第四章 雪烟る
一、囲炉裏火に凝る
音もなく雪が積もる。外に出ることもままならないほどの雪に埋もれかけたあばら家で、ひとりの男がそっと瞼を開いた。囲炉裏でちろちろとゆれる炎が、冷たい部屋を暖かく照らしている。それなのにも関わらず、男はそれによりつこうとはしなかった。ふと、男が囲炉裏に向かって手を伸ばすと、指先がじゅう、と音を立てる。少し水に戻った指先を振りながら、男は寝返りをうった。
囲炉裏の側に、女がいた。黒い髪の美しい、たおやかな女だ。女は囲炉裏火で温まりながら、暗がりで寝返りをうった男に微笑んだ。
「おまえさま、寒くはないのですか」
「暑いくらい」
「お夕飯はいかがします」
「不要です」
「御髪を結いましょうか」
「……はあ、結えないでしょう、お前じゃ」
微笑む女に堪忍した男が、けだるげに起き上がる。さらさらとした流氷のような色合いの濡れたような長い髪が、床に扇状に広かった。囲炉裏火にあたためられた髪が、少しずつ水になっていく。男はそれを回収して、長い髪を適当にひとまとめに結った。現れた雪のような首筋を見て、女が見惚れたように息を吐く。男はそれを無視して、女に自らの羽織をかけてからゆっくりと土間に降りた。
「お前の食材を買ってきます。火が消えたら好きに足しなさい」
「おまえさま。いつになったらわたくしを娶ってくださるの」
「お前を、人間を娶る気はありません。春になったら屋敷にお戻り」
「そんな」
「私が帰るまでここを開けてはなりませんよ」
「おまえさま! お待ちになって――」
冷え切った手が軋む戸を開くと、女の声が吹雪に掻き消された。外は極寒の吹雪。一面の雪景色。男は着流しのまま一歩踏み出すと、まるで寒さなど無いかのように、重さなどないかのように、雪の上をふわりと歩きだした。男は、雪そのものだった。
あばら家の外は奥深い雪山だ。男がこんな僻地にいるのには理由があった。木々の間に、ふと人影がちらつく。とっさに木の太枝に飛び乗った男の下で、ふたりの武者が雪に埋もれながら合流した。武者たちの上から雪のような髪が絹のように垂れるが、雪のこびりついた柳の細枝だろうと言って武者たちは気にしなかった。
「どうだ。姫君の痕跡は?」
「見つからん。白髪の美しい男の痕跡すらない」
「男、美しい男なぁ。どうせ姫君が魔性に魅入られたかなにかだろう。こんな雪山にふたりして逃げ込む時点で正気ではなかろうよ」
「然り。都からもかなり遠い。化物には変わりないか――」
武者たちが、男のいる木の下から去っていく。男は武者たちが見えなくなると、再び麓へと急いだ。
麓の村の近くの小屋で、男は墨汁を使って白い髪を黒く染めた。そして蓑と笠、かんじきを纏って村に出た。男にとっては非常に暑いが、それを着ていないといささか不自然だからだった。
男は暑さに耐え、女の分の食料を買った。時折いかめしい武者とすれ違ったが、その度村人と世間話をしてどうにか誤魔化した。武者たちはすぐに誤魔化されてくれた。買った品と黒くした髪を見せればすぐに疑いを解いたし、冷え切った手で指先を握れば心配してくれた。
吹雪は徐々に穏やかになっていく。時折現れる太陽を忌わしそうに見る男を、ひとりの若武者がじっと見つめていた。
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