第五章 素体

第五章 素体



 半年間は試用期間だ。それから正社員登用となる。


 やっている仕事は性風俗の片棒であるが、その社員登用制度と給与体系は一般企業となんら変わらないように思われた。

 午後五時に事務所へ入り、出勤してくる男の子たちにコーディネートを施す。

 在籍している四割の男の子たちが、女性に適した素体であり、俺が手を施す対象であった。最初は一時間半ほどかかっていた『変身』の時間は、すぐに四十分、三十分と縮んでいった。


 当初は俺の中でも男の子たちの全貌を把握しきれていなかった。


 彼は長髪のお姉さん系が良いだろうか。いや、小悪魔系の方が刺さるだろうか。それとも清楚系大学生を模したほうが……と手探りだった。

 幾度かの失敗と成功を重ねた末に、彼はこれ、彼はこの系統……と大別することが出来るようになった。

 頭の中で描いていた妄想を自らの手で具現化していく。

 その作業は大変であったが、美しく『変身』する彼らを見ていると強い実感を得られた。なにより自分自身の無力さと未熟さを感じながら、もっともっと彼らを素敵な女性に出来る方法があるのではないか、と熱心に勉強を重ねるようになった。


 休みの日には丸の内や有楽町、日比谷で開催される女性向けのメイク教室に通った。

 基本的なメイクの技術から髪の毛のケアの仕方、ムダ毛の処理と整え方……。

 専門職の美容部員たちは、まさに憧れの技術者たちであった。

 女性的なメイクを学ぶ上で、あることに俺は気づいた。

 これまで男性から女性への『変身』に対する構想を練ることは得意だった。あくまでも化粧などの技術は副次的なものであり、本質は男から女への『変身』にある。つまり、メイク技術に関するノウハウは、まったくの素人であったと気付かされた。

 いたずら小僧が母親の化粧品を使ってそれっぽく仕上げるみたいに、あいまいな知識で仕事をしていた。

 女性向けのメイク教室では奇異の眼で見られたが、一部の女性やスタッフは「熱心ですね」「上達がすごいですよ」と純粋に褒めてくれた。

 食事へ行きませんか。映画とかは好きですか。お付き合いされている人はいるんですか。

 幾度目かのメイク教室で懇意にしている女性にそう問われたが、あいまいに返事だけを返していた。

 俺にとってメイク教室は技術を学ぶ場であり、女性と戯れる場所ではない。


 そもそも、女性にあまり興味はない。


 俺は作り出すのだ。


 隣で尻尾を振る女を凌駕する、美しく、可愛い男の子を。


 三か月が過ぎ、四か月が過ぎたとき、竜胆が俺を呼び出した。


 俺は竜胆から。


「おめでとう、正社員だ。ちょっと早いがね」


 そう言って拍手された。

 ガラの悪い男たちに囲まれて「ありがとうございます」と言い、社員として働くための契約書にサインした。給料は格段にあがったし、娑婆でまともに働いていたときとは、別世界がそこにはあった。

 そのとき、俺は知らされた。

 健次郎をはじめとした俺が担当している男の子たちが、ここ三か月の間に、急激に売り上げを伸ばしていることを。連日の接客で疲弊していることはコーディネートをしている身からすれば、すぐに理解できる。

 それでも健次郎たちのような素質ある男の子の美しさは失われることはない。

 ときどきお客から乱暴に扱われて、けがをして帰ってくることもあった。

 悲しい半分、それだけお客の胸に突き刺さる女性として認められた気がした。

 お客とのごたごたは竜胆が片付けたし、健次郎たちも一定期間の休息を約束されていた。この業界は想像以上に固い福利厚生によって守られているのだ。素行が悪いのはお客だけであり、竜胆が率いるお店は相当に身持ちの固い店舗だった。


 それから一年ほど、俺は竜胆のもとで働いた。


 健次郎たちのひとりが加齢を理由に現役を退き、指導員として裏方へ入った。

 それを皮切りに、ひとり、またひとり、と店をやめたり、裏方へ回ったりした。

 そのたびに補充される新しい男の子たちであったが……俺が必要としている素体に巡り合うことはしばらくできなかった。

 竜胆は言った。


「おまえ、手持ちの子が少なくなってるよな。どうだよ、自分でスカウトしてみちゃあ」


 その提案に苦悩はあったが、結果として乗った。

 昼から夕方にかけてスカウトをして、夜はコーディネーターとして店に入る生活が始まった。

 健次郎もそうであるが、担当していた男の子の多くが第一線から退こうとしていた。

 そのとき、俺も第一線から退けばよかったのだ。


 そうすれば多くの不遇から遠ざかることが出来たのだ……。

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