第308話 あまりに色濃く

 フェアトは、すでに後悔していた。


 その場所に足を踏み入れてしまった事を。


 プロヴォ族の話を聞いてしまった事を。


 ……そして、何よりも。


「何だこれ……」


「……っ」


 この場に、姉を連れて来てしまった事を。


 そこは、まるで娼館のような場所だった。


 嗅覚を悪い意味で刺激する饐えに饐えた色香。


 薄暗い部屋を妖しく照らす奇妙な色彩の【光球スフィア】。


 いつの物かも分からぬ不衛生極まりない空っぽの酒樽。


 そして何より、あちらこちらに一糸纏わぬ産まれたままの姿で転がりつつも火照った顔や身体を隠そうともしない女性たちと。


 部屋の一番奥へこれ見よがしに設置された、まるで玉座のような椅子に脚を組んだまま腰掛ける〝奴〟が目を引く。


「まさかテメェがこんなとこに来るとはなぁ? セリシア」


「……望んで足を運んだと思うか? オブテイン」


「はッ、ンな訳ねぇか」


 ……人間だと、思っていたのだが。


「まさか【鬼種】になってる個体も居るとは……」


「ん? 何だ小娘、オレに興味があンのか?」


 フェアトの言葉通り、そこに女たちを侍らせながら我が物顔で鎮座している巨体の男の額の辺りからは一対の角が生えており、口から凶悪な牙が生えている事も相まって、もはや疑いようもなく。


 人間でなければ獣人でも霊人でもなく──【鬼種】。


 人型でこそあれど、獣人から五感の鋭さを除いた代わりに圧倒的な身体能力を持ち、霊人のような膨大な魔力を持たずとも人間同様に高い知能と技術を併せ持つ高位種族。


 その【鬼種】の名は──〝色瞠鬼いろどうき〟。


 同種間だけでなく他種間、特に人間や獣人、霊人などと子を成す事ができるのが【鬼種】の特徴ではあるが、その中でも色瞠鬼いろどうきは〝楔眼くさびまなこ〟と呼ばれる三つ目の瞳で強制的に異性を魅了し、そして──。


「……えぇ、まぁ。 何しろ──」


 もちろん聡明なフェアトは、そんな色瞠鬼いろどうきの存在や性質くらいは知っていた為、興味があるのは目の前の【鬼種】うんぬんというより。


「──並び立つ者たちシークエンスの討伐が、私たちの目的ですから」


「……あァ?」


 色瞠鬼いろどうきとして転生を果たした選ばれし二十六代の魔族の一角についてだと、この色欲に塗れた部屋とは似つかわしくないにもほどがある真剣味を帯びた表情で語った少女に、ようやくオブテインは眉を顰め。


「どういうつもりだセリシア、テメェの差し金か?」


「違う。 この二人は──」


 そんな少女の少し後ろに立つ真紅の外套を羽織った女も己と同じく並び立つ者たちシークエンスだという事を、まさか分かっていない筈もないと考えたオブテインからのドスが利いた声音での問いに、『かの勇者と聖女の娘たちだ』とセリシアが答えようとしたのも束の間。


「知らなくていいぜ、お前はここで死ぬんだからな」


「はッ?」


「っ!? 姉さ──」


「【迫撃モーター──」


 そこかしこに転がる女たちを軽々としたステップで避けつつも、オブテインに反応さえ許さないほどの神速で接近していたスタークが右の拳を握り締めながら基礎中の基礎たる必殺技で引導を渡してやろうとした──……まさに、その瞬間だった。


「──……の、ッあ? なん、だ……ッ」


「姉さん!? 大丈夫ですか!?」


 ガクン、と比喩でも誇張表現でも何でもなく膝から崩れ落ちて四つん這いのような姿勢で倒れてしまった姉に、いつものダメージの受け方による倒れ方ではないと瞬時に悟ったフェアトが駆け寄る中。


「いきなり殴りかかってくるたァ躾がなってねぇなぁ? 何を於いてもまずは〝前戯〟だろうがよ。 これだから餓鬼は」


「んだ、と……ッ」


 戦いの話をしているのか、それとも何か別の話をしているのかは定かでないが、とにかく〝前準備が重要だ〟と言いたいのだろう事くらいはスタークにも理解でき、厄介事を速やかに処理しようとして何が悪いと反論しようにも、やはり力が入らない。


 視界や脳が、ぐらぐらと揺れているような感じに。


(姉さんの足元の文字……読めないけど多分──)


 一方、二人の会話を聞きながらも姉の不調の原因を視線だけで探っていたフェアトは、その数秒後に姉がオブテインへ接近する為に踏み締めていた床のところどころに刻まれている文字のような何かに注視し、フェアトでさえ見た事のないものではあるが、まず間違いなくそれこそが原因であると看破すると同時に。


「姉さんを、んですね」


「な、に……?」

 

「……へぇ」


 ぐらつく瞳、赤らんだ顔、飲酒したわけでもないのに酒臭い息といった要素が揃い踏んでいた事で、おそらく〝酩酊〟か〝泥酔〟辺りの文字なのだろうと更に看破して、『それが貴方の称号の力ですね』と暗に告げたところ、オブテインは困惑や驚愕よりも先に愉悦の感情をありありと分からせる笑みを浮かべ。


「好い、好いなァテメェ。 名前は?」


「……フェアトですが」


「そうか、フェアト。 さっそくだが──」


 もはやスタークなど眼中にもないといった具合に立ち上がるとともに、上から目線で指を差しつつ名を問うてきたオブテインに、これといって教えてやらない理由もなかった為、素直に名乗ってみせたフェアトに対し、オブテインはググッと全身に力を入れながら。


「ヤろうぜ、このオレと!!」


「嫌です、生理的に無理です」


「何ィ!?」


 自身が着ていた派手な上着を筋肉の膨張だけで吹き飛ばしたうえで、そこらの女たちとシていたのだろう行為をフェアトともと誘ったが、すぐさま断られた事に割と本気でショックを受けるオブテインなのだった。

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