18.レインシャワー <後編>
私は突然の出来事に体を凍り付かせた。
横に立っていた慧が、胸元から血を噴き出しながら倒れていく。
驚いた私の顔は、生気を失っていく彼から、その背後に居る存在の方へとズレていった。
「……!」
驚きと恐怖、その次に来たのは怒り。
例え霧が少し晴れたからといって、小雨が降っているとはいえ…この世界は私達の"狩場"。
"またリセットか"だなんて思うような、諦めが訪れる"現実"じゃない。
パッと体を反転させて、私は慧を刺した犯人の方へと振り返る。
すると、男は既に刃物を慧から抜き取って、今まさに私に振り下ろさんとする瞬間だった。
「く…」
寸での所で刃を交わす。
ここまでの流れは犯人…とっぽい中年の男は、僅かに驚いた表情を浮かべる。
「誰かと思えば…いや、分からないけれど、どちら様?」
「驚いた。彼氏の方をやれば、後は泣き叫ぶだけだったんだがね…」
余裕な態度を崩さぬ私が余程意外だったのだろう。
落ち着いた口調で話す男の顔が、微かに歪んでいた。
「ココが何処だか分かってるの?」
「さぁな…ただ、君達が居てくれる…良い世界だよ」
「よくもまぁ、気持ち悪いセリフを吐ける事ね…」
「いやぁ、"堪能"させてもらったからね。2人共々、死に装束は"お似合い"だった」
男は何処か悦に浸っているような口調で話してくる。
私は背筋が凍り付くような感覚…今までの中でも最もと言っても良いくらいの気味の悪さを感じた。
「強くなったねぇ…少し気弱な君の方が好みだったんだが」
男の一言一言を聞くたびに、私の中で何かが切れて行く。
「…に、しても。彼はもう終わった。君だけ残る訳にもいかんだろう?"今までも"そうだったんだ」
まるで何度も何度も私達を殺してきたかのような、見てきたかのような男の言葉。
頭の天辺まで沸騰しきった今の私には、その意味を正すという選択肢は無かった。
今の私にできるのは、ただただ、男を睨みつけて…微かに意識を下に向けるだけ。
ここは"私達の世界"なのだ。
私達がルールなのだ。
「見てきたように語るじゃない…」
だから…
「私達ってそんなに目立つのかしらね…」
例え心臓を一突きされようと、そんな"些細な事"では痛みすらも感じない。
「ねぇ?慧」
そう言って、眼下に目を向ける。
私の言葉と共に、下で微かに蠢いていた慧の動きは一気に機敏になった。
「な!」
倒れたまま、慧はガシッと男の両足首を掴む。
余裕な態度を崩さなかった男も、流石に慧の復活は想像しきれていなかったのだろう…
明らかな動揺が見えた。
「仕留めきれなかっただけで随分と取り乱すのね」
足を捕まれ、動きを封じられた男に、私は満面の"嘲笑"を送る。
手には"創り出した"刃物を持ち、その切っ先は男の首筋に向けられていた。
「おかしいと思わなかった?」
形勢逆転。
驚愕に顔を歪め、小刻みに震えだした男の首筋に、薄っすらと刃を走らせる。
「ひっ…!」
刃が男を現実に引き戻した。
右手を首に当て、もがいて慧の拘束から離れようと必死に体を動かし始める。
「な、何なんだ…お前たち…ただの、ただの……!」
崩れたらあっという間。
男は上ずった、悲鳴のような声を上げて逃げを図る。
「おっと、暴れんなよ。往生際の悪い奴め」
足をバタつかせた男。
慧は片方の手を放したが、もう片方の手はガッチリと男の足首を掴んで離していなかった。
「ちょっと"お話"しようぜ。こういうのは正々堂々としないとなぁ!」
足元から聞こえてくる慧の声。
放した方の手には、いつの間にか果物ナイフが握られていた。
「や、やめろぉ!」
足元に目を向け、光るものを見つけた男が絶叫して足蹴りを放つ。
だが、その蹴りが慧に当たる前に、果物ナイフの刃がふくらはぎに突き刺さる方が早かった。
「がああああああ!」
小雨模様の世界に響く悲鳴。
私達の表情は、一際明るくなった。
「どうしたよ。アキレス腱でも切ったか?え?」
悲鳴を受けて、慧が一言冗談を飛ばす。
それを聞いた私の表情は、品の無い笑みに変わっていた。
「運動不足なのよ。きっと」
「そうかそうか…じゃ、反対側はどうなんだろうな?」
右足を…軸足を切り裂かれた男は、ふら付く体を抑えきれずに尻もちを付く。
私はその姿を見下ろすと、一歩男の方へ近づいた。
「ほら…逃げないの?まだ片足は動くでしょう」
その一言が男を更に追い詰める。
真っ青な青に顔を染めた男は、両手と残った左足で私達から逃れようともがきだす。
「っと…蜘蛛みたいに動けるもんなんだな、人って」
立ち上がって、付いた砂やら泥やらを払いながら、慧はボソッとした声で言った。
「何処まで逃げられるかな」
「さぁ…あの血の噴き出し方を見る限り…噴水広場まで持てば拍手ってとこだな」
冷静に、落ち着いた声で交わされる私達の会話。
互いに、表情は薄気味悪い表情を浮かべているのだろうが…
今のこの世界には、むしろこの顔の方が合っているのかもしれない。
「で…あの男、覚えはある?」
「さぁ…この辺で攫われた事もありゃ、事件に巻き込まれたこともあって…まぁ死に方には事欠かなかったから、印象に残ってないんだよな」
「私も。ただ、顔を見て"ああ…"ってならない辺り、知らない間に死んでいたってパターンは彼よね。きっと」
「だろうな」
私達は男をジッと見据えながら言葉を交わし…互いに得物を手にしたまま、ゆっくりと一歩、足を踏み出す。
男が逃げた方向へ、ゆっくりとした足取りで歩き出す。
「く…来るな!」
「誰か!誰か!誰か!」
私達が動き始めたと同時に、男の煩さが増した。
誰もいない世界で、霧に包まれた世界で、男の声が公園中に響き渡る。
「元気だね」
「ああ」
私達はそれを意に介さず、ゆっくりと男の後を追いかける。
小雨に打たれ、ぬかるんだ地面から砂やら泥やらを拾って汚れていく男の姿を眺めながら、それを嘲笑しながら散歩する趣味など持ち合わせていないが…
今の男の姿は私達の退屈を満たすには十分すぎた。
今の男の姿は私達の溜飲を下げるには十分すぎた。
ゆっくりと、ゆっくりと、私達は男の後を追いかける。
血の付いたナイフの血を拭い、クルクルと回して遊びながら、男を追いかける。
泥と砂と、男が流す血の跡の上を歩きながら、私達は噴水広場まで戻って来た。
「は…はぁ…は…」
息切れの激しい男。
ポケットから煙草の箱がポロリと落ちた。
「煙草なんて吸ってるからそうなるのよ」
私はそれを見て笑みを深め、脚でチョンと煙草の箱を蹴飛ばす。
煙草の箱は、弧を描いて噴水の方へと飛んで行った。
「さて…ここでおしまいかしら?足を1本使えない程度で終わり?」
煙草の箱の行方を見つめた後、私は男の傍にしゃがみ込んで嘲笑の張り付いた顔を男に向ける。
雨と涙でぐしゃぐしゃに歪んだ男の顔が私を見つめ返してきた。
「良い顔してる」
私と慧に囲まれて、諦めたように…全てを放り投げてしまった男の顔を見た私は、そう言って無事な方のふくらはぎにナイフを突き立てる。
「うわぁぁぁぁぁ!」
私の問いにも答えられなかった男は、歪み切った声色で悲鳴を上げる。
私は、それを意に介さず突き立てたナイフを上から下へ…膝裏からくるぶしの方に動かして、皮膚を切り裂いた。
「ああああああ!」
再度悲鳴が上がる。
顎が外れるのでは無いかと思えるほど口を開けて…
「…ったく」
足元に刺したナイフをぐりぐりと動かす私の動きに合わせて、男は悲鳴を上げ続ける。
「まだ足しか刺されてないんだけどな」
「他の人ならまだまだ動くんだけどねー」
悲鳴を上げる男を眼下に置いて、私達は楽し気に言葉を交わす。
「どうするよ」
そう慧が尋ねてきた。
私は首を傾げながら、少し考えた後で男の腹部を指さす。
「次はこの辺じゃない?まだ死なないよ」
適当に答えた私の言葉を受けて、慧は何の意見も言わずに、行動で答えを示す。
おへその当たり、腹のド真ん中に慧の手にした果物ナイフが突き刺さった。
「あ、が…あああ…」
ビクン!と反応を見せる。
同時に男の血が服や顔の一部に飛び散ってきた。
「まだまだこれから」
その生暖かい感触を感じながら、口元に飛んできた血を舐めとった私は、そう言って男の足元からナイフを引き抜く。
「貴方には"何回分"の貸しがあるか知らないけど。利子を付けて返してもらう位には、私達の遊び道具になってもらわないと」
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