第67話 ちゃんと見てますって

「これはこれは…人の始祖がこのような場に現れるとは、ね…」


アーメリーンの言葉に、ヴァルスは悠然と笑みを讃えて頷く。


「元来、我らは現世には直接干渉はしないのだよ。これは我が主上の命にて行う例外の一つ。無論、貴方がたの問題行動によるものだが」


ヴァルスの言葉に、アーメリーンは肩を震わせる。


「ふ、ふ、ふ、流石は人種の祖。冥府の番兵にも関わらず、現世の出来事を仔細にご存知のようだ」

「これだけ大騒ぎをすれば、主上で無くとも気づきはするとも。さて、アーメリーン。一つ、尋ねたいことがあるのだが」

「何かな?」


ヴァルスは笑みを消し、アーメリーンを見上げた。


「何故、このようなことを成すのだ」

「貴方がたがそれを問うのか?私より、よく理解しているだろうに」

「神としての私の見解ではなく、人である貴方を見て尋ねているのだよ、人の子よ」

「私を人と呼ぶのか、物好きな男だな」


バサリとマントを翻し、アーメリーンは地上に降り立ち、ヴァルスと向かい合った。

と、そこでヴァルスの周囲が軋みを上げる。


「不可視の攻撃など、通りはしない」


ヴァルスが一つ杖をつけば、それだけで軋んだ音は消えて無くなる。

人々では理解できぬ攻防に戦々恐々とする中でも、人外の両者だけは互いを見つめ、話しを続けている。


「これも効かないか。やはり、神を殺すのには苦労しそうだな」

「神殺しの算段はついたのかな?」

「いいや、これっぽっちも無い。…そうそう、貴方の問いの答えだが…」


アーメリーンは両手を上げて、呆れたようにため息をつく。


「理由なんて無いさ。ただ、我らは成すべきことを成しているだけに過ぎない」

「世界を滅ぼす行動が?」

「気を悪くしないでくれ、これは本当のことさ。生者の死に喜び、苦痛と悲哀を甘美と捉え、滲み出る絶望を甘露と啜る。…私達はそういうふうに出来ているのさ。それは本能における習性のようなものだ。誰だって、食べることや眠る事を苦痛と思う者は居ないだろう?」

「貴方がたにとって、破壊行動は本能と同意義か。それでも、貴方は違うようだが」

「どうしてそう言えるんだ?」

「貴方が彼らをテストしたからだ」


その言葉に、アーメリーンはクツクツと笑いを漏らす。


「神に隠し事は無理そうだな」

「テストは、貴方にとっての人間的な行動だ。ならば、貴方の目的とはなんだろうか。貴方の行動は、私から見れば非常に危険な行為でもあるように思える。そんな人間性を残す貴方ならば、現状に思うところは多いだろう」

「…本当に隠し事が出来そうにもないな。わかった、認めよう。大あれ小あれ、私は我が主については思うところはある。だが間違ってもらっては困るのだが、別に憎いというわけではないし、私はあくまで虚無の味方だ。それは変わらない」

「そのように「出来て」いるから?」

「………」


黙して笑みを浮かべる吸血鬼へ、ヴァルスは小さく息を吐く。ため息のような微かなそれは、不思議と静まり返った訓練場で響き渡った。


「…酷いことだ。主上は、貴方がたの来歴に関して、少しだけ留意されているのだ」

「同情だと?ああ、それは結構なことだ。ならば、もっと多くの同情を向けてほしいものだな。そしてそのままずっとダンマリを決め込んでくれれば尚の事良い」

「それは出来ない。貴方がたは世界の敵だからだ」

「ならば、今のこの場で私を殺すといい、始祖よ。出来るだろう?」


挑発のようにアーメリーンが血の刃を作り出し、ヴァルスを狙っている。

それに微動だにせず、ヴァルスは囁く。


「貴方は果たして、本当に世界の敵なのだろうか」

「敵さ。私と君たちは、相容れぬ存在同士だ」

「私にはそうは見えない。ならば何故、貴方はそんなにも悲しげなのだ」

「………」


今度はアーメリーンが口を噤み、静かな顔でヴァルスを見る。

ヴァルスはじっと見つめながら、続けた。


「…哀れなことだ。私は、貴方がたに同情する。間違った感情ではあるのだろうが、それでも、貴方がたは主上が救えなかった魂の一欠けではあるのだ」

「お優しいことだ、人の神よ。だが………虫酸が走る」


醜悪に顔を歪めたアーメリーンは、刃を消してからトンッと大地を蹴って宙に舞い上がり、眼下のヴァルスを睨めつけている。


「とはいえ、貴方と戦う気はないさ。そこまで身の程知らずでは無いのだ、我が同胞と違ってね」

「………」


ヴァルスは微かに杖を持ち、しかし首を振ってから元の位置に戻した。


「ならば、行きなさい。私は止めはしない。しかし、貴方がこれ以上の血を流すつもりならば…」


守るように、隔てるように両腕を広げ、ヴァルスは厳しい目で言い放つ。


「私も容赦はしない」

「………ふ、ふ、ふ、あっはははははは!!」


アーメリーンは笑い声を上げながら、引きつった相貌で吐き捨てた。


「お優しい始祖様、流石は平和の殉教者なだけはある。その同情が我らにとっての最大の侮辱だと心得ているのならば、大した性格だ…………さして力も無かったかつてと違い、今の君は冥府の番兵だ。ならば、その門をこじ開けるような真似はしないさ」


ヤブを突く趣味はない、と言い捨てて、アーメリーンはバサバサと蝙蝠となって夜の闇へと消えていく。

最後にケルトを見下ろしてから、アーメリーンは優雅な微笑みを浮かべた。


「それでは諸君、御機嫌よう。或るべき終末の時に、決着をつけよう………」


――次こそは、必ず君を食べる事にするよ。


そう囁きながら、吸血鬼の始祖は夜闇に紛れて去っていった…。


「………はぁ」


確認し、ヴァルスは息を吐いて肩を落としている。

救えぬ存在を前に、痛みを抱くように眉を顰めているが、もはや慣れた痛みであった。


「………ヴァルス様」


声をかけられて視線を向ければ、そこにはケルトとハディが佇んでいた。ただ、ハディだけは酷く歪んだ、痛みを堪えるような表情だった。

そんな子供らへ、ヴァルスは穏やかに微笑みかけた。


「遅れて済まない。二人共、無事だろうか」

「はい、ハディの怪我ももう治りましたが…」

「…けど、あいつは捕まえられなかった……仇だったのに、倒せなかった!!」


肩を震わせて悔しがるハディへ、ヴァルスは凛とした表情で言う。


「復讐に身を投じるのは構わない。しかし、それで自身を捨てて良い理由にはならない」

「…!」

「私が言うべことでは無いだろうが、告げておこう。強い感情を抱くことは人間性の象徴だが、生き残るためにはそれを捨てねばならない時もある。そして、自己犠牲は違えようもなく貴方自身の魂そのものを傷つける行為でもある。傷はいつか貴方を蝕み、食い殺すだろう。…そうならないように、その行き過ぎた犠牲心に向き合いなさい、ハディ。それは、貴方の痛みだからだ」


訥々と言い聞かせるように言われ、ハディはなんとも言えずにただ、口を噤んだ。

迷い子のような彼にそれ以上は言わず、ただ、ヴァルスは彼らへ告げる。


「死せる英雄、ジャドから伝言がある」

「…え!?」

「父上が受け取ったらしいのだが、ご自分で渡すには恥ずかしいらしいので、私から伝えておこう。彼曰く、『またいつか天国で逢おう』との事だ」

「…ジャドさん」


友人の遺言を聞いて、ケルト達は落ち込んだように下を向き、それを聞いていたミライアは泣きそうに俯いている。

しかしそれを励ますように、ヴァルスは言う。


「彼は天の国へと昇った。彼は善人であったからだ。ならば、貴方がたも善行に励み、再び彼に会えるように努力せねばならない。それが、生きるということだからだ」


生きろ、と、ヴァルスは一同へ告げた。

先に逝った者に恥じないように、立派な生き様になるよう足掻いてみせろ、と。


「そして、死は終わりではない、新たなる始まりだ。世界がある限り、貴方がたはいつでも彼と会うことが出来る。たとえ肉体が記憶を忘れようとも、魂は忘れはしないのだから」


そう言ってから、ヴァルスはほほ笑みを浮かべたまま、杖を一つトンっとついた。

すると、見る間にヴァルスの姿が、夜のベールの中へと消えていく。


「よく、生きなさい。我が子らよ」


それを最後に、ヴァルスの姿は解けたように消え、場には静けさが戻った。


「………はあぁぁ」


今度はハディがため息を吐いて、場の空気が夜の静けさへと戻ったのを感じた。

人々は消えた者たちへの思いを胸に、一様に胸を撫で下ろしている。あの異様な吸血鬼と、人の始祖の理解できぬ小競り合いに巻き込まれず生き残れたことに、密かに神へと感謝していたのだ。


「…………ヴァルスに、神……まさか、そのような………」


そんな中、ゲーティオはブツブツと青い顔で何事かを呟いていたが、ふと気がついてケルトを見つめた。

先程の一連の流れでフードが取れたケルトは、ハディの肩に手をやって励ましていた。


「………」


ゲーティオは、青い顔で目を見開き、そして…。


「……くっ!」


そして、目を逸らしてそっぽを向く。

ただ、目の前の現実から目を背けるように、見ないように、己を隠したのだ。


「…ケルティオ」


小さく呟く弟の名に、しかし首を振ってから目を見開き、副官へと事態の収集の為に命令を発する。


…それは、どこか現実逃避にも似た行動であった。



※※※



翌日、残っていた死者の埋葬を終え、葬儀が執り行われた。とはいっても、司祭は居ないのでゲーティオが簡単ながらに儀礼を執り行った、非常に簡易な代物であるが。魔物に食い殺された者は清めねば禍根が残る、と信じられているので、葬儀は早々に行わねばならないからだ。故に、今回の死者のほとんどはゾンビーになることもなく、灰となって聖水で清められ、集合墓碑へと弔われた。

その儀礼にハディとケルトも参加し、神妙な様子でそれを見ていた。

同じく、ミライアとライド、それに生き残った兵士やチャーチル、砦に残っていた難民の一部も。皆が皆、あの戦いの終わりを見届けようと、気持ちを切り替えようとしていたのかもしれない。生者が死者を弔い、明日へと歩みを進めるために、葬儀とは存在しているのだろう。


儀礼の最後に、ゲーティオは後に慰霊碑を建てる事を告知していた。

この砦、ティアゼル砦の魔物との攻防は本国へ報告し、ここで散った全ての者を鎮めよう、と。そして忘れぬように戦死者の名を刻み、その雄姿をここに残し続けることを約束した。

…ジャドの死は、砦の者たちにとっては多くの死の一つでしか無いが、彼の勇気ある行動によって救われたのも事実。故に、一部の者達はジャドをティアゼルの英雄と呼ぶものも居た。

それに、ミライアは苦々しい笑みを浮かべ、呟いた。


「勇者になりたがってたあいつが、英雄とは…皮肉ねぇ」


勇者に憧れた子供は、英雄という称号を餞に散ったのだ。


それが彼にとって満足なのかどうか、ミライアには判断がつかないようだったが。


なお、遺品は兵士が回収し、遺族へ手渡されるらしい。遺品が残った者も居れば、欠片も残らなかった者も多い。どちらにせよ、告知しに行く者は気が重くなる事だろう。

そしてケルトが回収したジャドの遺品、青い石の欠片はミライアへと渡していた。それを手に、ミライアは少しだけ強がるようにほほ笑みを浮かべていたが、ライドは静かに、励ますように寄り添っていた。


…そして、数日後。


ハディ達一行はティアゼル砦を出立し、ケンタックへと戻ることにした。

砦を発つ際に、チャーチルは実に感動したような様子で一行を見送ってくれたのだ。


「君たちには何から何まで世話になった。本当にありがとう」


救ってくれたお礼と言っていくつか金を包んでくれたようで、それを餞別に渡された。そこそこに重みのある革袋にネセレは口笛吹いて喜んでいたのが彼女らしい。

今も、船旅の途中にも関わらず、革袋の中の宝石を取り出して日に掲げて鑑定している。


「…しっかし、随分と長くケンタックから離れてたよな。もう何年も戻ってないような気分だ」


ハディが潮風に靡く髪を掻けば、同じく帽子を抑えているミライアが頷く。


「本当に…出る時とは何もかもが違うように感じられるわね」

「…うむ」


ミライアとライドの傍に居るべき者が居ない。それだけで、どこか物悲しい雰囲気がしてしまう。

少しだけしんみりしている最中、それを壊すように「そうそう」とミライアは顔を上げて言う。


「ライドと話し合って決めたんだけどねぇ、アタシ達、冒険者は廃業することにしたわ」

「…え!?」

「冒険者を辞められるんですか?それじゃあ、これはからは一般人として生活を?」


ケルトの問いに、二人は顔を見合わせてから笑いあった。


「違うわよぉ。ほら、ゲッシュが冒険者専用の宿をやってるわけでしょ?じゃあ、当然ながら駆け出しのヒヨッコがいっぱい来るじゃない。だから、アタシ達はそいつらの指南を専門にしてみようかなって思ってねぇ」

「うむ、つまりは駆け出し冒険者の指導役だな」

「…ああ!なるほど!」

「ふうむ、冒険者にはノウハウも無しにこちらの世界にやってくる年若い者も多いですからね。死にやすい職でもありますし、お二人の仕事はきっと大勢の人々の助けになるでしょう」

「でしょう?」


ミライアもジャドも中堅所の冒険者、その腕前は決して悪くはなく、ノウハウも多く持っている。だから、その腕を利用して後輩から金品を巻き上げ…もとい、修行するということである。


「それにねぇ、あいつの居ない竜巻旋風団って気に食わないもの。それにネーミングが破滅的にダサいし」

「うむ」

「だから、心機一転して新しいことに挑戦してみようってわけ。それに……あいつに笑われないような生き方もしなきゃいけないしねぇ」

「…うむ!」

「だから、まあ。これからも宜しくねぇ、二人共」


微笑む二人へ、ハディとケルトは顔を見合わせてから、共に頷いた。


「ああ、よろしくな!」

「お世話になりますね」


改めて握手し合う4人、それを遠くの甲板で眺めながら宝石を見ているネセレは、呆れたように呟く。


「かっー!暑苦しいんだよ、ったく!」


宝石を弄びつつ、それを袋に収めて海の向こうを眺める。

…見える対岸、エーメルの港町。そのずっと向こうには、ケンタックがある。


「…さーて、割に合わねぇ仕事だったからなぁ。こりゃあ賃金値上げも仕方なしってなもんだぜ」


密かにメルへの交渉と賃金の交渉を計算し、ほくそ笑む盗賊である。

どうにも、周囲からいくら英雄と言われようが、ネセレは基本的に金にガメつくケチなのであった。

そんなケチな盗賊の皮算用の尻目に、船は海峡を泳ぎながら一行を運び続ける。


…それを黒いカラスが追いかけ、カモメに混じって「カー」と鳴いていた。



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