第15話

 小山田さん  黒川ヒミズです。突然メールして、すいません。

 直接お話したほうがいいのは解っていますが、やっぱり無理みたいです。

 この間、放課後の教室に一人でいらっしゃいましたよね? あのとき思いきって話しかけようとしたんです。でも声が出ませんでした。情けないのですが……。

 仕方ないので、文章で伝えることにしました。拙い文章ですが、どうか最後まで読んでください。どうかわたしの話に耳を傾けてください。

 どうしても小山田さんに伝えなければならないのです。なぜなら、わたしがもうすぐ死んでしまうかもしれないからです。

 順を追ってお話します。

 夜遅く、アパートの部屋に一人でいたときです。突然部屋に、六十代くらいの知らない男の人が現れました。部屋に入ってきたというより、瞬間移動してきた感じでした。

 びっくりしましたが、不思議と恐怖心はありませんでした。

 その人はわたしの名前を呼びました。どうしてわたしの名前を知っているのか疑問に思いましたが、わたしはうなずきました。

 するとその人は「ヨハク」と名乗ったのです。ヨハクさん……そういう名の人をわたしは知りませんでした。ただヨハクさんが強盗でないことが解って、安心しました。もし強盗なら自分の名前を言うはずありませんから。

 ヨハクさんは外国の方のよう(中国人?)でした。たどたどしい日本語で、わたしのことは何でも知っていると言いました。わたしの過去も、未来も、見ることができると言ったのです。

 そしてわたしの寿命があと少ししかない、もうすぐ死ぬことになるって……。

 わたしはポカンとしてしまいました。まったく知らない人からいきなり死の宣告を受けて、何を言ってるんだろう、この人は? って思いました。

 ですけど、ヨハクさんの真剣な眼差しを見て、だんだん心細くなってきました。しかもヨハクさんが、本当だ、本当だ、と念を押すので。

 もちろんそんな話は信じたくありません。するとヨハクさんは「わたしのことを何でも知っている」のを証明してみせようと考えたみたいでした。

 そうしてヨハクさんの口から出た言葉に、わたしはゾッとしました。

 恥ずかしい話ですがわたしはお金に困っていて、お母さんの財布から小銭をちょくちょくくすねては、絶対見つからない場所に隠して貯めこんでいました。当然誰にももらしたり、見られたりしていません。

 しかしヨハクさんは小銭をくすねていたことも、お金の隠し場所も、平然と言い当てました。

 さすがに恐ろしくなりました。体が震えて止まらなくなりました。「わたしのことを何でも知っている」のが証明されて、死の宣告が現実味を帯びてきたからです。

 わたしは泣きました。

 わたしは幼いときからずっと辛い思いばかりしてきました。死にたいと何度も思いました。ですが何とか耐えて、生きてきたのです。わたしなりに頑張ってきたのです。

 それなのにもうすぐ死ぬと言われて、本当にショックでした。何のために頑張って生きてきたんだろうって……。

「あんた何のために生まれてきたの?」ってお母さんから言われたことがあります。

 その通りですよね。このまま死んでしまったら、わたしの人生なんだったのでしょう。この世に生まれてきた意味がこれっぽっちもありません。

 わたしなんて存在してもしなくても、どっちでもよかった。いいえ、わたしがいるとわたし自身も周りのみんなも悪いことばかり起きるので、存在してはならなかった。

 生まれたらダメだったんです。

 わたしは泣き続けていました。するとヨハクさんが思いがけないことを言いました。

 小山田さんの名前を出したのです。

 2年A組でわたしだけいつもひとりぼっちですが、ちゃんとクラスのみなさんを把握しています。小山田さんはいつも明るくて、友達もたくさんいて、人気者ですよね。南田さんと仲がいいのも知っていますし。

 ただ、どうしてここで小山田さんの名前が出るのか解らず、とまどいました。

 ヨハクさんは続けました。手をつなぐのだ、と。

 小山田さんと手をつなぐ……? どういうことでしょう。

 小山田さんと手をつなげば、わたしの寿命が延びるのでしょうか。死を免れるのでしょうか。運命が変わるのでしょうか。

 ヨハクさんは手をつなぐのだと言ったきり、その先を続けません。そこでわたしは思いきって、手をつなぐとどうなるのか訊ねようとしました。

 けどやっぱり声が出ませんでした。わたしがグズグズしているうちに、ヨハクさんは消えてしまいました。……そうです。一瞬目を離したあいだに、忽然といなくなったのです。突然現れて突然消えてしまう、不思議な人でした。

 わたしの話は以上です。

 とにかくそういうわけで、小山田さん、恐縮ですがわたしと手をつないでいただけないでしょうか? 果たしてそれでどうなるのか解りませんが。

 どうかよろしくお願いします。


 ヨハクさん――突然現れて突然消える六十代くらいの男の人と言えば、もう一人しかいない。手抜き公園で遭遇してから度々目の前に姿を現し、最後は自宅の部屋にまで押しかけてきたゴッホじいさん……と、同一人物と見て間違いないだろう。

 そういえばアカの部屋に現れた際、ゴッホ――いやヨハクはヒミズの名を口にしたのだった。おおよその目的が見えてきた。どうやらアカとヒミズの仲立ちを買って出たらしい。しかしヨハクはどちらとも顔見知りではないのだ。まったくの部外者が二人のあいだを取り持つ意味は何だろう?

「手をつなぐ……手をつなぐって……」

 手をつなげばヒミズの運命が変わっていたのか。ヒミズは死なずに済んだのか……?

 もしそうなら、またぞろ罪が追加されることになる。どうしてもっと早くヒミズのメールを読まなかったのか……これでは後悔が積み重なっていくばかりだ。

「最低だな」アカは肩を落とし、ため息をつく。

 ヨハクはあれ以来アカの前に姿を見せていない。ヒミズがいなくなった今、もう遭うこともないだろう。ヨハクが何を望んでいたのか、どんな考えを巡らせていたのか、確かめる術はない。

 時すでに遅し、なのだ。


 おはよう、と後ろの席のミーナに声をかけ、アカは着席した。座った途端、背中の中央を尖った何かがつつく。振り返ると、ミーナがボールペンを指先で振りながら、頬をふくらませていた。

「LINE見ていないでしょ。わたしが送ったの」

「ああ、後で見ようと思って忘れてた」

「へえ、忘れちゃうんだ」

「ちょっと立て込んでてさ」

「ふうん」ミーナは目を細めた。「いいけど。昨日の日曜、従姉の結婚式に出席するから両親が不在だったんだ。で、わたしだけだから家に来ない? って。それがLINEの内容」

「あ、そう」

 ミーナは唇をへの字に曲げた。アカに見せつけるように胸をそらし、

「残念だったわね。手作りのクッキーを食べさせてあげようと思ったのに」

「……いいよ、別に」

「食べたくないの? わたしが作ったクッキー」

「家にもらい物のクッキーがたくさんあるしさ」

「わたしのクッキーより、もらい物のクッキーのほうがいいの?」

「…………」

「めっちゃ美味しいよ、わたしのクッキー。知ってるでしょ?」

「……ごめん」

 アカは前に向き直ろうとする。

「アカくん」

 呼び止められ、アカはためらい気味に顔を向けた。ミーナの大きな瞳がとまどうように揺れている。

「わたしのこと嫌いになった?」

「…………」アカは首をひねり、「解らない」

「解らない?」

 うつむき、声のトーンを落として、

「おれはおれが解らない」

 ミーナは眉を寄せる。いやいやと首を振ってから、声を震わせて、

「黒川さんは、もういないんだよ?」

 アカは唇を引き結び、前に向き直った。後ろからすがるミーナを振り切るようにして。

 ごめん……。胸のうちで、アカはそっと繰り返した。


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