本章
第一章 俺のゆがみ
第一章 俺のゆがみ
自分が人と違っていると気づいたのはいつだろうか。
たぶん、十七歳の春ごろだと思う。
それまでは平凡な学生として日々を過ごしていた。
両親がいて、妹がふたりいて、そして小型犬がいた。
昭島の古い中古戸建てを父は買った。俺が中学生になるころの話だ。
犬を飼おう。
自分の部屋が持てるぞ。
勉強にも集中できるし、なにより昭島はいい土地なんだ。
胸を張る父に母は「古臭い家ね」と感想を述べた。それきり母は家の事は何も言わなかった。
この戸建て購入はうちにとった大きな意味があったのだと思う。
下の妹が小学校で軽いいじめのようなものを受けている気配があった。
自宅での口数が減り、細かい事を気にするようになった。もともと太い性格だった妹が、センシティブな問題を抱えているような気配を母が察した。
子どもの世界など学校と家庭がほとんどを占める。
家庭内に問題がないとなれば、学校に問題と答えを求める。短絡的な思考だが、それが『両親』という生き物の思考回路なのだろう。
俺は妹が学校でいじめを受けているか、ちょくちょく下級生の教室をのぞきに行った。母からの指示だった。けれども、休み時間や掃除の時間に明確ないじめの現場を目撃できたわけではないし、妹は「もう、お兄ちゃん来ないでよ」と嫌がるくらいだった。
学校に問題はないんじゃないか。
いま思えば、子どもは繊細になる時期があるのだ。個々人にそうした精神的なシーズンが用意されているみたいに、妹は小学生の頃にそれが来た。
それが思春期の入り口であったと言えばそれまでであるが、両親はそう考えなかった。
上の妹が中学生に上がるタイミングで俺の一家は昭島へ引っ越した。テレビドラマや無料の不動産冊子が描く幸せな家庭を模倣するために。
父は戸建てを買い、小型犬を飼い、新しい生活を築いた。
俺と一番下の妹は転校する形になったが、とくに問題はなかった。
友人たちに恵まれたとは言えないが、つらい思いをした、という記憶もない。
無味無臭な友人たちと勉学を共にし、球技を楽しみ、そして卒業とともに別れた。卒業式にたくさんの寄せ書きと「ずっと友達でな!」という無意味なやりとりを交わした。
そのころから、他人という存在にわずかな違和感を覚えていた。
高校は地域の商業高校に入った。サッカーの強豪校で、八割が男子生徒であった。
俺は純粋に専門資格を取得するために学校へ通ったが、多くの同級生たちはサッカーのために学校へ通っていた。
当然に道は交わらない。
けれども、その環境が俺の中で妙な特異性を教えてくれた。
「この子はかわいい」
同級生に女子生徒が少なかったことも影響しているのだろう。
思春期真っ盛りの高校生たちはアイドルやセクシー女優の画像をスマホで見ながら「可愛い」「やべえ」「胸すごくね」などと騒ぐ。
その気持ちは全く持って理解できる。俺もその感情には同意見であったから。
けれども、その先が違っていた。
アイドルやセクシー女優の容姿や容貌を見たとき、男子のクラスメイトの誰がそれに近いかを想像する事が出来た。
よく日に焼けた、坊主頭のサッカー部員に、どれほどの髪の毛と脂肪をつければ、スマホの中でほほ笑む女性に近づくかを判断する事が出来たのだ。
俺達は『男』と『女』の世界で生きている。
ホルモンや骨格の影響で男女は一定の年齢層で大きく身体的特徴が異なってくる。
けれども、表層上で『男性』を『女性』に寄せる事は出来る。
また『女性』に寄ることが出来る『男性』と、それができない男が居る事も無意識に理解し、選別していた。
髪型、目つき、眉毛や睫毛の太さ、角度……。
高校生の頃は漠然とした印象でしか選別が出来なかったが、大学、そして社会人と年を経るごとに女性へと変貌できる男性の要素、要因を明確に言語化、整理することが出来るようになっていった。
ただ、自分自身を姿見で見たときに「これはダメだ」とすぐに理解できた。
俺は女性に寄ることのできない人間だ。
だからこそ、教室や街中で大声で青春を謳歌している男子学生を見たとき……興奮を覚えたのだ。
「彼なら素敵な女の子になれるんじゃないか」
ひそかに、名も知らぬ街中の『彼』の『女性化』を想像しながら、ずっとずっと生きてきた。
大学は商科大学へ入った。
高卒で働く予定だったけれども、比較的容易に大学へと進むことが出来た。奨学金も付き、断る理由がなかった。さほど有名な大学ではなかったが、キャンパスライフは多くの『考える時間』『整理する時間』を与えてくれた。
けれども『整理する時間』は四年間では足りなかった。
成り行きのまま仕事に尽き、組織の中で働いた。
つまらない仕事とつまらない上司のプライドを取引先にぶつけていく。それがどういう結果になるかは、目に見えているのに。
上司は言う。
「それをひっくり返すのがお前の仕事だろうが」
そう、ひっくり返すのが俺の仕事だ。
仕事は下劣な汚物のようなにおいを放つものだった。
下劣な汚物のようなものを『おいしいですよね』と提案したところで「あんた、なにを言っているんだ」と返答されるだけ。けれども、それを『ひっくり返す』のが俺の仕事なのだ。
そこまで理解が至ったとき、俺は無計画に仕事を辞めた。
「辞めます。この辞表をひっくり返すのが、あなたの仕事ですよ」
そう言って上司に退職を告げた。
上司は『ひっくり返す努力』すらしなかった。
その時初めて、この世界の多くの人間は虚勢を張った無残な大人たちなのだと理解した。
自分はそうなりたくない。
けれども、仕事も職もない。
求人情報誌を見ていても、面白そうな仕事はなに一つなかった。
そんな夢遊病者のような無職生活の中で、とある糸口を見つけた。
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