第3話
遊具がすべり台一基だけの、味も素っ気もない公園。すべり台のほかには、大して高くもないサクラの木が一本と、簡素なベンチが一つ。周囲の住民から「手抜き公園」と蔑まれ、子供は寄りつこうとさえしなかった。
しかし竜宮高校の生徒たちには、学校と最寄り駅のあいだにある恰好の寄り道スポットとして人気があった。やりかけの中途半端な雰囲気に、なんとなく居心地の良さを感じていたのだった。
竜宮高校に通う小山田アカも、友人らと共にしばしば公園へ遊びに来た。そこでゲームに興じたり、どうでもいいような会話をだらだら続けたりして、帰宅までの自由な時を過ごしていた。
小山田アカとクラスメイトの石神トオノはコンビニで菓子パンを調達した後、手抜き公園へとやって来た。すべり台の元に、アカはザ・ノース・フェイスのリュックを、トオノはアディダスのバッグを降ろした。続いて、コンビニの袋からそれぞれクリームパンとアンパンを取り出した。
「昨日ミーナとK病院に行ってきたんだけどさ、千葉、今週末に退院するって」
そう言って、小山田アカはクリームパンをかじる。
「わいえ?」
石神トオノは口の中いっぱいに詰まったアンパンを、ぐっと呑み下した。それから銀縁メガネの位置を整え、
「マジで? 三日間意識が戻らなくて生死の境をさまよっていたんだろ? さすが野球部のエース。肉体の作りが違うんだろうな」
「とてつもない回復力だよ。医者も驚愕してたらしい。奇跡だって」
トオノは目を輝かせ、
「よし。クラスに復帰したら突撃取材するぜ。あいつ意識が戻らなかった間、臨死体験してるかもしれないからな。三途の川は見れたのかな……うー、早く話聞きてえ」
「イシガミ……おまえ、ホント好きな。そっち系のネタ」
「おいおい、オカルトはロマンだよ? そういうアカだって『おれは超能力者だ!』って自慢してたんだろ?」
「それは小学生のときの話。おれ、もう高2だし」
アカはクリームパンの最後のひとかけらを真上に放り、落ちてきたところを口でキャッチした。
トオノは苦々しい顔で、
「あ……いま何か見下された気分。ていうか、千葉が刺されたのは黒川ヒミズに呪いをかけられたからだって――それはアカも否定してないよな?」
「三人続けてだから……さすがに偶然とは思えないよ」
「な? 黒川ヒミズは魔女裁判するまでもなく、百パー魔女だぜ。ぜったい家に帰ったら大鍋にドクダミとムカデとネズミの骨を放り込んで、ぐつぐつ煮込んでる」
「ステレオタイプな魔女だなー。でも正直、関わりたくないよ……クロカワとは」
アカたちのクラスメイトである黒川ヒミズは、クラスの中でも特別に(異次元とさえ言えるほど)浮いた存在だった。緘黙症で、学校では常に口を閉ざしていて、話しかける者もなかった。誰ひとりその素顔を垣間見たことはなく、謎めいていた。
休み時間も教室の廊下側にある自分の席から離れず、独りじっとしていた。しかし影がうすい生徒、というのとは違った。むしろ影が濃すぎて、近寄ると吸い込まれそうな、異様な存在感を示していたのだ。
おかっぱの髪の前部は、常に両眼を覆っていた。前髪に隠された瞳は超常的な力を宿し、目が合った者には禍が降りかかると噂され、恐れられていた。
「黒川ヒミズと目が合うと石になっちまうしな」
「それは魔女じゃなくてメドゥーサだろ」アカはすべり台に寄りかかる。「なんにしても千葉が助かってよかった。あれで死んでたら、かわいそうだよ。木崎と山口が……っていうんなら解るけどさ」
「あの二人は? 見舞い行った?」
「行ってないし、行く気もない」
「ふうん……そうなんだ」言いながら、トオノはアカに顔を寄せてきた。そして小声で、「アカ、後ろ」
きょとんとして振り返り、すべり台越しに向こうを窺う。
手抜き公園は住宅街の中にあり、四方を細い道路に囲まれていた。道路と公園を分けるのは腰の高さほどの茶色の柵。その柵に手をかけ、道路側に初老の男が立っている。
身なりも雰囲気も普通に屋根の下で暮らしている人物には見えない。少し離れた位置にいるものの、生ゴミのような異臭が男のもとから漂ってくる。
「さっきから、こっち見てるんだよ」トオノは小声で続けた。
ぎょろっとした男の目は外斜視だった。耳の上にわずかに髪を残すほかは禿げ、黒く長いあごひげを垂らしている。背は低く胴は太い。
「待てよ……あの顔、どこかで見たぞ」トオノは眉間に指先を押しつけ記憶をたどる。「ネットの……都市伝説のサイトだったかな……ええと……」
ポンと手を打つ。メガネのフレームからはみ出すくらい目を見開き、
「思い出した。ゴッホじいさんだ」
「ゴッホじいさん? 何者?」
「猟奇的な殺人鬼さ。異常なまでの耳フェチで、人を殺めては遺体からカッターで耳を切り取り、コレクションしているらしい」
「耳なんて集めて、どうするんだよ」
「テーブルに並べて眺めたり、加工したりするんだ」
「加工って、何に?」
「イヤリングだ」
「耳に耳つけるって、耳フェチ極めてんな」
「気に入った耳は必ず手に入れる。老若男女問わず」
「襲ってくるのか?」
「ああ。逃げようものなら、百メートル9.8秒台の脚で追いかけてくる」
「人殺すよりオリンピック目指したほうがいいんじゃないか?」
「歯向かっても勝ち目はない。猫のような俊敏な動きでかわされ、気づいたときにはカッターで頸動脈をスパッ! 搔き切られている」
「そんな手練には見えないけど……」
二人は振り向き、同時に、
「「あれ?」」
怪しい男の姿が見えない。わずかに目を離した隙に消えてしまった。
ほとんど身を隠すところがない公園内を、二人は見回す。
「アカ! 上!」
すべり台の頂に、男が立っている。正面を向いているほうの眼が、ギョッとするアカの顔を見下ろしている。
消えた。ふたたび男は消えた。と思うと、アカの背後に現れた。男はアカに迫る。
無我夢中で男の胸を突き飛ばす。手ごたえが、ほとんどない。とても人間の肉体とは思えない軽さ。粗末な衣服の下には、空気しか入っていないのではないかと疑うほどの。
男は吹っ飛んで、背中から地面に倒れた。勢い余って、砂の上をザーッと滑る。初老の身体には、大きなダメージを与えたように見えた。
度を失ったアカは公園の外に向かって駆け出す。トオノは慌ててその背を追いかけた――が、すぐにアカを止めた。
「アカ! 荷物!」
通学用のバッグとリュックがすべり台の元に取り残されている。彼らを見捨てて逃げ去るわけにはいかない。二人は公園の出口前で急停止し、後ろを振り返った。
いない。またしても男の姿はかき消えた。すべり台付近の格闘した位置まで戻ってみると、地面の砂に、男の滑った痕跡が刻まれている。手ごたえこそなかったものの、アカの手には、男の体に触れた感触もちゃんと残っている。
幻ではない。しかし実体はふわふわしており、不確かだった。実在するのかしないのかはっきりしない都市伝説の怪人のように。
「イシガミ……ゴッホじいさんって、忍者か?」
「知るかよ」
アカは胸に釈然としない気分を抱えたまま、すべり台の元に置かれたリュックを持ち上げた。
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