第70話 事が終わりましてゆっくりしましょう

ケンタックに到着してから、いろいろあった。

部屋で魔術書を読みふけりながら、ケルトは回顧する。


まず出迎えたメルサディールがブラコンを発症し、門前でハディに熱烈な抱擁を交わして公衆をやや沸かせた。それからネセレの依頼料金上乗せの交渉が勃発し、銅貨一枚に渡るまでの詳細な金額があっちこっちへ右往左往した。そして、ほくほく顔のネセレを引き連れてゲッシュの宿に辿り着いたと同時に、大声の禿頭亭主が出てきてハディに熱烈な抱擁を交わして公衆を沸かし、ハディは瀕死になった。


…それから、ミライア達の訃報に神妙に頷いて、死した英雄へ宿の冒険者と共に黙祷を贈った。当人は天国で「んなシケこんだことはやめてくれよなぁ!」とかなんとか言っているかも知れないが、それを知る者はここにはいなかった。なお、メルサディールは痛ましい顔で祈った後に、ミライア達を抱きしめていた。…彼女としても、思うところは多かったらしい。

ともあれ、ゲッシュの依頼を果たして報酬を貰い、ハディ達は旅の疲れを癒やすべく数日間を何事もなく過ごした。



数日後、宿にカロン老が帰ってきてから、ハディが「特訓してくれ!」とせがんだ。どうやら例の暴走に関して思うところが多かったらしく、勢い込むハディにカロンの方が面食らっていたほどだ。それからどうなったのかは知らないが、ハディはカロンに魔法でどこかに連れて行かれ、数日後に死に体で戻ってくることが増えた。それにメルサディールが苦言を呈するのだが、当の本人が欲しているのだから部外者は口を挟まんでやれ、と言われてなんとも言えない様子である。

ハディの自己犠牲心から来る自暴自棄な行動かと思ったが、どうやらそうではなく、ハディなりにいろいろと考えた末の特訓だそうな。


「俺、よく考えたんだ。俺が他人を助けたいって思うのは、やっぱり母さんが死んじゃった事が一番の原因だって。それが悔しくて、俺はずっと目に見える範囲でも人を助けたいっていう強い願いを持ってた。…俺が死んじゃったとしても、それでいいって」


乾いた笑いをするハディは、また少し大人になったようだった。


「でも、それじゃ駄目なんだって思ったよ。ジャドが死んで、みんなが悲しむ姿を見て、もしも俺が死んだらって考えたら…すごい申し訳なくなったんだ。メル姉も、ケルトも、ゲッシュも…カロン爺さんも多分だけど、悲しむ。その顔を想像するだけで、胸が苦しくなった。だから俺は…自分の命をおいそれを投げ出すことは出来ないんだって」


カロンに絞られて、ようやく自分の心とも向き合うことが出来たのだ、とハディは語る。


「あの暴走は強力だけど、諸刃の剣だ。下手をしたら俺も死んじゃうかもしれない。だからさ、あの力を操れるように強くなろうって、特訓してたんだ」


でもまだまだ駄目だけどな、とハディは笑った。


…彼は強くなるだろう、これからも。

あの前向きな心は、彼の持つ可能性が許す限り、どこまでも走りつづけるだろう。


だが自分は?とケルトは自問する。友人は徐々に強さの階段を登っているが、自分は…無茶をしながらも、魔法レベルは上がっているだろう。だが、ここでいう強さとは手段ではなく、心の強さの事だ。

ハディの真っ直ぐな心の強さは、自分には眩しすぎる。

ネセレに諭され、殻を一つ破ったとしても、ハディはあっという間にすぐ先へと進んでしまう。

それに、恐れを感じてしまうのは、臆病な心根からか。


「…いけませんね、こんなことでは」


首を振って吐き捨てる。

この心だけはいつまで経っても治りそうもない、と一人ごちた。

ケルトは魔術書から目を離し、窓の外を見る。陽の光は今日も燦々と世界を照らしているが、いささか自分には眩しすぎるようだ、と目を眇める。


「…しかし、神ですか」


思い返すのは、グリムアードの提案。

アレによって、ケルトはグリムアードとセルシュ・ヴェルシュが限りなく同一に近い何かだと推察していた。しかし問題はそこではなく…神の座に登れるというあの提案。

神になれる、というのは実感が沸かない。

ただ、どこかでまだ成るべきではない、という思いがあった。

この世界で生きて、この世界で成さねばならぬ出来事があるのだと、直感的に理解していたからだ。

しかし、もしも…もしも神に登り詰める日が来るのならば。


「私は…何になるんでしょうねぇ」


何にでも成れるのだ、と、カロンはそう言った。

神の言葉を思い返しながら、ケルトは一人、輝かしい世界を見つめ続けていた…。



※※※



「お、これ美味しいな!」

「おひょーほっほっほ!そうざましょう!?なんと言ってもこれは妾が故郷から取り寄せためずらしーいお菓子ざまーす!」

「へぇ!なんだっけ、ケェキーだっけ?すっごい甘くてほっぺが落ちるかと思った!」

「ケーキ、ざます。これは妾の故郷に古くから伝わる伝統菓子ざます!伝説によれば、かつてティニマ様が妾達に授けてくださった製法から作り出された、との事ざますよ!」

「へー、ティニマって神様のお菓子かー。神様って凄いよな、なんでも出来るしなんでも知ってるし。こんなのを作れるんなら、もっといろいろ知ってるんだろうなぁ」

「ざますざます!だから神の製法は高値で取引される程ざまーす。こっちでこのケーキの製法を知ろうとすれば金貨の山が動くざますよ!つまり!それほどまでにお高ーいってことざまーす!」

「凄いなトンコーさん!こんな高いものを俺に分けてくれるなんて凄い太っ腹だ!ありがとな!」

「ほーほっほっほ!ざます~!」


トンコーの屋敷にて、ハディはトンコーのお茶に招待されていた。見晴らしの良いテラスで、相変わらず凄まじいボディのトンコーと向い合せで食べるハディは、気後れする気は一切ない。世の商人が見れば度肝を抜かす光景かもしれない。

フォークという食器に悪戦苦闘しつつ、カロンには馴染み深いショートケーキを頬張るハディは幸せ満面である。庶民派な彼には甘味など縁遠い代物なので、まさにこの世の楽園みたいな面持ちである。


「そう言えばさ、トンコーさんって結婚はしないのか?」

「おひょ?ずいぶんと派手な物言いザマスねぇ。妾にそんな質問をする人間は初めてざます」

「ああ、ごめん。一般的には結婚して子供を持つのが幸せーみたいなのってあるじゃん?お金持ちでもそうなのかなーって」

「そうざますねぇ、妾は特殊ざますから…」


価値観がほぼ女性になっているとはいえ、前世の記憶も持っているトンコーとしては、普通の男性と結婚するという意識がやや薄い。別に子供を成す必要はないとは言え、それでも結婚は縁遠い思考であった。


「この世に出てより早80年余り…私も随分と年を取ったものですねぇ」


ふっ、と乾いた笑いをしながら遠い目をするトンコー。

前世を加味すれば100歳超えなので、いろいろと寄る年波を感じているようだ。

そんなアンニュイなトンコーを見ながら、ハディはそれならばと声を上げた。


「…じゃあさ、文通とか初めてみないか?」

「…はい?文通?」

「そうそう、俺はあんまり字なんて読めないんだけどさ」


ハディは話す。

なんでも、ハディの知り合いの翼種の男性が失恋したらしく、酒場で飲んだくれている時にハディへ「素敵な翼種の人を知らないかい…?文通からでも良いからいい出会いが欲しい…!」と涙ながらに語ったのである。

で、ハディの知り合いの翼種の人といえばトンコーであるので、そう切り出したわけである。


「それはまぁ、随分と…」


流石のトンコーも言葉に詰まる。そも、トンコーも自分の異彩を放つ風貌くらい理解しているのだ。だからこそこの年齢まで独身を貫き通してきたのであるからして。それに後継者はもう居るので子供という点でも必要はなかった、というのもある。


「あ、これなんかその時に押し付けられた手紙。気が向いたら読むか捨ててくれよな!」

「はぁ、まあ良いざますが…アータも胆力のある男ざますねぇ」

「だろー?」


へへへ、と鼻をこするのだが褒めているわけではない。しかしそんな純粋さに癒やされている部分もあるので、トンコーも義理として手紙を受け取った。

ぺらり、となんの気無しに中身を読んで見る。

差出人は無いが、「詩吟の君」とだけ。

情熱的な詩歌で綴られたそれは詩人のもののようであり、ありきたりな癖にどこか変わった節回しのそれは、なんとなく頭に残る代物だ。


「…面白い詩人ざますね」


文化を愛する翼種らしく、この手の詩歌も嫌いではないトンコー。

詩歌に触発されたのか、なんとなく返答を書く気になっていたのである。



…この文通、長らく続けられる事となるのだが、互いが対面するのは随分と後のこととなる。

その結果がどうなったのかは神のみぞ知る…………が、後年にもうけるトンコーの子は、綺麗な金髪の少女であったとだけ追記しておく。



※※※


「で、おじい様。ハディの調子はどうですの?」

「どうって、いい感じ?」

「アバウト過ぎますわよ!ほら、食事の手くらい止めてくださいませ!」


帝都で見つけた適当な食事処、メルとカロンは仲良く食事をしていた。のだが、カロンはヴィン肉のソテーに夢中であまりメルの話しを聞いていない。

そんな相変わらずの相手を見て、メルはふかーいため息を吐いている。


「まったく…本当にこの方が、いと高き御方なのかしら?」

「一般では邪神扱いしているその「いと高き御方」を崇拝するお前も大概変わり者だからな」

「自覚していましてよ」


今では邪神と呼ばれているルドラ神だが、元はメルサディール達皇家の祖先とも言われている。人々が「かのヴァルスは天光神の御子である」という言説を流布し始めて100年。人間は天光神の子らであると人々は無条件で信じている。

だが、メルサディールは違う。神に纏わる不自然に消された記述、ヴァルスの口伝での禁書とされた部分や、エーティバルトのヒントを元にルドラはヴァルスの父であり自らの先祖であると推測していたのだ。だからこそ、彼女はルドラを崇拝している。

のだが、仮にも勇者にして人間のロイヤルファミリーの一人が邪神崇拝者などと言われては国の立つ瀬がないのも事実。特に教会関係者はメルの仮説を全力で否定しに来るので、もはやメルはルドラの風評を是正することを諦めつつあった。

こういうのは数十年、数百年かけてやるべき事だからだ。


「そもそも、なぜおじい様があのようなことをしたのか、という答えを皆に与えなかったのが一番の原因ですけどね」

「あのことって?」

「100年前」

「知らんなぁ。私は知らん」


こんな塩梅である。

テコでも真実を話さないので、100年前の邪神事変がなんだったのか、もはや語られることもないのだろう、とメルは心の底で諦めている。きっと話しをしたところで無駄な事なんだろう、とだけ推測できた。

そんな呆れ気味なメルへ、むしろルドラが食事用ナイフを突きつけて尋ねる。


「だいたいなぁ、メルよ。ハディや私のことより、お前はどうなのだ?いい人の一人や二人居るんじゃないかね?ん?」

「居ると言えば居ますけど、極限まで極めた朴念仁ですの。今の所、アタクシのアタックは全てノーの一言で終わっていますわ」

「あらまぁ」


カロンは嘆息して天を仰いで思い出す。

朴念仁の白騎士は、どこまでもお硬い堅物だったはずだ。

見ていたルドラも「男版くっころ的なド級の堅物騎士だな」と評価していた。

その騎士だが、確か世界救済の旅の途中、メルサディールが土砂崩れに巻き込まれて落ちた際、我が身を顧みずに土石流へ突っ込んでいた事があった。思わず見ているルドラも「えぇぇぇ!?」と叫ぶような愚行だが、メルのラッキーガールの効果もあって二人共助かったのだが。

負傷した二人が河下で身動きが取れなくなり、仲間が来るまでの間、なんやかんやとあって…。


「いつもはお硬い騎士が姫のために庇って傷を負い、それを姫が決死に看病。うん、フラグとしては十分すぎるほどだな」

「思うんですけど、覗き見趣味ってかなり悪趣味ですわよ」

「知っている。というか、覗き見しかできんから仕方ない」

「アタクシの着替えとか見てません?」

「安心しろ、私のストライクゾーンは年上だ」


なお、この人物より年上はこの世界の無機物含めて存在しない。


「はぁぁ…まったく悪趣味ですわ、本当に…」

「しかし、件の騎士もお硬いな。あくまで私情より立場を優先するか。とはいえ、身分違いの愛が完結するケースは少ないから仕方がないな」


身分違いの婚姻が上手くいくのは駆け落ちと相場が決まっているのだが、件の堅物騎士は駆け落ちするような玉ではない。

なので、カロンはニヤニヤ笑いで発破をかけるように言う。


「ああいうのは手強いぞー?メルよ、それでも諦めんつもりかね?」

「…おじい様」


メルサディールはカロンを見た。

それに、なんだかカロンは背筋がゾッとした。

薄っすらと微笑みを讃えながらも、どこか毒のこもった表情で、彼女は宣言した。


「アタクシ、決めてますの。もう二度と自分の恋路を諦めるつもりはありませんのよ?」

「………あ、はい」


とりあえず、カロンは内心で件の騎士に合掌しておく。厄介な勇者様に捕まってしまったものだなぁ、と同情しつつ、ソテーを食する。


「ああ、そうですわ、おじい様」

「あん?なんだね」

「偽造金貨は犯罪ですわよ」

「ごふっ…!」


噎せるカロンに、メルはいい笑顔で続ける。


「最近どうにも本物より質の良い金貨が出回っているそうですけども、まさかおじい様ではありませんわよね?」

「ごほっごほっ…あぁ~ワシは知らんのぅ」

「市場経済に影響を与えつつあるようで、国も徐々に本腰を上げて調査するみたいですわよ。おいたも程々にしたほうがよろしくってよ」

「ごほごほっ!ぁあ~と、う~んと………メルさんや、飯はまだかのぅ」

「今食べてますわよ」


ボケ老人のフリをする神を叱りつつ、メルはお灸を据えながらも、ワインを一口。


(…そう、諦めるつもりなんて毛頭ありませんわよ、ラーツェル)


内心でほくそ笑む淑女の威圧感に、流石の神でもたじろぐのであった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る