第二章 出会い
第二章 出会い
埼玉県の西川口にある男性向けの風俗店を利用したときだった。予約制の風俗店で、男性向けに素敵な男性が派遣されるというシステム。
俺はゲイではない。
けれども、『女性に寄ろうとしている男性』と肌身を合わせてみたかった。
呼び出したホテルで初めて同性の裸体を性的な目で見た。
その子は『女性に寄れないタイプ』の男性だった。
俺は彼と性交渉はしなかった。
お金を払い、彼を上から、下から、右から、左から、じろじろと眺め、そしてポーズを要求した。写真はやめてください、と彼は言った。写真はとらない、と断った。写真など撮る必要はないのだ。男性の骨格がどうなっていて、肉付きがどうなっていて、どうすれば女性へと変貌が遂げられるのか。それは十七歳の春からずっと観察してきた。
もう、俺は二十代後半の無職である。
研ぎ澄まされた『思考』と『推察』は多くの『整理』を成し、彼にアドバイスした。
「ここをもう少し意識してごらん。こういう長いウィッグの方が背中の筋を隠せるから、そういう服を選んだほうがいい」
彼は当惑していた。
性交渉しない無職のお客相手に、しぶしぶポージングをとってくれていたが……実際にそうした指導を受けると露骨に嫌な顔をした。
詠徒<ヨミト>という子を指名したのは、そうした西川口の交遊から二ヵ月後の事だった。お店は赤羽で、指定したホテルに彼はやってきた。
二十二歳だと言った。二十六歳だろう、と指摘すると彼は驚いた顔をしていた。
小柄で目の大きい子で、俺は一発で素敵な『女性』になる、と確信した。
源氏名は詠徒<ヨミト>であるが、本名は健次郎<ケンジロウ>と言った。実家は上中里であり、昨年に母親が癌で早逝したのだとか。それが彼にどのような影響を与えたかはわからない。親が死ぬことは、どのような人間にとっても大きな衝撃になることは想像できるが、その衝撃が健次郎にどういった影響を及ぼしたのかは聞くことが出来なかった。
ただ、彼は純粋な少年のようだった。
彼とも性交渉することはなかった。
お金を払い、ポージングをとってもらい、最適な『女性像』を彼に指南した。
西川口の時のように失敗はしたくない。
女子高生の制服やウィッグ、化粧品などを持ち込んでいた俺は、それを使ってもいいかと健次郎に聞いた。彼は「ぜひ」と短く答えた。
時間を延長する。
性交渉などしている時間はないのだ。
彼を『女性化』させるために必要な処置は、さほど多くなかったが非常に繊細なものだった。
これまで頭の中で処理をしていた事を実際の手で行う。
医学生がテキストの上で人体を理解するのと、実地で患者に相対するのとは大きな違いがあるように、健次郎を扱う事には非常な緊張を強いられた。
しかし、彼が姿見の前でくるりと一回転したとき、俺は知らず知らずのうちに拍手を送っていた。
そこに立っていたのはテレビや雑誌で目にするようなアイドルグループのメンバーのような娘だったのだ。その完成度に俺は自分でも驚いたが、なによりも驚いていたのは健次郎本人だった。
「す、すごい……。すごいすごい!」
少女のように彼は跳ね、俺の手を握った。
「どうして、どうしてこんなことが出来るんですか。そういう特殊なメイクの人なんですか?」
営業を抜きにした地声で健次郎は飛びついてきた。
「ただの無職だよ」
俺はそう答えて彼と別れた。
化粧を落とすことも、服を脱ぐこともなく、健次郎は嬉しそうに俺を見送ってくれた。
ウィッグも制服も小物も彼に『託した』のだ。あれは女性向けの品物であり、男性のような俺が持つものではない。
* *
再び健次郎に会ったのはそれから半年ほど経った年末の事だった。
あまり良い再会とは言えなかった。
俺はその日も女性に望ましい男性を探して風俗店の子をホテルで待っていた。幾度も男の子を買っているというのに、誰とも性交渉をしたことがないというのは不思議な話だ。
その日も加工されたウェブ写真をもとに男の子をホテルに呼んだ……が、現れたのは写真とはかけ離れた複数の男だった。
のぞき窓から見たときは注文した男性だったのに、鍵を開けるなり勢い込んで見知らぬ男がぞろぞろと入ってきたのだ。
殺される、拉致される。
そんな思いが巡ったとき。
「ちょっとお時間よろしいですか」
誰かにそう問われていた。
忙しい、と断ることもできず、俺はホテルの前に停めてあった車に乗せられた。
後部座席で男たちに挟まれるようにして、しばらく国道を走った。
運び去られた先は大きなマンションの一室で、そこが性風俗の元締めのオフィスだと気づいた。
奥の部屋に通されると中年のスーツを着た男性が俺を待っていた。
「突然の事で申し訳ないね」
スキンヘッドの彼は痩身であったが異常なほど肩幅があり、胸を圧迫する勢いのようなものを発しているように見えた。
恐怖がなかったと言えばうそになるが、家庭も定職も守るべきものもない自分であるから、ここで殺されても……という気はしていた。
「そっち座って。硬くならないで。おい、出せよ! 飲み物を!」
若い男が応接セットにグラスを用意し、キャバクラの娘がやるように氷と灰皿を滑らせてきた。
「煙草はやらないんです」
「おう、悪かったな」
そう言ってスキンヘッドの男は「俺はやるんだよ」と胸ポケットから煙草を取り出した。サッと若い衆がそれに火をつける。
「で、好きなのは。焼酎? 日本酒?」
「ビールでお願いします」
「遠慮するなよ。居酒屋じゃねえんだから」
「刑務所に連れてこられた気分ですよ」
俺が答えるとスキンヘッドの男はにいっと笑う。
若い衆がテキパキと酒の準備をし、熱いおしぼりをテーブルの上に滑り込ませる。高級料亭よりも躾が行き届いていると思ったほどだ。
ふぅーっと長く煙を吐いたスキンヘッドは、妙にぎらついた目で俺を見据えた。
「あんたね、なかなか有名なのよ。指名手配、されてる」
「指名手配……ですか。警察に?」
「違う違う。我々に、ですよ」
そう言ってから「おい!」とスキンヘッドが身内に声を尖らせる。
どういった指示であるのか、若い衆はすぐに会釈をして部屋から出て行き……戻ってきた。そこには健次郎の姿があった。
あっ……と俺が声を漏らしたとき、スキンヘッドは困ったように頭を擦ってから、煙草を灰皿に押し付けた。
困ってましてね、と顔を顰めて彼は言った。
「もういっぺんね、彼を女にしてほしいんですわ。あんた、それ、できるんでしょう?」
最初、俺は何を問われているのかうまく呑み込めなかった。
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