ACT13 白亜のお屋敷【佐井 浅香】

 ……帰ろうかしら?


 そう思わずには居られなかったわ。

 だって、見てよこれ! 真っ白なお屋敷に? 白いバラの咲く広~い庭園!?

 白金台ってだけでもステイタスなのに。ほらあの彫刻、ヨーロッパの洋館みたい! なにあれ! 白いBMWが3台も並んでる!!


 一方のあたし。

 一応は一番上等なお洋服に着替えて来たわよ? でもデニムの膝は擦り切れてるし、白衣の袖口のボタンはひとつ取れちゃってる。

 はあ……

 ため息が出ちゃう。あたしなんかがこんな所に来れるはずが無いじゃない。


 そしたらね? 地面がパっとオレンジに染まったの。木立やお屋敷の壁が見る間に赤く染まっていく。黄からオレンジ、目も覚めるような緋色。そして黒ずんだ赤い色へと。それはまるでどす黒い血そのもの。

 そう。ここに住むのは人間ひとじゃない。ヴァンパイア(かも知れない人)なのよ?

 諦めないで。佐伯は駄目だったけど、ここならあたしの望み・・が叶うかもなんだから!


 ちらほら白いお花がくっついた薔薇の枝。その蔓が絡まり付く鉄扉。

 棘の葉っぱに隠れるようにして張り付いてるインターホン。

 あたし、もう一度深く真呼吸してから、人差し指を伸ばしたわ。

 すぐに『どなた様ですか?』って女の人の声が返ってきた。


「あ! あのう……佐井って言います! こちらに来るように言われて、その……」


 はあ。こういうの、あんまり慣れてないのよね。

『少々お待ちくださいませ』って声がして、落ち込む間もないままびっくりして飛び退いた。

 鉄扉が勝手にくじゃない!

 金が擦れるギィギィ音。

 幅の広い石畳があたしの前に現れて、視線の行き着いた玄関前の階段を誰かがゆっくり降りて来る。この家のご主人……じゃないわね。どう見ても男性だもの。

 じゃあ誰? あのかっこ、執事さん? バトラー?

 はー、やっぱ世界が違うわあ。


「佐井先生、お待ちしておりました」


 静かなバリトンであたしの耳をくすぐった執事さんは、そっちの世界から抜け出して来ました的なお洋服。

 あたし、その人を上から下までマジマジ見ずには居られなかった。


「どこかでお会いした?」


 ち、違うわよ! 人違いにかこつけて逆ナンとか、そんなんじゃないから! ほんとにそう思ったんだから!

 白いものが混じった髪の生え際とか、おでこにハラリとかかる前髪とか。

 ううん、背格好もそうだけど、なんかこう……全体の雰囲気が?

 執事さんは眉じりをちょっと下げた、いわゆる「困った顔」をして。


「東京は狭いですから、どこかでお会いしてるかもしれませんね」


 なんて型通りのかわなんか披露して。

 ついうっとりしちゃた。素敵な人は受け流し方まで素敵なのねぇって。

 そう、全部素敵。ピッと伸ばした背、ピタリとくっつけた靴の踵。錆の効いた低い声。やだ、その声だけで頭も身体もとろけちゃう!

 その素敵すぎる執事さんは、真っ白な手袋はめた右手でお屋敷の方を差して。


「どうぞ。主人の待つ広間へとご案内いたします」


 そうだったわ! 浮かれてる場合じゃなかった! 

 主治医になり、水原桜子がヴァンパイアかどうか確認する。それがあたしの目的なんだから!

 そして……今度こそしてもらう・・・・・

 うまいこと取り入って、今度こそヴァンパイアにしてもらうの!


 水原桜子。

 ここの女主人。

 可愛い系の綺麗な人って事は知ってる。笑顔がとってもチャーミングで、男性のファンもすごく多くて。でもそれは表の顔よね?

 こんな立派なお屋敷に住んでいて、こんな素敵な執事まで居て。

……やだ、気位とかすっごく高そう。音楽家だし、ヒステリックで厳しそう。

 怖い人かしら。噂の伯爵みたいに、悪逆の限りを尽くしてるような人かしら。夜な夜な美男美女を侍らせて、いけない事をしたり虐待したり血を吸ったり。使用人もとっくに彼女のお手つきで……

 あ。だとしたらこの執事さんも?


「あの……執事しつじさん?」


 何も言わず、立ち止まって振り向いた執事さん。男らしい眉をギュッと寄せたりして。いきなり話しかけられたのが意外だったのかしら。


「柏木とお呼びください。このいえのスチュワード、つまり家令かれいを務めております」

家令スチュワード? 執事バトラーとは違うの?」

「本来の意味では異なる職務ですが……いいでしょう。執事と捉えて下さっても宜しゅう御座います」

「そうなの? じゃあお言葉に甘えて。執事バトラーの柏木さん」

「なんでしょうか」

「あなた、十字架はお好き?」


 ザァ! と赤く染まった空が騒いだ気がした。木立にしがみついてた葉っぱが落ちて、あたしと彼との間にハラハラと降り注ぐ。

 眼に動揺の色を浮かべてあたしを見下ろす柏木さん。いきなり何をと思ったわね?

 ……そうよね。ヴァンパイアなら十字架は苦手な筈よね~なんて、ジャブのつもりで聞いたんだけど、良く考えたら変な質問よね。

 でも彼、目を細めてフッと笑って。


「好きか嫌いかと尋ねられたら、好きとお答えするしか無いでしょうね」


 なんて言いながら内ポケットから鎖を取り出したの。黒くて小さな丸い玉が繋がった数珠のような鎖。トップには綺麗な細工の銀の十字架がついてる。


「それは? ペンダント?」

「ロザリオです。教会において、しゅに祈りを捧げる際に使用する道具です」

「祈りって? 柏木さん、神父さんか何かなの?」

「今でこそ毎日の務めはありませんが、日曜はカトリックの教壇に立つ事も御座います」


 優しい笑みを浮かべながら、滑るような手つきで鎖を仕舞う柏木さんの、その横顔を夕陽が照らしてる。

 うそ、じゃないわよね。今のロザリオ、なんか凄く使い込まれた感があったもの。十字架に触る事が出来て、しかもカトリックの神父さんもしてて。そんな人がヴァンパイアである可能性は……限りなく少ないわね。



 サラサラと石畳を泳いでいくイチョウの葉。白衣に纏わりつくカエデの葉。

 そんな音に……ピアノの音が混じってる。

 聴いたことのある曲だった。曲の名前は知らないけど、でもドラマとか喫茶店で流れるような曲。小春日和のテラスで紅茶を飲む……そんな時に聴くような曲。弾いてる人はたぶんここの女主人。司令って人が人では無いと疑う人。


あたしは柏木さんの後に続いてドア前の階段に足をかけた。扉が開いて、その音が本格的にあたしの鼓膜に届いた時、トクンと鼓動が高鳴った。お屋敷の中は、外より更に凄かったから。


 ――なにこれすごい! 


 トクン、トクンと、急かすように鳴り出す鼓動。あたし、柏木さんの案内も待たずに、フラフラと中に入ったわ。勝手に動くの。身体が、足が勝手に。


「佐井さま!?」


 柏木さんが叫んでる。

 でもだめ! 止められない! あの音が呼んでるもの! 

 廊下も壁も、ぜんぶが白い大理石。高い天井にはもにその音に引かれて駆けていく足を止める事が出来なくて。すれ違う黒スカートのメイドさん達が、目を丸くしてこっちを見てる。

 でも遠慮なんかしてられない!

 開け放たれた扉の向こうに見えたお部屋はまるで雪と氷で作られた礼拝堂!

 透きとおるくらい白い床の上に、真っ白なピアノが置かれてて!


「わあ! 中もすごいのね!? きゃあーー! 白いピアノなんて初めて見たわ!」


 つい興奮して思った事を叫んじゃったあたし。

 そしたらピタッと音が止んだの。

 ピアノを弾いてた女性が手を止めたのね?


 音もなく立ち上がる女性。セミロングに揃えられた、緩いカーブを描くキャメルブラウンの髪。このお部屋よりも白い血の気の無い肌に、小さめの赤い唇。

 極めつけはまるで結婚式で着るような白いロングドレス。


「柏木! これは一体どういう事ですの?」


 透き通るような響きを持つその声は、あきらかに怒気をはらんでた。



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