第66話 嘘つき
死闘から明けて数日。
砦の人々は勝利の感慨を存分に味わうも、その興奮から醒めてからは、生き残った者としての行動を始めた。霧が晴れた事により外部との連絡手段が復活し、すぐさま兵士を派遣してラドリオンに援軍を要請。
一方、ラドリオン側も冒険者が消息を絶って相当な時間が経過していたにも関わらず、原因が究明できない事に懸念を示し、偵察部隊を幾度も送るがその全てが帰ってこないという現象に業を煮やしたのか、軍がこちらへ派遣される直前であったという。もちろん、あちらも晴天の霹靂のような情報に血相を変え、大急ぎで砦まで進軍を開始。数日後、馬を駆ってやって来たのは、ラドリオンに駐在している正規軍の一部隊、そしてラドリオンを統治するアレギシセル侯爵の子息である、ゲーティオ・アレギシセル最高法師が直々に指揮を取って駆けつけてきたのである。
「兵士、並びに冒険者諸君。砦の防衛、誠に大儀であった。後の事は我らが全て行う故に、皆は体を休めておきたまえ」
ゲーティオは、金の髪と精悍な顔立ちの偉丈夫であった。白き法衣を身に纏い、金環の杖を手に軍を率いる姿は、生き残った人々にとって頼もしく映ったことだろう。右腕を負傷して副官に支えられつつ、敬礼するチャーチル卿を直々に労り、ゲーティオは周辺の魔物掃討、及び壊された砦の修復、そして死者の埋葬を命じた。
「………」
燦然と輝く衣を纏って演説をする実の兄を、フードを被ったケルトは静かな面持ちで見ている。その瞳は薄暗く、しかし一切の揺らめきを持たない。何か深く考え込んでいる様子だったが、手に持っていた代物を見つめる。
…青い欠片。それは、ジャドの形見の品でもある。
それを静かに握りしめてから、何かを決めたように頷いたのだ。
「ハディ、少し相談があるのですが」
「あ、ケルト。どうした?」
吸血鬼故の底なしな体力で回復したハディ。例の暴走によって理性は吹っ飛んでいたが、ジャドの声によって正気に返った彼は、全てが終わってからずっと奔走していた。砦の修復、怪我人の手当、食事の配給、様々な事を手伝い、慌ただしく動いている。しかし、その姿は守るべき存在を守れなかった過去と、暴走を許した自身への戒めにも取れて、どこか痛々しい。
ケルトはハディに話があると告げてから、同じくミライア達の様子を尋ねた。
…ジャドが帰らぬ人となったと告げて以降、ミライアは部屋から出てこなくなった。扉の前でライドが付き添い、時折、同じ女性のリーンも声をかけて面倒を見ているようだが、酷い落ち込みようであったらしい。
ところが…彼女が引きこもって三日後。ようやく、ミライアは外に顔を出した。
不思議と、泣き腫らした目元ではあったのだが、どこか晴れやかな表情であった。
同じくライドもどこか夢心地のような、ぼうっとした表情であったのが、なんだか印象的であった。
今現在、彼らはリーダーを失いながらも、献身的に人々の治療と活動を手伝っている。そのまま帰ることも出来たのだろうが、後ろ髪を引かれる思いもあったのかも知れない。
「ミライアは配給所で食事の準備中。ライドはきっと今日も北門の修復してるんじゃないかな。でも、なんで?」
「ネセレは起きましたか?」
「あ、うん。もぬけの殻だったから、またどっかで昼寝でもしるかもなぁ」
ネセレは、大量の魔核が転がる北門前でハディ達を迎えた後、気を失うように倒れてからずっと爆睡している。時折、目覚めては大量の食料を掻っ込み、即座に爆睡。その繰り返しで、最近ではようやく起き上がれるようになったのだが…あまり姿は出そうとしない。
なにぶん、ネセレは英雄レベルの働きをしたからだ。単騎で北門を死守し、大量の魔物を相手に大立ち回りをこなしてみせたという時点で、砦の者にとっては英雄といっても過言ではない。で、顔を出せば難民や兵士が「英雄!英雄!」と喧しい事このうえ無いし、涙ながらに感謝を捧げられる状況に不慣れなためか、どこかに姿を隠しているのであった。
…なお、ザムとミイの夜魔族二人だが、彼らは既に砦を発っている。
霧の発生源を倒した以上、彼らが残る理由はもはや無かったため、軍が来る前に早々に故郷へと戻っていったのだ。
「オ前達と共に戦っタ時間は、なかなか有意義であった。もはや我らと会う事はナイだろうが、どうか達者でナ」
『ふん、次は戦場で出会わぬことを祈るぞ。…それと、あの化物女にもな』
昼の民、帝国民とは決して仲が良いとは言えない関係だが、彼ら夜の民としても今回の戦いは思うところは多いようだった。
二人共、今回の戦いの功労者であったため、チャーチルとしても感謝の言葉もない様子だったのだが、二人は「同じ目的で共闘しただけだから気にするな」との事で、特に要求もなく早々に姿を消していったのであった。
そんな、どこか寒々しくなった砦の面子を確認してから、ケルトは最後の人物の居場所を尋ねる。
「…それと、リーンはどうしていますか?」
「リーンは…って、なんだよケルト?やけにみんなのことを気にするじゃんか」
「ええ、まあ少し…で、リーンは?」
「なんだよ、妙に真剣な顔しちゃってさ。…リーンなら魔物が居ないか見てくるって、見回りしてるよ」
「…そう、ですか」
呟き、黙するケルトの様子がいつもと違うので、ハディは眉根を寄せて首を傾げた。
「どうした?リーンに何かあったのか?」
「いえ、少し話しがあったのですが…」
「呼んで来ようか?」
「いいえ、私から声を掛けます。…それと個人的な相談があるのですが、後で少し時間を頂けますか?」
「うん、別に良いけど…」
「良かった。それでは、また後で」
去っていくケルトの後ろ姿を眺めているハディは、不審な顔で顰めっ面。
「…なんか、変な感じだな」
『なんだ、変とは随分とアバウトな表現だな』
「…って、レビ!?なんだよ、ずっとだんまりしててさ。俺が話しかけてもずっと喋ってくれなかったじゃん!」
『生憎と貴様と違って我にも理由がある。それよりも、ハディ』
「ん?なに?」
『…………まあ、頑張るのだな、いろいろと』
「え?」
声を上げたハディを尻目に、『それでは我は再び寝る。さらば』とレビはハディの奥へと沈み込んでいった。そんな相方に、やはりハディは眉根を寄せて、怪訝な声で悪態をついた。
「やっぱり、なんか変だって、絶対」
※※※
…その後。ケルトは方々を歩き回り、療養中のチャーチル卿に挨拶しに行ったり、一変しているうららかな森の木陰で昼寝するネセレを見つけに行ったりと、騒々しく動き回っていた。そして砦に戻って一息ついたのが、夜を大きく回った時間であった。
いろいろと用意をしてから、ケルトが向かったのはリーンの部屋である。
ゴクリ、と唾を慣らし、勇気を振り絞ってノックを数回。
扉から出てきたのは、赤い髪の凛々しい女性、リーンであった。
リーンは少し驚きに目を見開いてから、ふわりと微笑んだ。
「ああ、ケルト」
「ど、どうも、リーン。お時間は空いてますか?」
「ああ、大丈夫だが。…ふむ、何か話でもあるのかい?」
「ええ。その、貴方に少し、話したいことがあったので」
「話したいこと?」
キョトン、としてから、リーンはふっと微笑んで了承した。
「わかった。私も話したいことがあったから、行こう」
「良かった…そ、それでは、訓練場はどうです?」
「月光浴も良いものだな。うん、なら一緒に行こうか」
共に肩を並べて、リーンとケルトは人の気配が薄くなった砦を出て、中庭の訓練場へとやってきた。
土が慣らされた広場には何もなく、壁際に訓練用のわら人形やら巻藁が置かれている程度の、殺風景な場所だ。正直、女性と一緒に来るべき場所では無いのだが。
そこを静かに歩きながらも、ケルトはリーンを見ることが出来ないでいた。
そんなケルトを横目で見て、リーンは天を仰いでから、目を細めている。
「月が、綺麗だな」
「…え」
言われて、ケルトも天を仰ぐ。
暗い空の頂きには、黄金色の半月が。この間の赤い月は満月だったが、あの不気味な予兆を感じさせる色合いはどこにもなく、見えるのは静かな輝きを灯す宵闇ランプ。星々の煌めきと、耳心地の良い虫の音色。ついこの間まで失われていたそれに、ケルトはようやっと気づく。
「…虫が」
「え?」
「虫が戻ってきたんですね」
「…ああ、そういえば。ずっと虫を見かけていなかったな」
あの霧の中にいる間、虫の音色が一切存在しなかったことに気がつく。
虫の音もなく、しんと静まり返ったあの夜の日々は、今思えば冬の夜のように冷たく静かで、酷く不気味であったのだ。
そこから生還した事実を思い返したのか、リーンは胸いっぱいに空気を吸っている。
「やはり、普通の夜は良いな。どこか気が休まる」
「…リーン」
「ケルトもそう思うだろ?今日はいい月夜だ」
「………」
「…なぁ、ケルト。前に話したいことがあるって、言っていたのを覚えているか?」
「………え、ええ」
静かなリーンは、天を仰いだまま、ポツリと呟いた。
「君に、聞いてもらいたい話があるんだ。いろいろと抽象的な話でね。長くなるし、きっと君は私を軽蔑すると思う。だから…少し、聞いてほしいんだ」
「リーン?」
「………昔々、或るところに一人の冒険者が居たんだ」
リーンは訥々と語りだしながら、両手を後ろに組んで夜道を歩く。
ぽつぽつと語られる口調は静かで、抑揚を感じさせない。
「冒険者は、大好きな仲間と一緒に何度も冒険を超えて、ある大きな難関にぶつかった。それはとても大きな壁でね。どう足掻いても超えられないとわかっていたのに、無謀にも冒険者はその壁を仲間と一緒に乗り越えようとしたんだ。…そう、無謀だった。超えられるわけがなかったんだよ」
静かな語り口調のまま、リーンは顔だけ振り向いてケルトを見た。
「壊そうにも壁は丈夫で、乗り越えるには大きすぎた。けど、仲間と一緒なら…どんな苦難でも超えられると、そう思った。いや、錯覚していたんだ。だから…超えられないと察した冒険者は、全てを捨てて諦めた。諦めて、全ては流されるままに流れたほうが良いのだと、そう思ってしまったんだ」
「………」
「苦しむくらいなら、諦めたほうがずっと簡単だ。苦しまないし、楽だ。だから…冒険者は諦めていた。ずっと、諦観に支配されながら、続けてきた。何も変わらないと、どうしようもない、ただそう思うだけの人生。それはね、酷く…無気力だ」
「…リーン」
「ケルト、君もそうだったんだろう?君も、その冒険者と同じだった。諦め、現状を受容し、足掻くことを止めていた。無駄な努力だと自分を誤魔化し、可能性に期待することすら諦めた。違うかい?」
「………そう、ですね。…その通りですよ。私も長く、人生というものを諦めていました」
ケルトは歩み寄り、リーンの顔をようやく見た。
リーンは静かに微笑み、薄い瞳でこちらを見ている。
青年の青い瞳は夜でも薄く輝き、相手の瞳を射抜いている。
「…我々は、きっと似た者同士だな」
「…そうかも知れませんね。私は、諦観に殺されるつもりでしたから。何かを行うくらいならば、死んだほうがきっと面倒がなくて楽だと思っていました。最初から、足掻くことすら止めていましたよ」
「…ふふふ、そうか。足掻けば誰かが傷つく。それはきっと、君の優しさでもあるな」
「心外な表現ですね。優柔不断なだけですよ」
密やかに交される会話は、どこか言葉遊びのようで。
明確な言葉を発さずに、両者は会話を続けていた。
「なぁ、ケルト。もし願いが一つ叶うのならば、君は何を願う?」
「…難しい問いですね」
「そうかな?叶えたい望みの一つや二つ、君にはあるだろう?」
「どうにも私は疑心暗鬼になりやすいので、神が願いを叶えると言ったところで、素直に信じはしないんですよ。そもそも、相手が本当に叶えてくれるという保証がありませんし」
「夢が無いな」
「夢は見ない質でして」
「羨ましいものだ。私はずっと夢ばかり見ている。嫌な夢でね。ずーっと、子供の頃からそれに苛まれている…弟もそうなんだ。静かな眠りを、私達は知らない。だから、夜が怖いんだ」
「こんなに、月が綺麗なのに?」
「ああ、怖い。恐ろしくてたまらない。…なぁ、ケルト。夢を見ない夜の過ごし方を、知っているかい?」
静かに近寄ったリーンは、燃えるような色合いの瞳でケルトを覗き込んだ。
吐息すら触れる程に近づいたリーンの瞳を見つめながら、ケルトは、静かに口を開いた。
「何故、知っていたんですか?」
「…え?」
ケルトは距離を離し、後ずさりながら、眉根を寄せて続けた。
「以前、貴方は言いましたね。魔物に襲われ護送される途中、砦から煙が上がっていた、と」
「あ…ああ、言ったが…」
「見えるはずが無いんですよ、煙なんて」
「…なんだって?」
ケルトは目を細め、口端を引き締めてからリーンを睨んだ。
対するリーンは、静かに、呆然とした顔でケルトを見つめている。
「確かに貴方がここへ来る前日、敵の襲撃で砦は篝が倒れて、櫓の一つが炎上しかけて燃えたそうです。貴方が見たのはその煙でしょう」
「だったら…」
「ですが、火はすぐに消えました。どうして?…決まってます。その数日間、ここ近郊では雨が振り続けていたからです」
ケルト達も遭遇した雨。夜と言わず昼と言わず雨に打たれ、辟易しながら山道を昇ったのは記憶に新しい。
当然、その日の夜も、雨が降っていたはずだ。
「よく考えてください。雨が降る夜半、月も出ない真っ暗な森の向こうの合間に、辛うじて見える煙を目視できる人間が、どれほど居ますか?よしんば見えたところで、煙が立ったのはほんの数分。それを、貴方が見られるタイミングはどれほどでしょうか」
都会と違って街灯など存在しない夜の山道は、恐ろしいほどに真っ暗だ。それは例え月が出ていても同じこと。そして傍に松明などの明かりがあるほど、逆に宵闇に紛れる煙を目視することは難しくなる。
「…だ、だが、見たのは確かだぞ。魔物に夢中で少ししか見えなかったから、気のせいかも知れないとは思ったが」
「…よろしい。ならば見えたと仮定しましょう。では、どうして貴方はハディの能力を知っていたのですか?」
「え」
「貴方と合流した際、坑道を通りましたよね?そこでハディは斥候を買って出て、単身で坑道の奥へと進んでいきました………明かりも持たずに」
ケルトは一拍置いて、続けた。
「通常、闇を見通す目を持つ存在は、人間にはいません。また夜目が効く魔法も、使えるとしたらそれは魔法士だけです。ハディは明らかに魔法士ではない事は、ヴァルの流れから知ることが出来るでしょう。貴方も魔法剣士なのですから」
「………」
「ハディが魔法士ではないにも関わらず、単身で明かりも持たずに坑道へと進んでいった。我々は、彼の体質を知っていますから、あの程度の暗闇が弊害にならない事に疑問を持ちませんでした。…ですが、貴方は部外者です。何故貴方はあの時、ハディの行動に疑問を持たなかったのでしょうね?」
沈黙していたのが逆に不思議なのだ、とケルトは呟いた。
リーンは硬い表情の儘に、口を開く。
「それは………君たちが、彼を信頼しているようだったからな。ワスプにも襲われていたし、大丈夫なのだろう、と空気を読んで黙っていただけなんだ」
「子供がたった一人、危ない坑道へ明かりも持たずに入っていくのに大丈夫だ、と?」
「彼も冒険者なのだろう?ならば、きっと見た目通りの実力ではないのだろう、と思ったんだ!…ケルト、いい加減にしてくれないか?まるで、これでは私が尋問されているかのようじゃないか!!」
「尋問…ええ、そうですね。私は尋問しているつもりでしたが」
「………」
リーンが口を噤んだその合間、ケルトは、リーンの手首へ杖先を向けた。
その表情は、まさに敵を見るかのような色を乗せている。
「では、右手の手首を見せて頂けますか?」
「………なにを」
「アレギシセル侯爵の依頼を受けた冒険者である、と貴方が主張する通りならば、貴方は持っていなければならない。そう、アレギシセル家のみが所有している、冒険者では取り外せない、魔法の籠もったリングを。…そして、ここにはアレギシセルの縁者が居ます。その方に鑑定してもらえば、それが本物かどうかもすぐに分かるでしょうね」
「………………」
「…さあ、リーン。手首を、見せてください」
「………………」
リーンは、おもむろに右手の手袋を外し、袖を捲って…静かに掲げた。
…その手首には、なにも無かったのだ。
「………………」
大きな、本当に大きな息を吐き、ケルトは動揺を隠すように杖を握った。
「…残念です、リーン」
「………」
「リーン、貴方こそ………もう一匹の吸血鬼なのです」
鬼を捕まえた手応えを抱き、ケルトは更に続ける。
「そしてネセレを背後から撃ったのも、貴方ですね。ネセレが撃たれた際、貴方だけあの場から姿を消していた。あれも貴方の計画の内。…そして多くの嘘を吐いて、我々に近づいた」
嘘を暴くため、ケルトは指折りそのベールを剥がしにかかる。
「仲間と共に来たという嘘」
仲間の死体など、ある筈もない。
彼女の仲間など、あの吸血鬼しか居なかったからだ。
だから、彼女は仲間の死体を探すことはしなかった。
「侯爵から依頼を受けたという嘘」
チャーチルを介してゲーティオに尋ねたところ、依頼を受けた冒険者はたったの一組だけ。
つまり、リーンが受けたというのは、真っ赤な大嘘。
「魔物から逃げてきたという嘘」
彼女自身が魔物を操る存在ならば、あれすらも演技でしかない。
そして、ケルト達が逃げないように、砦へと誘導していたのだ。
ここに閉じ込めるために。
「人間のふりをする為の嘘」
吸血鬼であることを隠し続ける為に、人間のふりをし続けていた。
食事を取り、眠るふりをし、その影で虎視眈々とこちらの様子を伺っていたのだろう。
こちらの喉首を食い破る為に。
「…その嘘が暴かれてしまえば、後はもう貴方が吸血鬼であるという事実しか残りません。さあ、リーン。弁明があるのならば、お聞きしますが?」
「………」
リーンはゆっくりと踵を返して、二・三歩進む。
そして、大きなため息を吐いた。
「…ああ、ケルト。やはり、やはり、君は…」
そして、リーンは、振り向いた。
「………素晴らしく、美味しそうだ」
そこには、極上の笑みが広がっていた。
場違いなほどに、キラキラと輝くその瞳が、茶色から真紅へと染まっていく…。
その変化に目を見開くケルトへ、赤髪赤目の吸血鬼は、満面の笑みで両腕を広げた。
「やはり、君たちを選んだ甲斐があった。遊びとは言え、我が同輩を苦戦させただけはある……ははは、我が同輩はかの人を勘違いしているようだが、見ていた私にはすぐにわかったさ。………だから、君たちも相応しいかどうか、テストさせてもらった」
「テスト…!?まさか、これほどの被害は全て、そんなことの為に…!?」
「そうだ。そんなことの為に、これほどまでの犠牲が出た。いや、実を言うとだね、犠牲こそ元々の目的なのだ。元来の目的のついでで君たちをテストしたというわけさ。…君たちが来てくれたのは、本当に僥倖だった」
飄々と言ってのけてから、リーンはくすくすと肩を震わせて笑った。
その笑みは空虚で、貼り付けたかのような、作り笑いだ。
そんな相手へ、ケルトは顔を歪めながら叫ぶ。
「いったい…いったい貴方は何を企んでいるのですか!?何故我々をテストしたのです!?貴方の目的とは一体…!?」
「素直に答えると思うかい?精霊くん」
「っ!!」
ニヤリと笑みを深めたリーンが、ピクリと反応し、
刹那、銀色が闇夜に閃いた。
一瞬で距離を詰めたネセレの攻撃に晒され、リーンはバラバラに…、
「おっと、危ない危ない」
バラバラになったリーンの姿が消え、それはバサバサとひらめく蝙蝠の群となった。
そして蝙蝠は集い、舌打ちするネセレの頭上で集って形を保つ。
バサリ、と黒い蝙蝠マントを身に纏う、赤髪のリーン。
背後に黄色い月を背負い、黒い被膜の翼を背に広げ、彼女は胸に手を当てて朗々と述べた。
「改めて、始めまして。私は赤月の始祖にして虚無教が騎士司祭アーメリーン」
クレイビーと同じ虚無教を名乗る相手に、一同は緊張感が高まっている。
「アーメリーン………それが、貴方の真の名なのですね」
何事かをブツブツと呟くケルトへ、アーメリーンは微笑みを浮かべている。
「その通り。君たちには我が同輩が世話になったようだな。君たちに痛い目を見させられた事で、我が同輩は我らが主人に折檻されて、みっともなくも泣かされていてね。そんな厄介な相手の顔をよく見ておこうと思って」
「けっ!それでこれだけ御大層な騒動起こしやがって…!!てめぇは何様のつもりだ!あぁん!?」
「そう短気を起こさないでくれたまえ。これでもいろいろと苦労したのだぞ?主の攻撃のどさくさに紛れて騒動を起こした…君たちが来てくれるかは運だったが、上手く行った。そして任務をこなしながらも適正があるかどうか探った。結果は…最高とは言い難いが、最良だ。これだけの力を持つのならば期待は出来る。私の眷属を消費した甲斐はあったというものだ」
「眷属…ならば、あの吸血鬼は貴方の…」
「その通り。あれは私の…」
ふと、そこでリーンは空中に腕を掲げ、
「ぐぁっ!?」
「ハディ!?」
腕から伸びた赤い帯…血の帯が閃き、密かに頭上から狙っていたハディを絡め取って地面に叩き落としたのだ。
「私の眷属。つまり、君と同じというわけだ、ハディ」
「ぐっ!!くそっ…お前が…お前が俺の村を…父さんや母さんを!!」
「そう、君の仇は私だ。つまり、君の頑張りは無駄な空回りだったというわけだな」
「ちくしょうっ!!よくもみんなを…ジャドを殺したなっ!!よくも…!!」
「小さな犠牲だろうに、何故そこまで怒るのか、理解しかねるな」
怒れるハディを見る目は、まるで虫を見つめるような無機質なもの。
そこに、リーンという人間の面影など欠片も残っていない。
「貴方は…それが、貴方の本性なのですか…アーメリーン!」
「くだらない問いかけはしないでくれ、ケルト」
「それでも…!」
「もっとも、動揺する気持ちはわからなくもない。そうそう、こういう時は」
不意に響く詠唱の音、次いで起こる爆発。
しかし、爆炎が晴れたそこで、アーメリーンは傷一つなく存在していた。
「…こういうふうに、怒れる人間が出てくるものだ。さあ、ミライアに、他の人間共よ。居るのはわかっているのだよ」
アーメリーンの呼びかけに応じるように、櫓の上に現れたのはライドとミライア。
ミライアは怒気を孕んだ表情で、アーメリーンを睨みつけている。
「…よくもまぁ、薄ら寒い演技が出来たものね、リーン。気づかなかったわ。いけしゃあしゃあとアタシの援護をしてたアンタが、ウチのリーダーを死なせた張本人だったなんてね」
「……グゥゥ!」
ライドも歯をむき出しにして唸っている。
しかしそれ以上に、ミライアは顔を歪めて叫んだ。
「でも一番許せないのはね…何よりも一番の仇であるアンタの世話になったってことよ!消沈するアタシの心配をするふりで近づいて、悲しむ様を見て喜んでいたと思うと怖気が奮うわ!!」
「ああ、確かに君の嘆きは実に、美味だった」
ニヤリ、と笑みを浮かべ、アーメリーンは嗤う。
それに激昂したのか、ミライアとライドは武器を構える。
「待て!冒険者よ!気が逸るのはわかるが少し待つのだ!!」
今にも襲いそうなミライアを制し、現れたのはゲーティオである。
次いで、彼の合図で隠れていた正規軍、魔法部隊が姿を現した。
囲むようにアーメリーンへ杖や剣を向ける無数の人々の姿にも、アーメリーンはさしたる反応を見せない。
ゲーティオは、宙を舞うアーメリーンへ鋭い視線を向けながら、詰問する。
「差し当たって、貴様が先程の件を起こした張本人…虚無教という邪教の関係者だと見受ける。一応は尋ねるが、投降する気はあるか?」
「否定の意だけ返しておこう」
「ならば、滅べ化物よ!」
その言葉と同時に、魔法士が一斉に魔法を放った。
それは過たずアーメリーンに命中し、昼のような輝きと凄まじい轟音と共に、一部の城壁が吹っ飛んだ程だ。
天を焦がす火勢を見て、しかしゲーティオは舌打ちして杖を奮った。
「敵のヴァルはまだ健在!総員、消えるまで徹底的に消し炭に変えろ!!」
ゲーティオも自ら参戦し、魔法を放つ。
それはまさに数の暴力だ。
次々と爆発と轟音、水蒸気に雷鳴が響き渡り、砦上空が見えなくなる程の魔法の嵐が吹き荒れたのだ。
一斉掃射が途絶え、人々が息付く頃。
油断なく構える魔法士の中で、ケルトだけは輝く瞳で何かを捉えた。
「…駄目です!効いていない!」
「馬鹿な…!?あれだけの魔法を防いだというのか!?」
ゲーティオの叫びと同時に、はっきりと響く声色。
『我、虚無の実行者より招致を命ず
無より来たりし汝は有限を喰らいしモノ
この地に集う源を その顎にて食い尽くせ』
朗々と広がったその詠唱が人々の耳に届く時、
「…!?なっ!馬鹿な…!?」
魔法士は一斉にそれを感じ取った。
不可視の、あるいは不可聴の精霊の流れを、断末魔を、聞き取ってしまったのだ。
「ぐっ…!」
ケルトも思わず耳を抑えてしまう程、魔法士にとってそれは耐え難い代物だ。幾人もの魔法士が膝を着く中、煙が晴れた空中には、翼を広げた無傷の吸血鬼が、マントを閃かせながら悠々と存在していた。
精霊を食らったアーメリーンは、手を掲げて空を指差す。
『赤月の始祖たる我が命ず
赤き血の楔よ 呪いとなって空へと穿ち
天を盲いたベールとなって覆うがよい』
ザアアァァァ………!
と、凄まじい量の赤き霧がアーメリーンから湧き出し、それが天に広がってベールのように周囲四方を覆った。
「…赤い霧!やはり、貴方が作っていたのか…!」
「ふふふ、あの吸血鬼の能力は全て、私が与えた代物だ。そして、このベールは神すら惑わす」
天の月は霧を通し、赤き月となって下界を照らしている。
赤月を背に負った吸血鬼は、両腕を広げ、宣言した。
「絶望するがいい、定命の者達よ。その糧を、我が主へ捧げるがよい…」
真っ赤な霧の合間、地面から湧き出るのはゾンビーの群れ。
それらは次々と溢れ出て、ゆらりと人々の前に姿を現す。
「くっ…!?魔物を操るのは報告どおりか…!皆のもの、抜剣!」
シャキン、と剣を抜き、魔法騎士達はゾンビー達へ狙いを定める。
「…ヴァルが感じられないとは、これでは魔法は使えない、か。しかし、我らアレギシセル魔法部隊は魔法のみが取り柄ではない!化物よ!この程度で我らを打ち取れると思うな!」
「活きが良いものだ。なら、増やそうか」
「なに!?」
見ている合間にも、ボコボコと出てくるのはグール、ワーム、レヴァナント、血から湧き出るのはワスプ、カエルのような魔物もだ。
満員御礼なその有様に、流石のゲーティオも顔を引き攣らせる。
「もちろん、私も戦うぞ?」
アーメリーンは腕をクルリと回し、数百もの血の刃を空中に出現させ、すべての人々へと狙いをつけた。
その刃の数に、ギラリと閃く輝きに、背筋が凍る人間たちへ、
「さあ、踊ろうか」
赤き月の始祖が、明確な殺意を持って、腕を奮おうとした…その刹那。
「踊るのは貴方だけだ」
一人の人間が歩み出た。
いつの間に紛れ込んでいたのか、紫のローブを纏ったその人物は、持っていた杖を掲げて、何事か呟いたのだ。
次の瞬間、凄まじい光が周囲に満ち溢れ、
「…なに?」
立ち込めていた全ての刃が消え、赤い霧がザアァァァ!と凄まじい勢いで晴れ、存在していた全ての魔物が形を保てずにグズグズと崩れていく。
その人物は真正面から、アーメリーンへと対峙した。
見知らぬ存在に、全ての者達が怪訝な顔を見せる中、
「…来てくださいましたか」
ケルトは静かに息を吐いて、肩を降ろした。
その人物はそんなケルトへ微笑みかけてから、天の吸血鬼へ鋭い眼差しを向ける。
「…お初にお目見えする。虚無教騎士司祭殿」
「…君は何者だ?ここに招いた覚えは無いが…」
「ああ、ならば自己紹介から始めてみようか。赤月の始祖よ」
黒い髪、黒い瞳。
草の冠を被り、古風な紫の衣を纏い、蔓の杖を手に持っている。
「助けを呼ぶ声が聴こえた為、我が父に代わってお目見えした。私の名は…」
青年は悠然と微笑み、名乗った。
「人種の始祖、ヴァルス」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます