第121話 甘い香りの正体

 この世界には【キュア】と呼ばれる毒や病を治す用途で行使される回復魔法がある為、基本的には麻酔や鎮静といった目的で薬品が用いられるケースは殆どない。


 しかし魔法を使う知的生物の全てが【キュア】を習得しているわけではないし、また誰しもが回復魔法の行使に長けた水や光に適性があるわけでもなく、それゆえに医療目的で『麻薬』が使用される事は多々あった。



 その事もあって、どの国にも麻薬自体は存在する。



 は、それぞれで大きく異なるようだが──。



 そんな中、『麻薬』という言葉は母親から習っていた為に、そこに関しては大して驚いてはおらずとも。


「──……ま、麻薬って……どういう事ですか?」


 姉の口から興味を持たなそうな言葉が出てきた事も含めて、フェアトは眉を顰めつつ疑問の声を上げる。



 すると、スタークは『実はよ』と前置きしてから。



「諸島に降りる前から、どっかで嗅いだ事ある甘ったるい匂いがすると思っててな。 その匂いがどこからすんのかってのと、どこで嗅いだかってのを考えてた」


 竜覧船と化したパイクに乗って諸島上空を飛行していた時から、およそ一般的な人間のそれを遥かに上回る嗅覚を持つ彼女の鼻腔を甘美な香りが擽っていた事実を明かすとともに、その香りの発生源や、いつどこで嗅いだかという事を振り返っていたのだと語った。



 やはり、どこか早口で。



 その一方で、フェアトは『じゃあ、そう思った時に言えばいいのに』と戦い以外での姉の融通の利かなさに呆れ返り物も言えないといった具合だったが──。


「……それが、さっきのジュースって事ですね?」


 そこを突っ込んでしまうと売り言葉に買い言葉となるのは目に見えていた為、深く掘り下げる事を避けて姉が辿り着いたのだろう結論を先読みせんとするも。


 当のスタークは首を横に振ってから、その首にかけられていた花輪レイを雑な手つきで外しながら、もう片方の手で妹の首にもかけられていたそれを掴んで──。


「──ジュースそれだけじゃねぇ。 もだ」


「え……?」


 もちろんジュースはそうなのだが、この花輪レイさえ自分にとっては危険な代物なのだと明かし、それを聞いたフェアトは要領を得ず首をかしげてしまっていた。


 何せ、ジュースと違って花輪レイの方は拒まなかったのだから、これに危険性は特にないと踏んでいたのだ。


 よく分かってなさそうな妹に対し、スタークは『はーっ』と何故か深めに息を吸ってから溜息をこぼし。


「……お前、嗅いだか? これ」


「嗅ぐって……匂いですか?」


 妹の首にかけられたままの花輪レイを指して、そこから香る匂いを嗅いだかどうかを尋ねてきた事により、フェアトが再確認するべく尋ね返すと姉は無言で首肯。



 ──いいから嗅げ。



 そう言われた気がした為、嗅いでみる事にする。



 くんくん──と至って一般的な嗅覚を持って嗅いでみると、その花輪レイからは甘美で耽美な香りが漂って。



 姉とは違って聡明な彼女は、すぐに事態を察した。



「……! これ、さっきのジュースと──」


「そういうこった」


 つい先程、口から喉を通り鼻を抜けたジュースの甘い香りと、たった今この花輪レイから『ふわり』と漂ってきた甘い香りが全く同じものであると気づき、それをいち早く察していたスタークは真顔で首を縦に振る。


 それから、スタークは『この甘い香りをいつどこで嗅いだのか』という事についてを簡潔に語り始めた。



 およそ五年前、彼女がまだ十歳だった時の話。



 双子の母親であり聖女でもあったレイティアは、スタークが魔法だけでなく自然か人工かを問わず毒や病にも異常なほど弱いと知り、それを克服させようと。


 ……したのだが、どうやってもスタークが毒や病への免疫を獲得する事はなく、ならば病はともかく毒だけでも未然に防げるように視覚や嗅覚による判別の方法を教えておこうと決めて、その為の訓練を始めた。


 最初は皮膚に少し影響が出る程度の軽いものパッチテストから始めたものの、その時点でスタークにとっては充分すぎるほどであった為、触覚の訓練はできなかったのだ。


 その後も冒されては治し、そして時には死まで経験したスタークの記憶には、さほど興味がない事だというのに何故だか妙にハッキリと残ってしまっていた。


 『遅効性で依存性が極めて高い』と説明された変に甘ったるい香りを放つ──その危険な麻薬の存在を。


「──……なる、ほど」


 そんな姉の回想からの解説を聞き終わったフェアトは、おそらく自分には毒も病も効かないから訓練が施されなかったのだろう事や、そんな訓練があったという話自体が初耳だった事を含めて妙に納得していた。


 その一方、短めに語り終えたと同時に自分と妹が首にかけていた二つの花輪をパイクの方に投げたスタークが『燃やしとけ』と命じた事により、【火砲カノン】を小規模で行使して灰も残さず燃やし尽くしていた中で。


「……ジュースあれに混ぜられてたヤクか何かを、あの花にも染み込ませたりしてんじゃねぇの? 知らねぇけど」


「……かも、しれませんね」


 【火砲カノン】の余波を受けたのか『熱っ!』と過剰に反応しながらも、スタークが即座に冷静さを取り戻してから花輪レイとジュースが同じような甘美な香りを漂わせていた理由について自分なりに考察する一方で──。



 フェアトは、もう一つの疑問をも解消していた。



(……そっか、だから早口だったんだ)


 思い返してみれば女性との会話の時から──もう少し正確に言うなら花輪レイをかけられた時から姉は香りを取り込まないように息を止めていたのだろうと察し。


(……危機管理能力は、やっぱり姉さんの方が上かな)


 自分が絶対に傷つかないという事も相まって、どうにも降りかかる身の危険に対しての危機感のなさを実感するとともに、それに伴う姉の危機管理能力の高さを若干だが羨ましく思うのも──また事実であった。


「……ただ、これが人間の仕業なのか並び立つ者たちシークエンスの仕業なのかは分かんねぇな。 お前はどう思うよ?」


 そんな事を妹が考えているなど知る由もなく、この甘い香りを放つ麻薬か何かを仕込んでいるのが人間なのか、それとも並び立つ者たちシークエンスなのかまでは見当もつかないという事に関してスタークが意見を求めると。


「……並び立つ者たちシークエンス、だと思いたいですね。 このメモにもありますけど、【破顔一笑ラフメイカー】は対象の感情の起伏に関係なく笑顔を伝播させる力があるそうですし」


 フェアトは、『並び立つ者たちシークエンスの仕業だと思う』ではなく、『並び立つ者たちシークエンスの仕業であってほしい』という希望的観測を口にしつつ、メモに記されていた序列十八位の魔族であるリャノンが授かっていたらしい称号、【破顔一笑ラフメイカー】の能力について簡単に説明する。


 序列が下位であっても戦闘力が低いとは限らないというのは、すでに序列二十位トレヴォンの存在が証明してはいるのだが、それを踏まえても【破顔一笑ラフメイカー】は戦闘向きの力を授ける称号ではなかったとメモに記されており。


 リャノンと名づけられた魔族の魔力が届く範囲にいる生物に作用し、それらが抱く喜怒哀楽に拘らず強制的に感情を『喜』か『楽』に変えさせて、その表情を笑顔に固定させつつ行動の自由をも封じるという力。


 日常においても面倒ではあるが、こと戦いにおいては強制的な笑顔と感情で集中を乱す、かの魔王軍においても珍しい完全な支援向きの魔族であったらしい。



 もう一体の、サラという並び立つ者たちシークエンスとともに。



「……ほーん」


 その一方、正直に言うと称号それについては大して興味がなかったスタークは頭の後ろに両腕を回しつつ、およそ自分から話を振ったとは思えない態度を見せる。


 とはいえ、そんな反応は日常茶飯事であったからかフェアトは特に顔を顰める事はなかったが、それとは別件で表情を僅かに曇らせながら彼女は口を開いて。


「……というより、これらを人間が主体になってやってるとは思いたくない、っていうのが本音では──」


 あるんですけど──と先程の希望的観測を込めた発言をした理由を、あのような所業を自分と同じ人間がしているとは考えたくもないという、かつて港町での処刑劇を見ていた時と同じ冷めた瞳を浮かべていた。



 ──その瞬間。



『──……いやぁあああああ!!』


「「『『!!』』」」



 絹を裂くような甲高い悲鳴が、スタークや二体の神晶竜だけでなく一般的な聴力しか持ち合わせていないフェアトの耳にも届き、ほぼ同時にそちらを向いた。

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