第9話 初めての距離
ファッションショーは終わり、今泉は風呂に入る。
ゆっくりのんびり仕事の疲れを癒し風呂から出ると、ジンはまだその服を着ていた。
今泉の火照った体からは湯気が見えるほど寒くなる季節に入ってきた。
今泉と同じ時間だろうか、ジンも体を火照らせながら風呂から上がる。
部屋に帰ってきたジンの姿を見て、今泉は違和感に気がついた。
「なんでまだそれ着てるの?」
「せっかくの俺様の服なんだ、着ないともったいないだろ」
どうにもジンは自分の服が手に入った事が気に入ったらしく、風呂に入った後でも着るのをやめないようだ。
「それ着て寝るの?」
「そうだ」
「シワになっちゃうよ?」
「んー……それでもいい!」
ゲームを買ってもらった子供のように、頑なに服を脱ぐ事をやめないジンはそのまま布団へと潜り込む、
見かねた今泉はまたもジンに意地悪を仕掛ける。
「ジンは知らないと思うけど、シワシワの服を着て外に出たら捕まっちゃうんだよー?」
「な、なに……?」
「俺は捕まったことないからわかんないけど、噂じゃ三日はご飯が食べられないんだって」
「三日もか!?」
「でもジンがそこまで着たいって言うならしょうがないよねー」
今泉の適当な嘘がジンにはよく効く。
あまりにも悲惨な状況を想像したジンは叫びながら布団を飛び出し、服を脱いでその場で綺麗に畳んだ。
「こ、これで大丈夫かご主人様?」
「多分大丈夫じゃないかなー」
「良かった……」
するとここで今泉もベッドから飛び出し、ジンが畳んだ服の元へと向かう。
不思議そうに見ているジンを横目に、今泉は買ってあげたTシャツを手に取った。
そしてジンに対し、ニヤリと不適な笑みを浮かべる。
「ご主人様……?」
次の瞬間、今泉は手に取っとTシャツをクシャクシャと丸めだしたのだ。
「ちょっと!ご主人様!!」
「あー、これじゃ外に出られないね」
「ひどい……ひどいよ……」
あまりのショックに呆然としているジンに、今泉はいつも通りの笑顔でネタばらしをする。
「ごめんね、ウソだよウソ」
「ウソ……?」
「そう、別にシワシワな服着てても捕まらないよ」
「そうなのか……?」
「また騙されたー」
「ま、まあ分かっていたがな、あえて騙されてやったんだ」
「その割にはすごい怯えてるように見えたけど……?」
「うるさいうるさいうるさーい!」
一日に二回も騙されてしまってはジンもこのままではいられない。
ヘラヘラ笑っている今泉の事を布団へと押し倒す。
「おらぁ! ひどいぞご主人様は!」
「ごめんって、そんな叩かないでくれー」
今泉に馬乗りになる形でジンはポコスカと殴る。
受ける今泉は申し訳ない気持ちではあったが、同時にジンがそれほど怒っていないと感じた。
この時、実際に殴っていたのだがその力はマシュマロで叩かれているぐらいの強さなのだ。
そのため今泉もこの状況を笑いながら受け入れる事が出来た。
「はいはい、おわりー」
「ご主人様の降参だな!?」
「んー、降参だね」
「やったー! じゃあ今日は俺様がこっちで寝るぞ??」
仰向けになっていた今泉から離れたジンは、ベッドの上に飛び乗り勝利宣言をする。
「さすがに今日は意地悪しすぎたし、今日だけ許可する」
「わーい! 嬉しいー!!」
ここに来てから数日、ジンはずっと布団で寝ていた。
決して高いわけではないベッドなのだが、マットレスの弾力を存分に楽しんでいる。
「ちょっと食器洗ってくる」
「はーい」
そろそろ夜も遅くなってきたので、今泉は洗い物を済ませるためキッチンへと向かう。
お湯を出し、食器を洗っていく。節約しているガス代もこの時ばかりは緩くなる。
翌日への持ち越しもなく綺麗に洗い終わった今泉は、再び部屋へと戻る。
「終わったよー……」
今泉が話をしようと声をかけながら部屋に入ったが、ジンはベッドの上でスヤスヤと寝息を立てていた。
きちんと布団をかけてやり、枕元に置いていた自分のスマホを回収しようとする。
あまり音を立てないようにと、ゆっくりと普段使わない筋肉をふんだんに使い手を伸ばす。
しかし、物事は残酷で伸ばした手のバランスで今泉は体勢を崩してしまう。
スヤスヤと寝ているジンの体にぶつからないようにと咄嗟に倒れ込んだのだが、その顔は非常に近かった。
二人の顔は恋人でもない限りあり得ない距離を保っている。
今泉はジンの顔を初めてマジマジと見つめる。
見れば見るほど、吸い込まれていきそうなそんな錯覚に落ちいく今泉の顔は、何故だかドンドン近づいていく。
近づくにつれて、心拍数もドクドクと上がっていく。
今泉の頭の中では大きな葛藤が生まれていた。
彼は男だ、好きになるわけはないと。
だが、今溢れ出る気持ちはなんだろうと……
その葛藤もほんの一瞬。
今泉はジンの唇に軽くキスをした。
部屋中に響く心音は次第に速さを増し、今泉の眠りを妨げたのだった……
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