第58話 絶望の向こうに希望が見える
―――定命の者達に告ぐ。明日、天光が落ちて後に全ての手勢を率いて、御前達を殺しに向かおう。それまでに死出の旅路を整えるが良い…。
砦の前に現れた吸血鬼は、そう告げて赤い霧と共に去っていった。
残された者は、自分たちに残された時間を知り、各々の中で様々な反応を示した。
嘆くもの、膝をつくもの、諦観するもの、泣き叫ぶもの。
そんな最中、天では黒いカラスが死肉を漁ろうと羽を広げて鳴き声を上げており、一層の混乱に悲壮感が増している。
その阿鼻叫喚の只中で、尚も挫けぬ意思を持つ者たちは、怪我を圧して会議室に集っていた。
「…げほっ、それでは、現状を確認しましょう…」
「ちょ、ちょっと大丈夫なのぉ、ケルト?喉が…」
「…些末な負傷です」
ガラガラ声で喉に薬草と包帯を巻いているが、ケルト自身に負傷はない。ただ、身の丈に合わぬ魔法を扱い、喉が力に押し負けて傷んだだけだ。癒やしの魔法で治癒しつつあるため、明日までには治るだろう。
青い顔のケルトに促され、チャーチル卿が砦の状態を説明する。
「先程の戦いで負傷者は多数、死者は…数えたくもないが、多い。北門の城壁の一部が壊れ、すぐに修復せねば明日の戦いには持ちそうにないな」
「では、修復を急がせてください…我々魔法士も手伝います」
「しかし、その…先程の通告で、大半の兵士の心が挫かれてしまっているのだ…!正直、私も今すぐに地面にへたり込みたい気分だからな…」
『軟弱な、貴様はそれでも指揮官か!』
『ミイ、そう詰るな。無理もない状況だ。我らにとっては他人事だが、彼らにとって死者は隣人なのだから』
『…ふん!』
夜魔族の二人、というか、ミイは苛ついたように腕組みをしているが、ザムは芳しくない状況に眉根を寄せている。
そんな二人へチャーチルも引き気味になりつつ、話を続けた。
「他には、物資の方が少なくなっている。聖水の在庫がほぼ無いに等しい。次のワスプの奇襲に頭を持っていかれる者は多いだろうな…」
「…聖水を作るには司祭が必要ですが、砦には?」
「一人だけ、それも使い物にならない。それにここ二ヶ月はずっと聖水作成で酷使してきたからな、もう起き上がる気力もないようだ」
「では、次案を…げほっ…魔法士の一人が結界を張り、そこで迎撃をするしかありませんね」
「それと、投石器が三台も壊れてしまった。残りは二台だが、こちらもそう長くは持たない。そもそも、投石する岩が無い。長らく補充の為に外に行けなかったから、砦の岩は全て投石してしまったし、削る道具ももう無い。残るは土塊だけだな」
「…土魔法でなんとかするしかありませんね。水と土を駆使すれば、岩と同等の強度は出ますが…ふぅ、これは私がやるしか無さそうですね」
魔法の利便性が高いのは周知の事実だが、人手が足りないのが実に惜しい。
しかしそこで、ジャドが焦燥を含んだ声を上げた。
「…それよりもよぉ!ネセレはどうしたんだよ!?あいつが怪我を負ったって…マジなのか!?」
「………事実です」
ジャドの問いに頷けば、ジャドだけでなくネセレを知る者たちは、一様に顔を青ざめさせる。ネセレの強さは宿でも評判で、ジャド達も圧倒的な力量差を叩き込まれている相手でもある。そのネセレが倒れたという事実に、嫌が応にも士気が下がっている。
(…不味いですね)
ネセレは、あのふてぶてしい態度がアレではあるが、確かにそこに居てくれるだけで人々に安心感を与えてくれる存在であったのだ、アレでも。そう、彼女には強者の持つカリスマが備わっていた。だが、その彼女が倒れ、場は微かな混乱に支配されつつあった。
「だ、だいたい、ネセレを倒した吸血鬼はどうなってんだよ…?あのネセレがだぞ!?仕留めきれないわけないだろうがよ!?」
「…遠見で見ていましたが、敵は超再生力を持つ存在のようです」
「はぁ!?」
ケルトの言葉に、ミライアが引き継ぐ。
「アレはね、おそらくあの吸血鬼の持つ素の再生力と、精霊を食べる事によって増幅されたとんでもない再生力なのよぉ。食べてるってのは、まあ近場じゃないから詳しくはわからなかったけども、再生するたびにあの辺一帯のヴァルが津波を起こしてたから、おそらく事実よ。それに、ミイの月魔法で阻害した途端、再生能力が落ちたからねぇ」
「相手の再生を封じ、ネセレが敵を倒す間際…森の中から、何者かが妨害しました。あの赤い閃光、おそらく魔法だとは思うのですが…」
『ただの魔法ではあるまい。とても強固で、瞬きよりも速い一撃だ。城壁だろうと遠慮なくぶち破るレベルの魔法だったぞ』
「…なんなんだよ、そりゃぁ」
ジャドは呟き、首を振ってから椅子に座り込んで頭を抱えた。
敵が吸血鬼だけではないという状況に、絶望的な気分になっているのだろうか。
だからか、やけくそ混じりに叫ぶ。
「…無理だろ、無理だ。ああそうだ!ネセレが居なけりゃオレらに勝ち目なんてねぇよ…!」
「ちょっとジャド!」
「事実だろうが!?あの人間兵器みたいな女が居なけりゃ、誰があんな再生力のバケモン相手に戦えるってんだ!?勇者でなけりゃ無理に決まってんだろぉ!?」
「…ジャド、苦しいのはわかるが、喚いても仕方がない」
ライドの窘めに、ジャドは顔を歪めてから、大きな息を吐いて震え始めた。
「…オレは嫌だぜ、死ぬのは…こんなゴロツキだったとしても、魔物に食い殺されるなんざ嫌だ…」
「ジャド…」
死が身近な職ではあるが、それでも死への恐ろしさは人と変わらないのだ。震える彼を責められる人間がどこにいようか。
それでも、窘めねばならないこともある。
ケルトは、ジャドへ何か言おうと口を開いた…その時。
「…って、……レ!もうちょっと…!!」
「…せぇ!ア……指図すんじゃ……!!」
「…?何事ですか?」
部屋の外から響くドッタンバッタンという音の後、ババーン!っと扉を蹴りあけて入ってきたのは、金髪の少女と見紛う女である。
包帯で胸元をぐるぐる巻きにしつつも、ふてぶてしい態度はいつものこと。
後ろに引きずられるハディを引っさげて登場した女盗賊は、室内の唖然とした空気に眉を顰めて息を吸った。
「おいこらてめぇら!なんだこの通夜みてぇな空気は!?まさかとは思うが、てめぇらアタイを勝手に殺してなかっただろうなぁ!?あぁ!?」
「ね、ネセレ!もうちょっと寝てないとマズイって言われてただろう!?」
「うるっせぇ!!アタイに指図すんじゃねぇチビ助!!」
ネセレにはメル特製の回復ポーションを使用しているのだが、そのポーションでも怪我が深すぎて完治には至らない。絶対安静なのは確実なのだが、当人は平然としている。まさに怪物である。
ガッタンと椅子を引いてどっかりと座り、ふぅーと息を吐いてから、ネセレは据わった目つきで言った。
「肉だ」
「…え?」
「聞こえなかったか?肉もってこい!!傷を治すのには肉がいるんだよ肉ぅ!!」
「に、肉って、干し肉しかありませんけど!?」
「それで良いからとっとと持ってこいこのぼんくら共!!ちんたらしやがったらその両足削いでやるからなっ!!」
「は、はいぃっ!?」
条件反射で鬼教官の激に反応し、ケルトは飛び出していく。
それを見送りつつ、ハディはぼやく。
「…ったくさぁ。普通、胸を撃ち抜かれたら絶対安静だってのに、肉食べただけで治るわけないじゃん?」
「うっせ!アタイをお前らの常識で図るんじゃねぇよ。それに…アタイが居なけりゃ話しが始まらねぇだろ?あん?」
いつもの半眼で、小馬鹿にしたように笑みを浮かべる。
それは、まさに王者の風格であった。
その姿に、確かに残された人々の中で、微かな希望を灯したのだ。
・・・・・・・・
・・・・・・
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持ってきた干し肉をガツガツと貪るネセレを加え、とりあえず仕切り直しながらケルトは話しを戻した。
「ええ、ともあれ…明日は猛攻になるのはわかりきっています。全ての手勢を率い、という点から聞いて、おそらく挟撃となるのは目に見えています」
「北門だけでなく南門も敵勢が来るか…空の猛攻も激しくなるだろうな」
「リーン、迎撃したという南門の敵はどうでしたか?」
「ああ、特に問題のないレベルの手勢ではあった。しかし、あれは警告のつもりだったのかも知れないな。明日はこちらから行くぞ、という」
「…腑に落ちませんが、置いておきましょうか。この問題、つまり敵勢をどう凌ぐか、というよりは、敵大将をどう落とすか、という点を考えましょう」
「やはり、狙うのならば大将格か…だが」
「わかっています。ネセレを狙撃した人物がいる以上、大将が一人とは限らない。…ですが、ネセレが吸血鬼を攻撃している合間、ゾンビーやワスプはその指揮下に無いのか、出鱈目な行動に出ていました。つまり、指揮権は現状、件の吸血鬼にあると見て良いかと」
「だったら、吸血鬼をぶっ殺して、止まらなきゃそのもう一体を探してぶっ殺しゃいいわけだ」
ネセレの言葉にうなずきつつ、ケルトは言う。
「これは賭けです。砦を落とされるより先に吸血鬼を倒し、かつ必要ならばもう一体の敵を探し出して倒す。そうすれば我らの勝ちの目がでますが、間に合わなかった場合…」
「最悪、砦ごと魔物に食い荒らされてご愁傷さまってわけだ。けっ、笑えてくらぁ」
『今のは笑える冗談だったのか?』
『ミイ、少し黙っていろ』
「だ、だがよぉ!そもそもどうやって吸血鬼の大将まで行くんだ!?まさかあの軍勢…いや、あれ以上を蹴散らしながら行くって言うんじゃねえだろうな!?そこのバケモン女ならともかく、オレ達じゃ無理だぜ!?」
「おい、誰がバケモンだ」
ジャドの言葉に、ケルトは詰まる。そこに行くまでの案はあれど、犠牲を前提にした案しか浮かばず、さらに成功率も高いとは言えない。そもそも、吸血鬼が昨日と同じ場所にいるという保証もない。出てくる保証もない。
そんな不確実な相手を、どうやって仕留めるというのか。
思案しつつ歩き回りながら、ケルトは呟いていく。
「弓矢にエンチャントを施しての狙撃…」
「無理ダ。オレの弓は長距離を撃てヌ」
「風魔法の付与で飛距離は伸びるが、軽くなる分、重さが減る。威力も落ちるだろうな」
「ならば、魔法の狙撃」
「あの長距離を狙撃できたケルトが異常なのよぉ。普通はあんな射程範囲外、届く以前の問題よぉ」
『月魔法に攻勢魔法が存在しない。狙撃は不可能だぞ』
「そもそも、一撃で頭をふっ飛ばしたところで焼け石に水だろうしな」
「飛翔魔法で空を駆ける…」
『お前や私は可能かもしれんが、飛翔魔法の範囲は原則一名だ。たった二人でワスプを避けつつ大将まで飛ぶことが出来るのか疑問だな』
「ならば…むぅぅ…!!もういっそのこと投石器で飛ぶというのはどうでしょうかね!?重量を減らせば運良く大将の元まで飛べるかもしれませんよ!?」
「ヤケクソだな」
「だって、どう手を出せばいいのかわかりませんよ!?こんな状況でどうすればいいのやら…私には思いつきません!」
遂には匙を投げたケルトに、重い沈黙が落ちる。
と、そこで黙っていたハディが呟く。
「…爺さんがさ」
「え?」
「カロン爺さんがさ、よく魔法使ってるよな?俺、魔法のことなんてわからないんだけど、なんか凄いの」
「あ、ええ、あの方は…その、規格外ですから」
「その中でさ、離れた場所に一瞬で移動する魔法ってあるじゃん。あれって出来ないの?」
無邪気な言葉に、魔法士達はなんとも言えない顔をする。
「えっとね、ハディ坊や。普通の魔法士は、あんなメチャクチャな魔法は扱えないのよぉ」
「そうなのか?」
「ええ、そうです。あんな、レベル9魔法などという馬鹿げたトンデモ魔法を連発できる規格外どころか枠の外にはみ出まくってる存在を参考にしてはいけません。アレは神の領域です」
「でもさ、ケルトって精霊の転生体なわけじゃん?なら、ケルトも人外なんじゃないのか?」
あっけらかん、と言い放ったそれに、ケルトは思わず硬直し、周囲もぱちくりとしている。
再起動しつつ、ケルトはコメカミに指を当てながら言う。
「ええっと、ハディ?確かに、私は前世はおそらく、精霊だった、らしい、ですけど…今はただの人間です」
「え、でも魔法を短縮出来るのって、ケルトが精霊の生まれ変わりだからだろ?」
「確かにそうかもしれませんが、しかし、私は今はただの落ちこぼれ魔法士なんですよ。転移という人類最高峰レベルの魔法を扱えと言われても無理があります」
しかし、ケルトの落ちこぼれという言葉に、むしろ反応するのは魔法使いたちである。
『…なに、落ちこぼれ?お前が?何の冗談だというのだ』
「そうねぇ、ケルト。今のアンタが落ちこぼれってのは、ちょーっと洒落にならないんじゃないのぉ」
「ケルト、そう自分を卑下する言葉を吐くものじゃないぞ」
「い、いえ、今はそういう話しをしている訳では…」
「いーえ、大有りだわぁ。魔法士としては聞き逃がせない言葉よねぇ。なんで落ちこぼれがレベル5魔法をポンポン使ったり、空間跳躍攻撃を使ってるのよぉ、ありえないわ、断固としてあり得ない。噴飯ものだわぁ」
「で、ですから…」
『そもそも、精霊の転生体だと?確かに、言われてみればお前からは光の気配が強くあるが…なるほど、ならば納得だな。どおりでお前の周囲に光の精霊がまとわりついているわけだ』
「それは、だから…」
「…っだぁー!!グチグチとうっせぇんだよ!!だから出来るのかできねぇのか!?どっちなんだよおいぃ!?」
ネセレの怒号に狂乱の場はピタリと止まり、一拍を置いてからケルトは言った。
「えっと、無理です」
「はーい!俺は出来ると思うぜー」
「ハディ!」
「だってさ、同じ精霊の転生体のトゥーセルカは、歌でセイシンソウサ?ってのが出来るんだろ。アレって神さまの領域だって前に言ってたじゃん。それにダーナだってなんか強力なのが使えるから、魔法はあんまり使わないって言ってるし。じゃ、ケルトもやろうと思えば出来るんじゃないの?」
「そんなことは無理ですよ!だって私は…」
「愚図だから?」
「っ!!」
息を飲むケルトへ、ハディはまっすぐに見返す。
「やる前から出来ないって思ってたら、本当に出来なくなるぞ。自分の限界を知る前から限界を決めてちゃ、先なんて進めない。ほら、よく言うじゃん、子供は天井知らずだって」
「……で、ですが……」
真っ直ぐな、あまりにも真っすぐなその瞳に、ケルトは気圧される。時折、彼のこの純粋過ぎる瞳に恐ろしくなるのだ。
「…ちっ!っんとにタマのねぇ野郎だな!」
と、そこでネセレが立ち上がり、ケルトの胸ぐらを掴んで引き寄せた。が、ネセレはケルトより頭一つ分以上は小さいので、ケルトが中腰になるだけだが。
そんな相手に恫喝しつつ、ネセレは言った。
「男のクセにグチグチ言ってんじゃねぇよ!いいかぁケルト!?「やるか」「やらないか」の問題じゃねぇんだよ!「やるしか無い」んだ!!それ以外に手がねぇのなら、もうお前の力でなんとかするしか、アタイらに未来はねぇんだよ!!」
「………」
「いいか、よく聞けガキンチョ…!アタイはお前の過去がどうたらってのは知らねぇし、興味もねぇ。知ったところですぐに忘れる。だがな、その過去がアタイの未来を奪うってのなら、てめぇを徹底的に叩きのめしてでもその過去をぶっ壊してやるよ!」
酷く恐ろしい声色である。思わず冷や汗が滲む程に。
しかし、ネセレは眉を顰めて、続ける。
「いつまでも過去に囚われてんじゃねぇよ。「今の」お前はなんだ?ずっと親に軟禁されて泣いてた子供か?周囲から馬鹿にされ続けた落ちこぼれか?…違うだろ!お前は、あのカロンとかいう一流の魔法ジジイに鍛えられ、そしてあの勇者に鍛えられ、ついでにこのアタイが直々に育て上げた、一端の魔法使いだ!!」
その言葉に、ケルトは目を見開く。
一度だって、ネセレは彼を褒めるような事は言わなかった。師匠面をすることなど無かった。
そのネセレが、ケルトに向かって、師匠として、言い放ったのだ。
「…胸を張れ!お前はもう、落ちこぼれなんかじゃねぇよ!このアタイが…大盗賊ネセレ様が、そう断言してやる!だから、自分を誤魔化すのはもう止めろ!」
ネセレは、叫んだ。
「ケルティオ・アレギシセル!!」
捨てた名を、捨てざるを得なかった名を、呼んだのだ。
「………」
ずっと、心の奥底に仕舞い込んでいた名だ。
過去の闇に囚われ、諦観と自己否定に支配され続けていた、自分の幼い心の名だ。
いつしか過去を捨てた気になって、封じていたそれは、しかしいつまでも心の底で、澱んだ瞳をこちらに向けていた。
当然だ、これもまた、自分の心なのだから。
見ないふりをしていたから、いつまでも自分に自信が持てなかった。
幼い頃の父の声が脳裏に過ぎり、最後の殻を破ることを、押し留めていた。
だが、ここで、その名を呼んだ人が、居たのだ。
それは、初めて、本当の自分を見つけてくれたかのように、感じてしまったのだ。
「……………」
ケルトはヨロヨロと後ろに下がり、椅子にどっかりと座り込んで、長い息を吐いた。頭を抑え、過去のさまざまな感情に耐えるように長く沈黙してから、ポツリと言った。
「………本当に、貴方は無茶ぶりをする師匠ですよ」
「へっ!じゃなきゃ、なんでこのアタイが他人を育てなきゃいけないんだ?仮にも、このアタイに膝をつかせた男だろう、お前は」
「………そうですねぇ、ええ、そうです」
ケルトは、瞳を開いた。
頭はぐちゃぐちゃで、思考は混乱しているのに、どこか震えるほどの歓喜に滲んでいるのだ。
震える息を吐いてから、ケルトは感情の儘に、言った。
「…やりましょう!」
「ケルト!それじゃ…」
「ええ、やりましょう。私が転移魔法を使わねば皆が死ぬのならば…やる価値はある筈です。おそらく……いえ、必ず成功してみせます。決して、失敗はしません!」
断言を嫌うケルトが発した断言に、ハディは喜色に包まれる。
「ああ、ケルトなら絶対に出来るさ!」
その言葉に、ケルトはどこか照れくさそうに微笑んだ。
が、すぐに切り替えて、続けた。
「転移魔法はレベル9、まさに前人未到の領域ですが、あいにくとその領域に辿り着いている人外を知っていますので、呪文に関しては問題ありません。問題は、人数です」
「転移できる数には、理論上だと限りがあるんだったわねぇ。成功者は居ないから理論上なんだけども」
「ええ。…私が使う以上、ぶっつけ本番です。ならば、定員数は少ない方が良い。そうですね。私以外に、よくて4名。それ以上だと失敗のリスクが多い。もし失敗すれば…」
「ど、どうなるのだ?」
「…ねじれた空間に巻き込まれ、バラバラになって出現する…のは良いほうですかね。最悪、原型すら留めず永遠にどこかの空間をさまよい続ける肉塊に成り果てます」
ゾッとする話だ。思わず青くなる人々に、ケルトは言う。
「ですので、死んでもいいと思う人は立候補してください。成功する見込みはありませんし、失敗=全滅という酷い賭けですけども」
その言葉に、人々は一様に黙してから…手を上げた者が居た。
「俺、行きたい」
「ハディ。貴方なら立候補すると思ってましたよ」
「ああ、行かない理由がないからな」
「ちょ、ちょっとまってくれ!ハディはまだ幼いだろう!?その彼が、何故…」
「止めないでくれ、リーン。俺は、あの吸血鬼を倒さなきゃいけない理由があるんだ」
「理由?」
一拍置いてから、ハディは語る。
「俺も、吸血鬼なんだ」
自分の故郷が焼かれ、両親を目の前で失い、そして自分を喰らって異形に変えた吸血鬼の存在。それが、あの吸血鬼なのかもしれないということを。
「もしもあいつが俺の故郷を襲った奴なら、俺は絶対に倒さなきゃいけない。あんな思いや、こんな事態なんて、二度と引き起こしちゃいけないんだ。俺みたいな化物を、これ以上生み出して良いはずがない」
「………ハディ」
「だから、俺は行きたい。いや、行かなきゃいけないんだ!」
「………」
少年の重い過去に、いささか人々が気後れしている間際。
何かを考えていたジャドは、不意に手を上げた。
「…そ、そんじゃ、オレも行くぜ!」
「ジャドさん、良いんですね?」
「お、おお!男なら二言はねぇ!そ、それに…戦わなきゃ生き残れねぇのなら、行くしかねぇ!じゃあ、オレも戦うぜ!」
それに、とジャドはハディを見る。
子供が立候補しておいて、自分だけ逃げるなど彼の矜持に悖るのだ。
しかし、それにミライアが慌てふためく。
「ちょ、ちょっと大丈夫なのジャド!?」
「…無理するなよ」
「む、無理じゃねーし!このジャドさまにかかりゃぁ吸血鬼の一体や二体バッサバッサとだな…」
「…ふん、それじゃ、アタイが居なくても問題はなさそうだな」
「…え!?ネセレは来ねえのか!?」
「行くわけねぇだろタコ」
干し肉を噛みながら、ネセレは眉をしかめる。
「アタイはどうにも、印ってのをつけられてるらしくてな」
右手首の赤い印は未だに残っており、奴の影響を受けてしまうのは明白であった。
「今のアタイは奴の魔眼を確実に受けちまう状態だ。だから、行っても足手まといにしかならねぇ」
「そ、そんな…!?」
「それに砦を放棄するわけにゃいかねえ。お前らが居なくなる以上、こっちにも分散させなきゃ全滅だ。アタイはこっちに残るぜ」
「確かにそうです。が、砦の守りは…」
「…おいケルト。北と南、敵はどっちがより強い勢いで来ると思う?」
「え?…ええと、今までと同じならば、おそらく北側が強いでしょうね。南側は山道で道が細いので、攻めて来るならば広い北側かと」
「ふん、ならアタイは北を守る。後の連中は全員、南側を守りな」
ネセレの言葉に、流石に一同は言葉を失う。
「お、おいおいネセレ!?流石に一人ってのは無茶が…ひぃっ!?」
「アタイに指図すんじゃねーよ、ジャド!いいか?てめぇら全員でかかってきても、今のアタイに傷一つつけられねぇよ。そのアタイが、ほんの千匹程度の魔物連中に殺されるほど柔だと思うか?」
ニヤリ、と傲岸不遜に笑みを浮かべる様に、ケルト達は乾いた笑いしか起きない。
「…わかりました、師匠の言うことですので、その通りに致しましょう」
「おお、そうしろ」
「ですが、ポーションなどは多めに持ってください。援護出来ないということは、つまり回復も出来ないということですから。それと、危険な時は無理を…と言っていられる状況ではありませんね。とりあえず、死ぬ気で死なないでください」
「はっ!お前も随分と無茶苦茶言いやがるぜ!師匠使いの荒い野郎だ」
「しょ、正気なのかね!?その、君が例の…大盗賊だとしても、流石に単騎は…」
「おいおい閣下、このアタイを誰だと思ってやがる?皇帝の冠を盗み出し、ドラゴンと喧嘩して勝利をもぎ取り、神に唾吐いたこのネセレ様が、この程度のトラブルで死ねるかよ」
ネセレの強者としての気迫は凄まじく、鬼気迫るそれにチャーチル卿もそれ以上は何も言えなかった。
ただ、諦めたように達観したような笑みを浮かべて、こう呟く。
「…ならば、君の無事を主に祈ろう」
「ルドラのジジイには祈るなよ。あのクソジジイの加護なんざ熨斗つけて叩き返してやらぁ」
「???」
ともあれ、そんな塩梅で明日の作戦…というか、砦の命運を掛けたドデカイ賭けが幕を開けたのだ。
各々、思うところは多数あれど、集う前よりは皆、どこか明るい表情となっていた。
それは確かに、希望と呼べる輝きであったのかも知れない。
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