第13話
葬儀場には小雨が落ちていた。
祭壇に置かれた黒川ヒミズの遺影は生前と変わることなく、前髪で瞳を隠している。それを見て安堵したのは、葬儀に参列した2・Aの生徒たちだった。遺影と目が合うのを何よりも危惧していたのだ。
故人となったにもかかわらず、今だにヒミズの呪いは根強く恐れられていた。むしろ死霊と化して呪いの威力が倍増していると、声高に主張する者もいた。
国内で初となる『ドランクンヘヴン』による死者ということで、葬儀会場にはテレビ局や報道陣が押し寄せた。第一発見者であるアカの元にも、取材がひっきりなしにやって来た。何度も同じことを訊かれ、その度に凄惨な現場を思い起こさなければならず、アカはげんなりした。
事故の直前にマンションの前でヒミズと喧嘩した事実は黙っておいた。マスコミはもちろん、周囲の誰にも告げていない。二人が対面しているのを目撃したという声も一切ないようだった。
アカに焼香の順番が回ってきて祭壇の前に進み出ると、周囲の視線が集まるのを感じた。後ろで生徒たちがひそひそと話すのも微かに伝わってきた。
遺族は母親一人きりだった。ヒミズが母子家庭に育った事実を、一同は初めて知った。
ヒミズの母は細面で、目つきがきつかった。金色に染められたウエーブヘアが喪服の胸にまで垂れている。喪主の挨拶はうつむき加減で、ぼそぼそと暗い調子でしゃべった。一人娘に先立たれて打ちひしがれている――風でもなく、どこか淡々としていた。
2・Aの生徒たちは出棺を見送るため、傘を開いて横並びとなった。その瞬間彼らへ、各局のテレビカメラが一斉に向けられた。きっと「クラスメートとの突然の別れに号泣する女子」の画を撮ろうとしたのだろう。だが期待に反して2・Aの誰一人、涙を流さなかった。
霊柩車が去ってしまうと、皆の緊張は一気にゆるんだ。ここで解散となるので、この後どこへ行こうかと、賑やかに話し合っている。
周りが立ち去っていく中、アカは葬儀場の前で独り傘をさし、ぼんやりとたたずんでいた。さまざまな思いが去来して、なかなか動き出せなかった。
その様子をミーナが遠目に窺っていた。彼女は意を決したようにアカのほうへ歩みだす。が、すぐに足を止めた。
そのとき赤い傘をさす別の女子が、アカに近づいたのだ。女子はアカにそっと声をかけた。
振り向くと、見知らぬ顔だった。竜宮高校のものとは異なる制服を着ている。
メガネをかけた童顔の少女。人に話しかけるのが苦手らしく、そわそわと落ち着かない。
「小山田さん……ですよね。わたし浅倉マユと言います。ヒミズちゃんと友達でした」
小さくかわいい声で、コクコクとうなずきながら話す。「お互い、唯一の友達でした。いじめられていたんです。二人とも……」
二人は中学が一緒だった。高校で離ればなれとなり、それからは連絡も途絶えてしまったという。悲しい再会となって、マユは心底後悔しているらしい。
「高校に入ったら趣味の合う子が結構いて、数人の友達ができたんです。もう有頂天になってしまって。それでヒミズちゃんのことは、だんだん考えなくなりました。冷たいですよね、わたし……」
それにしてもヒミズにかつて友達が存在していたとは、意外だった。彼女が他の生徒と口をきいているところを、一切目にしなかったのだ。心をゆるし友達として他人を受け入れるなんて、まず考えられなかった。
「一緒に死のうかって話も、ときどきしました。半分冗談、半分本気で。でも本当にヒミズちゃんが死んでしまうと、やっぱりショックです……」
マユは大きくため息を吐いた。
「クロカワについて、どれくらい知ってる? 高校じゃ、誰もなにも知らなかったから」
アカの質問にマユはコクコクとうなずいて、
「いろいろ聞いています。ヒミズちゃん、片親でしたけど、まだ幼いころ両親が離婚したそうです。兄弟もいなくて、ずっとお母さんと二人だったって……。
お母さんは再婚しなかったのですが、恋人は多かったみたいです。二人の住む2DKのアパートに、入れ代わり立ち代わり男の人がやってきて。隣の部屋にヒミズちゃんがいるのに、構わず始めちゃうんですって――その、エッチを。そういうときヒミズちゃんは布団に潜って、耳をふさいでいたって言ってました。
で、それだけならまだしも、ヒミズちゃんに暴力を振るう男の人がいて。頭を叩かれたり、背中を蹴られたり。その横でお母さんはタバコを吸って、黙って見ているんですって。ヒミズちゃんがどれだけ泣き叫んでも。
ヒミズちゃんが小学生になると、家にお母さんが帰らない日が増えていったそうです。食事もまったく作ってくれなくて、家に買い置きしてある缶詰めとかカップラーメンとかを一人で食べていたって、話してました。
ネグレクトですよね、完全に。お母さんが家に帰ってきたときは、イライラして食器を割ったり、壁に缶ビールを叩きつけたり、急に金切り声で叫んだりすることもあって、怖かったそうです。ヒミズちゃんに対しては、言葉の暴力を浴びせ続けて……。あるときヒミズちゃんの顔をじっと見つめて『あんた何のために生まれてきたの?』って言ったそうです。母親が娘に、ですよ? 唯一の家族に、ですよ?」
そこでマユは言葉に詰まる。あふれ出す感情をこらえるように。
アカは大きくうなずいて、
「周りの人に助けを求めなかったの? 同じアパートの住人とか、学校の先生とか、親戚とか、児童相談所とか……」
マユはかぶりを振った。
「誰にも相談しなかったそうです。ずっと独りで我慢してたって」
「どうして?」
「ご存知と思いますが、ヒミズちゃんは人と話すのが苦手で。幼いころからずっと、みたいです。ずっとヒミズちゃんは独りきりでした」
「でも中学生になって、孤独は解消した。浅倉さんという友達ができた」
「まあお互い、いじめられてましたけどね……」マユは目を伏せ、「ひどかったですよ。ネズミの死骸を机の上に置かれたり、ゴミ箱を頭にかぶせられたり、お弁当をひっくり返されたり、ライターで教科書を焼かれたり、おしっこをひっかけられたり、しつこく毎日のように『バカ』『死ね』って言われ続けたり……。
ヒミズちゃんと二人、ギリギリでしたけど、なんとか生き続けました。弱いもの同士、倒れないように支えあって、なんとか……」
「よく頑張って耐えたね」
唇をきゅっと結び、マユは泣きそうな眼でアカを見る。
「ヒミズちゃん、高校ではどうだったんですか?」
アカは少し考えてから、説明を始めた。
友達はいないようだった。いつも独りだった。一言もしゃべらなかった。一日中自分の席でじっとしていた……。
アカの言葉を聞くごとに、マユはどんどん落ち込んでいく。それを見てアカは話を打ち切った。もちろん『呪い』については触れていない。
「やっぱりヒミズちゃんと連絡をとり続けるべきでした。裏切り者ですよ、わたし。友達を裏切ったんですよ。またヒミズちゃんに会いたい。会って謝りたい……」
とうとうマユは泣き出した。
アカは傘を傾け、小雨の降り続く天を仰ぐ。色々な思いや感情が押し寄せてきて、言葉が出ない。マユが泣き続ける隣で、上を向いたままその場に立ちつくすしかなかった。
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