モルモットの代理
19.モルモットの代理 <前編>
段々と、自分達が何なのかが分からなくなってきた気がする。
それを、何となくでも客観視できたのは、この前の雨の中。
私は私で、慧は慧なはずなのに、何処かで、私達の常識がズレ始めていた。
「ねぇ?慧」
私は、すぐ横にいる相棒の名前を呼ぶ。
彼は、私の方に顔を向けると、苦笑いを浮かべたまま首を小さく傾げて見せた。
「何なんだろうね、この世界って」
何も言わない彼に、私はそう言うと、眼前の景色に視線を戻す。
「さぁ…いよいよ俺等がおかしくなってきた証拠じゃねぇのか?」
苦笑いを浮かべたままの、彼の答え。
2人そろって、今の状況に対する答えは持ち合わせていなかった。
私達が立っているのは、私の自室。
その扉を開けた先…あったのは見慣れた廊下ではない。
「神社が見えるね」
「屋台も出てるぜ」
自室の扉を開けて繋がったのは、私達が暮らしている街の上空だった。
丁度、神社の辺り…霧のせいで、建物のシルエットがボンヤリとしか見えないが…間違いない。
私の部屋の扉から一歩先に足を踏み出せば、一気に神社の近く…恐らく鳥居のあたりまで墜落することだろう。
高さは、まず人間が助かる見込みが無い高さ。
生きていたころに登ったことがある、東京タワーよりも高い気がする。
そこから見える、霧に包まれた街はミニチュアの様…
だが、ミニチュアではないはずだ。
私達が今いる世界が、私達にとっての現実だ。
頬をつねって痛みを感じるから、それはきっと間違いない。
「……」
「……」
私と慧は、暫く言葉を失った。
部屋の中は扉を開けた途端に気温が下がって、窓が薄っすら白くなった。
私達は、少々冷たく感じる風を感じたまま突っ立っている。
目の前の現実を、現実だと認めたくないという気持ちと…今足を付けているこの世界が現実なのだと受け入れる気持ちがせめぎ合っていた。
「私さ、最近は、もう、なんか…自分って何だろって思ってたんだけど」
「俺もだ」
「これ見たらさ、最早何が何だかとか、どうでも良くなってきちゃったかも」
「…俺も」
冷たい風を受けながら、呆然と眼下の景色を見下ろして言葉を交わす。
そこから、部屋の外に足を踏み出す気は無い。
扉を閉めて、次に開けた時には元に戻っているのだろうか?と、扉を閉めて、再び開けても結果は変わらなかった。
それも、想定通り。
自室から出て行く時に、別の景色が見えた時は…私達が"狩場"へ誘われている時だけ。
今回の"狩場"は、きっと夏祭りの最中の神社なのだろう。
その景色を眺めた時に、脳裏に微かに"過去の出来事"が思い浮かんできていた。
「祭りの最中ってことはさ」
「きっと、神社の境内の1件だろうな」
「そんなこともあったよね」
「あったあった…今までもそうだったけど、まぁ、理不尽だわなって事が」
「じゃぁ、今のこれは何なんだろうね」
話を続けながら、私達は部屋の奥へと戻っていく。
私は椅子に、慧はベッドに腰を落とすと、少しだけ体を震わせた。
「あの時の事、詳しく思い出せる?」
「思い出せない。気づいたら神社に居たなって事しか」
「今、私達が着てるのは制服なわけだけど、祭りに行く時って、どっちも浴衣だったよね」
「だったな。学校帰りにそのまま行けるような距離じゃないし」
「…でも、神社で気づいた時には制服だった…?」
「……」
思い出すのは、霧の中の世界に来る前の話。
何度でもやり直すだけの、足掻くだけのガッツが残っていた頃の話。
脳裏に、微かに浮かぶ曖昧な記憶を辿っていく。
分かったから、今の状況が改善するかと言われれば、きっと答えはノーだろう。
だけど、私達は過去に固執するように頭を回し続けた。
「……」
「……」
何気なく、窓の外に目を向ける。
最近見ていたのよりも、もっと深い霧に包まれた先に、家の外の光景が見えた。
扉の外は、神社の上空に繋がっていると言うのに、窓からの景色は変わらない。
「いっそ窓から出てみるか?」
窓の外に目を向けて固まった私に、慧が冗談っぽい口調で聞いてくる。
私は直ぐに彼の方を振り返ると、苦笑いを浮かべて首を左右に振った。
「中途半端に痛いのは嫌だな……え?」
そう言って笑った直後。
慧と私の間をガラスの破片が遮った。
「うわ!」
一瞬で静寂な空間が騒がしくなる。
ガラスの割れた音、割った"犯人"が飛び込んできて床に落ちた鈍い音。
「なんなの?」
私達は体を仰け反らせ、驚いた表情を浮かべたが、次の瞬間には"部屋に飛び込んできた"物体の方に視線が行った。
「……」
「……」
2階にある、僕の部屋の一番大きな窓を突き破ってやって来たのは、1人の男。
特徴的なのは、作業服に身を包んでいることだろうか?
黄色い、安全ヘルメットを身に着けている事だろうか?
何にせよ、生身でガラスを突き破って来た男は、体中に刺さった破片の痛みだろうか、衝撃を受けたことに関する痛みなのだろうか?…私達の視線の先で蹲ってもがいている。
「彩希…コイツ」
「ええ…見た記憶はあるけど」
私達は、そっと立ち上がって、男の近くに寄って行った。
件の"神社"で私達に起きた1件に関わっていた男だというのは、血にまみれた顔を見た瞬間に思い出せた。
「どうする?」
「さぁ…鳶なのかな」
「高いところは得意そうな格好だぜ」
常識外れの状況に、いちいち驚くのは、とっくに飽きてしまった私達。
痛みに悶える男を囲んだ後、私は自然と男の頭部に跨って、頭に載せられたヘルメットを取り払う。
「が…何を…!」
男が何かを叫ぶが、私はそれを意に介していない。
血にまみれた顔…視界は最早真っ赤だろうという程に、血で汚れている。
「行き成り飛び込んでくることは無いじゃない」
ヘルメットを取り払い、男の首を絞めながら、私は男に話しかける。
「が…ぁ…や…」
「ここ2階よ?どうやって来たのかは知らないけれど、丁度よかったわ」
私は首を絞めつつ男に一方的に話し続けた。
私の背後では、慧がカッターナイフを取り出して、手際よく男の手足の筋を切り裂いていく。
そのたびに、男はビクン!と悶えて跳ねたが、胸元にのしかかった私は、気にせず両手に力を込める。
「どうやって私達を連れ去ったのか、思い出した気がする」
血に染まり、若干滑り気のある首元を絞めながら、私は徐々に男にされた事を…"昔の一幕"を思い出した。
「家の外壁工事の時の担当者だったはず」
手がヌメッとしていて、上手く首が絞まらない。
それでも、徐々に男を弱らせるには十分だ。
「そう…親の居ない隙に、慧と一緒にいる時を狙って、私達を連れ去った。連れ去って、神社で嬲って、階段から落としたんだ」
私はそう言いながら、ピクリとも動かなくなった男の首から手を放す。
まだ、男の息の根は止まっていない。
虫の息だ。
「ねぇ?」
私は血に濡れた手で、男の瞼を強引に開ける。
開いた瞼の奥に、こちらを見返す瞳は無く…白目を剥いた男の瞳に、ポタリと血液が1滴、滴った。
「…高い所から落とすために、こんなことになったのかな」
男の瞼を元に戻して、胸元から立ち上がった私はボソッと呟く。
私の横にやって来た慧が、小さく肩を竦めて見せた。
「どうだか。ただ、突き落すってのは丁度いいよな。ジワジワ殺しても、それももう飽きてるし」
「じゃ、最後はお願いしていいかな?」
「任せとけ。あ、ドア開けて」
慧に男の移動を任せて、私は部屋の扉を開ける。
開けた先は、さっきと変わらぬ霧に包まれた街の上空に繋がっていた。
「この高さじゃ、どうなるんだろうね?」
「良い音するんじゃないか?」
開けて、再び部屋に寒い風が入り込むようになる。
外を見回していた私は、視界の片隅に、動く人影を見つけた。
「人だ」
慧が男を運んできたと同時に、私はそう言って慧に存在を知らせる。
彼は、一度男を床に落として、私が刺した方に目を向けた。
「ほう……」
その影を見て、彼はニヤリと笑みを浮かべる。
私が自然と浮かべていた表情と同じ顔。
「驚かせてやるか」
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