6嫁 ルクシュナ(6) プラネタリウム

 『東京ホームメイド』の建物を出て、左に進み地下に降りる。




 ここから先は、『池袋ムーンライトシテイ』という領域らしい。




 しばらく進むと、また登り、別の建物の屋上までやってきた。




 ジャンに誘われて、ルクシュナは『プラネタリウム 星天』と名づけられた密閉空間に入っていく。




 相当人気のある施設らしく、入場待ちの列に並ぶことしばらく、ルクシュナたちの番がやってくる。




「すみません。雲シート二人お願いします」




「わー、日本語お上手ですね。彼女さんですか?」




 ジャンがチケットを差し出すと、従業員らしき女性が声をかけてきた。




「いいえ。妻です。妻は初めての日本観光なので、最近評判のこちらのプラネタリウムを体験させてやりたいと思いまして」




 ジャンはにこやかに答える。




「そうなんですかー。奥さん、素敵な旦那さんですねー。この雲シートって人気で、予約取るのすごく大変なんですよー」




 従業員がジャンを持ち上げながら、ルクシュナに話しかけてくる。




「そうなのか? 夫殿」




 ルクシュナは感心した。




 よくもまあ、膨大な政務の合間にそこまで気を配ることができたものだ。




「ははは、まあ色々とツテがあってね」




 ジャンは曖昧に笑う。




 覇王ともなれば、異世界にまでコネがあるらしい。




(そこは『お前のために頑張った』と言っておけばいいものを。素直な奴じゃ)




 ジャンが意識的な女たらしならばきっとそうしていただろう。




 もっとも、そうじゃないから余計に性質が悪いと言えるかもしれないが。




 二人は連れだってドーム状の空間に入っていく。




 故郷の移動式住居と間取りが似た雰囲気であることもあって、親近感はあるのだが……。




「……なんというか、かなり気恥ずかしいのじゃが」




 予約が必要な特別席らしく、中央のいい場所にその『雲シート』とやらはあった。




 それ自体は良いのだが、周りを囲む他の普通の椅子の形をした座席から衆人監視されているようでもあのが気にかかる。




「気持ちは分かるけど、プログラムが始まったらずっと上を見上げてる格好になるから、大丈夫だと思うよ。それに、どうせ周りはカップルばかりだから、みんな自分たちの世界に入って、俺たちのことを気にする奴なんていないと思うぞ」




「ふむ。それもそうじゃな」




 空間全体から漂う甘ったるい雰囲気に、ルクシュナは納得する。




 皆心底睦まじい雰囲気で、おそらく、この中にルクシュナと同じように政略結婚した相手と来ているような人間はいないのだろう。




 そう思うと、彼女たちが少し羨ましく思える。




(羨ましい? ――そう思うということは、わらわはこの男と恋仲になりたいと思っているということか?)




 自分の感情を俯瞰して、ルクシュナは驚いた。




 つい数時間前はジャンに反発していたのに、随分な感情の変化だと思う。




「よし。じゃあ、思い切って寝転がるか! うおっ! すごく柔らかいぞこれ! ふかふかだ! ふかふか!」




 ジャンは雲シートに身体を投げ出して、子どもみたいにはしゃぐ。




「どれ。……おおう。確かに」




 ルクシュナもジャンに倣って、彼の隣に寝転がる。




 ずぶずぶ沈み込む感覚は、まさに雲の上に寝そべっているかのような極上の感覚だった。




 やがて、上映が始まる。




 それまで何も存在しなかった天井一面に、満天の星空が出現した。




「ほう。これは……とても、作り物とは思えぬな」




 ルクシュナは感嘆の溜息をもらした。




 星の専門家のルクシュナをもってしても、それは文句のつけようのない星空だった。




 もちろん、これが故郷の星空なら多少のアラ探しもできただろうが、ルクシュナにとってはこれが初めての異世界の星空だ。




 ルクシュナは、童心に帰ったような、素直な興奮と驚きをもった心持ちで、それを眺めた。




 周囲から流れる心地よい歌声が、よりいっそう気分を盛り上げる。




「だろ? 晴れでも雨でも、昼でも夜でも、いつでも綺麗な星空が見えるなんてすごいよな」




 ジャンが手放しで賞賛する。




「なにを言うておる。夫殿は、わらわの故郷で、夜を昼に変えて死霊どもを滅ぼしたではないか。それに比べればこの程度大したことではあるまい?」




 ルクシュナは一生あの時の光景を忘れることはないだろう。




 奴らは昼の間は砂の間に潜って身を隠し、夜の間のみ生きとし生ける者を殺戮すべく活動する。




 殺しても起き上がってくる無敵の死霊兵を前に敗走を重ねていた祖国。




 ルクシュナの予知をもってしても逃げきれないほどの危機に瀕し、進退窮まって無謀な最終決戦に挑もうとしていたその時、後に彼の夫となるその男は、ドラゴンに乗って颯爽と現れた。




 世界の理を覆し、月を太陽に変えるという離れ業。




 陽光に焼かれ、必死に土の中に身を隠そうとする死霊兵たち。




 しかし、それは敵わない。砂漠の土は、彼の魔法によって、オリハルコンよりも硬く固められていたから。




 昇天していく死霊たちの魂を憂いげに見つめるあの瞳は、今天井に映る全ての星々を集めたとしてもとても敵わないほど、美しく、儚げだった。




(もしかしたら、あの瞬間からわらわは――)




「いや、でも、あれ、めっちゃ色んな神様や精霊のご機嫌取りをしなくちゃいけないから大変なんだよ。一日に何回もできないぞ」




 ジャンが困ったような顔でルクシュナを見つめてくる。




「されても困る。あれからしばらく星の運行が乱れて大変なことになった」




 ルクシュナはふてくされたように言って、そっと顔を背けた。




 彼の顔をまともに見ることができなかったから。




 その間にも、プログラムは進行していく。




 星座と結びついたこの世界の神話を、どこからか流れてくる音声が分かりやすく解説していく。




「サソリの怪物に追われる英雄か。確か、俺たちの世界にも、キメラに追われる錬金術師の話があったな。どこの世界の人間でも、考えることは同じだな」




「星座というものは、それを見る人間の心を投影しているに過ぎぬ。英雄を望めば英雄が現れる。怪物を望めば怪物が現れる」




「そういうものか」




『では、皆さんも自分で星座を作ってみましょう』




「だ、そうじゃ夫殿」




「おいおい。今のルクシュナの説明を聞いて、作りたいと思う奴がいるかよ!」




 ルクシュナとジャンはどちらともなく笑い合う。




 上映の間、星空と彼の顔と、どちらを見ている時間が長かっただろうか。




 ルクシュナには断言することができない。




 そして、答えが出ないまま時は過ぎ、星空はまたただの天井へと戻る。




「どうだった? 俺としては中々楽しかったんだが」




「うむ。わらわも興味深かったぞ」




「じゃ、次は水族館。その後は展望台な!」




「っつ――」




 あまりにも自然に、ジャンはルクシュナの手を握って歩き出す。




 先ほどまで自分の方から腕を組んでおいて今更、ルクシュナはジャンの体温の高さを意識した。その動揺を悟られぬように、敢えて手をきつく握り返す。




 そのまま、二人は様々な場所を巡った。




 水族館では、色々な魚と水生動物を見た。




 砂漠育ちのルクシュナにとっては全てが新鮮だった。




 60階にある展望台からの眺めは壮観だった。




 同時に生命の息吹を感じない鉄の建物が延々と続く光景は、恐ろしくもあった。




 それらは全て、自分のためだけに用意された時間。




 今日一日だけで、今までの人生全てを合わせても足らないほどの『初めて』をいくつも経験するルクシュナだった。

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