第4話カレー二の話
新聞奨学生の朝は早い。
大体私の場合は午前1時前には起きて支度して販売所に向かっていた。
販売所は坂道の下。私の下宿先は坂の上。自転車での配達だったので、初めは下宿の空き地に自転車を停めて、乗って通勤していたのだが、明くる日から自転車に嫌がらせをされるようになった。
東京は怖いところです…真面目に働いて勉学に励んでいても、災難に見回れるのです。
具体的には自転車を柵に磔にされたり、仕舞いには隠されたりした。
夜に私の下宿を通った奨学生仲間は。
「マジで磔なってて笑ったわ」
と人の不幸を笑う人でなしだったが…若かったから仕方ないか…
取り敢えず自転車は販売所の備品なので壊される訳にもいかないので、私は販売所に自転車を残して、深夜に歩いて販売所に向かった。
更に人間は正直だ。深夜に新聞の束が届くのだが、それをトラックから販売所に搬入しなければならない。
だけれども私と同じ奨学生が八人居るにも関わらず、搬入は遠くから徒歩で通ってくる私しかしない。
皆は私が搬入を終えたら十秒も経たずに現れる。
少しでも働きたくないのだ。
正直社員もそうだったので誰も味方が居なかった。
それから叩き台で新聞とチラシを一緒にする。私の担当区域は四百部位だったろうか。
それを深夜に同僚達と叩き台を取り合って配達準備をするのだ。
それからが大変。
配達の始まりだ。ゴツい配達の自転車のかごに『たけのこ』と言われる立て積みで新聞を百部程積む。
更に後部に百部程ゴムバンドで新聞を固定する。
これで深夜二時過ぎ位に出発。
勿論新聞二百部は重い。初めは自転車を倒すことも多かった。
だがもう馴れたもので倒さずに停車させ、新聞を抱えてアパート階段を登る。
時間はまだ深夜。苦情が来ないように静に駆け上がる。
そんなテクニックも身に付く。
最後の難関は、折り返し地点で社員が運んでくれた二百部の新聞を積み直してから始まる。
消防士さん達の社宅だ。
五階建てのエレベーター無しの団地。約六棟。
五階建ての階段を音もなく駆け上がる。
そしてドアポストに適切に折りたたんだ新聞を投函する。
此処が一番辛かった。
だが、捨てる神あれば拾う神あり。
私の配達地区は野良猫が多かった。
勿論その団地にも馴染みの野良猫がいる。
胸元だけ少し白いのメスの黒猫。
とてもなつっこく「おいで」と言うとタタッと翔て肩まで登ってくる。
団地の配達中ずっと肩に乗ってくれたり、一緒に階段を登ってくれたりする。
私は勝手に『ジジ』と名付けていた。
どうやら消防士さん達からも可愛がって貰っているらしく、ジジが出産した時には尾頭付きの鯛がジジに供えられていたのを覚えている。西洋では胸元の白い黒猫は妖精ケットシーと呼ばれ尊ばれると知っていたので、今では無責任とは分かるのだが、たまに煮干しを献上していた。
最後の住宅地を抜けて配達終了が朝の六時半位だったろうか。決して早いタイムではない。
でも配達ミスを出さずに仕事するのが基本なので、お客様からの苦情がない限り見逃されていた。
と、此処までが仕事の話。
これから朝食が振る舞われる。
所属していた販売所は月に二万強だったか天引きで朝食と夕食が振る舞われた。
朝食はオーソドックスな和食が多かった。
社員の分も有るので寸胴鍋に味噌汁が用意されご飯は丼飯サイズをお代わり自由。
サンマの干物に納豆と冷奴が付くと言った具合だった。
それを配達が終わったメンバーが順繰りに席に座って食べていく。席は四席だったか。
食事は格別に旨かった。
超肉体労働なので体が食物を求める。
味噌汁を啜り魚にかじりつき、漬け物でご飯をお代わりする。
男の食事の集大成のような現場だった。
そして食事が終わると販売所に据え付けのシャワー室で汗を流す。
新聞奨学生は新聞社に学費を負担して貰う代わりに新聞配達をしながら学校に通う。ちなみに少ないが給料も出る。
私の契約した新聞社は夕刊も有ったので午前の授業しか受けれないと言う制約が有ったがこれも夢のためと了承した。
実は私の通っていた専門学校は奨学生が1/3は居た。
なので彼らと自然と仲良くなり学校でも孤立せずに済んだ。
さあ夕刊が始まる。
うちは大体15時前後に夕刊が届いた。
朝刊より購読している家が少なかった為に部数は三百程になったと思う。
更にチラシを入れる必要がないので、スタートダッシュが早い。
そして一斉に奨学生が出発する。
15時出発の夕方17時30分終了がベストタイムだったと思う。決して早くはない…念のため。
それからお楽しみの夕食の時間だ。
朝食が比較的質素な代わりに夕食にはゆで卵入りメンチカツやハンバーグに大振りのエビフライ等々ご馳走が並ぶ。
そして寸胴鍋に味噌汁は変わらない。
相席した奨学生同士で遊びの約束をしたり馬鹿話をしたりと夕食は賑やかだった。
まさにヴァイキングの食卓。
だが豪華なのにも理由がある。
夕食食べて、はい解散とはならないのだ。
翌日の朝刊用に叩き台でチラシの整理が有るのだ。それも四百部分。多い仲間は五百部を超えていたと思う。
もう夕食のテンションがなければ挫けてしまう程の仕事量。
更に夜のシャワーも順番待ち。
大体解散は夜の19時だろうか。
世間の新聞奨学生はそうやってまで学業にかじりついているのだ。
話は奨学生の説明になってしまったが、実は有るんです。カレーのエピソード。
それは黄金の金曜日。
うちの販売所では毎週金曜日の夕食は手作りのカレーと決まっていた。
それも寸胴鍋に一杯のカレーお代わり自由。
家庭的な具材ゴロゴロの豪勢なカレーだ。
作り手拘りの肉は牛と豚の二種類。隠し味たっぷりの黄土色のカレー。
カレーの人気はもう凄まじい。
いつもならお代わりしない仲間もお代わりするので、出遅れると順番待ちの列に並ぶことになる。
毎週金曜日に必ず出るカレーなのにその魅力は私が卒業するまで衰えなかった。
今では私も自炊する。カレーも作る。
予算の都合で販売所カレーを超える事は出来ないけれども、目標はいつも販売所カレー。
でもふと思うのだ。
あれは十代の青春時代だったからこその輝きだったのではないのかと。
一生追い付けない美味なのではないかと。
でも私はカレーを作る。あの時の賑わいを思い出しながら……
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