ACT5 魔性の女【佐伯 裕也】

 ……なんて女だ。

 佐井朝香・・・・に接触しただけでもどんな咎めがあるか知れぬと言うのに、血を吸え・・・・だと?

 やはり、只より高い物はないのだ。金で済むならそれで済ませるべきなのだ。


「あたしの血なんか願い下げってわけ? 言っときますけど、あたしの言い値は高いわよ?」

「構わない。金ならそれなりに持っている」

「言ってくれるじゃない」


 嘘ではない。金はある。俺はこう見えても投資家だ。先日当てて、千万単位の金が動いている。いくらだ? 保険適用外で5倍、その10倍だとしても100万か、200万か。

 彼女は指を3本立てた。


「300万か」

「いーえ。3億よ」

「……は?」

「弾丸1つで1億円。合計3つで3億円」

「…………億、だと?」

「さあ! キャッシュで3億。耳を揃えて払ってもらおうじゃない」


 端正かつ勝気な眼が俺を見上げている。


「君はブラックジャックか? いつもそんなべらぼうな金額を請求しているのか?」

「まさか。相手によるわ」


 恐ろしい女だ。相手にもよる。つまり相手次第では億の金を取るのだ。


「どう? 払えるの? 払えないの?」

「流石にそれは払えない」

「なら決まったわね」


 勝ち誇った口元がフフンと笑う。細い腕がこの首に回される。預けられた体重が、俺に膝をつかせた。倒れ込み、床に彼女を押しつける体勢となる。

 視界が金に染まっている。闇を見通すヴァンパイアの眼。それを真正面で受け止め、ほくそ笑む女。


「待て。ヴァンパイアは君が思うほどいいもんじゃない。血に飢えた化け物。歩む道は永劫の闇。そんなものになりたいのか」

「そっちこそ、どうしてそんなに躊躇ためらうの?」


 そう言うと彼女はぐっと襟元をはだけさせた。奥まで透けて見えるほどに白い喉首。

 咄嗟にきつく眼を閉じた。金の眼が朱に染まる前に。


「貴方もVPの一員なら知ってるでしょ? 人間の会員が何を望んでいるかって事」


 香水をつけない、の女の体臭が鼻孔を刺激する。見る間に口内を満たす生唾。意に反し疼き始める乱杭歯を強く噛みしめる。


「……解るわ。欲しい・・・んでしょ?」


 甘く囁く女の声を遠くに聞く。血が熱い。まるでマグマだ。溶けたマグマが全身を駆け、暴れている。早く吸え、喰らい付けと。

 それを有らん限りの力で抑え込む。かつて、本能と理性がこれほどにせめぎ合った事などない。

 あべこべだ。我が術が通じぬばかりか、この理性を粉々に砕くかの恐るべき魅惑の力。

 ――くそっ! なぜ君があの佐井朝香・・・・なんだ! 君が只の女ならどんなに良かったか!



 ふと、目尻を伝った涙が頬を伝い、彼女の上にポタリと落ちた。


「……ごめんなさい」


 唐突に彼女が謝った。身体をどける衣擦れの音。俺はまだ眼を開くことが出来ず、床に手をついたまま。


「無理を頼んでごめんなさい。お代は、そうね……」


 訳が解らず目を開ける。視界は赤でも金でもない。身体の火照りはおさまっている。顔を上げれば、優し気な笑顔を浮かべしゃがみ込む彼女がいた。


「3万に負けとくわ。それなら今すぐ払えるでしょ?」

「急にどうした」

「だって、あんな風に泣かれたら流石にちょっと悪いかなって」


 すん、と彼女までもが鼻をすすり、しかし気を取り直したように立ち上がる。隅に置かれた机に向かう、その靴音がコツコツ響く。


「会員ナンバー501、歌舞伎町の闇医者『佐井朝香』に手を出すな」

「え? なに?」


 振り向いた彼女の眉が怪訝に顰められている。


「あの御方からのたっしがあったのさ。これを破る者、例外なく粛清の対象とすると」

「なによそれ。どういうこと?」


 口にすべき言葉じゃない。少なくとも、俺の口から言っていい言葉じゃない。


「俺が知るのはその文言もんごんだけだ。君は何も聞いてないのか?」

「知らないわ。あの御方って、VPのトップ――伯爵はくしゃくって呼ばれてる人のことよね?」


 黙って金を渡して出ていく事だって出来た。それをわざわざ――


「あたしは確かに会員だけど、ヴァンパイアじゃない。伯爵が誰かなんて、知らされてなんかいない。そんなあたしに、伯爵がどうして?」

「伯爵だ」

「え?」

「君もメンバーの1人なら伯爵様と。或いは敬意を籠め、『あの御方』と、そう呼ぶべきだ」


 複雑な表情を浮かべ、彼女は椅子に腰かけた。ちょうどその時、回っていた洗濯機が、ブルッと揺れて動きを止めた。机上に置かれた時計の秒針が、カチカチと規則正しい時間ときを刻んでいる。


「これは俺の勝手な推測だが、君はあの御方の花嫁候補にあがったのかも知れない。だから手出し無用と釘を刺した」

「あは……まさか」

「だから、あくまで俺の勝手な――」


 音がした。

 それが2発の銃声だと気付いたのは、彼女がゆっくりと上体を傾かせ、床に倒れ込んだ時だった。

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