20.路地裏の失敗 <後編>

長い長い話の始まりは、私達ですら記憶の片隅に押し込めてしまっていた。

それは、私達が唯一、高校生になれた時の記憶。

思い出してしまえば、何故これ程の思い出を忘れてしまったのか不思議に思える程、苦い記憶だ。


全てが始まった扉を開けた先。

私達の視界に映り込んだのは、公立高校の一室とは思えない姿に変わった「夜間職員室」の姿ではなかった。


「あれ?」


意を決して開いた先。

目に映ったのは、霧に包まれた路地の光景。

扉を抜け、足を踏み出した次の瞬間、私達は外に立っていた。


「このパターンかよ」


後ろを振り返った慧がそう言って肩を竦める。

彼につられて背後に振り向くと、さっきまで歩いていた高校の廊下は何処にも見えない。

私も彼と同じような表情を浮かべると、溜息を付きながら前に向き直った。


「私か慧の部屋に繋がらないってことは、この近辺に誰かが居る…と」

「ああ。これ俺等の家の近所だぜ。同じ町内だ」

「何か覚えていることある?」

「無いな」


高校から繋がった先は、家の近所。

私達は霧に包まれたその道を適当に歩きながら言葉を交わす。

今歩いている道は、家の近所にある小さな公園へとつながる道だ。

…ただの住宅街にある道、周囲には一軒家が軒を連ね、その全てが記憶にあるまま。


車が通るはずもないのに、律儀に歩道の上を並んで歩いていく。

歩いて行って、公園が霧の向こうに微かに見えた時。

ふと、私達は足を止めた。


「……」

「……」


足を止め、見つめた先。

計画的に作られた碁盤の目状の住宅街にある、ちょっと異質な細い路地。

私達は、その入り口付近で足を止め、路地をジッと見つめ続ける。


慧が気づいたのかは知らないが、私の視界には"何か"が過ったような気がした。

過った何か…それが居るのはきっと、今立っている"霧の中の世界"ではない。

過去の記憶だ。

過去の私が見た景色のフラッシュバック。


「下がれ」


慧がそう言って私の肩を掴む。

私は彼にされるがまま、慧の一歩後ろ側に後退した。


「え?何もいないよ?」


私は驚きつつも、何となく彼が見た"光景"を頭に過らせながら答える。

慧はコクリと頷きつつも、私の肩を掴んだまま放さない。

路地の先が見えない場所まで私を引っ張った。


「……慧?」

「そっちに入るなよ。彩希、目、閉じてみろ」


突然の行動に首を傾げる私に、慧が少し低い声でそう告げる。

私はコクリと頷くと、慧に言われるがままそっと目を閉じた。


「……」


目を閉じると…視界が真っ暗闇に染まる。


「閉じたけど?」

「そのまま。ジッと閉じてろ。何か見えてこないか?」


暗闇の中、慧の声が耳に入ってくる。

私は首を左右に振りながらも、じっと目を瞑った。


「何か見えるの?」

「昔見えてた景色だ」

「昔見えてた景色?」

「ああ、見えてこないか?」


路地の前で、じっと目を瞑る事数十秒。


「あ!」


私は思わず声をあげた。

暗闇の中に、誰かの視界が映り込む。


その視界の主は、私の声を発していた。

この近辺を歩いているが…そこは霧に包まれていない。

何もない、平和な夜のひと時が見えた。


私は目を閉じたまま、久しぶりに見る"マトモな"世界に見入ってしまう。

中性的な口調の"私"の視界。


"現実"では夏らしい。

涼しげな格好をした私は、恐らく友達と花火でもしていたのだろう。

視界越しに感じる感覚や、一緒に歩いている女の子との会話から、今は家に花火を取りに行く最中だという事が分かった。


徐々に、私が"僕"の一部だった頃の感覚が蘇っていく。

視界に始まり、そこから感じる五感全て…"僕"の思考そのもの…徐々に私は"僕"になっていく。

ちょっと意識すれば、体すら動かせそうな位。


私は"僕"に何を仕掛けるわけでもなく、彼女と友人のやり取りを覗き見る。

話は今後の進路の話になっていた。

友人の方が相談を持ちかけてきて、"僕"がそれに答える。


何気ない会話。

私はそれに魅せられた。

これ以上、覗き見るのも嫌なほど…

私はパッと目を開けて、霧の中に戻ってくる。


「見えたか?」

「見えた……」


目を開いた私の視界は潤んでいた。

霧に包まれ、先が見通せない世界だというのに、私の目に浮かんだ涙が更に視界を悪化させる。

それを私服の袖で拭い、改めて慧に目を向けると、彼も同じような状況に陥っていた。

彼の両目は少し赤くなっていて、拭いきれていない涙の痕が頬に残っている。


「何で泣いてるんだろうね」


私はそう言って砕けた笑みを浮かべた。

慧も、私につられて笑みを浮かべる。

久々に、こういう笑い方をした気がした。


暫く笑いあって、それから徐々に笑い声が聞こえなくなって、私達はやがて表情を消す。

目を閉じて浮かんだ景色は、霧のない"現実世界"…今見ている世界は、霧に染まった"私達の世界"。

この世界にいる限り、私達はあんな生活を送ることは無い。


「どうする?」

「どうもできないでしょ」


表情を消した私達は、互いに見つめ合って、それから路地の向こう側を見つめた。

見つめた先に1人分の影…私達は示し合う事も無く、一気にその影に向かって駆けだしていく。


「な、なんだお前等…!」


「来るな!」


1人、霧の中に紛れた男が私達を見止めて逃げ始める。

この霧の深さ、私達はボンヤリ見えた時から男の方へと向かっていたが、男が私達に気づいたのはそれから少し遅れていた。

ハッキリ見えた男の顔…目が細められていた事からも、男の視力は良い方で無いと分かる。


私は表情をそのままに、右手に"鉈"を取り出した。

ズシリと重たいそれを、私は軽々と振り上げる。


「待て!俺が何をしたって言うんだ!」


無言で追いかける私達に、男が叫び声を上げる。

中年の男…運動はあまり得意な方でないと見た。

私達は彼に追いつき、慧が男の背中に飛び掛かる。


「ガ…!」


ほんの少しの滑空ののち、男が顔から地面に滑り落ちた。


「よぉ、今回は上にバレずに上手くやってるようだな」


背中にのしかかった慧は、そう言って男の肩口に小さなナイフを1本突き刺す。


「……な…んの…」

「"今回"はやってねぇのかな。アンタ、嫁も娘も殺して、その遺体を車に積み込んでないか?」

「だ…誰がそんなこと…」

「"何時かの"私達はその真っ最中を偶々見たせいで、顔見知り程度の、貴方の家族と一緒に土の中に埋まったのよ」


男の横にしゃがみ込んだ私は、そう言って男の顔の目の前に鉈を突き立てる。

今手にしている鉈は、私が彼に殺された時に、彼が手にしていた物だ。

こんなに綺麗な姿かたちはしていなくて、血だらけな逸品だったが。


「な…あ……ああああああああああああああ!」


男は鉈を見て"思い出した"らしい。

断末魔にもよく似た絶叫を上げると、慧にのしかかられていながらも、それなりに強い力で暴れはじめた。


「っと…っと…暴れんなオッサン」


慧はそれをいとも容易くいなして、男の背中にナイフを数本突き立てる。

程なくして男は動きを止めて、ぐったりとした顔をこちらに向けた。


「思い出してくれたみたい」


私はニヤリとした嘲笑を貼り付けて男に迫る。

男は目を泳がせながらも、私の体のあちこちに視線を巡らせていた。


「貴方で最後なのよ」

「え?」

「私達を殺してきた人よ。随分と多かった。随分と時間がかかったけど、貴方で最後」

「何を言って…」


男に一方的に話を続ける。


「長かった割に、残った最後の1人は随分とショボいのが残ったものね」

「そんなもんじゃねぇの?やべー奴だなんて、思い返せば何人いるよ?」

「5本の指で数えきれる程度かな」

「その倍以上、いや10倍以上俺等を殺してきた奴は居るんだぜ。このオッサンも所詮ありふれたうちの一匹だ」

「何度も何度もやり直せてるから、感覚が麻痺してるよね。ありふれた一匹でも、人の人生は終わらせられるの。それも、そこそこ惨たらしく」


私は慧にそう言うと、男の背筋付近に鉈の先端を押し当てる。


「割と普通そうな人でも、プッツンすれば誰でもやる事は変わらないのよね」


そう言って、私は鉈を持つ手をそっと上に振り上げた。


「動物園の檻の中に居る猿と大差ないって訳だ」


振り上がった鉈を見て、慧が呟く。

私はこれ以上にないニヤケ顔を浮かべると、それを思いっきり男の背筋に振り下ろした。


気味の悪い感触が右手に伝わる。

柔らかいような…なのに抵抗が大きい不思議な感触。

私は深々と突き刺さった鉈の当たりから見えた男の血を眺めながら、ほんの少し顔を顰めた。


「これで、終わり?」


急にやってくる虚無感に苛まれる。

私は表情を消した顔を慧に向けた。


「終わりだな」


慧も同じように私の方を見て答えた。

力なく、ダラダラとした動きで立ち上がる。

周囲の景色は、一切変わらず霧のまま。

私達は、フラフラと来た道を戻り始めた。


「殺して、はい終わり…じゃないのは良いんだが…」

「待って!」


慧がそう言いかけた刹那。

私は背後の物音を聞いて彼の口を塞ぐ。


そして2人そろって振り向いた先。

霧の影の向こう側…男の遺体が転がっているあたりに、2人分の人影を見つけた。


「……彩希」


霧の向こう側…微かにしか見えない"現実世界の私達"の姿を見止めた慧は、ふと私に小声で話しかけてくる。

私も、彼に言いたいことがあって彼の顔をじっと見つめた。


「慧………」


何か言いたげな互いの顔。

だけど、私達は何も言葉を交わさずに路地を立ち去った。


晴れない霧の中、やる事がまだあと一つ…残っている事に気づいたから…

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