犬執事・小十郎

結城光流

第1話

堀之内の犬たちには、代々伝わる七箇条がある。


ひとつ、主人に忠誠を誓うのこと。

ひとつ、主人の命令に従うのこと。

ひとつ、主人を全力で守るのこと。

ひとつ、主人を悲しませないのこと。

ひとつ、主人のために生きるのこと。

ひとつ、主人を幸せにするのこと。

ひとつ、主人の幸せがおのが幸せのこと。




毎朝目が覚めるたび、先住犬の太一郎に教わったこの七箇条を、小十郎は胸の中で繰り返す。


小十郎は柴犬だ。毛色は黒。でも、四本の足先は白い。

一ヶ月前、堀之内家の長女彩羽が、この家に小十郎を連れてきた。

そのときは、毛色にちなんだ仮名で「クロ」と呼ばれていたのを小十郎は覚えている。

小十郎という名は、彩羽と、彩羽の兄である宗高が考えてくれた候補の中のひとつだ。


紙に書かれた名前候補を彩羽が順に読み上げていき、この名で呼ばれたいと思ったところでクロはワンと鳴いた。

クロという名もわかりやすくて嫌いではなかったけれど。

でも、小十郎という名を、彩羽や宗高や、堀之内家の人たちが呼んでくれる声が、ほかの何とも違う特別なものに聞こえたのだ。

じゃあお前は堀之内小十郎だねと、彩羽が頭を撫でてくれた。

あの日からクロは「堀之内小十郎」になった。


『小十郎、起きているか』

『はい』


居間の壁際に並んだふたつのケージの片方が小十郎の寝床だ。

もう片方のケージから出てきた太一郎が、本当に起きているかを確かめるように覗き込んでくる。


『おはようございます、太一郎先輩』


太一郎は、堀之内家の犬執事だ。

赤っぽい虎毛の甲斐犬で、引き締まった筋肉質の体は小十郎よりずっと大きい。

小十郎が小十郎になった晩、人間たちが寝静まってから、太一郎が言った。

とてつもない昔、神の使いと呼ばれた白犬が執事として堀之内の当主に仕えていた。

以来、この家に飼われる犬は執事の役目を担うことになっている。

この家に来たからには、お前も執事として主人一家にお仕えしなければならないと。

その覚悟ができないなら明日にでもよそに行けと凄まれて、小十郎の身はすくんだ。

甲斐犬は柴犬より大きいだけでなく、気が荒くて俊敏だ。一代一主の気性で、他人には一切心を開かないとされている。

あとで聞いところによると、一太郎の先祖は、シカやイノシシ、時にはクマにも勇敢に食らいついて仕留めた伝説の猟犬だったという。かっこいい。


『よく眠れたか』

『はい』

『そろそろ皆様の起床時間だ。行くぞ』

『はい!』


堀之内の人々は、仕事や学校で、毎朝六時に起きることになっている。

目覚ましのアラームは常にセットされているが、それらが鳴るより先に主人一家を起こす。

それが、堀之内家の執事を自負する犬たちの朝一番の役目だ。


たとえ今日が日曜日であっても。


彼らは知らない。

明日は日曜だからと、昨日の夜、堀之内の人々が家族で映画鑑賞をして夜更かししたことを。

いつもは夜九時にベッドに入る彩羽も、特別に遅くまで起きていることを許されていた。

が、そんなことは犬たちにとって大した問題ではない。

犬たちには曜日の感覚がわからないので、そんなことは気にしないのだ。


堀之内家の人々は、犬たちがいつでも出入りできるように、部屋のドアを少し開けている。


『私は旦那様と奥方様をお起こしする』

『じゃあぼくは宗高さまと彩羽さまを!』


二頭は頷き合い、廊下で別れた。

そして五時五十五分、二頭はそれぞれ主たちのベッドに飛び乗って掛け布団を引き剥がした。



堀之内宗孝は、いきなり胸の上に乗ってきた小十郎が甲高い声で吠える声で、文字通り飛び起きた。


「うあっ!?」

『宗高さま、おはようございます!』


今日も役目を果たせた喜びに目を輝かせ、短い尻尾をぶんぶん振っている小十郎は、気づかない。

宗高の目が物言いたげに据わっていることに。


『次は彩羽さまを起こしてきますねっ!』


小十郎は元気よくベッドを飛び降りて出ていく。


「…きょう…日曜だよ…」


うめいた宗高は、そのままもう一度枕に顔をうずめた。




(つづく、かなぁ……)

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