第9話

 クラス替えで2年A組の一員となった初日。初々しい気持ちで自分の席についたアカは、八方を囲む新しい仲間一人一人に挨拶をした(引越しの挨拶回りのように)。

「よろし、く……」

 後ろの席に座る南田ミーナに挨拶した瞬間、アカは絶句した。ぽかんと口を開けて、ミーナの大きな瞳をまじまじと見つめていた。期せずして二人はそのまま見つめ合うかたちとなった。

「こちらこそ、よろしく」

 子猫めいた愛らしい声と共にミーナから満開の笑顔を返され、アカはイスからひっくり返りそうになった。

 ミーナの投じた直球はズバン! アカの構えるミットに深く食い込んだ。

 ――ストライク!

 正面に向き直ってからもアカの興奮はおさまらず、心の中で(うわあ! うわあ!)と、ひたすら繰り返していた。

 出会って一週間後、アカは告白に踏み切った。いいよ、とミーナは快諾した。

 小山田アカ、人生初の恋人が誕生した。

 南田ミーナはショートボブの黒髪。背は低いが、なかなか立派な胸を誇っていた。吹奏楽部に属し、担当楽器はトロンボーンだった。

 礼儀正しく、勉強に取り組む姿勢もひたむきで、教師のあいだでは評判が良かった。

 ただクラスの中で際立った存在というわけでもなく、誰もが見落としそうな彼女の秘めた輝きを、アカは看取していたのだった。


 ミーナは花を愛していた。彼女の希望から、初デートは春の花々に彩られた『天国みたいなお花畑公園』に決まった。

 公園のゲートをくぐったところからミーナは小走りになり、リアルに天国を感じさせるお花畑を前にすると、はち切れんばかりのバンザイで嬉しさを表した。

「ほら、アカくん、すごいよ。ネモフィラがいっぱい」

「うん……」

「チューリップも色んな色があるね」

「そうだね……」

「きれいなポピーもたくさん咲いてる」

「へえー……」

「あれ見て。シバザクラのじゅうたん。絵みたい」

「だね……」

 ミーナはアカの手を引き、大きな瞳をくるくるさせていた。

 片やアカは花がほとんど目に入っていなかった。たとえ見ていても、頭がぼうっとして、どんな花か記憶できなかった。是が非でもミーナの胸に触れたくて、そればかり気になっていたのだった。

 公園内の売店でイチゴ味のソフトクリームを買い、二人はベンチに腰を下ろした。

 アカは頭の中で話題を探し、ミーナが吹奏楽部ということで、

「音楽は、どんなのが好き?」と訊いた。

 ミーナはソフトクリームをぺろっと一舐めし、

「一番好きなのはリストの『愛の夢 第3番』ね」

「……え?」

「あ、これはクラシック。ポップスだったら、クロディーヌ・ロンジェとか」

「……へえ」

「アカくんは?」

「……きゃりーぱみゅぱみゅ」

 恥ずかしそうに言った途端、アカのソフトクリームからクリーム部分がごっそりと剝がれ落ちた。二人は顔を見合わせ、大笑いした。

 一日歩き回り、帰りの電車で穏やかな眠気がやってきた。座席の上で二人は肩と頭をを寄せ合い、幸せそうに眠った。ぎこちない初デートだったが、二人にとって一生の思い出となった。

 その後アカは自宅のマンションにミーナを招いた。母ミサトはミーナを目にするなり「かわいい!」を連発して、オーバーなくらい喜んだ。そしてアカそっちのけでミーナと話しこみ、女二人で大いに盛り上がったのだった。


 教室から見えるプラタナスの木の下で、小山田アカと南田ミーナは二人きりの時間を過ごしていた。二人の仲は2・Aの全員が周知しているところで、冷やかしたり邪魔したりする者は誰ひとりいなかった。

 ときどき心地よい風が吹いてプラタナスの葉をさわさわ揺らす、静かな午後だった。

「アカくん、わたしね、いいことがあったんだ」

「どんな?」

 んふふ……と、ミーナは思わせぶりに笑ってから、

「あのね、わたしの書いた『異世界でラッコとチーズケーキを作った』が特別賞を受賞したの!」

「おお! やった!」アカはガッツポーズをつくった。

 校内で人目につくのも構わず、二人は抱き合って喜ぶ。

 ミーナは趣味でWEB小説を書いていた。そこでとあるコンテストに応募したところ、一次審査、二次審査、最終選考と順調に勝ち上がっていった。

 きっと受賞するとアカは請け合ったが、まさか現実になるとは。なんとなくオリンピックで金メダルを獲った選手のコーチになった気分だった。

 おめでとう、とアカはミーナの手をガッチリ握る。

「もうビックリよ。他の人の作品も、みんな面白かったし……すごくラッキー」

「運だけじゃないって。ミーナの小説、最高だからさ」

「どうしよう。わたし、プロ作家デビューしちゃうかも!」

「いけるいける。ミーナ先生の本が出版されたら、おれが買い占めてやる」

「わーい」

 小躍りするミーナにアカは顔をほころばせ、

「にしてもさ。小説は書ける、トロンボーンは上手い、お菓子作りは人気店レベル……って、もはや天才じゃない?」

 ミーナは得意げに胸を張る。アカの目線は無意識に飛び出したバストへと誘導された。

「マジでミーナのこと尊敬する」

「アカくん! 好き」

 ミーナはその愛しい腕に飛びついた。胸のやわらかさを肘で味わいながら、アカはぽうっと幸せな笑みをこぼす。

 ――見られている。

 第三者の視線を、二人は同時に感づいた。

 見当はついていた。首だけ動かして確かめると、案の定、20メートルほど離れた場所に黒川ヒミズの立ち姿を認めた。校舎の出入り口付近に、堂々とこちらへ顔を向けて立っている。

「……こっち見てるね」ミーナが耳元でささやいた。

 両腕をだらりと垂らし、幽霊のようにぼうっとたたずんでいる。前髪で半分が覆われた顔を、まっすぐこちらに向けて。

 二人の仲に嫉妬しているのか? 恋愛をうらやんでいるのか? やはりアカに恋心を抱いていて、ミーナを疎ましいと感じているのか?

 常に両目を隠し、唇をぴったり閉ざすヒミズの心中を察するのは、とうてい不可能だった。何を考えているのかさっぱり解せず、気味が悪かった。

 いきなり魔力を帯びた瞳を露わにして呪いをかけてくるかもしれず、恐ろしかった。

「行こう」

 アカはミーナの肩を抱き、プラタナスの下から離れた。どこまでもしつこくついてくる視線を、背中にじくじくと感じながら。

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