第5話
社長は机から紙とペンを取り出し、ペンを持つと、まるで腕から先が勝手に動くように、なにか書き出しはじめた。
ナゼハナシタ
その文字を見て、社長は誰かに話すように独り言を話す。
「私が不慮の事態におちいった時のために、予備知識として話した」
ペンがまた動く。
ソノヒツヨウハナイ
「何故? 」
ワタシガオマエヲマモルカラダ
「護るね」
ナニモヨケイナコトヲスルナ イワレタコトダケヲスレバヨイ
書き終えるとペンを持った手は、だらりとなった。離れたかと社長は思う。だがおそらくどこかで聞いているのだろう。
ふうとため息をついて、はじめて出会った時を回想する。
先代があの日、私をあの洞穴に連れていった。
正直怖かったのだが、余命幾ばくもない先代の願いに応えるため、一緒に入った。初めて入った洞穴は意外に短く、すぐに行き止まりに着く。先代は壁に触り、私にも触るようにうながした。
躊躇いながら触ると、まるで強力な磁石同士がくっつくように、掌が吸い付き離れなくなった。私は慌てたが、先代が落ち着くようにと言った。
手が離れない以外危害がないとわかると、少し落ち着いた。それと同時に頭のなかに響いてくる音、いや、言葉がきこえてきた。
音と間違えたのは日本語ではなく、また知っている範囲の言語でもなかったからだ。しかしその調子は言語と判断してよいものだった。
………ゥンンンアァァー……クゥゥウウウンンンア……ンンンムアァー……アァー……
かろうじて聞こえた言葉をつなげたら、アクマと聞こえたのと、実際にそんな感じだったので、ああやっぱりアクマと契約したんだなと感じた。
その言葉が終わったとき手が離れ、先代も離れたので、ともに洞穴から出て帰った。
そしてほどなく、先代は亡くなった。
その後が大変だった、いやそうでもなかったか。
先代の長男である私が、会社の社長になる事になったのだが、本来なら御家騒動があってもおかしくなかった。
なぜなら私の下に五人の弟妹がいて、皆会社に勤めていたからだ。
それだけではなく、相続の時に戸籍を見て初めて知ったのが、異母弟妹が20人いて、それらがすべて社員だったのだ。
25人の弟妹がいる。しかもすべて社員。ありえない出来事だ。
だがしかし、不思議と私はそれを当たり前と受けとめたし、弟妹達もその様子だった。
あれから二十年くらいか……
弟妹達はそれぞれ家庭を持ち、現在は会社の重役や各部門長となった。
新しく社員も雇い、私を頂点に弟妹達が各部署の責任者となり、社員の働きぶりをみる組織となっている。
なんとなくだが、アクマが先代に命じたのは繁殖ではなかったかと、推測している。
おかげで私の命じられた事が、スムーズに進んでいるのだ。
私が命じられた事、それは繁栄。
多くの弟妹が手伝ってくれているので、それは順調にすすんでいる。おそらくこの為に、先代は多くの子供を成したのだろう。
今日、特別出張を見送った人事課長も私の弟の一人で、そしてバスの運転手は、以前特別出張で洞穴にいって辞めた者の一人だ。
特別出張経験者は、皆何かの職に就き、それぞれ社外から、会社を繁栄させるためにサポートしてくれている。
今日の特別出張の者も、洞穴に入り、壁に触り、何かしらを命じられ、まるで別人になったように、というか、たぶん別人になってだろうが、そして世に出て、会社を外からサポートしてくれるだろう。
椅子から立ち上り、窓に向かい、眼下に広がる会社施設を見る。
町の半分はあろうかという規模に育った会社。
そこで働く社員達、そして敷地内に住むその家族、長として彼らの生活を失うわけにはいかない。
アクマの正体も目的もわからない。だがどんなに得体が知れなくても、ヤツのおかげで今の繁栄があるのだけは確かだ。
いずれ社長になる息子も、この立場になればわかるだろう、アクマの言いなりになってでも、この繁栄をまもる気持ちを。それが社長の使命なのだ。
ソレデイイ
どこかでそんな声がひびいた
ーー 了 ーー
特別出張 藤井ことなり @kotonarifujii
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