三、暖炉に憩う
ぱちりぱちりと、火の踊る音がする。男は静かな洋室で目を覚ました。横には暖かな体温と穏やかな寝息が寄り添っている。男――老紳士は先程の光景を昔の夢だと理解した。ぼやけた左眼が、それを物語っている。片眼鏡をつけるとそれがマシになったように思えて、老紳士はほっと息を吐いた。
昔より温かくなった、けれどひんやりとした手で、穏やかな寝顔の青年に差し掛かった少年を撫でる。そのぬくもりに触れても、昔のように手が溶けるようなことはなかった。自分の成長に感動しつつ、老紳士は愛しい少年の額にひとつ、柔らかなくちづけを落とした。
少年の瞼が震え、光を湛えたような瞳が現れる。
「ん……おはよう、暮雪さん……」
「おはよう。お前は、いいこですね」
「んふふ、ありがとうございます……? 暮雪さんは今日もひんやりですね」
「嫌ですか?」
「ぜんぜん」
穏やかに、緩やかに暖炉の火が揺れる。まるで祖父と孫のような恋人たちは、温い部屋でそれぞれの幸せを堪能した。出会ってから、ふた月は経っただろうか。中庭の銀杏が、すっかり禿げている。その下で、居候の医者とその弟子が談笑してるのが見えた。
少年の髪に指を通しつつ、老紳士が問いかけた。
「もし、私が化物だとしたら、どうします?」
「化物、ですか?」
「ええ、たとえば――」
雪のような手が、暖炉を指差す。ぱちりと弾けた火に、指先がじわりと溶ける感覚を老紳士は味わった。それを誤魔化すようにそっと指を隠す。
「見つかったら、白い霞になってしまうような」
「小泉八雲の『雪女』? 暮雪さんは冬の物語がお好きなんですね」
「こら、からかわないでください。そんなところまで私に似なくてよろしい」
「あはは、ごめんなさい。ちょっとまねっこです。そうですね、見てみないとわからないと思いますけど……」
ぱちりぱちりと暖炉の火が踊る。雲の切れ間から差し込んだ光が窓から入り込み、少年の端正な顔を映し出す。太陽のような笑顔が、照った。
「どんな暮雪さんも好きだ」
「……え?」
「もしかして疑ってます? たしかに僕はそういう欲求も知識もとても薄いので夜のお相手とかできないのは申し訳ないですけどその分他で伝えて――」
「ちょ、一寸待って、待ちなさい!」
焦ったようにまくしたてる少年の口を、老紳士の手が押さえる。老紳士は、久々に自らの顔が熱くなるのを感じた。じわりと額になにかがにじむ。冷え切った体が溶けているのか照れによる汗なのかよくわからない中で、老紳士はとりあえず少年を抱きしめた。
「大丈夫、大丈夫です。疑ってなどいませんよ。ただちょっとびっくりしただけです。体の関係が全てではありませんし、安心なさい。ね?」
少年の背をぽんぽんと叩くと、老紳士の腕の中の少年がぶわりと顔を赤くした。自らの口走った言葉を思い出したようだった。おろおろと慌てる少年を、すっかり冷静になった老紳士が微笑ましく眺める。
「す、すみません! 僕、なんてことを……!」
「大丈夫大丈夫。お前は若者にしては無欲ですからね。それくらいでいいんですよ。ああ、もちろんお前が望むならお相手しますがね」
「暮雪さん!!」
ケラケラと笑いながらからかう老紳士に不満そうな少年が勢いよく抱きつく。抵抗せずにソファに倒れた老紳士に乗ってしまい、また顔を赤くした。
男はそんな愛しい存在を、冷やさないように、壊さないように、そっと腕の中に閉じ込めた。
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