霧に染めた日
21.霧に染めた日 <前編>
「待て、お前はまた…」
私は、霧の中に立っていた。
懐かしの校舎が遠くに見える。
今居る場所はグラウンド…目の前には、何時かこの世界で始末した男。
私はほんの少しだけ顔を歪めると、右手に持った包丁を男目掛けて振り下ろした。
「ああああああああああああああああああああああああああ!」
敢えて急所を外してやる。
ジワジワと、意識が無くなっていけばいい。
私は指した包丁を乱雑に抜き取って、嘲笑に染めた顔を男に向ける。
「ん…」
勢いよく抜き取った包丁…一緒に血が飛んできて、私の手や腕…首筋を真っ赤に染めた。
制服にも血が飛び散ったが…冬服の、喪服のような黒いセーラー服ではあまり目立たないだろう。
私は自分の体を見下ろして、気になる所だけ血を拭うと、まだ息をしている男の前から立ち去った。
霧の奥…ボンヤリ見える校舎に向けて歩いていく。
今、私の"感覚"はこれ以上になく研ぎ澄まされていた。
この世界が、本当に私の手のうちに入り込んできたような感覚…
その感覚が、私に教えてくれた事はただ1つ。
今この世界に、"現実"を生きる私達が迷い込んできている。
「そろそろ、挨拶しないとねぇ…」
私は独り言を呟くと、軽い足取りで校舎を目指す。
グラウンドを抜けて、舗装された連絡路を通って…少し歩いて生徒玄関へ。
生徒玄関に、鍵が掛かっていない事は知っていた。
私は迷うことなく、扉を開けて中に入り、"私が私だった頃"の下駄箱で靴を履き替えて校舎の中に入って行く。
校舎に入り、進路を右に取った私は、改めて自分の体を見回した。
血の付いた手や腕…首元…シミの出来た制服…それらを見て、小さく口角を吊り上げる。
向かう先は生徒会室。
手に取るように分かる…彼女は、"彼女達"はそこにいる。
私は廊下を歩き、生徒会室前までやって来た。
生徒会室の前で立ち止まり、小さく深呼吸を一つ。
生徒会室の扉は、完全に閉まっておらず…中からは人の気配がする。
私は決心が付くと、半開きになった扉のノブに手をかけて、ゆっくりと扉を開いて中に入って行った。
「……」
「……」
霧に包まれた生徒会室に入った私の瞳が"先客"の姿を捉える。
目の前に居るのは、何もかもが同じながら、髪が真っ白に染まった"私"の姿。
目の前に居るのは、微かに印象が異なる"慧"の姿。
「ようやく話せる時が来たみたい」
私は2人をじっと見据えて言った。
2人は互いに寄り添って、私の事をじっと見つめて動かない。
2人の表情には、明確な恐怖心が見て取れた。
「さっきのアレで最後だったのよ。"私"が狩るべき人は」
彼らの様子を見て、彼らのリアクションを堪能しながら、私は話を続ける。
怖がっているだけで、そんなに面白い反応も見せてくれないが…
「空野彩希に影林慧」
私が彼らの名前を告げると、彼らの眉がピクっと動いた。
「どうして貴方達は15歳の壁を破れたのかが不思議でしょうがない」
私は反応を見せた彼らに向かって話し続ける。
「何もない世界だった」
一方的に、恐らく反応しようも無い言葉をぶつけた。
「何もない世界だった」
それは"私の目"から見た、彼らの世界の事。
「平和で、何も起きず、貴方達はのうのうと暮らしていた」
そこまで言って、私はほんの少しだけ声色を変える。
「ああ…彩希、貴女は高校を辞めてたっけ。でも、"大した怪我もせず"今を生きているんでしょう?」
白い髪を持つ、"私"の姿をした女にそう言うと、私は声色に毒味をほんの少し混ぜ込む。
「後遺症も残らずに」
そこまで言って、ようやく2人が人間らしい反応を見せてきた。
目の前の、白い髪の女が私の目を睨みつけながら口を開く。
「……そう言う貴女は誰なの?貴女が僕達を毎回毎回ここに呼び出した張本人かな」
苛立ち交じりの言葉。
私はぶつけられた苛立ちを受け流し、ワザとらしくお道化て答えた。
「さぁ…」
嘲る笑みを彼女に向けた私は、おちょくるような声色で続けた。
「当ててみれば?…空野彩希ちゃん」
そう言って、左手を頭上に掲げる。
指を合わせて…そして、パチン!と指を弾いた。
「な!」
「!!!!!!」
刹那…今居る部屋のガラスが全て砕け散る。
彼らは体をビクつかせ、全てのガラス窓が砕け散ったことを確認すると、驚愕に染めた顔をこちらに向けなおした。
私は出会ってから一番の反応を見て満足げに頷くと、自然と笑みがこぼれてくる。
「アッハハハハハハハハハハ!」
愉快だ。
そう思った。
暫く、霧に包まれた世界に私の笑い声が轟き続ける。
ひとしきり笑い終えた私は、嘲笑に染めた表情を彼らに向けると、右手に持つ、血だらけの包丁の切っ先を彼らに向けて言った。
「彼が仕事を果たすまでは取っておいてあげる」
切っ先を向け、私はほんの少し首を傾げて更に続ける。
「イレギュラーな世界の最期は、私達が看取る。貴方達は霧の中に消えてもらわないとね」
その言葉がキッカケになったらしい。
目の前の2人は何かに弾かれたように動き出す。
パッと私に背を向けて、そのまま割れた窓から外へ飛び出した。
私は追いかけることもせず、ニヤリとした嘲笑を顔に張り付けたまま、窓際の方へと歩いていく。
私は今居る場所の全てが手に取れるように分かっている。
だから、彼らが私から逃げ切れないと知っていた。
「校舎の外の街並みはハリボテ…良く出来た偽物。さぁて、何処に隠れるかな?」
そう独り言を呟いた私は、彼らを追わずに、来た道に戻り始める。
割れたガラスの破片を避けて歩き、生徒会室の扉の方へと戻った。
「慧もここに居るはずだけど。何処に居るんだか」
歩きながら、そう呟いて扉を開ける。
重厚感のある扉をゆっくりと開けると、生徒玄関の方へと足を向けた。
きっと、彼らが再び校舎に入るなら…生徒玄関よりも奥にある非常口の方からだろう。
きっと、慧が校舎内に居るのなら…生徒玄関の奥にある階段を登った先…何処かの教室だろう。
私はゆっくりと、落ち着いた足取りで歩みを進める。
そしてやって来た生徒玄関前のホール…
私の目の前には、階段と廊下が見えた。
「どっちにしようかな」
階段を上がって慧を探すか、非常口の方を見に行くか。
私は数秒の間で考えをまとめると、階段の方へ体を向けた。
何も、直ぐに彼らをどうにかしようとは思わなかった。
慧と先に合流して、そこからジワジワと彼らを追い込みたかった。
ただそう思ったから、私は階段を上がって心当たりのある場所を探し始める。
2階の3年生教室…3階の2年生教室…そして、4階の1年生教室。
私は霧に包まれた中学校の校舎内を、適当に練り歩いて慧を探す。
「……」
2階の教室を探し、慧の姿が何処にも無い事を確認した。
3階に向かおうと、来た道を戻って再び階段の方へと向かいかけた私は、ふと足を止める。
私の視線の先…今までは気にも留めなかった、壁に掛けられた小さな鏡が目に留まった。
「鏡?」
鏡に映る自分の姿を見て、私は小さく呟く。
鏡が置かれている位置は…何もおかしくはない。
階段横…トイレ前に置かれた洗面台に備え付けられているものだから。
鏡に映った私の姿にも、おかしな所は1つも無かった。
さっき出会った、白髪頭の私ではない、黒髪冬服姿の女子生徒。
見慣れた私の姿がそこにあった。
「1年生…」
私の目に留まったのは、制服の胸元に光る学年章。
薄暗く、灰色がかった白い霧の世界の中でもキラリと光る黄色のピンバッチ。
"1‐2"と記された学年章を見た私は、もう一度鏡に映った自分を見つめて、ニヤリと笑う。
「1年2組…だった時もあったっけ」
私は鏡越しの自分にそう言うと、手にしたナイフを自らの首筋に突き立てる。
「彼らを最後にしたのも、きっと無意識的なのでしょうね」
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