7嫁 ルクシュナ(7) ハンバーガー

 あっという間に時間は過ぎ、こちらの世界でも太陽が空を茜色に染める時間になる。




「ふう。結構歩いたな。そろそろ飯にするか?」




「うむ。わらわもそろそろ腹がすいてきたのじゃ」




「よし。何が食べたい? 池袋なら探せば大体なんでもあるぞ」




「日頃の宮中の料理は堅苦しいものが多い故、気楽に食べれるようなものが良い」




「じゃあ、ハンバーガーかな」




 ジャンとルクシュナは、同じムーンライトシティ内を移動し、一つの店に入った。




 店名には、『ワオクイナ』とある。




「ハンバーガーというのは、見ての通り、パンの間に肉とソースを挟んで食べる料理なんだが、ここのは色々と好きなトッピングが追加できるんだ。ルクシュナはどんなのがいい?」




「夫殿と同じものを」




「わかった。――クォーターバーガーのアボカドトッピングを二つ。パンは全粒粉で、チーズはチェダーでお願いします。飲み物は二人ともコーラで」




 ジャンが呪文のような言葉を呟く。




 やがて出てきた透明なコップに入った黒色の怪しげな飲み物と、紙に包まれたクォーターバーガーを持って、二人は向かい合う形でテーブル席に腰かける。




「ふう。喉が渇いたな」




 ジャンはコップにストローを挿した。




「うむ――!? ごほっごほ!」




 ルクシュナもジャンの真似をして飲み物を吸い込み、思わずむせ込んだ。




 口の中でパチパチとはじける刺激に思わずむせ込む。




「ははは、すまんすまん。事前に説明しておけばよかったな。この飲み物は炭酸が強いって」




「わ、笑うな。ちょっと驚いただけじゃ!」




「そうか。なら、きっとハンバーガーの方はもっと驚くぞ」




 ジャンは微笑ましげに言って、大口でかぶりつく。




 口の端にソースがつくのも構わず、いかにも美味そうに咀嚼を始める。




 ルクシュナも負けじと挑戦するが、なんせ彼とは口の大きさが違うので、具材がポロポロ口からこぼれる。それでも何とか口の中に収めると途端に旨味がやってきた。




 牛肉の油と、これまたバターのように濃厚な緑色の塊が舌に絡みつく。




 赤と白のソースが生み出す、甘みとほのかな酸味。それら全てが混然一体となって、何とも言えない幸福感を与えてくれる。




「美味い……」




 思わず、ルクシュナはそう漏らしていた。




 ルクシュナの故郷でも牛は飼っていたが、口に入ることはあまりなかった。




 あったとしても、もう家畜としての用を為さなくなった老牛を捌くようなことが多く、それらは硬く筋張った肉にしかならなかった。植物は貴重で、新鮮な野菜を口にできる機会もそう多くはなかった。




 この都市の周りは鉄の箱ばかりで、とても、牛や野菜を育てているようには見えない。




 ということは、材料は全て外から運んできているのだろう。




 それを可能にするには、どれほど途方もない生産能力と輸送能力が必要であるのか。




「……この世界にはこのような豊かな国が、他にもあるのか?」




「ある。ついでに言えば、今俺たちのいるニホンはこの世界で一番じゃない。経済規模で言えば世界三位の国でしかない」




「ふむ。では、なぜその一位の国ではなく、敢えてわらわを三位の国に連れてきた? あ、いや、もちろん、今日夫殿が連れて行ってくれたところに不満があるという意味ではないのじゃが」




「うん……俺が今日ルクシュナを誘ったのは、このニホンという国が世界で一番、文化の受け入れに柔軟で寛容な国だからなんだ」




「寛容?」




「うん。翻訳魔法を使ってるから実感はしにくいだろうけど、この国の公用語は、経済規模世界一位の国と、二位の国と、ニホン独自で発明した言語が、混在させて作られている。宗教もめちゃくちゃだ。信仰はないけど、お祭りに騒ぎの名目として利用できるような神は、全て受け入れている」




「それは、節操なしと言うのではないか?」




「そうとも言える。だけど、節操なしの力はすごいよ。例えば、今日俺たちが言ったゲームセンターにあった筐体――鉄の箱も、プラネタリウムも、今食べてるハンバーガーも、どれも最初に発明したのはニホンじゃない。だけど、この国は、貪欲にそれを取り込んで、改良し、発展させた。この国はそうやって、大きくなってきたんだ。確かに世界で一番ではないけれど、さしたる資源もなく、居住可能な平地の面積も少ない国なのに、すごいと思わないか?」




「うむ……。夫殿の言う通りならば、確かにすごいのじゃ」




「だろ? だから、俺はこの国から色々学びたいと思ってるんだ。今、戦乱の時代は終わって、平和になったとはいえ、俺たちの世界はまだまだ文化や宗教的な軋轢を抱えている。そして、なんの偶然か、俺はその世界を統べる立場になってしまった。なってしまったからには、どうせだったら、この国のように節操なしに良いものは何でも受け入れて、誰も疎外されずにみんなで豊かで幸せになれるような世界にしたい。そう思っている」




 ジャンは真剣な表情で、ルクシュナに語り掛ける。




『それはジャンの問題であって、自分には関係ない』と言うほど、ルクシュナは愚かではなかった。




 ジャンが今日、自分をニホンに連れてきた意図が分かってしまったから。




 ルクシュナの故郷も、地理的な条件は違うが、ニホンとよく似ている。




 さしたる資源もなく、魔法の技術も未発達で、居住に適した土地は、オアシスとその周辺だけという厳しい砂漠。




 たとえ、そのような国であっても、異文化の違いを受け入れ、ジャンとルクシュナが手を携えれば、豊かになれる。




 そう彼は伝えたかったのだろう。




 つまり、このニホンという国は、ルクシュナの故郷が目指す方向を示す極星のようなものだ。




「……わらわの負けじゃな」




 小声で呟く。




 ルクシュナは自分の偏狭さが恥ずかしくなった。




 自分が民族の誇りなどという小さい事柄にこだわっている間に、ジャンは世界全ての人間の幸福を考えていた。




 それは、あのゲームセンターで負けたのとは違う、絶対的な敗北感をルクシュナにもたらす。




(一体、わらわはなにをわかった気になっていたのであろうな)




 そう。きっと、自分は、『先視』と『星視』の力に驕り、もっとも初歩的で肝心なことが見えなくなっていたのだ。




 未来は、放っておけばやってくるただの必然ではない。




 今を生きている者たちが、己の力で作り上げていくものなのに。




「ん? 何か言ったか?」




「いいや。何でもない。そ、それより、この後はどこに行くのじゃ?」




 ルクシュナは唾を呑み込み、意を決して告げた。




 ルクシュナも子どもではないので、デートの後の流れくらいは先視の力を使うまでもなく想像がつく。




「ん? ああ、帰るぞ。あちこち歩き回って、今日は疲れただろう」




 なのに、ルクシュナの気も知らずに、ジャンはそんなとぼけたことを言うのだ。




「は? まだ夕方じゃぞ」




「そりゃこっちの世界はそうだけど。時間経過的にいうと、俺たちの世界ではもう深夜だからな。睡眠不足は身体に悪いし」




「……夫殿。そういえば、一つ聞き忘れていたことがあるのじゃが」




「なんだ?」




「夫殿はなぜ未だわらわに手を出してこないのかの?」




「ゴホッゴホッ――いきなり何を言うんだ」




 今度は、ジャンの方が咳き込む番だった。




 今日初めて彼の意表を突くことができて、ちょっとすっとする。




「いきなりでもあるまい。わらわとそなたは夫婦になった以上、避けて通れぬ問題ぞ」




「まあ、でもさ、そういうのはお互いをもっと良く知ってからっていうか、二人の気持ちが大切というか」




「とても1000人以上の嫁を後宮に抱える男の言葉だとは思えぬのじゃが?」




「うっ。それを言われると言い返す言葉がないが……。なるべく血を流さずに、世界を平和にする方法は、それしかなかったんだ。ルクシュナも含め、俺の嫁になってもらったみんなには悪いと思ってるよ。政務とか色々あって、いつも目をかけるっていう訳にもいかないし。俺にできることといえば、こうしてたまに飯を一緒に食べることくらいで――」




 ジャンは食事の手を休め、心底申し訳なさそうに視線を伏せる。




 彼の言葉に偽りはないだろう。




 その気になれば、ジャンは政略結婚などという手段によらなくても、十分に権力基盤を盤石にすることができた。




 敵対する者を全て滅ぼし、力と恐怖でもって、意のままに振る舞える絶対王政を築くことも容易だったはずだ。




 それでも、敢えて面倒な手段の方を選んだのは、根本的に彼が人という生き物を愛しているからだろう。




 そのことが分かるからこそ、きっとジャンの嫁たちは彼を愛さずにいられない。




 もっとも、本人はそのことに気が付いていないのかもしれないけれど。




 唇の端にソースをつけながら、叱られた子どものようにうなだられるジャンがどうしようもなくかわいい。




 だから、ルクシュナは思わずを身を乗り出して、ジャンの口の端についた汚れをそっと舐め取った。




「――ルクシュナ?」




 驚き、目を見開くジャン。




「みなまで言わせるな。同意の上なら良いのであろう。まさか、逃げはするまいな?」




「……まいったな。俺の負けだよ」




 ルクシュナは頬が熱くなるのも気にせず言い放った一言に、ジャンは大げさに肩をすくめてみせる。




 それが、本当の意味での、二人の始まりだった。




                    *


 後宮の一室。




 ルクシュナは、窓から夜明け前の空を、ジャンに買って貰った天体望遠鏡で眺める。




 戯れに星を指でつないでみれば、浮かぶ星座は彼の笑顔ばかり。




(ふっ。こうして、めでたくわらわも、夫殿に恋する1000人の乙女の内の一人に仲間入りという訳か)




 ジャンと婚礼の式を挙げたあの日、ルクシュナは思っていた。




『千人もの嫁を持つ男が、一人の女に永遠の愛を捧げることができるのか』




 今ならその答えを、自信を持って断言できる。




『英雄の一日の愛は、凡夫の一生分のそれに勝る』と。




(今日はこのくらいにしておくか)




 ルクシュナは、天体望遠鏡から顔を離す。




 ふと目に入ったのは、天体望遠鏡の鏡筒の表面に張ったプリクラとかいう紙。




 優雅に笑うジャンの隣に並んだ仏頂面の自分が、こちらを見つめていた。




「んんー! 今度はもう少し、笑顔で映ってやるとするかの!」




 ルクシュナはそうひとりごちて、大きく伸びをした。




 もうすぐ、夜が明ける。

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