ACT12 何者ですの!?【水原 桜子】

出ないわ。昨日から一度も出ない。 こんな事、今までただの一度もありませんでしたのに!


 わたくしはコール中断のボタンをタップしましたわ。発信履歴はかれこれ十数回。

 

「あの子ったら、どこをどうほっつき歩いているのかしら?」

「そのことで、お耳に入れたい事が御座います」


 往復していた足を止めましたわ。開け放したドアの横に長身の男が立ってましたの。黒のモーニングコートになめし皮の靴。グレーのベストと、同色のターンナップ・トラウザーズ。


柏木かしわぎさん。見事なコスチューム・プレイですわ。イギリスのお屋敷でも十分やっていけましてよ?」


 わざとヒールの音を立てて一歩。また一歩。彼は反対に一歩退きましたわ。白手袋をつけた拳が少し強めに握られて、上着の裾がゆらりと揺らぎましたわ。俯き加減に頭を下げて。上から見下ろすのは無礼とお思いなのかしら?


「コスプレなどでは御座いません。わたくしはお嬢様にお仕えする家令スチュワード。故に柏木とお呼びすてを。」


 さらに深く上体を曲げ、そのままピタリと静止する男。洗練された動きね。本当に。どこまでもそつ《・・》のない人。


「そうでしたわね。それで?」

「秋子様の行方が判明いたしました」

「まあ、いったい何処に居ましたの?」

「ヴァンパイア・ハンター協会です」

「協会に? まだどうして?」

「昨晩に佐伯に噛まれたため、収容されたとの事です」

「な! なんですって!?」


 あまりの事に開いた口が塞がりませんでしたわ!

 秋子はわたくしの唯一の肉親、双子の妹。不要の外出をせず、飾り気も男っ気もない。そんな妹に半ば強制的に派手なスーツを着せ、お友達と一緒に送り出してやったのはこのわたくし。少しは夜の街でも散策して、男友達の1人や2人、作ったらいかがと。それを?

 佐伯! 貴方はあの子を見てわたくしの妹だと気付きませんでしたの!? お母さまとお父様以外、誰にも見分けられないほど瓜二つでしたのに!


「何してますの!? 佐伯をここに据えなさい! 折檻しおきが必要ですわ!」

「それには及びません。すでに始末いたしました」


 ぎょっと。そうですわ、このわたくしがぎょっとしたのです。同族の始末など、決して簡単なことではありませんもの。幹部のわたくしですら不可能な所業、それをこの男は、何食わぬ顔をして実行したと言うんですの?


「貴方の事ですから、独断ではないですわね?」

「ご察しの通り、伯爵様の命を受けまして御座います」

「そう。ご苦労だったわね。顔をお上げなさい?」


 気に入らないわ。ようやく上体を起こした柏木の眼には静かな光が宿るだけ。この男にとっては他愛もない事なのですわ。伯爵のめいとは言え、同胞なかまを葬るのに何の躊躇いも憐憫もない。


「佐伯の血はどうでしたの? 同族となれば、さぞかし脳髄をとろけさす美味であったでしょう?」

「いえ、口にしてはおりません」

「折角の機会ですのに、吸いませんでしたの?」

「はい。古き戒律に従っております」


 理解に苦しみますわ。同族同士の吸血など娯楽のうちですのよ?

たしかに以前は……愛する者同士にのみ許される行為とされていたようですけれど。


「なら聞きますわ。もしわたくしがその喉を差し出せと命じたらどうしますの?」

「そのような戯れを、伯爵様が御赦しになるとは思えません」

「まさか! そのような些事、あの方は気にも留めませんわ! お忙しい方ですもの!」

「わたくしには裏切りに等しい行為かと」

「随分とお堅いのね」

「ご容赦を。心に決める方のみにと決めております」


 なるほど、そういう事ですのね? 好きな女に操を立てていると、初めからそう言えばいいのですわ! 戯れではない真実の愛。でも柏木。それこそがあの方への裏切りではなくて?


「秋子様はいかがいたしましょう」

「サーヴァントになってしまえばそれはもう秋子ではありません。好きになさい」


 柏木がまた一つ頭を下げ、そんな時にインターホンのチャイムが鳴りましたの。メイドが応対する声がして、すぐに柏木が玄関口へと出ていきましたわ。一体どなたかしら。


「お嬢様。佐井という女性医師がお見えです。お通しして宜しいでしょうか」

「ああ、あの代わりの方ね? いいわ、今すぐ客間にお連れして」


 返事の代わりに軽く会釈をした柏木。

 ハッとしましたわ。その眼がいつもの彼と違っていたのです。冷静さを欠いた色。欲情の色。そう、オレンジ色の灯火がやんわりと灯ったのですわ。

 もしかして……そうなんですの? もしかしてその方が、佐井という女が貴方の想い人ですの?


 わたくしは可能な限りの速度で彼の腕を取りましたわ。彼の逞しい腕を強く掴みましたの。


「お嬢様?」

「手をつけては駄目。主治医と言えど、使用人。使用人はわたくしの物。よろしくて?」

「心得ております。ご安心を」


 サラリと流れるようにわたくしから離れ、エントランスへと向かう。その背中に言ってやりました。


執事スチュワードのネクタイは地味ですわ。ドレッシーなアスコットタイになさいな。お似合いですわよ?」


 ピクリとその肩が震え、しかし肯う事なくその黒い姿は階段下へと消えていきます。


 柏木かしわぎ宗一郎そういちろう

 わたくしと同じく、伯爵その方から直々に血を分けられた男。3幹部の中でも戦闘力は群を抜く。伯爵様ご当人をも凌ぐとか。

 面白い。本当は誰よりも強く灯る火を胸の内に抱える男。

 そちらがそのつもりなら……わたくしも遠慮は致しませんわ。



 広く、天井の高い大広間。その奥まった場に佇む白いグランドピアノ。

 そっとその蓋を開け、指を置く。腰かけた背を前方にやや傾けて。


 鳴り響く音。叩かれた弦が細かく震え、幾重にも重なって消えていく。

 曲は悲愴、第2楽章。

 主治医せんせいをお迎えするならば、相応の音を用意しなくては。

 ええ、誰しもが魂を抜かれ、この音なしでは息をする事すら困難となってしまう。そんな音。


 横合いから人の足音。ヒラリと、裾の長い白衣を着た人影が眼に入る。

 柏木が連れて来た次なる獲物。さあ! 聴きなさい! わたくしの魅惑の音を!


「わあ! 中もすごいのね!? きゃあーー! 白いピアノなんて初めて見たわ!」


 ――え? この女は……いったい何者ですの!? 

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