしまった。
こうして暗くなってしまうと皆警戒しおとなしくなる。広い場所だと暴れ回ったりするが、狭く暗い場所に閉じ込められると動けなくなってしまうのも草食動物の性である。
第十章
正三たちは岩山の上から谷へと下りる道を探した。
しかし直接続く道は見つからない。滑り降りるには急な崖で、直接下の広場へは行かれそうもない。しかたなく登ってきた岩の間の道を引き返し、外周を回り込むようにして柵のあるところへと行くしかないようだ。 三人は急いでさきほどライオンとすれ違った岩の道を走り下りた。
そして岩山を下りきると、岩の壁に沿って回り込み谷の広場へと急いだ。
そして柵のある場所にたどり着いた。 しかし柵の外側には、大型のトラックが何台も置かれていた。その前にはさきほどヨハンソンに指図を仰いでいた手下がそしらぬ顔で立っている。その周りには数人の手下も手持ちぶさたな様子でたむろっている。
カノンとサムは少し開いていた柵の中まで入り込んでみたが、その広場には先ほど上から見られた動物は一頭もいなくなっていた。
サムが近くにいた者たちに動物たちの行方を聞いてみたのだが、皆知らぬふりをしている。そこで
「そのトラックの荷台を見せてくれ」
とサムはヨハンソンの手下に詰め寄った。 数人がトラックの周りを守るように立ちふさがる。一瞬の緊張。
しかしそのリーダー格の手下は手を振って、他の者にトラックの周りから離れるよう指示を出した。 そしてサムに向かい、見るが良いと手で示した。
サムと正三はトラックにとりつき後部の扉を開けた。 しかしそのトラックの荷台には何もいない、からっぽである。そして次の一台も幌をめくり上げて覗いた荷台はもぬけの殻である。
へらへらと薄笑いを浮かべる手下たち。 サムはカノンと正三に目線を送る。これではお手上げである。カノンもどうも裏をかかれたようだと気づいた。サムは柵の周りにある足跡を追おうとしたが、すぐ先でかき消された跡が残っているだけでその先へは辿れない。
そこへヨハンソンが車で乗り付けてきた。
「どうした。お探しのモノは見つけられたのかな」
これではあきらめるより他に策はない。 サムは諦めきれないので
「それでは農場内をもう少し探させていただくよ」
とカノンと正三を促し、車を止めてある岩山の裏側に向かって歩き出した。 立ち去ろうとしたその時、正三の頭の中で声が聞こえた。
「おいみんな。怪我をしてないか、声を出せ」
これは近くで出された声だと、正三にはわかった。
そこでこっちからも声をかけてみた。
「きみは今どこにいる?」
正三は頭の中で発してみた。しばらくは何の返事もない。 すると、
「だれ?今声を出したのは誰なんだ?」
「私はお前の味方だ。君たちを助けに来たんだよ」
「味方、仲間なのか?」
「今私は岩山の近くにいる。たくさんのトラックが止められているところだ。君はどこにいる?」
「暗いところだ。ヒトに追いかけられここに閉じ込められた。岩山を出てすぐ大きくて変な奴の口の中に押し込められた」
「わかった。それじゃ、今すぐ大きな音を立ててくれないか。その音を頼りに君たちを探す。いいか、大きな音だよ」
ゼブは少し警戒したが、暗い中で前足を上げて床にたたきつけてみた。
『ドン!』と、鈍いが大きな音がする。もう一度試してみる。
正三は耳を澄ませて音のする方向を探し、もう一度話しかけてみた。
「今のが君の出した音だね。もっと大きく、続けて音を出してくれ」
ゼブは
「よし、みんなも聞こえただろう、大きな音を立てるんだ。足を振り下ろせ」
暗闇の中で次々に床をたたいて音を出す。皆が叩き始めるとそれに合わせるように足元が揺れだした。
聞こえてきた音を頼りに正三はトラックの間を奥へと進んだ。サムとカノンも後を追う。すると一番奥に止められていたトラックがわずかに揺れているのがわかった。鈍い音が何度も中から聞こえている。 正三はそのトラックの荷台後部に回ると、レバー式の大きな扉を引き開けた。
オリとゼブは暗い中で懸命に床を叩き続けた。
すると突然光が差し込んできた。そこにヒトが顔を出してきてこちらを覗き込んだ。
「音を出したのは君たちか?」
オリはびっくりした。まさか相手がヒトだとは思ってもいなかったのだ。しかし確かにヒトの言葉がわかる。何がどうなっているのかわからず立ちすくんだ。
「大丈夫だよ。君たちの言葉はわかっている。怖くはないよ」
そう正三が話しかけると、ゼブは
「ヒトで話せるのはお前が初めてだ。本当に安全なのか」
と確認する。
「君たちを探していたんだ。元いた場所に帰すから安心していいよ」
オリにもこの言葉は理解出来た。驚きながらもほっとする。
しばらく後、そのトラックに閉じ込められていた二十頭もの動物が荷台から降ろされ、柵の中の広場にもう一度集められた。
サムは証明書のある動物以外はすべて解放させるよう農場主であるヨハンソンと交渉を始めた。この交渉に当たり正三はゼブとオリに皆の出身地を尋ねた。
スプリングボックとイボイノシシは確かにオリの知り合いで、エトーシャがふるさとだと分かった。その他の数頭もエトーシャ出身であると自ら言ってきた。
こうしてオリの他に十頭ほどは飼育許可の証明書がなかったので、この農場から解放されることになった。どれもオリの出身地であるエトーシャ国立公園で育ったものばかりだ。スプリングボックとイボイノシシとクロサイとサザビーである。
シマウマのゼブの証明書は不明瞭で、出身地が書き込まれていなかった。子供のころにケニアで孤児になり、そのまま脳の研究所に連れていかれたため、その研究所からの預かり証しか残されていなかったためだった。しかしゼブはオリと離れたくなかったので、
「私をオリと同じ場所に連れて行って欲しい。一緒にいたい」
と、正三へ願い出た。
それをサムに伝えると、ヨハンソンとの駆け引きが行われた。最初は嫌がっていたヨハンソンも、サムが他の動物と共にゼブを帰してくれるなら、これ以上この件に関して訴えたりしないと切り出すと、即座に交渉に応じた。
「預け主には間違ってハンティングされちまったと言っとくよ」
と、けろりとした態度だった。
そしてエトーシャへ運ぶための大型トレーラーも運転手付きで貸してくれることになった。オリやゼブたちをトレーラーに乗せるのも、正三が間に入ってスムーズに進み、一行はエトーシャ国立公園へと走り出した。
正三たちの誰も気づいてはいなかったが、その車列のかなり後方を一台のランクルが静かに追っている。
数時間後エトーシャ国立公園の東門に到着した。
公園の中の水場に着くとトレーラーの荷台から動物たちを解放した。
こうしてカノンと正三は今回の指令を達成することが出来た。公園のレンジャーであるサムは大喜びで二人にお礼を言った。
オリはゼブを連れて仲間が暮らす平原へと向かった。
「迷惑じゃないかい」
「何いってんだい、一緒にライオンを説得した仲間でしょ」
「よろしく頼むよ。それにしても暑いとこだねえここは」
そんな話をしながら進むと、丘の向こうに水場が見えてきた。そこにはシマウマやダチョウ、そしてオリの仲間であるゲムズボックも含め十数頭が喉を潤していた。そのうちの一頭のメスがオリに気づき走り寄ってきた。
それはオリの母親であった。鼻先を身体に沿って這わせて互いに匂いを嗅ぎあい、二頭は親子であることを確認出来た。
ゼブはこの二頭に近づき
「驚かないでね。ボクはゼブと言います。オリと友達になったから、これから一緒に暮らします。仲間に入れてね」
母親はゼブが話しかけてきたことに初め驚いたが、何を意味しているかはすぐ理解出来た。そして近くにいたオリよりも立派な角を持っている別のオスもその声を聞きつけていて
「おいらはゲム。オリの兄だ。オリも大変だったようだな。良い仲間になってくれてありがとうよ」
と、挨拶をしてくれた。
ゼブは仲間に入れてもらえそうでほっとした。オリも嬉しそうに足踏みした。
「それじゃ、これから休み場所まで行くから一緒においで」
オリックスの群とゼブはゆっくりと移動を始めた。
太陽がかなり斜めになった頃、オリックスの群は草も生えていない広大な平地にやって来た。
エトーシャ・パンと呼ばれる干上がった塩湖である。オリックスの一行はこの場所に足を踏み入れ中央部へと進んで行く。しかしゼブにとっては初めての景色で足が進まない。
「ゼブ、こんなの初めてかい。ここは湖だから向こう岸まで遮るモノは何もない。周りは全てお見通しなんだ。ライオンが入ってきてもうんと遠くから見えるから、逃げるのも楽だよ」
とオリはゼブに教えてやった。
「でも湖なら、水が入ってきたら溺れちゃうよ」
「たしかに湖だけどこの季節には一滴の水もないよ。雨の季節でも蹄までしか水は増えないけどね」
それを聞いて少し安心したゼブは、オリと一緒に群の後を追ってパンの上を進んで行った。
すこし離れた場所に自動車が止められていた。そしてその車中にはオリたちの様子を遠目に観察している人間がいた。
第十一章
オリたちを連れ帰った三日後、帰国の準備をしていたカノンと正三はエトーシャ国立公園の公園長から呼び出しを受けた。公園長室に入ると、レンジャーのサムも召集されていた。
公園長からの話の内容は思いもかけないものだった。
昨日ある人物が公園長のもとに訪れ、意外な申し出がされたという事だった。
訪れた人物は、自分は米国に本拠地を置く科学アカデミーの研究所の研究員であると、自己紹介をした。そして、カノンたちがあの農場から収容してきた動物たちの中にいたシマウマは、この研究所の所有物であるというのだ。あのシマウマは彼らの実験動物として子供の頃から飼育していた。しかしある事情があってあの農場に預けていたものだという。飼育依頼書のコピーも提出された。そして、あのシマウマを時期を見て返却して欲しいという申し出がされたというのだ。
所長は早速そのアカデミーに連絡を入れ、研究所が実在していることと、その研究員が本当にその研究所に所属している事の確認が取れたという。
そしてこのシマウマはその研究所に引き渡す方針であると、カノンと正三に伝えられた。それに加えその研究員が正三に一度会って話をしたいと申し出てきたという。
その話し合いに立ち会った公園レンジャーのサムは、シマウマを捕獲した時に何か特別なことはなかったかと尋ねられた。そこでサムは、正三からシマウマも連れて行ったらどうかとアドバイスされて今回の移送になった事をその人物に話した。
それを聞いた研究員が正三と会いたいと言い出したというのだ。
正三はその研究員と会うことを了承した。
それは突然起こった。
水場でオリが仲間のオリックスの群と一緒に水を飲んでいた時だった。いつもは六頭のメスとその子供三頭が一緒に移動する。そしてリーダーを含むオスたちは、その集団の周りを囲むように移動する。
リーダーのオスは数頭いるオスの中で一番からだが大きく年を取っている。この群を統率するようになってそろそろ五年になる。すっきりと伸びた立派な角を持っていて、時にハイエナなどの敵をこの角で追い払ったりしてきた。またこの角をほかのオスたちに見せつけて、メスに近づく事を許さない。リーダーとして力を誇示していた。
そのリーダーに対し、オリの兄であるゲムが突然挑みかかったのだ。
そういえば数日前からゲムの目尻からねばっこい体液がにじみ出ていた。オリは変な匂いがするなあと思っていた。実はこれはオスのホルモンの活発な作用による分泌物である。今日はその匂いがいつにも増して激しいことに、シマウマのゼブでさえ気づいていた。成長したオスには一年に一度発情の時期が訪れる。それをメスに知らせるように、目尻の汗腺から匂いの強い分泌液が染み出してくる。すると他のオスに対していつにも増して攻撃的になるのだ。いつも従順に従っていたリーダーに対してさえも挑戦する勇気が湧いてくるのだ。
リーダーはゲムの変化に気づいて身構えている。ゲムは一歩一歩大地を踏みしめるように蹄の音を立てて、リーダーに詰め寄っていく。そしてリーダーの目の前に来ると、身体の側面を見せるようにゆっくりと回り込む。この時首を持ち上げ、なおかつ心持ちあごを引き上げる。すると長い角は自分の背に並行に沿うような位置になる。これをリーダーに見せつけるようにゆっくりと移動する。角の長さと太さがより強調される姿勢だ。
リーダーもこれに対抗するように首を持ち上げあごを引く。こちらも角を見せつけると共に、斜めからの強い視線を送る。
普段ならこうしたにらみ合いだけで、相手の強さを感じ取った方がさっさと引き下がるものだ。
しかし今日のゲムは違っていた。
リーダーの角を見てもそれほどの恐怖は感じなかった。それより、自分の角の方が優れていると確信した。
そこでその角をリーダーの前で振り回してみる。するとリーダーが一歩後へ足を引いた。今まではリーダーが角を見せつけるだけで大抵のオスは引き下がっていた。それがいつもと違い、挑戦的に角を振り回され驚いてしまったようだ。
だがリーダーとしての誇りはまだ失っていなかった。気を取り直し一歩前に出て、角を見せながらゲムの身体を回り込もうとした。ゲムは前に出てくる相手に興奮した。角をまた思いきり振り回した。するとリーダーの身体に角の先端が当たった。
リーダーの横腹には、それまでの戦いの古傷が白い線となっていくつも付いていた。その上に付けられた新しい傷は皮を鋭く切り裂いていた。じわっと赤い血が染み出した。
リーダーは痛みを感じ冷静さを失った。自分も角を大きく振り回す。ゲムはこれを自分の角で受けそのまま押し返した。絡んだ角のまま二頭は砂埃を立てて押し合う。
ここでもゲムの勢いはリーダーより勝っていた。
じりじりと後ずさりすることになったリーダーは、とうとう後ろ足の踏ん張りがきかなくなり腰から後がくずおれてしまった。そこをゲムは更に押し込む。リーダーは勢いに押されひっくり返り腹を見せてしまった。慌てて立ち上がろうと足を空中に振り回す。そこへたまたま振り回したゲムの角が突き刺さってしまった。かなり深く入っている。
これで決着が付いた。
鈍い痛みを感じながら立ち上がるリーダーは、すでに戦意を失っていた。いまだ興奮が冷めないゲムを見て、リーダーは足を引き摺りながらその場から逃げ出した。
こうしてゲムはこの群のリーダーの地位を、自らの力で奪い取ることに成功したのだ。周りで見ていたオリをはじめ群のメスたちも、新しいリーダーの誕生を確認した。
興奮したまなざしでそれを見つめるオリ。
そしてその横では、シマウマのゼブがかなりのショックを受けている。ゼブは小さな頃から親や群とは一緒に生きてこなかった。ほとんどの時間をヒトという研究者に見つめられ、人工的な環境で育った。ここに来て初めて同じ種の仲間が、群という社会の中で切磋琢磨して生きている姿を目の当たりにしたのだ。自分はこの先どうやって生きていくのか、漠然とした不安が生まれていた。
第十二章
そのころ、正三は研究員と対面していた。
観光客用キャンプのはずれにある水場に呼び出された。ここは観光客が簡単に動物を観られるよう用意された水場で、いま水辺にはダチョウとアフリカゾウの小家族が静かに水を飲んでいる。
その姿を見ながら、研究員は静かに正三に語り掛けた。
「私はジョンソンといいます。アメリカのある研究機関で脳波の研究をしています。今の私の研究課題はあのシマウマの脳波の解析です。あのシマウマがまだ子供の頃に取りつけた、脳波増幅装置からのデータをずっと受信し記録しているのです」
単刀直入にそう話をされ、正三は少し戸惑った。
「あのシマウマが赤ん坊のころから観察しています。あの農場に預けている間も脳波の受信は続けてきました。実は居場所を特定するため、あのシマウマの背にGPSを取り付けているのですが、そろそろその電池が切れる頃なので交換をしなければならない状況です」
正三はこの研究がかなり大掛かりなものだと感じ始めた。
「ついては正三さんにお願いがあります。あなたからあのシマウマにこちらへ戻るよう呼びかけてもらえないでしょうか」
研究員ジョンソンは真剣な目で正三にそう語りかけた。
「なぜ私が。いや私に何ができると思っているんですか」
正三は驚いてそう問い返した。
「正三さん、あなたが動物の脳波を受信できるという事実は、我々の研究所ではすでに確認済みです。ボルネオのオランウータンの件では、あの森の中の研究所で起こった事件が報告されています。あなたが交信能力を持っている事には確信を持っています」
正三はボルネオでの件を持ち出され、思いがけない話の進展に動揺した。しかしジョンソンは確信を持ってこの話題を出したようだ。更にこんな事も指摘をしてきた。
「それだけではなく、私も今回のシマウマ捕獲の事案では、あなたとあのシマウマの間で意思の疎通があった事を、あの時の脳波解析で検知出来ました。これは事実です」
こう言われた正三は深く考えてしまった。
かつて正三はボルネオの森の中で、互いに会話が出来るオランウータンと出会っていた。その時もそのオランウータンは脳波を研究されていたようだ。同じ研究所に所属する人間にここで会うとは、今まで思ってもいなかったのだ。
ここまで知られていては仕方がない、ジョンソンの申し出に協力する事を受け入れざるを得なくなった。 早速公園レンジャーのサムにも連絡し、農場から助け出したあのシマウマの行方を探すことになった。
しばらくするとサムから、一緒に運んできたオリックスの群れに合流して移動していると報告があった。毎日夕方になると、その群は広大なパンに入って行って一夜を明かすという。その時に接触してはどうかと提案があった。
この数日、シマウマのゼブはオリックスのオリの群と行動を共にしていた。
オリックスとシマウマでは少しずつ生活の仕方が違っていた。それは食べ物の種類に始まり、移動するスピードや毎日食べ物を求めて歩き回る距離などにも違いがあった。
ゼブは草を見つけて噛みきって胃に収めた後、できれば次の草のある場所まで移動を繰り返したい。歩く距離は長くなるがこうしておけば、夜に草木のないパンに入り込んでから朝になるまで何も食べられない時間でも、それほどお腹を空かせないで済む。
しかしオリックスたちはウシの仲間であるためか、草を食べた後皆座り込んであるいは立ったまま、胃の中に入れた草を口に戻し噛み直すのだ。この時移動は止まってしまい、ゼブにとっては一日に食べられる量が少なくなってしまう。それにオリたちオリックスは食べる量もそんなに多くなく、食べることにあまり時間を使っていないのだ。
こうして少しずつ違いが分かってきていた。
いつものように太陽が沈み始める頃、オリの兄であるゲムが率いるオリックスの群は夜を過ごすパンへと移動して来た。群の後方では傷ついた足を引き摺る元リーダーが皆から遅れて付いてきていた。あの戦いでゲムの角が刺さってしまった足は赤黒く腫れ上がり、しみ出る膿を狙ってハエがたかっている。
そしてパンの手前まで来た時、とうとう座り込んでしまった。ゲムは群れ全体を安全な場所へと導く責任を負っている。一頭の遅れを待つことが群れ全体を危険にさらすことになる。元リーダーを気にして立ち止まっていたメスを促すと、群れを引き連れてパンの先へと歩き始めた。
オリとゼブも群と一緒にパンへと進もうとしていたが、元リーダーが座り込んでしまうのを見ると置き去りに出来なくなってしまった。
「もう少しで安全な場所に行かれるんだからがんばれよ」
とゼブは元リーダーに話しかけた。
「私のことは気にせず、お前たちは先に進め」
ゼブとオリが躊躇していると、
「私のために他の仲間を危険な目に遭わせたくないんだ。少し休んで後を追うよ」
そう言われて、仕方なく元リーダーを置いて進むことになった。
夕日が地平線の上に広がる雲の中に隠れようとしていた。夕闇が濃くなり始める頃、元リーダーはやっとの思いで立ち上がり群れを追おうとした。しかしもうまっすぐに進むことが出来なくなっていた。傷ついた左の足の側に重心が傾いているようで、同じ場所をくるくると回ることしか出来なくなっていた。しばらく頑張ってみたがもう体力も限界に達していた。
ドサリと腹から地面にくずおれてしまった。首ももう持ち上げる事が出来なくなっていた。 少し離れたパンの中で、オリとゼブはこの様子を見ていた。
その時赤い光が一面に広がった。一旦雲の中に沈んでいた太陽が、大地と雲の間からほんの一時だけ現れ、あたりに残光を広がらせたのだ。その光を浴びながら元リーダーはまぶたを閉じるとそのまま命を終えた。野生では生の隣に死が待ち受けている。 ゼブやオリにはそれだけではなくもっと残酷な現実が目の前で始まった。
それまで遠巻きにこの様子を見ている者がいた。傷ついたオリックスが倒れるとすっと近づいてきたのは、セグロジャッカルだった。恐る恐る近づきオリックスの死を確認する。そして倒れているオリックスの足先を咥えて引っ張る。獲物がもう動かないと分かると、股のあたりに歯を立てて噛み切ろうとし始めた。まだ死んだばかりのオリックスの皮膚は硬く、ジャッカルはうまく歯を立てることが出来ないでいる。すると奇妙な声を立てながら走り込んできた者がいる。
ブチハイエナだ。ジャッカルを追い出し、動かなくなっているオリックスの後方に周り込み、皮膚が一番薄い肛門の縁の部分に牙を立て、強力なあごの力で噛み切っていく。何とも慣れた動作である。その血の臭いをかぎつけたように、数頭のハイエナが甲高い鳴き声をあげながら集まってきた。こうなると食卓の準備は整ったようで、互いに肉を咥えて引っ張り合い、次々にオリックスの身体は解体されていく。堅い皮に包まれていた赤い肉が、ハイエナたちの胃の中に押し込まれていく。
これを見ていたオリとゼブは、次は自分が標的になるのではと恐怖を感じ、大急ぎでその場を離れ安全なパンの奥へと走り続けた。
第十三章
そして次の日の夕刻、シマウマのゼブは今日もオリックスの群と共に行動し、夜を安全に過ごすため真っ平らなパンへと入り込もうとしていた。また今夜もひもじさを味わうのかと、少し暗い気持ちで進んでいた時だった。
「この声は聞こえているかい?」
と、突然頭の中で声がした。周りを見回すとパンへの入口近くにヒトが操る怪物の「ランクル」が一台いる。その上に立ってこちらを見ているヒトが分かった。
「私は君をこの公園に連れてきたものだよ。覚えているかい」
ゼブはこのヒトをよく覚えていた。あれは言葉が通じる初めてのヒトだ。そしてこの土地に連れてきてもらったことも覚えている。
「覚えているよ。なにか用かい?」
すこし警戒してゼブは答えた。
「君はまだこの土地に居たいと思っているのかい。ここは君にとって厳し過ぎないか」
心の中を見透かされたようで、ゼブは返事に困った。元々研究室育ちのゼブにとって、さすがにこの土地の自然環境はきつい。今一番不満があるのは腹いっぱい食べられなくなったことかもしれない。そして自分の目の前で起こった野生の死に恐怖も覚えていた。
「ほんとのこと言うと、これほど生きてく事がきついとは思っていなかったよ」
ゼブは本心を正三に伝えた。一緒にいるオリックスのオリにはなかなか言えないが、このヒトには本心が言える気がした。
「君が育ったという研究所へ帰る気はあるかい、それを聞きに来たんだ」
ゼブは自分が前に居たところを思い出した。あそこではなんだかじろじろ見られるのは嫌だったが、お腹がいっぱいになるまでたくさん食べられた。仲間がいない寂しさはあるが、襲ってくる敵にいつでも用心していなければならないそんな苦労はない。
少し悩んだが、ゼブは正三に答えた。
「前居たところに連れて行ってくれるかい。ここでの暮らしは、ちょっと我慢が出来ないみたい・・・」
ゼブは研究所に戻ることに同意した。正三からの提案は、どちらかというと渡りに舟の申し出だった。
二日後の同じ時間にこの場所で迎えてくれることになった。
少し離れた場所で待っていたオリックスのオリにはこのやり取りが聞こえていた。
はじめは意味がよくわからなかったが、やがてゼブが今の生活を満足していないことが分かった。そしてゼブとの別れがもうすぐやってくることを感じ取っていた。
二日後の夕刻、正三はカノンと共に約束していたパンの入口で待っていた。公園レンジャーのサムも、シマウマのゼブ引き渡しに立ち会うべく車の中で待機している。少し離れた場所には、あの脳波研究所の研究員ジョンソンが運搬用トラックを用意して待っている。
今日もオリックスの群と一緒に行動していたゼブは、群から少し遅れて歩いている。そして先を行くオリックスのオリに、しばらく一緒に歩こうと言って群からオリを誘い出した。
オリもすでにゼブがいつもと違うことに気づいていた。いつもだったら今頃は、『お腹空いたなあ、また明日の朝まで何も食べられないね』、と文句を言っている頃なのに、今日のゼブは朝から下むきがちに歩いている。そしてさっきは突然に一緒に歩こうと誘ってきた。何か嫌な予感がしていたのだ。
「ねえオリ。ありがとう、とっても楽しかったよ」
ゼブは先ずオリにお礼を言った。
「あのね、実はおいら、帰ることにしたんだ、前いたところへ」
「前って、ゼブと初めて会ったところかい」
オリが聞いてきた。
「いや、もっと前においらがいたとこさ。こことはだいぶ違う場所でね、ヒトに食べ物がもらえるとこなんだ。だからこれでもうオリと会えなくなると思う」
そう言ってゼブはオリの顔を見つめた。オリは初めは首を少しかしげたが、大きく角を一振りすると、
「そこならゼブはお腹いっぱい食べられるんだよね。良かったね」
「うん。たっぷり食べられる。それに襲ってくるヤツを心配しなくても良くなる」
「それは安心で良かったね。あのヒトと行くのかい?」
と、オリが少し先に立っている数人のヒトを見やった。ゼブもそちらを見て言った。
「そう。それじゃここでお別れだよ」
「ああ、元気でね」
「襲われないよう気をつけてね」
そう言うと、ゼブはオリを残してすたすたと人のいる方へ小走りに進んだ。
オリは立ち止まったまま、ゼブを見送った。もっと言いたいことがあった気がしたが、何を言えばいいのか思いつかない。ゼブが離れただけで思考が薄れていく感じがした。ゼブに出会ってから、自分の中の何かが変わった気がしていた。とても毎日が楽しくなったように思えていた。もうあの高揚感はやってこないかもしれない。そんな不安な気持ちがオリの心の中に広がっている。
ゼブは正三の前で立ち止った。その先にトラックの横に立つ見知ったヒトを見つけた。これであの気楽な場所へ戻れると、少しほっとした気分になった。
「ありがとう。これからもオリのことを見守ってやってね」
と、ゼブは正三に語りかけた。
その時すぐ横で見守っていたレンジャーのサムは、初めてシマウマの気持ちを心で感じた気がした。驚いてカノンの顔を見ると、彼女もこの声が聞こえているようで、シマウマにやさしい視線を送っていた。サムは声を送ってみた。
「オリックスのことは私が見守るから大丈夫だよ」
「頼むよ」
ゼブはそう言うと、研究員のほうに進みトラックの荷台へと上がっていった。
ゼブの乗った怪物が走り出すのをオリは見送った。
「一緒に行きたかったのかい」
と聞く声に驚いてみると、あの言葉が分かるヒトがこちらを見ている。
「ゼブはここの生活がつらかったみたいだけど、オレはここが好きだ。自由に仲間と走っていると、なんとも楽しいからね。ここがオレの場所だよ」
そういうと、オリはどこまでも続くパンの中へと走り出した。
その先に仲間が待っている。
第2話 終わり
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