第57話 希望の向こうには絶望がある

…夜の帳が落ちきった頃合い。

砦はすべての篝火が燃やされ、夜にも関わらず煌々とした明かりに包まれている。人が原初の闇を恐れるように、砦の人々は夜に紛れる魔物を恐れていたのだ。

その中でも、闘志の灯火を失っていない者たちは、各々の意志を抱きながら待っていた。


「……来ました。北側からゾンビーの大軍です」


櫓台の上にいるケルトのつぶやきに、ミイとミライアが互いに頷く。

観察すれば、確かに闇夜の向こうから、不格好なフォームでわらわらと駆けてくる死人の大軍が。闇に紛れてもその腐臭と異音だけが不気味に響いており、見えない恐怖を人々に抱かせてくるだろうか。

現状、砦で動ける兵士は100にも満たない。その少ない数で、この数百という敵勢を凌がねばならないのだ。


「閣下、投石器の準備をお願いします」

「わ、わかった!こちらは私に任せてくれたまえ!!」


チャーチル卿は震えながらも階下へ向かい、投石器の合図に向かう。

同時に、ケルト達三人は、魔法の準備に入る。


『言っておくが、敵はゾンビーだ。効果の及ぼせる魔法は火と光と相場が決まっている。どちらを使う?』

「アタシとしては火だけど…ケルト、アンタはどっちが良いと思う?」

「…できれば光で宜しいですか。そちらは私の得意分野です」

『了解した。ならば、光の魔法。レベルは?』

「5レベルで」


言いながら、ケルトは拳を握ってそれを額に当て、目を伏せる。大きく息を吸い、脳裏に様々な感情と情景を過ぎらせた。精神統一を行いながらも、よぎる声色に活力を貰う。


信頼する声、励ます声、共にある声。


声は力を持って心に満ちる。それがぐるぐると巡りながら、感情として徐々に発露されていく。


「………」


息を吐きながら、目を開く。

決して負けられないという思いと、声を掛けてくれた存在を思い起こしながら、身の内の感情が静かに逆巻くのを感じていた。


「ケルト、アンタ…目が」


ミライアの声に静かに笑いながら、ケルトは杖を持って言う。


「おしゃべりはここまでです。やりますよ」


そして、精神を研ぎ澄ませながら、詠唱に入る。

同じく、やや遅れながらも二人が詠唱を唱える。

感情の赴くままに、勇気の導くままに、それは力となって全身を駆け巡るのだ。


「アマネシュト・ノ・ラ・シア・ビン・カムル」


天に巨大な魔法陣が現れ、そこに光が輝いた。

ケルトの詠唱に追従する二人も同じ属性呪文を唱え、更にミイは月魔法を行使する。


『我が月の恩寵を賜らん!』


天の方陣と重なるように三日月の魔法陣が現れ、凄まじいヴァルがそこに吸収されていく。


『放つぞ二人共!!ルドラ・マギ・ルーディア!!』


そして、夜にも関わらずに光り輝いた天より、凄まじい数の光の矢が雨のごとく降り注ぐ。

それは砦北方全域に余さず降り注がれ、森を焼き地面を焦がし、そこにいる大量の魔物すらをも極光で焼き払ったのだ。


…残ったのは、焼け焦げた平野のような、森の跡。


これには見ていた者たちも唖然としている。


「…ちっ、相変わらずとんでもねぇ力だぜ」


以前、あれで痛い目を見たネセレは眉をしかめる。以前のとは比べ物にならない範囲に、威力。今あれを喰らえば、如何なネセレとて無事では済まない。とはいえ、月魔法とかのお陰もあるらしいのだが。


「…とりあえず、ちょいっと行ってくらぁ!後は頼んだぜ、てめぇら!!」


城壁の上から飛び降り、ネセレは単騎で地面に降り立った。

そして、バネのように弾かれ、地面を駆けて凄まじい俊足で戦場を疾駆した。

眼前の敵は0。

焼き尽くされた荒野しか残らぬそこを走り抜け、魔法の適用範囲外だった切れ目まであっという間に駆ける。

その森から、わらわらと出てくるのは、ゾンビーとワスプの群れ。


「…しゃらくせぇっ!!」


ナイフを二本抜き、双剣を持ってネセレは撫で切った。

一匹、二匹、三匹目を切り刻み、四匹目をぐちゃぐちゃにしながら蹴り飛ばし、木々を蹴りつけながら空中を飛ぶ。邪魔するものは全て斬り飛ばし、こちらを敵がこちらに気づく前に刺す、切る、斬り付ける。敵が気づくのは、己が切られたというその事実だけだ。

魔物の大軍の頭上を駆け、邪魔な木々を切り払い、邪魔するワスプもぶった切り、ネセレは単独で奥へ奥へと走り続ける。


そして、見つけた。


魔物の軍の奥で、悠然と空中に佇む、黒いマントの人影。

曇天にも関わらず宙に舞う姿は優雅だが、あいにくとネセレにとっては殺意しか沸かない出で立ちだった。


ヒュッ!


という風切り音と共に、吸血鬼の喉に何かが突き刺さる。ナイフだ。

攻撃を受けた事で一瞬だけ目を見開く相手へ、空を駈けたネセレは肉薄し、両手のナイフを掲げて容赦のない連撃。


「散れっ!!」


一瞬で細切れになる相手。

バラバラになった肉片が血と共に地面に落ちる。

が、ネセレは油断などせず、落ちる肉塊に向けて持っていた酒瓶を叩きつけ、次いで錬金術製の火炎瓶を放り捨てる。

それは衝撃が火種となり、


ボゥンッ!!!


と轟音と共に燃え盛ったのだ。

眼下を見ながら、ネセレは開けた平野に着地する。周囲のゾンビーが主を無くした影響なのか、惑うようにウロウロしている。


「…へっ、口ほどにもねぇ」


血に汚れたナイフを拭い、仕舞おうとしたところで、ピクリと反応して迎撃の構えに映る。

同時に、燃えていた肉片が、灰になりつつあったそれが徐々に集まり、バサバサバサと燃え盛る蝙蝠となって宙に飛んだのだ。

そして蝙蝠は空中で再び集い、バサリとマントを翻すのは、件の吸血鬼。

銀の髪の吸血鬼は、牙を見せながら口を歪めた。


「…驚いた。随分と小さな羽虫が居たものだ。気づかなかったぞ」

「へぇ、吸血鬼らしく死に損なったか。流石はウジ虫みてぇな再生力、惚れ惚れしちまうぜ。いやいや、ゴキブリ並って言ったほうが良かったか?蝙蝠野郎」

「下品で野蛮な猿風情が、この私に随分な口を利くものだな…」

「へぇ、それじゃその猿風情に殺される気分はどうだ?自称夜の貴族様…おっと!お前の取り巻きは、薄ぎたねぇ死体と羽虫だったっけかぁ?夜の、なんて高尚なシロモンじゃねえやな。良くてウジ虫の貴族様だぜ!」


ゲラゲラと下品な笑い声を上げるネセレに、吸血鬼は不快な表情で言い放つ。


「身の程を弁えぬ人間風情が…我を敵に回した事、後悔するが良い」

「グチグチ能書き垂れる前にかかってこいよ、三下が」


堂々と嘲笑いながら、ネセレはナイフを構えて地を蹴った。

何度も再生するのだとしても、必ずそれにはタネがある。限界があるはずだ。ならば、生き返らなくなるまで殺しきれば、それでいい。

ネセレは長丁場を予感しながらも、戦端を切ったのだ。


※※※


「敵が戸惑っています!各自、ワスプに注意しながら迎撃を!!」


息も絶え絶えになりつつも、ケルトは指示をしながら櫓の上から魔法を放つ。

光線が闇夜に飛来し、飛んでいたワスプを的確に撃ち落としていた。

落とされたワスプが降ってくるのに悲鳴を上げつつ、チャーチル卿は部下を指揮して櫓の上から投石器の合図を行っている。


「外れだ!1番台はやや右へ位置調整!3番台は次弾の装填を急ぎたまえ!!」

「閣下!5番台が破損しました!やはり連日の疲労に耐えきれなかったようです!!」

「ぬぐぐ…ここまでよく持ったほうか…!5番台は放棄!5番射手は4番台の補佐に回りたまえ!…いかん!ワスプの大軍だ!!」


天を覆うようなワスプの攻勢に、兵士たちは真っ青になりつつも懐より瓶を取り出して自らに掛けた。

途端、近づいていたワスプの集団が、ギチギチと異音を発しながら遠巻きになる。


「く、聖水の効果は絶大だが…数が心もとないのがネックだな…」

「閣下!2番台の玉が無くなります!ご指示を!!」

「くそ!ここじゃ新たに補充など出来んぞ!…ええい何でも良い!!玉になりそうな物をぶつけろ!樽でも食器でもなんでも良い!!とりあえずぶっ放せぇ!!」

「了解!とりあえずぶっ放せぇ!」


とりあえず手近な家具をぶっ放せば、バラバラと四散する家具や木切れが命中したワスプが落ち、荒野を駆けるゾンビーがベシャリと崩れる。もうヤケクソである。

一方、表門の死守を任された冒険者一同は、城壁の上から弓を持って近づくゾンビーの大軍を射掛けている。

ザムは弓の腕前が凄まじく、次々と敵を撃ち殺しては次弾を放つ。そのクイックドローはベテランの狩人でも惚れ惚れする程だろう。

一方、弓はうまく扱えないハディは苦戦していた。


「…嗚呼もう!俺はこういうのは苦手なんだよ…!」

「文句言ってないで放てちびっ子!!喋る分だけ誰かが死ぬんだぞこらぁ!!」


ジャドの声も切迫していて、皆余裕が無いようだ。

その最中、ハディは我慢の限界のように弓を放り捨て、城壁の上に飛び乗って言った。


「やっぱり俺は撹乱のほうが向いてるから、ちょっと行ってくる!」

「お、おい!?行ってくるって、どうやって…!!」


次の瞬間、ハディの体がバサバサと羽ばたく無数の蝙蝠に変じ、呆然とする人間を尻目に空を飛来する。そして地面のゾンビーの一体の前で人化し、爪で切り裂いてなぎ倒す。そのまま四肢を獣のように撓らせながら、次々とゾンビーを切り裂き、蹴り倒し、囲まれそうになったら霧に変じて姿を隠す。そしてまたどこかに現れ、爪で次々とゾンビーを狩るのだ。


「…凄まじいナ、アレは本当に人間の子供なのカ?」

「オレが知るかよ!」

「ともあれ、敵勢が撹乱されている!ここは我々のチャンスだぞみんな!!」


リーンの言葉に、皆は…というかライドが咆哮を上げている。そして一斉に放たれる数が増え、人々は勝てるかも知れないという意気に包まれ、その勢いを増したのだ。


…しかし、戦況が変わった。


「なに、南側からも魔物の群れ!?」


下から響くチャーチルの叫びに、リーン達は反応する。


「はっ!敵影はわずかですが20匹ほどのゾンビーの群れです!」

「い、いつもは北側しか攻撃が無かったというのに…!くそ、あっちに手勢を回すしかないが…!」

「閣下!ならば私が行こう!」


それにリーンが声を上げ、弓を置いて南へ駆ける。

そんなリーンへジャドが焦ったように言う。


「お、おい!一人で行くのは危ないだろう!?」

「大丈夫だ!私はこう見えても魔法剣士だから、火は得意分野なんだ!20匹程度ならば問題はない!」

「けどよ…!」

「難しそうならば合図を送る!とりあえず、君達は北門を死守してくれ!そこを抜けられたらこっちは終わりだぞ!!」


駆けていくリーンの背を見送るも、首を振ってからジャドは眼前の敵を何とかすることに意識を切り替える。どちらにせよ、背後に回せる手勢は決して多くはない。頭上に迫るワスプを射殺しながら、ジャド達は敵の次なる猛攻に身構えた。



※※※



幾度目かの斬撃により相手はバラバラに切り裂かれるが、次の瞬間に肉片と血が集い、元通りの姿へと再生してしまう。その現象に舌打ちをしつつも、ネセレは敵の放つ血液を全て避けた。血を操る敵は触れた者に僅かずつダメージを与えるようだ。酸のような血に衣服を焦がされながらも、ネセレはその全てを躱し続けていた。


「いつまでも…粘ってんじゃねぇよ死にぞこないがぁ!!」


首を狩られるも、次の瞬間には血が集って再生する。胴を薙ぐも、次には再生する。ならばと頭を細切れにして心臓を抉り取っても同じ。

殺した回数が20を超えた辺りで、流石のネセレも息を荒くしていた。


(くそ…どうなってやがる!?こんだけぶっ殺しても息一つ荒くしてねぇ…!こんなバケモンが存在するってのかぁ…!?)


ありえない、現実に考えてあり得ない存在だ。しかし、存在してしまっているのならば、それもまた現実。ネセレは距離を取りつつ、周囲のゾンビーを切り裂きながら考える。

その間に吸血鬼が印を切ったので、咄嗟に目線をそらす。ピリッとした感覚と同時に奇妙な力を感じたが、魔眼を避けたネセレには効果が及ばない。


(考えろ、あのバケモンはどうして再生する?チビ助の話しによれば、灰になっても再生はするらしいが、それだって時間が必要なはず。なら、こいつはそれを短縮する力を持つってこった。…ノーコストで?割に合わねぇ)


再生するためのエネルギーが存在する筈なのだ、理論上は。

ならば、そのエネルギーを見い出せば…。


(吸血鬼は何をエネルギーにする?チビ助は吸精と、血を口にすることで生命力を得るって言ってやがったな…つまり、こいつはあらかじめ血を得ておくことで再生力を増しているってことか?近隣の村民をあらかた食ってやがるのなら納得だぜ)


ならば、その再生には限度がある。それはわかる。

問題は、そのエネルギーに底を感じないということだ。


不意に、周囲の空気が変わった。

天に満ちるエネルギーが魔法陣となり、雲の合間を晴らして一筋の光がさしたのだ。

宵闇の光はランプのように世界を照らし、それに呼応するように魔法陣も輝きを増した。

そして、天から降り注ぐのは、微かな燐光。


『ルドア・マギ・ヴィエ・ラダ・ルミエージュ!』


彼方の詠唱に呼応するように、光の結界が場を包み込むと同時に、吸血鬼は不意に目を見開いた。


「くっ…なんだ、これは!?結界か…!」

(苦しみ始めた!?なんかわからんが、おそらくチャンス!!)


敵が気が逸れたその瞬間、ネセレは再び攻勢に出る。

宙に退避した相手を追うように空を蹴り、ネセレの鋭い剣閃が天に翻る。

ピィンッ!と鋭い音と共に、一瞬で吸血鬼が細切れにされる。が、再びそれも再生。

だが、


「…ッ!」

(…再生が遅い!)


吸血鬼の再生は一瞬ではなく、先程よりはわずかにラグがある。

ネセレは獰猛な笑みを浮かべ、今までよりも強い攻勢に出た。このターンで相手を殺し尽くす勢いで奮われるナイフに刻まれ、吸血鬼は再生と細切れを繰り返す。


「くっ、ぐっ!?この、図に乗るな…!」

「おらおらおらぁ!!動きが遅くなってやがるぜ貴族さまよぉ!?」

「っ!!」


吸血鬼が掌を出して血を操れば、それは刃となってネセレに襲いかかる。

が、ネセレはその刃の致命傷のみを最小限の動きで避け、血に塗れながらも攻撃を止めない。

何度も何度も斬り、砕き、裂き、バラバラにぶち殺す。

何十回目の再生の後、遂に吸血鬼の再生に打ち止めが来る。


「くっ!血が…足りない…」


切り飛ばした腕がサラサラと灰になり、再生はしなかったのだ。

それに、ネセレは大きく笑みを浮かべた。


「遂に打ち止め見てぇだな…おらぁ!引導を渡してやるよこの吸血蝙蝠!!」

「…恐ろしい人間だな、貴様は。だが」


ネセレが肉薄し、そのダガーが閃き、吸血鬼の首を狩り取った。

首が飛び、血の軌跡を描きながら地面に落ちて、ゴロゴロと転がった。

それに追撃しようとネセレがナイフを振り上げた…


次の瞬間!


「…がっ!?」


背後から飛来した赤い閃光が、ネセレの胸を貫いたのだ。


不意打ちに虚を衝かれたネセレはそのまま地面に落ち、思わずダガーを取り落として四肢を着く。

その前で、落ちた首を持ち上げ、吸血鬼は首と胴を繋げながら、ネセレを見下ろしている。

赤い瞳が無感情にネセレを見下ろし、ウェーブの掛かった銀髪が表情を隠している。


「だが、貴様は所詮は人間だ。我ら夜の貴族に勝てるわけがない。たとえ、貴様がタビトであったとしても」

「ぐっ…てめぇ、不意打ちなんざふてぇ手を使いやがって…!!」

「戦場では不意打ち上等、が常識だったと思っていたが…それとも、貴様の常識では違ったのかね?大盗賊よ」

「…くそっ!!」


悪態つきつつ、ネセレは立ち上がろうと膝をつく。が、胸を貫いた怪我は深く、肺がやられたのか息がうまく出来ない。

そんなネセレへ、吸血鬼は素早い動きでネセレの手首を掴んで噛みつき、血を啜った。


「…さて、では印をくれてやろう」


途端、ネセレが藻掻き苦しみ、持っていたナイフすら手放してしまう。

同時に、牙が突き立てられた右腕に、赤い文様が浮かんだ。

吸血鬼は赤い瞳でそれを眺めながら、呟く。


「魔眼はこういう使い方も出来るのだ」

「ぐっ…くそっ!?印だと…何を、しやがった…!!」

「なに、大したことではない。少し貴様の血を目印に、目を合わせずとも魔眼が発動できるようにしただけだ…ともあれ、貴様はこれでもう、私の虜だ」


力が入らず、武器を取り落としてしまったネセレに向かって、吸血鬼は手を伸ばしながら、言った。


「それでは…おやすみ」


※※※


「…ネセレ!?」


遠見の魔法で彼方を見ていたケルトは血相を変えた。

森から放たれた赤い閃光にネセレが貫かれ、倒れたのを見たからだ。

これにはケルトだけでなく、ミライアとミイも驚き戸惑う。


『…おい、どうする!?無防備だぞ!』

「で、でも、ここから届く攻撃魔法なんてあるの!?さっきの月魔法は…」

『リチャージだ!今は使えん!!』

「…まずい」


魔法の射程範囲には限りがある。これだけ距離が離れていると、追尾魔法でも効果範囲外なのだ。その例外は月魔法だが、それも先程の精霊保護魔法によって待機時間の途中である。

魔法の先で、倒れるネセレに向かって吸血鬼が手を伸ばしている。

その牙が鋭く光り、怪しげな輝きを発した。


ケルトは目を見開き、ネセレを見る。

倒れる彼女が藻掻くが、立ち上がるには時間が圧倒的に足りない。

逃げることは出来ないだろう。


(まずい…!!ネセレが敵に回れば勝機が完全に無くなります!なにより…)


仲間が殺されるのだ。眼の前で。

眼前で行われるその凶行を、ただ見ているだけの現状に、ゾワリとした感覚が背を撫でる。


まるで、一秒が何秒にも引き伸ばされたかのような、極限の間。


(…彼女は、確かに問題児ですが、それでも仲間…そう、私達の仲間だ。その彼女を失うなど、認められない…!!)


瞳に力が籠もり、胸の奥から溢れだす感情が、喉を通じて力を滾らせる。


(私がやらねば…私が、仲間を、守らねば…!!)


守るという強い感情が全身を渦巻き、一瞬の長い時の中で、ケルトはゆっくりと指先を向けた。


その先にあるのは、遠見で見えていた、吸血鬼の頭。


「…ベシュト・レイ・セクト・カトゥ!!」


その瞬間。


視界のはるか彼方、吸血鬼の眼前に魔法陣が現れ、目を見開く顔面に向かって光の閃光が貫いたのだ。

頭部が吹っ飛んだその瞬間、ネセレは震える手で地面をつき、身を翻して一歩、二歩、血を吐きながらなんとか三歩と踏み出し、そのまま疾駆し始めたのだ。


「…がはっ!」


同時に、ケルトは喉から血を吐いて蹲った。


「ちょ、ちょっとケルト!?アンタ今とんでもないレベルの魔法を使わなかった!?」

『そんな事を言っている場合か!?ともあれ、医務室だ!なんという無茶を…!!』


言われる合間に、ケルトは血を吐きながらも声を発する。


「ハディへ…!彼へ、声を…ネセレの回収を優先して、ください…!」



・・・・・・・

・・・・・

・・・



闇夜の森を疾駆するネセレは、常時とは全く違うヨロヨロとした足取りで逃げていた。


(この、アタイが…おめおめと敵から尻尾を巻いて逃げるたぁな…)


はぁはぁ、と呼吸のたびにゴロゴロと喉が鳴る。血が溜まっているのか、咳込みと同時に血を吐き出しながらも、ネセレは足を止めない。

同時に、周囲四方から迫ってくる敵の気配と異音を察し、震える腕でダガーを手に持った。

ゾンビーだ。

主の指示が無いからなのか、ただ周囲を徘徊するだけの存在に成り果てているが、今のネセレにとっては驚異の一言でしか無い。

いつもは一振りで切り裂ける相手も、今は一振りだけでも数秒かかる。

重い両腕を持ち上げながら、ネセレは向かってくるゾンビーの集団へ、構えをとった。


…次の瞬間。


「ネセレッ!!」


目を見開く彼女の眼の前で、飛来した蝙蝠が人化して彼女を庇うように降り立ったのだ。

その人物、ハディはゾンビーを爪で切り裂きながら、影から取り出した剣を抜き払いつつ叫んだ。


「無事かっ!?」

「…ったく、でけぇ声を出すんじゃねえよ」


悪態つきつつも、ネセレは胸を抑えてうずくまる。その様子にただならぬ事態を察し、ハディは即座に判断する。

周囲のゾンビーを纏めて切り裂いてから、負傷しているネセレを背に負って、吸血鬼の脚力で地を蹴った。木々の上を凄まじい速度で駆けながら、ハディは歯を食いしばる。


…ネセレがやられたという事態に、後がない現状を認識したのだ。


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