第16話
放課後、アカと石神トオノは久しぶりに手抜き公園へとやって来た。誘ったのはアカのほうからだった。ゴッホじいさん――ヨハクについての手がかりを、いくらかでもトオノから聞き出せないかと考えたのだ。
今さらどうにもならないのは承知の上だ。それでも本当のところを知りたかった。ヨハクとは何者なのか? 何を欲していたのか? それらが明らかになるまで、この腹に鈍痛を覚えるほどのモヤモヤした気分は、いつまでも解消されないだろう。
公園に一つだけ設置された簡素なベンチに、二人は腰かけた。梅雨明け直後の強い日差しにさらされながら、共にチョコモナカジャンボを食べている。
「手抜き公園に来たのって、ここでゴッホじいさんと遭遇して以来だな」
アイスを頬張り、アカが切り出した。
「そういえばそうだな。アカ、その後ゴッホじいさんの姿は見てないか?」
「見てないなあ」
ふいに、もう回りくどく言うより単刀直入に訊いてしまえ、という気になった。
「イシガミ、そのゴッホじいさん繋がりなんだけどさ。『ヨハク』って知らないか?」
「余白だ!」
口から溶けた白いクリームを噴き飛ばしながら、トオノは叫んだ。そしてかっと剝いた目をアカに向ける。
思わずアカは顔を引いた。
「アカ、ごめん」トオノは手を合わせた。「あのときどうしても名前が出てこなくて、つい口から出まかせを言ったんだ。そのつまり『ゴッホじいさん』っていうのは、オレの咄嗟の創作で」
アカは苦笑いを浮かべ、
「まあ、初めから半信半疑だったけどな」
「そんな『オレの言葉の信憑性はフィフティフィフティ』みたいな言い方しないでくれよ」
「シックスティフォーティくらいにしとくよ。ところでその『余白』って何者?」
「過去にオカルト系のサイトで見たんだけど、伝説の仙人だ」
「仙人? 雲の上に乗って空を飛ぶ、杖をもった老人の?」
「ステレオタイプだな。けど、あの仙人だ。余白の肖像画がサイトに載っていて、その記憶とここで遭遇した怪しげなおっさんの姿が、脳内でぴったり重なったんだな」
やはり睨んだ通りだった。ヒミズの前に現れた謎の男と、アカにしつこくつきまとった男は、余白という名の同一人物だった。
正体が仙人というのも、疑うどころかむしろ大いにうなずける。突然現れたり消え去ったり、そんな超常的な技を使いこなすのも、仙人なら納得できる。
「早速調べてみよう」とアカは急き立てた。
トオノはバッグからタブレットを取り出し、テザリング機能でネットに接続する。グーグルを開いて検索にかけると、以前アクセスした余白についての記事がすぐに見つかった。
ページの上のほうに余白の肖像画があった。間違いない。特徴的な外斜視も、黒く長いあごひげも、ずんぐりした体つきも、実際目にした通りだ(ただ肖像画自体は相当古い時代に描かれたようだが)。
「アカ、余白は『中国が秦の時代に活躍した方士』だそうだ。日本で言えば弥生時代だってさ」
「めちゃくちゃ大昔だな」
「およそ二千二百年前。紀元前だぜ。そんな太古の人間が、平成の現代に暮らすオレたちの前に現れたわけだ」
「仙人ってことは不老不死か」
「だろうな。すげえ! オレたち本物の仙人に遭ったんだ……」トオノは感慨深げに目蓋を閉じた。
「イシガミ、その先は? 何て書いてある?」
「いいか、読むぞ。『はるか東の海に浮かぶ神山――蓬莱山に、天水子という神仙がいた。余白は天水子に弟子入りを果たすべく、船を出し中国を後にした。そしてその後、一度も中国に戻ることはなかった。航海中に船が沈んだか、蓬莱山で無事に仙人となったのか、知る者はない。その後の行方はようとして知れなかった。
しかし永い時を経て、余白は江戸時代の日本に、突如現れたとされる。いわゆる「余白伝説」である。余白はそのまま日本に住みつき、山奥で暮らして、時折人前に姿を現したこともあったという。
明治時代に移って以降、余白は再び姿をくらます。日本を去ったという説。日本に現れ住みついたという話自体が作り話とする説。様々な説が飛び交ったが、結局最後は謎のまま終わった。
そんな中、この現代に余白を目撃したという情報が数件寄せられている。しかしどの情報も真偽は定かでない。写真なども残されているものの、他人の空似の印象は拭えないのだ』」
トオノはそこで切り、
「確かにUMAと違ってぱっと見普通の人だしな。仙人かどうか判断のしようがないだろ。何かたまげるような仙術でも披露しない限り」
こっちは十分に見せつけられた。出しぬけに現れたり、消え去ったり。あんなの仙術以外考えられない。科学的に説明がつくものか。
「おれたちが遭ったのは余白本人に間違いないと思うよ」
アカの言葉にトオノは首肯して、
「だとすると、余白が江戸時代に日本に現れそのまま住みついたっていう『余白伝説』も、俄然真実味が増すな。平成の今も、日本のどこか山奥に庵でも建てて暮らしているんじゃないか? 仙人っぽく」
そんな人々との関係を絶ち自らの存在を消している仙人が、アカたちの前に現れた。その目的はどうやらアカとヒミズの仲立ちをすることだった。
どういうことだろう? 何か重大な意味があったのだろうか?
――意味。あったに違いない。なにしろ二千二百年もの永い時を生きてきた大人物が、下界までわざわざ出向いて来て、アカとヒミズへ直々に声をかけたのだ。きっとはかり知れぬほどの思惑を抱えてきたはずだ。
にもかかわらず余白の大いなる期待を裏切ってしまった。
アカは愕然とする。自分は大変な機会を逃してしまったんじゃないか、と。取り返しのつかない過ちをおかしたんじゃないか、と。
一世一代の大仕事を気づきさえせず、ふいにしてしまったのだ。
なんという大馬鹿者だろう……。
「アカ……どうした?」
アカはトオノに力ない笑みを向ける。トオノはきょとんとして、肩をすくめた。
「それにしても悔やまれるなー。余白の名前が思い出せなかったばっかりに……。あのとき動画でも撮っておくべきだった。で、ユーチューブにでも投稿すれば大騒ぎになったぜ。突然現れたり消えたりする瞬間とか捉えれば、他人の空似なんて言えなくなるし」
「CGか編集したか、そう言われるのがオチさ」
「いいんだよ、話題になりさえすれば。何とかしてまた会えないかなー、余白さん。インタビューしてえ。仙術を披露してもらいてえ」
「オカルトマニアの本領発揮だな。でも目撃情報が数件あるってさっき言ったけど、いつの話だ? 最近の情報はないのか?」
余白の目撃情報については、記事に詳しい記載は無かった。トオノは検索をやり直す。
と、すぐに有力な情報が見つかった。ツイッターの投稿だった。『余白じゃね?』というたった一言のツイート。しかし添付された画像は、紛れもなくアカたちが見た初老の男の顔だった。身なりもあのときと変わらない。
「投稿の日付は去年か。新しいな。他人の過去の投稿をパクった可能性もあるけど……。アカ、どう思う?」
「イシガミ、とりあえずリプを見てみよう」
ツイートに対し『どこで目撃したんですか?』とリプライがついている。投稿者はこの質問へ『龍道山におった』と返答していた。
「龍道山って、あの長野県にある日本有数のパワースポットか! 確かに仙人が住んでいそうな……あ、あれ? おい、アカ?」
龍道山。小学生のとき家族で訪れ、謎の光に包まれるという不思議な体験をした山。
あの龍道山に余白が……?
アカはトオノに振り向く。
「なあイシガミ、おれは小学生のとき超能力をもっていると信じてたって、以前話しただろ? 実はあれ、ちょっとしたいきさつがあってさ」
アカは話した。龍道山へ家族で登山に出かけたこと。そこで神秘的な体験をしたことを。
「おいおい。どうしてそんな面白すぎる話を今までしてくれなかったんだ? ていうか、いろいろ繋がってきたんじゃねえか? 龍道山での神秘体験――突然目の前に現れた伝説の仙人、余白――余白は現代も生きており、龍道山に住んでいるという――何これ? 二時間枠でテレビ番組が一本作れちゃうって!」トオノは大興奮でまくし立てた。
確かにこれまでもやもやしていたものが、少しずつ明らかになってきた。それでもなお、あの神秘体験は何だったのか、余白の最終的な目的は、ヒミズとの関係は……などの謎が残っている。
「アカ、番組ならこの後ぜったい龍道山へ行く流れでしょ? もう行くしかないって。余白さんとの再会を目指して――行こうぜ、龍道山へ。うまい具合にちょうど二週間後、夏休みに入るしさ」
余白にもう一度会ってみたいという気持ちは、アカにもある。ヒミズが亡くなって頓挫してしまった余白の計画。もう手遅れではあるが、余白の叶えたかった望みが何だったのか、直接本人から聞いてみたい。たとえ激しく後悔する羽目になったとしても。
それに――
「オッケー。行こう、イシガミ」
それに、うまくいけばあの世のヒミズと言葉を交わせるかもしれない……。
とはいえ根拠はまるでない。死を超越した神に近い存在である仙人なら、降霊術くらいできるのではないか……その程度の淡い期待だけだ。
「よし。宿も早いとこ決めちゃおうぜ。アカの家族が泊まったのは何て旅館?」
「旅館の名前まで覚えてないなあ。雄大な山の景色を見渡せる野天風呂に入った記憶が、かすかに残っているくらい」
たったそれだけの情報だったが、龍道山付近の宿で検索したところ、意外とあっさり旅館名が判明した。「龍道温泉 長生館」という温泉宿だった。
しかし龍道温泉はたいへんな人気で、7月8月ともに予約はびっしりと埋まっていた。
あきらめて他の宿を探そうとするトオノの腕を掴み、
「一応電話してみないか?」とアカは言った。
トオノが電話をかけると、愛想のいい男性の声が聞こえてきた。
『はい、龍道温泉長生館です。ご予約ですか? 二名様で一泊ですね。ええ、ご用意できます。ネットで確認したら予約がいっぱいでした? それが、たった今キャンセルが発生したのですよ。キャンセルの電話を切った途端、お客様からの電話が鳴った次第で。もう奇跡的なタイミングでした』
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