第63話 反撃の狼煙4
…赤い月の元、二対の化物の狂騒は続いていた。
音を置き去りにしたように、巨大な腕がふるわれた瞬間に相手が吹っ飛び、それから嫌な打音が響く。笑う怪物が咆哮を上げ、四肢を駆使して地を蹴った。吹っ飛んだ相手はしかし、クルリと回転してから地面に両足をつけ、飛んでくる獣を迎え撃つ。
刹那、凄まじい轟音が響き渡る。
後退した両者の片腕が吹っ飛んでいた。が、両者は気にもせずに赤い血を撒き散らしながら腕を再生させる。煙を出しながら再生を繰り返しつつ、その激突は幾度も幾度も繰り返され、その度に大地が抉れ、空気が震え、周囲四方を滅茶苦茶にしながら暴れまくっている。
吸血鬼が血の刃を震えば、獣は全身でそれを受けた。
しかし、獣の爪が吸血鬼の首半ばまでを刳り取り、微かな血を吐かせる。
それで止まる筈もなく、一拍の間の後、両者は互いの刃と爪を砕きながら背後に飛び、再び猛攻を仕掛ける。
獣が地面に手を付けば、地面から血で出来た杭が飛び出て吸血鬼の両足を釘付ける。が、吸血鬼はそんな事は気にした風もなく、印を切ってから赤い瞳で相手を睨めつけた。
ギンッ!と飛んだ魔眼は、しかし獣の返す眼力の前で無力と化した。
それに、吸血鬼は目を見開く。
「…貴様も魔眼持ち、つまりは特注品か」
魔法を無効化する魔眼の前では、吸血鬼の瞳は役には立たない。
魔眼を諦め、吸血鬼は蝙蝠化して宙に逃げる。獣がそれに追従するが、蝙蝠一匹一匹を斬り殺しても意味はない。それらは全てフェイクだ。
獣が地面に降り立ったと同時に、影から吸血鬼の腕が伸び、獣を捕らえる。
不意を打たれた獣が咄嗟に引き剥がそうとするが、それよりも吸血鬼の方が早かった。
「杭打ち」
呟く刹那、獣の両足の内から外へ、赤い針山が飛び出たのだ。
体内から食い破る血の杭に、たまらず獣は咆哮を上げる。ギリギリと両足を持つ腕が締まり、ブチブチと筋肉が千切れる音がする。
が、獣は理性のない目で睨めつけてから、そのまま地面から吸血鬼を引きずり出して抱きついた。
咄嗟に相手の顔を掴んだ吸血鬼へ、獣はニヤリと笑う。
次いで、
「っ!?」
獣の全身から、赤い血の杭が飛び出て相手を襲った。
至近距離で打ち込まれた杭の山に、流石の吸血鬼もズタズタにされて血反吐を吐く。が、相手の顔を鷲掴み、顔の肉を握り千切った。
血を撒き散らしながら双方は再び後退し、息荒く間合いをリセットした。
吸血鬼は全身を朱に染め、そこら中から穴が開いている。
獣は頬の一部が抉り取られ、両足が棘だらけでズタズタだ。
互いにボロボロ、しかし両者は興奮した獣のようにギラギラした瞳を向け、笑みを浮かべている。
そこに、先程までの理性の色は見えない。
ただ、再生を繰り返しながら、互いに笑い合っているのだ。
(…ハディ…!)
そんな戦場を眺めながら、ケルトは杖を付いて立ち上がった。
あまりの変わりように、ショックと同時に酷い焦燥感を抱いたのだ。
確かに、あのハディならば、吸血鬼を追い詰めることが出来るだろう。だが、今のハディは暴走状態だ。まさに理性が見えない、獣の姿。それに危機感を募らせる。
「…ぐ、おい、ケルト…!生きてるかぁ?」
「ジャ…げほっ…!ジャド、さん…」
「ちっ、まだ喉は治らねぇのかよ…おい、ライド!それとザムのおっさんも…シャッキリしろよ!」
めいめいに立ち直った一同は集まり、眼前で繰り広げられている戦いに見入る。
皆、得も言えぬ咆哮を上げて相手に襲いかかるハディの変わりように、言いようのない恐怖を感じていたのだろうか。或いは、その獣を相手に楽しげに、戯れるように笑っている吸血鬼の異質さに、異形の者である事を意識したが故なのか。
片腕をふっ飛ばしながら相手に食らいつくハディを見て、ジャドは呟く。
「…あのチビ助を止めるぞ」
その言葉に、しかし両腕を癒やしているザムが尋ねる。
「ダガ、方法はアルのか?」
「知るかよ。けど、あのままじゃあのチビ………死んじまうぞ」
ジャドの言葉に、一同は見る。
吸血鬼の再生が落ちてきているのだが、同時にハディの再生もかなり遅々としたものになりつつある。頭をふっとばされた吸血鬼が立ち直るのに、かなりの時間を要しているが、千切れた腕を治すハディの再生はそれより尚遅い。
その様子を見て、ケルトは呟く。
「できれば…げほっ、吸血鬼を殺しつつ、ハディを止めるのが最善です、が…」
「うむ…しかし、今の少年は手強いぞ」
「それに、吸血鬼を殺し尽クスにシテも、それだけの攻撃はワレラに可能ナノカ?」
「ケルト、お前の魔法じゃどうだ?」
ケルトはしばし黙考してから、首を振る。
「先ほどレベルの魔法は…もう無理です」
「くそっ…八方塞がりだってのか!?」
「ですが、敵の再生に関してどうにかする術はあります」
驚愕の一言に視線を集めつつ、ケルトは光る瞳で相手を睨めつけている。
「敵の再生能力は脅威ですが、やはり溜め込んだ精霊の力や生命力が尽きつつあります。だから再生能力が消えつつある。つまり、このまま敵の生命力を枯渇させられれば、倒すことが出来ます。その為に、生命力を奪い取る魔法を使えば…」
「あの野郎を無力化出来るってわけか!!」
「なるほど…ダガ、生命力を奪う魔法は?」
「今、なんとか組み立てていますのでお待ちを…ですが、問題はどうやって吸血鬼を倒すか、です。生命力を吸血鬼とハディの両者から奪って無力化し、一人がハディを抑え、残った者で吸血鬼を仕留めねばならない。仕留められなければ、逆にこちらがやられてしまいます」
ハディが正気に返るかどうか、そこも問題だが、吸血鬼を討ち倒す威力の攻撃も必要だ。
しかもケルトは魔法を使うため、必然的に面子からは抜ける。
「………」
ジャドは、ハディを見る。
獣のように理性を失い、暴れ狂う子供の姿を見る。
黙して眺め、ギュッと手を握った。
「…………勇者か」
世界を救う英雄、勇気を与える偉大なヒーロー。
在りし日の思い出を胸に、ジャドは胸元に隠し持っていた首飾りを取り出した。
石がキラリと光る、簡単な護符であるそれは、ずっとジャドにとってのお守りでもあったのだ。
「…メルさん、頼みますぜ」
それに囁いてから、ジャドは震える声で、唐突に笑った。
「…へへへっ!お前ら、ほんっとうに運のいい連中だぜ!」
「ジャドさん?」
「ジャド、なにを…」
「ライド、こいつを使う時が遂に来たようだぜぇ。これで、オレがあの吸血鬼をふっ飛ばしてやれるぜ!」
「待て!ジャド!!それは…!!」
「いいっこなしだぜ、ライド。それによぉ…時間がねぇんだ」
ジャド達の背後には、数百人もの人間の命が伸し掛かっている。
今尚、戦いの中で自分たちの勝利を信じ、必死に剣を振るう者たちが大勢いるのだ。そして、その中に、自らにとって大切な者の姿も。
その顔を思い出しながら、ジャドは震える手を握りしめ、言い募る。
「オレ達はな、死んでも野郎を倒さなきゃいけねぇ。そこに尻込みはご法度だ。じゃなきゃ、なんでこんな場所にやって来たのかわかんねぇじゃねえか」
「ジャド…!」
「ライド、お前とはガキの頃からの縁だったが…ま、なかなか楽しかったぜ。それと、ミライアにも宜しく言っといてくれよ。あの女、どうせ誰かが見てねぇとあっさり誰かに騙されちまうんだからな」
「ジャドさん、まさか貴方…!」
「へっ!ケルトよぉ、最初は気に食わねぇ野郎だったが、まあ今はなかなかいい面構えになってやがるぜ。…まあ、なんだ。ハディのチビにも、適当に言っといてくれよ」
「ジャドさん…」
ジャドの、死を思わせる言葉に詰まったケルトだが、しかしそんな周囲へジャドは叫ぶ。
「おら!ボーッとしてる暇があったら準備しろぉ!放心してる暇なんざねーぜ!!」
「っ……!!」
死地に赴く男の背に、何も言えず、ケルトはグッと息を詰めてから、大きく吸った。
「…ライドさん、ハディを抑えていてくれますか?大柄な貴方なら、ハディを抑え込める目があります」
「………うむ」
「ザムさんは魔法で援護をお願いします。ジャドさんが相手の懐に入るまでの道を、作ってください」
「わかっタぞ」
「ジャドさん………………」
大きく息を吐き、ケルトは言った。
「頼みます」
短い言葉に、
「…任せとけ、新米!」
ジャドは、しっかりと頷いたのだ。
ケルトは杖を持ち、詠唱の為に精神を統一させ、場を見極めるために瞳を開いて、戦場を睨めつけた。
「…それでは、いきます!」
※※※
幾度目かの衝突と同時に、互いの爪が相手の胴を貫いた。
異様な音と血飛沫が舞い、両者は血反吐を吐きながら牙を晒す。
更なる攻撃を仕掛けようとした、その刹那。
「『来たれ6つの水、我は汝を乞い願う!我は光の同胞、我が思索は汝を望む!』ノ・アフト・ティニア・マウリア!」
両者を包み込むような青い光が現れたのだ。
魔法だと察した吸血鬼は、咄嗟に離れようと獣を貫いた腕を引き抜こうとするが、獣は苦しむように暴れてそれを許さない。傷が増えつつも腕を抜き払ったその時、
「…ハディ!!」
突き飛ばされた獣を、ライドが後ろから羽交い締めにしたのだ。
それに獣が滅茶苦茶に暴れるが、それでもライドの方が体格が良く、その怪力でもなかなか外れることはない。
飛び出た相手の存在に、吸血鬼は咄嗟に周囲を見回して現状を把握。
そして、駆けてくるジャドの存在を目にして、掌を向けた。
「何を考えているか知らないが、邪魔は…」
『こちらの邪魔はさせんぞ吸血鬼!』
「なにっ…!?」
ザムが原始魔法を放ち、吸血鬼の放とうとした血刃を全て叩き落とした。
裂帛の咆哮を上げるジャドへ、ならばと吸血鬼は指先の血の刃で迎え討つが、
「…残念だったなぁ!!」
「…幻影っ!?」
スルリ、と切りつけたジャドの姿が消え、代わりに背後の影から飛び出たのだ。
咄嗟に反転した吸血鬼だが、しかし不意に奮った腕がボロリと落ちた。再生が追いつかずに千切れたのだ。
驚愕の間、ジャドは剣を吸血鬼に突き刺し、更に腕を掲げ、
「…マ・カトゥ・フレム!!」
魔法を纏った貫手で、相手の胸を刺し貫いた。
そして、剣を手放した腕で、アミュレットを引きちぎって、握り込んだのだ。
「……おい!ハディ!!」
ジャドの叫びに、暴走していたハディは、一瞬だけ理性が戻ったように震えた。
微かな反応のそれに、ジャドは横目でチラリと見てから、痛みを堪えるような笑みを浮かべて、言った。
「…でかい男になれよ」
そして、ジャドは吸血鬼を睨めつけながら、怒声を上げたのだ。
「くたばるのは癪だがなぁ、オレと心中して貰うぜ吸血鬼ぃ!!」
「まさか…やめろっ!?」
「おせぇっ!!『来い10の闇の精霊!俺の全てをくれてやらぁ!!』」
自分が呼べる限界以上の精霊を呼び寄せ、ジャドは猛るヴァルを全て費やし、更に己の中に存在する全ての、文字通り全てのエネルギーを注ぎ込み、アミュレットを手の中で砕いた。
舞い散る破片が光輝き、黒紫のエネルギーが操り手の居ないままに集い、そして肥大化する。
そのエネルギーの傍流の只中で、ジャドは笑みを浮かべて天へと叫ぶ。
「…
魔法の原則を無視した力は法則に則って暴走し、その巨大な爆弾のようなエネルギー全てを費やしながら、周囲を全て覆いこんだままに、暴発した。
…巨大な、黒紫の輝きが、ドーム状となって平原中央部で爆発のような輝きを発した。
それは周囲全ての魔物を巻き込み、数百メートルもの範囲全てを、灰燼へと帰したのである…。
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