第69話 記憶にございません
『…以上でございます、宗主様』
『………ふぅむ、これは奇っ怪な』
薄暗い神殿の中、御簾の向こうに座って神像を拝む小柄な影へ、ザムとミイは頭を垂れる。
それを見もせず、御簾の向こうの人物は、長い髪を梳きながら呟く。
『魔の物共がざわめいておると思えば、斯様な吸血鬼なる存在の出現。そして風に聞けば、そなた等が去った後に現れたと言われる、夜人の出現。実に奇っ怪じゃな。…どう思う?右手よ』
それに答えるは、御簾の傍に仕える古服を纏う神官。
白面に紅を指し、烏帽子と官服を纏う銀髪の若者は、静かな表情で目を伏せている。
『魔王が去って早400年。そろそろ彼奴が出現しても可笑しくはありませんが、さりとて理解できぬは夜人様の出現。あるいは、此度は今までとは違った何かが起きているのかも知れませぬなぁ、宗主様』
『ふむ、そう思うか…』
コロコロ、と宗主が透明な玉を床上に転がせば、それは集まっている玉を弾いて四方に散らばる。散らばった玉の内、月が籠められた玉を手に取り、それを覗くように翳す。
『幾度占っても、月神の予兆を感じさせるのぅ。どうやら我らが主神が動かれておる様子。ならば、我らが成すべきことは何もあるまいて』
『ほほほ、左様で御座いましょう。何かあれば宗主様にお声を掛けられるはず。なればこそ、我らに出来ることは何もありますまい。…とはいえ、件の吸血鬼の話どおりならば、今後の虚無の勢力に関して留意すべき事は多そうですが』
『うむ、魔王、吸血鬼、そして虚無…厄介事が多い故に、今代は難儀しそうじゃな。…さて、ザムリオ、ミイシェアよ。ご苦労であったな。そなた等でなくば、帰ることは不可能であったかも知れぬ。良くやったぞ。最後に何か成したいことがあれば、何でも言うが良い。便宜を図ろうぞ』
『は、ありがたき幸せ。されど、御共が望むべきことは唯一つ、我が弟子が立派な腕に成ることのみであります』
「欲のない奴よのぅ。…ミイシェア、お主は何もないのか?』
『我が意志は師父と同意に存じます』
『ふむ、その心意気はあっぱれじゃ。…とはいえ、それでは示しがつかぬからな。良き仕事には善き報酬を。そなた等の身内へ幾ばくかの金子を包もう』
『有難うございます。もはや、後残りはありませぬ』
ザムは頭を上げ、そのまま宗主へと嘆願した。
『宗主様。此度の第三勢力の存在が明るみになり、御共としては懸念すべき点が幾つかあります』
『ふむ、申してみよ』
『は。件の吸血鬼はあまりにも脅威です。月魔法にて無効化が出来たとは言え、我ら二人のみでは手も足も出なかったに違いありませぬ。故に、早急に我が領土の防衛を固めるべく、我が弟子を宗主様の御手へさせたく思います』
『おやおや、その意味がどれほどの価値と重みを持つのか、お前にわかるのかね、ザムリオ』
『無論のこと、レンシュウ殿』
神官はそんなザムの言葉に目を細め、胡乱げな表情になる。そんな相手を見もせず、ザムは宗主へと嘆願する。その背を、ミイがなんとも言えない表情で見ていた。
『宗主様。ミイは若いですが、幸先有望な若人です。月魔法の腕前も先の戦いで見事に証明してみせました。何卒、彼女へ神官の座への推薦をお願いしたく』
『…ふむふむ、そうじゃのぅ』
そこで宗主が指を振るえば、音もなく御簾が上へと上がった。
幕が上がった向こうには、着物を纏った一人の少女が、ちょこんと鎮座している。
地面に広がる長い銀髪、大きな銀の瞳、白い相貌はシワひとつ無いが、その瞳はどこか老成した者の色を宿していた。
『まあ、問題はなかろう。そなたの嘆願、受け入れようぞ』
『…有難うございます』
『故に、ザムリオよ、そなたは準備をせよ。ミイシェア、そなたは夜の儀式に向けて準備を。レンシュウ、皆に告げよ。今宵、新たなる腕が誕生するとな』
『ははっ!』
『喜ばしき夜となり、同時に別れの夜となる。全ては我が一族と、我が主神の為に、善き未来を祈ろうではないか』
一同は頭を垂れ、宗主は目を伏せる。
…なんとも、新しき日はいつも痛みを運ぶものだ、と内心で呟きながら。
『………師父』
『うむ、ミイよ』
宗主の座を退き、二人は互いを見交わすこと無く、歩を進めた。
ミイは静かに、どこか躊躇うような声色で続ける。
『宜しいのですか』
短い問いかけに、ザムは、
『わかりきっていた事だ。お前が生まれた日から既に俺は覚悟を決めている』
そう、簡潔に述べる。
しかし、ミイは納得出来ないかのように、ザムを見上げた。
『ですが…』
『嘆くな。ミイよ、俺の肉体は確かに滅ぶが、我が魂はお前の傍に常にある。…宗主の腕となることに誇りを持て。お前の月が、我が一族を夜の中で導くのだからな』
『…はい。師父よ…』
ミイはザムを見つめ、ゆっくりと頭を下げた。
『…今まで、ありがとうございました』
『…うむ。時を捧げても、自らを大切にするのだぞ、ミイよ』
最後の別れを済ませてから、両者は無言のままに互いの道へと向かっていく。
その道が交わることは二度と無いが、それでも両者は振り返りはしなかった。
…その夜、夜魔族に新たなる神官が生まれた。
同時に、御子付きの祭司が一人、この世を去った。
それがどのような道となり、人々と道が交わるのか。
…それはずっと未来の話しとなる。
※※※
「…以上で御座います、我が主」
薄暗い大穴の前、鎮座する虚公へ傅きながら、アーメリーンはちらりと主を見やる。
蹲る胎児のように丸まっているのは、半分眠っているからだ。洞穴のような瞳は眇められ、何処とも知れぬ場所を見つめている。
ゴロゴロと響く音は木霊し、洞窟内を反響している。
それを聞きながら、アーメリーンは虚公の反応を見定めている。
ゆっくりと、虚公は口を開いた。
―――……アーメリーン
「はい」
―――…貴様、我に何か隠し事をしてはいないか?
「まさか」
即答し、アーメリーンは冷徹な顔を上げて相手を見やる。
「我が身命は全て貴方様のために在るもの。不都合を隠すような事など、有りえません」
―――良く言うものだな。
ゴロゴロと音が響く。嘲笑っているかのようだ。
そして、穴の縁から伸びてきた触手のようなものが、アーメリーンの周囲を囲んでいる。幾つもの顔が貼り付けられた悍ましいそれは、虚公の肉塊の一部だ。
―――我に隠し事は許さぬぞ、アーメリーン。さもなくば、貴様と従者共々、虚無の生贄になるだけだ。
「喜ばしいことです」
―――抜かせ、血喰らいの鬼が。
触手に髪を撫でられながらも、アーメリーンは顔色一つ変えずに言った。そこに嘘は含まれておらず、彼女は本気でそう思っているようだった。
それがわかるのか、虚公はゴロゴロと囁く。
―――まあ、良い。それも良かろう………我らが計画の邪魔にならぬのならば、好きなだけ隠し事をすれば良い。だが、我らが邪魔立てをする気ならば、
一瞬だけ、虚公は瞳を見開き、深淵の底から彼女を睨めつけた。
ぶわり、と空気が震えて、アーメリーンの髪を揺らす。
―――食い殺すまでだ。
「…御意」
一言、それだけ。
震えるでもなく、恐れるでもなく、淡々と言い放つアーメリーンに、虚公はつまらなそうに呟いた。
―――つまらぬ木偶だ。不安も恐れも、貴様の内には存在しないのだからな。
「その感情をご賞味したいのであれば、我が同輩を連れてきましょうか?」
―――アレの味はもう飽いた。
偏食家な虚公に、アーメリーンは内心でせせら笑った。飽きるまで感情を搾り取られた同輩には、胸中でご愁傷様とだけ呟く。
話しが終わり、場を辞退すべく立ち上がったアーメリーンは、地面に置かれていた物を持ち上げた。
それに、虚公が気怠げに興味を示す。
―――それは貴様の従者だったな。
「…ああ、左様です。いりますか?」
アーメリーンが掲げたのは、首だ。
銀の髪、端正な瞳が伏せられた、青年の首。
事もなげに差し出すアーメリーンへ、虚公は唸るようにゴロゴロと言う。
―――貴様の食べかけを我に差し出すと申すか?
「これは失礼、我が主。次はちゃんと料理した物を持ってきます」
頭を下げるアーメリーンを一瞥し、虚公は再び目を伏せて、眠りの底へと落ちていく。
それに背を向け、アーメリーンは持っていた首を胸に、辞退した。
「………ふん」
暗い回廊を歩きながら、首だけの従者の頭を撫でる。そこそこに愛着があるのだから、くれてやる気などまったく無かったのだが、捻くれ者の主人の事だ。ああでも言わねば本当に食われていたかも知れない。
如何なヴァンパイアロードとて、あの暴発に巻き込まれてはひとたまりも無かったようで、アーメリーンが回収できたのは灰の一部だけだった。それでも、吸血鬼の支配者ならば、灰の一部だけでも蘇生は可能であったのだが。
しかし、それでも再生までは長い時間がかかるだろう。
眠り続ける吸血鬼の青年を抱きながら、アーメリーンは次の仕事へと向かうべく、足を進めた。
「…おお!そこに居るのは我が同輩ではないか!」
甲高い声に横の通路を見れば、そこには真っ赤な血に全身塗れているクレイビーが壁に寄りかかっていた。
それに、アーメリーンは表情を動かすこともなく言う。
「なんだ、また主人に食われていたのか」
「なんだとは失礼であるな!そも、これが我輩の仕事であり、我輩の感情で我が主が強化されるのならばむしろ光栄なことである!…げぼっ!」
とてもそうは見えない様子だ。吐血しつつ満身創痍で四肢が震えているような、生まれたての子鹿のような格好で言われても説得力はない。
そんなクレイビーに、アーメリーンは手元の生首を撫でながら言う。
「そうそう、君に一泡吹かせた彼らに会ってきたよ」
「なんと!?あの老人は居たであるか!?」
「いいや、今回は居なかった。君が珍しく苦戦していた、あの光の精霊くんを相手にしてきたんだがね」
「…ふんっ!あんな小童相手に苦戦などしていないである!少しだけ遊んでやっただけのこと…次は最初から全力で潰すつもりである!」
そんなクレイビーに、アーメリーンはクツクツと嘲笑った。
愉快そうに笑うアーメリーンの瞳は、クレイビーを見下すような色を乗せている。
「無理だよ、クレイビー。君じゃ、彼を殺せない」
「…どういう意味であるか?」
「彼は成長している。君と対峙した時よりもずっと、ね。おそらく、次に会った時、彼は君を超えるだろう」
「何を根拠に言っているであるか……!我輩を侮辱するつもりか!?」
「老婆心ながらのお節介という奴だよ、我が同輩。年長者のアドバイスは聞くべきだ」
「いらぬ世話であるっ!!」
クスクスとアーメリーンは楽しげに笑う。
そもそも、クレイビーもそれは理解している筈だ。そうでなくば、アーメリーンが彼に会ったと聞いた時、彼の生死を聞かずに「次は潰す」などと言うはずがない。
そう、二人共、ケルティオの才覚を本能的に察しているのだ。
彼はまだまだ成長する、と。
そして精霊の転生者ならば、覚醒すればおそらく、人を超える力を持つであろうことは確実だ。
「しかし、君も物好きだな。本来の姿を晒せば、彼らなんて一飲みで食い殺せただろうに」
「それこそ余計な世話であるぞ。我輩はあの姿は好かぬ…魔法一つ扱えぬ身体なぞ何の価値もない!」
本当に変人だな、とアーメリーンは嘆息する。
クレイビーの本性はアーメリーンよりも頑丈で強力なのだが、当人はそれを嫌がっているようだ。どうやら、魔法を使うことを信条にしているらしきクレイビーは、それ以外の戦い方を求めていない。
なんとも、合理的でないことだ。
「そんなに肉を食べるのが嫌なのかね?」
そんな、アーメリーンが皮肉交じりに揶揄すれば、
「黙れ」
一瞬、クレイビーの右腕が白い鱗の巨腕となり、アーメリーンの喉首を掴む。
しかし、その腕はアーメリーンの血の刃によって阻止され、攻撃を通してはいない。
クレイビーの、この上もなく歪んだ顔を見て、アーメリーンはクスクスと嘲笑う。
「実に美味だ、我が同輩…君の怒りは悪くないご馳走だよ」
「…この悪趣味人食い鬼めが…同輩でなければ今頃、捻り殺していたものを…」
「それは互いの不運を嘆くべきだね、我が同輩?…まあ、それは置いておいてだね」
挨拶代わりのような挑発は今更だ。特に、アーメリーンはクレイビーの過去を知っているので、それを逆なでする方法は熟知している。だから、こうして小競り合いで感情の摘み食いをするのだ。クレイビーとしては、アーメリーンほど厄介な相手はいないだろう。
「ケルティオ・アレギシセル…彼にちょっかいをかければ、十中八九、かの老人も出てくるだろうね。次にあの老人を倒す算段は如何ほどかな?」
「…ふん!お主には関係のない話である!我輩は我輩のやり方でやらせてもらう!」
「ふ、ふ、ふ…期待せずに待っているよ、我が同輩」
本当に嫌な笑いをする女だ、とクレイビーは悪態をつきながら、その隣を通り過ぎていく。
その間際、アーメリーンは囁くように問いかけた。
「…我らが目的の為ならば、彼には消えてもらわねばならない。そうだろう?我が同輩」
そう尋ねるアーメリーンに、
「左様。我輩らの邪魔ならば、誰であろうと消すのみ。食えぬのならば殺してしまうのが一番良い…」
クレイビーはそう囁く。
しかし、急に眉を顰めてから、アーメリーンを見つめる。
「…お主、まさかとは思うが…」
「………」
それ以上は問わず、相手の表情でクレイビーは察する。なんとも、潰れたカエルを見た時のような顔になりながら、クレイビーは鼻で笑う。
「まあよい、我輩には関係がないである。お主の好きにすればそれで良い」
「…やめろ、とは言わないんだな?」
「我輩は無駄と徒労は嫌いなのである」
だがしかし、両者の胸中は口で言うよりももっと複雑な感情が渦巻いているようで、少しだけ会話が途切れる。
密やかな声で、今度はクレイビーが口を開く。
「…アーメリーン。我らが計画は、今度こそ成就すると思うであるか?」
「藪から棒だな」
「仮説の話である。それに…ここなら、誰の耳もない」
薄闇の中、会話する二人以外には、生きている者は誰も居ない。
主人も眠っている今、この会話は完全な密談に等しい。
「…ふむ、そうだな」
アーメリーンは天を仰ぎ、それからニヤリと笑みを浮かべた。
「私は月の望む儘に動こうと思う。赤月の始祖としてね」
「………お主は」
「月は呟いた。吸血鬼が生まれるように、と。そして世界は与えた。私が私であるように、と。だから私がここに居る。ならば…月の願う通りに動くだけさ」
「………」
「これを我が主に告げるかね?クレイビー」
「………くだらん」
ふん、と鼻で笑い、クレイビーは背を向けた。
「お主が何を考えていようが、我輩は知ったことでは無いのである。そもそも、我輩の主人は虚公ただ一柱のみ。月は我が主人ではない」
「…そうか」
「我輩は裏切らぬ、それだけである」
言い放ったクレイビーは、つかつかと道を分かたれて去っていく。
その背を見送り、アーメリーンは息を吐きながら、抱く首を撫でた。
「彼は優しいな。…なあ、サーディス」
アーメリーンは一人、闇の中で銀の髪を撫で続けていた…。
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