第64話 戦いの終わり

「やぁやぁ、よくぞこの困難を突破したものだね、我が眷属よ。嗚呼!この卑賎なる道化もまた御前達の行動を粛々と見守っていたものであるが、随分と無茶をしたものだと呆れ返りながらも快哉を叫んでいたところなのだよ。ともあれ、まずはおめでとう、と言わせておくれ」


真っ暗闇の中、ケルトの眼前では逆さの道化師が踊っていた。否、或いは自分が逆さなのかも知れないが。

踊る道化はクルリと回り、それからしゃがみこんでケルトと目を合わせた。


「これで君の魂はまた一段階と練磨された、我が主上のご要望どおりに。実に良い結末だ」

「…良い結末?大勢の人々が死した、これが?」


ケルトの呻きに、道化は笑う。

何の感情も浮かんでいない、虚無のような仮面の笑みだった。


「死を悲しむなかれ、志を悼むなかれ、生は消えるものだが、世は変わらず続くのだ。人あらざる御前も、きっとすぐに慣れるだろう」

「………私はそれでも納得できません」

「おお、人の迷いは成長の兆し。ならば存分に悩みなさい。悩み抜いた末にいでた答えこそが、御前の真理なのだから」

「………私達は、なんと無力なのでしょうか」

「神ですら無力なのだから、きっとお前たちはもっと大きく無力なのだ。そしてこの道化は誰よりも無力の塊、故の称呼はグリムアード。我もまた邪神である」


邪神と名乗る道化はケタケタ笑い、パンッと手を叩いて空中に掌を掲げた。

その上に浮かぶのは、白と黒の輝きだ。


「御前が望むのならば、すぐに御前を神に昇格しよう。我が主もそれを望まれるのであろうならば、きっとこれも最善手。お前は神となり、この世の全ての存在を救える、かもしれないモノとなる。もっとも、救えぬ者は変わらない故に、無力感は変わらないだろうがね」

「…神…」

「成るに相応しき格、お前には二つの位階への道を授けよう」


ゆらり、と道化の姿が消え、次いで現れるのは輝ける相貌をした、白き衣を纏う白髪の女性。


「我が眷属神の道を歩むのならば、灯の位階を差し上げましょう。人々の道を照らし出し、助言を与えるランタン持ちの役目です。もっとも、助言で人を救うことも、死なせることも容易ですが」


次いで、再びゆらりと陽炎のように揺らめき、現れたのは黒い髪と輝く相貌をした、厳つい鎧の男性姿。


「俺の眷属神と成るのならば、貴様には陽炎の位階をくれてやろう。元来、光の精霊である貴様は光と親和性が高いが、不思議と貴様自身は闇との親和性もある。陽炎の位階は偽りを現すが、それは時に何かを導く標となる」


ふわりと人型は揺らめき、再び現れたのは道化姿。

極彩色の道化師は、輝きを手に、催促する。


「さあ、御前はどちらを選ぶのか?灯か陽炎か、それとも?」

「………私は」


ケルトは、差し出された選択肢を見つめ、それから首を振った。


「…私は、まだこの世界を去るつもりはありません」

「ほお?この機会を逃せば、再び神への道は途絶えてしまうかもしれないというのに、それらを捨てる選択を成すと言うのかい?これは奇っ怪な」

「確かに、神になればより多くの人を救うかもしれません。ですが、私はまだ…」


一拍置いてから、ケルトは呟いた。


「まだ、人として彼らと、今の時を歩みたい。それに」

「それに?」

「…ここで神となっては、彼女と話しをすることも出来無さそうですしね」

「………」


道化は、笑った。

何が楽しいのか、腹を抱えて大笑いしながら、叫んだ。


「ああ愉快!なんとも至極全うで人間的な面白い存在だ!だからこそ、君は私の眷属だったのだ!」

「それはどうも…グリムアード、というべきなのか、我が主神と呼ぶべきか迷いますが」

「私は我らでありどちらでもある。でもどうせなら我が主神と友である君はグリムちゃんって呼んでも良いのだよ!或いはクラウンって呼んでね!」

「は、はぁ…」


妙なハイテンションで叫ぶ道化に気後れするケルトとは裏腹に、グリムアードは仮面越しにニッコリと笑った。


「それじゃ、そろそろ目覚めよう!オハヨーオハヨー!月夜が綺麗な朝なのだよー!」

「それは夜なのでは」


と、ケルトが突っ込んだその間際、不意にケルトは視界がぐるぐると回った。

思わず悲鳴をあげる中で、ぐるぐるぐるぐると回る視界に目が回り、思わず目を伏せて頭を抱えたまま、彼は空高く打ち上げられるような浮遊感と同時に、



「…いたっ!?」


目が覚めた。

視界を開けば、空にはいつもの霧が晴れた、見事な黄色の月が浮かんでいる。

思わずボーッと天を仰いでいれば、不意にカー!と何かが鳴いた。

見れば、胸の上に乗っているのは、三つ目の鴉。

黒い夜闇に紛れたそれは、カーカー、と何度か鳴いた後に、そのままバサリと身を翻して空へ舞い、何処かへと去っていった。


それを呆然と見上げながら、ケルトはゆっくりと顔を上げ周囲を見回した。


…抉れたクレーターのような地表。その只中で倒れていた自身に気が付き、次いでゾッとなりながら仲間の影を探す。月明かりの中、倒れ伏すハディ・ライド・ザムの姿を見つけ、ケルトはホッとしてから、見つからぬ最後の人影を求めて彷徨う。


「………ジャドさん」


爆心地、辛うじて見つかったのは、吸血鬼が纏っていた衣服の切れ端と、ジャドの持っていたアミュレットの破片。それ以外はなにも発見できなかったのだ。

青い破片を掌に、ケルトはギュッと握りしめながら、天を仰ぐ。


…空は、憎らしいほどに晴れ渡っていた。



※※※



「……なんだ、魔物が……」


大量の魔物の軍勢に城門を突破され、砦内部から防衛戦を強いられていた人々は、唐突に魔物の動きが止まったことに訝しんだ。

それから、パタリ、と魔物が倒れた。

パタリ、パタリ、と人形のように転がり、一匹、また一匹と粒子状の光となって消えていく。バタバタと倒れ、打ち崩れいていく魔物を呆然と見守っていた人々は、その全てがあっという間に消えていった後に、誰ともなく呟いた。


「…やったのか?俺達は…勝ったのか?」


絶望的な状況、誰もが死を覚悟した只中で、突如として行われた敵の消滅。血まみれな兵士たちは、自分たちの勝利を思い起こしてから、誰ともなく地面に崩れ落ち、バタバタと倒れた。そして、倒れ、身を起こしながらも、静かな勝利に小さな歓声を上げて泣いたのだ。もはや、勝利に湧く気力すらも無かった。


「…やった、遂にやったんだな…!ああ、何という日だ!ルドラよ…感謝しますぞ!」


チャーチルは呟き、ワスプに噛み砕かれた右腕を庇って倒れる。もはや、指示を出す余裕すら無い。


「…やったわねぇ」

「ああ、やったんだな」


砦の窓から外の様子を見ていたミライアは、ズルズルと壁を背に座り込んだ。もはや気力だけで目覚めている状況だった。

リーンは、そんな激闘を制し続けていたミライアを労るように見て、言った。


「休んでいて構わない。後は私が面倒を見ておくから」

「…そういうわけにも、行かないのよねぇ。あの馬鹿と狼さんが戻ってくるのを待ってないと…」

「仲間想いなんだな、ミライアは」

「そりゃ十年来の付き合いだしねぇ。それに…」


不意に黙して、ミライアは魔法帽子に触れた。

…大きな鍔広帽子は思い出の品だ。それは、ジャドの持っていたアミュレットと同じ由来の品である。

過去を思い出すように目を細めてから、ミライアは呟く。


「……あのバカ、アタシがいないといっつも無茶するんだもの。だから、見ていなきゃいけないのよぉ。ずっと、そうして来たから…」


そう言いながら、ミライアは微笑んだ。




「……やったか」


巨大なワームの死体の上にどっかりと座り込んだネセレは、ボロボロの体で息を吐いていた。魔物の侵攻が止まり、砦から密やかな歓声が上がり、ようやく勝利を確信したのである。

消えつつあるワームの体から立ち上がり、ゼィゼィと荒々しい息を吐きながら、城門の前まで足を引きずって歩く。そして門を背に座り込んで、置いてあった酒のボトルを取り出して口に運ぶ。

…が、それはぽたりと一滴だけ零して、空になった。


「…ちっ」


舌打ち混じりにポイ捨てし、ネセレはふー、と息を吐いて月を見上げた。


「…っんとに手間のかかるガキ共だぜ。だが、まぁ…よくやったよ。今回はな」


ふん、と鼻で笑いつつ、ネセレは一人、門の前で待ち続ける。

全身は血まみれ、肺は破れ、片目も微かに切られたのか目が開かず、口端から血が出ているが気にした風もない。

すぐにでも治療が必要な状態でも、ネセレは動くことなく、待ち続ける。


…それを、月だけが静かに見つめていた。



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