19.モルモットの代理 <後編>

甲高い破裂音が聞こえてきた。

眼下に落ちて行ったのは、虫の息程度まで痛めつけた男。

慧と2人、その様子を上からジッと眺めていたが、男の姿は薄っすらと霧に包まれたせいで、着地した後の様子はボンヤリとしか見えなかった。


「これで、ドアを閉めて開ければ元通りかな」


破裂音の残響が消えた後、私はそう言って、半身程外に出た体を引っ込める。

その直後、扉を手で押さえていた慧が、扉を閉めながら中に戻って来た。


扉が閉まり、ふと部屋の中の方に顔を向けると、再び普段の私の部屋の景色が目に入る。

派手にガラスを突き破った形跡も、男をジワジワと痛めつけた跡も、最初から無かったかの様…

私と慧は顔を見合わせて、互いに小さく肩を竦めた。


互いの格好を上から下まで確認しても、未だ学生服に身を包んだまま…

部屋の光景こそ、元通りの光景になったが…これで全てが元通り…再び深い霧の中に2人きり…という訳では無さそうだ。


「で、これでもう一回開けてどうなる?」


すぐに慧が振り返って、扉を開ける。

私はその様子を目で追って、扉の奥に見えた景色を見止めて小さく目を見開いた。


「今度は地上なのね」


ボソッと一言。

私は部屋から一歩外に出て、周囲を見回す。

私の部屋の扉は、どこでもドアの様に、何もない場所に"出現"していた。


「神社の裏手だな」


同じく外に出て、慧が一言。

薄っすらとした霧の中、先程は上空から眺めていた場所に出て来た。


「この場所なら、迷い込んできたあの子たちが来るかもしれない」

「鉢合うのは…まだ早いよな」

「だね。まだ、早い」


部屋の外に出た私達は、出てきた扉を閉めて、神社の周りをぐるりと回る。

静寂に包まれたこの空間に、他の人がいる様には見えない。


「下に降りりゃ、祭りっぽそうなんだが」

「ガヤガヤしてないのは不気味だね」

「アイツって鳥居付近だよな?居たのって」

「うん。さっき落としたあの男がどれだけ注目を浴び続けてくれるかな」

「目を背けて、こっから離れてくれりゃ良いんだが」


慧はそう言いながら、神社の賽銭箱の上に乗って腰かけた。


「誰を殺せばいいか思いつくか?」


慧が問いを一つ、私に投げかける。

私は両手を左右に広げて「さぁ?」と言うと、彼の横に腰かけた。


「この裏手であったことに関してなら、やるのはさっきの男だけじゃないのは分かるけど、顔はピンと来てない」

「だよなぁ…」

「何されたか覚えてるか?」

「あんまりなんだよね。ありすぎて、いちいち覚えちゃいないよって」


静まり返った霧の世界で、私達は会話を重ねる。

飽きたと言っても、最早この霧から逃れられないのだろう。

2人だけの世界に、やって来るのは"仇"だけ。

それを狩って、狩りつくせばその先に何かがあるだろう…そう思って、私達は次の標的について話し合う。


「勝手に向こうからやってきてくれないかな。今の俺等なら何が来たところで死にはしないんだしさ」


慧はそう言って、ボーっとした表情を浮かべたまま、顔の前に手を出すと、ギュッと手を握る。


「こんなことだって出来るんだし」


そう言って、パッと手を開くと、音も無く地面から鋭利な針山が飛び出してきた。


「ついにそこまで来たのかって感じだよね、ホント」


私は特に驚くことなく、彼が作り出した針山を眺める。

霧の世界に来て幾星霜…最初は人間の範疇から離れていなかった私達だったが、徐々に徐々に人間の範囲から離れていた。


手に持つ武器を創り出すのは朝飯前。

致死量分の傷を負っても意識すら飛ばない。

寒さも空腹も感じず…生理現象の一切が無くなった。


「そろそろ、終わりが見えてきたってことだと思いたいんだが」

「どうだろ。終わりかもって言い続けてきて結構経ってる気がするんだけど」


徐々に、この変化することが無い「霧の中」の世界の一部になっているのだろうか。

好きに物を創り出せて、いよいよこの世界にすら干渉出来るようになった私達…それを理解した時に、まだ微かに残っていた「恐怖心」や「罪悪感」は何処かに消えていた。


「…誰も来ないぜ」

「来るとしたら、向こう側を生きてるホンモノの私達位なのかな」

「どーだか、ひょっこり出てきて来ないかね」


理不尽の権化ともいえる存在になり果てた私達。

変わりない霧の中の世界で、無気力に過ごすだけかと思ったが、そうはならなかった。


私達が動く理由は、心の奥底に眠っていた"復讐心"ただそれだけ。


この世界の出来事で、人は死なない。

ただ、この世界で死んだだけ…呼び出された元の世界ではのうのうと暮らしてる。

ここでどんなに痛めつけても、凄惨な最期を遂げさせても、無駄だという事は知っている。


だから、私達がやっていることに何の意味も無いのだ。

意味もないのに、私達はそれに熱心に取り組んでいる。

例え、一夜の夢で終わったのだとしても、この世界で起きた事は、私達にとっての現実だから…

意味も無く漂うよりは、少しでも自分を癒したかった。


「……」

「……」


賽銭箱に腰かけて、暫くたった後。

カラコロと音が聞こえてきた。


方角は、私達がやってきた神社の裏手側から…

私達は小さく口元をニヤつかせて、暇じゃなくなった事を喜ぶ。

ゆっくりと、音がする方向に目を向けると、やって来たのは、私達と同じ年位の女だった。


「あら…」


浴衣姿の女がこちらに気が付く。

整った顔には、薄っすらと化粧がされていたが、この状況下では果てしなく不気味に見えた。


「こんなところで何をしていらっしゃるのかしら」


これまた気味の悪い、甲高い声で私達に話しかけてきた。

私達は、顔を見合わせると、首を左右に振って肩を竦めて見せる。


「さぁね。話し込んでたらこんなところに来たってわけさ」

「はぁ…迷うような場所でも無いでしょう」

「そうだね」

「…大丈夫ですの?」


浴衣姿の女は、私の応対に不信感を抱いたのだろう。

眉を潜めて一歩あとずさった。


「ところで、君はココがおかしいと思わないのかな?」


浴衣の女に、慧がそう尋ねる。

女は、更に表情を暗くした。


「俺等の事を知ってるんじゃない?」


人当たりの良い声で慧が続ける。

女は何も答えなかった。


「なぁ、アンタ…どっかでみた面だ」


女を見据えて、慧はそう言って、賽銭箱から降り立つ。

彼のいう通り、私達には目の前の女に見覚えがあった。

彼女の姿を見た時に、彼女にされたことを…彼女達にされた事が、鮮明に思い出される。


この神社の奥…今立っている下…地下に作られた部屋で、意識を保ったまま、ジワジワと溶かされた記憶…

その時に、私達の気を逆なでする甲高い笑い声をあげていたのが、今目の前にいる女だ。

彼女の異常な性癖にまつわる"モルモット"にされた私達…

私達を実験体にして確かめて、それから"本命"を啜るのだと、何もかもから活力を失った私達に自慢げに語っていたのを思い出す。


「人違いじゃありません?」

「んな、薄気味悪い化粧した古風な口調の奴なんざ早々いてたまるかっての」


絞り出すように答えた女に、慧が即座に切り返す。

私は賽銭箱に座ったまま、女を見つめてニヤニヤ笑みを浮かべていた。


「薄っすらとしか見てねぇから分からなかったが、意外と若いんだな」


慧は、徐々に私達を見る目に恐怖が混じってき始めた女を見つめたまま、淡々と話を続けた。


「白鞘持ってた気がするんだが…」


彼はそう言いながら一歩一歩女に近づいていく。

私は、賽銭箱から降りて、離れていく慧の横まで駆け寄った。


「お姫様なんだよ。ただの偶像…ねぇ?慧、彼女を同じ目に合わせるのは、ちょっとムリだよねぇ」


女にも聞こえるようにそう一言。

それを聞いた瞬間、女の表情は、女の双眼は思いっきり剥かれた。


「こいつ…!」


一気に怒りが湧いてきたのだろう。

後ずさっていた足を止め、一気に私達の元へ突貫してくる。

器用に、浴衣の内側に隠し持っていたのだろう"白鞘"を惜しげもなく取り出して、それを眼にも止まらぬ速さで抜刀して、私達に襲い掛かって来た。


「おっと」


これまでの印象とは違う、機敏な動きに驚きつつ…

私達は共に片腕を前に突き出した。


「が…!」


見えない障壁に女がぶち当たる。

そして、開いていた手をギュッと握りしめた。


「……!!!」


握りしめた瞬間…

無数の針山が女を貫く。

呆気なく、声をあげる間もなく、文字通り穴だらけになった女は息絶えた。


「ちょっと太い注射器程度の針なら、そこまで見た目に来るものは無いね」

「確かに。エコだな。精神的に」


針に突き刺さり、驚愕と怒りの表情のまま固まった女を見つめて言葉を交わす。

握った手を再び開くと、針山はパッと立ち消え、女が地面に崩れ落ちた。


「彼らはもうここまで来る頃かな?」

「どうだか、隠れてみてるかもしれないぜ」

「あっちの私の性格じゃ、悲鳴は隠せないよ」


血だまりの上に倒れる女に近づくと、私は女の首根っこを掴んで持ち上げる。

同じくらいの体躯…少々重たく感じたが、気にせず上半身を持ち上げて、それをズルズルと引きづり始めた。


「掃除してから帰ろう」


慧にそう言って、私は女を階段の淵まで運んでくる。

直後、躊躇うことなく、女を階段から突き落とした。


「……」


小高い位置にある神社、そこまで上がって来るには、それなりに急で歩幅の狭い階段を上がってくる必要がある。

一度転げ落ちたら、その勢いは中々衰えない。

私は、血をまき散らしながら落ちていく女を満足げに見下ろしていると、ふと階段の脇に見える人影を見止めた。


「ほー…」


ほんの小声で、人影を見つけた僕は感嘆する。

階段から落ちてくる女も目にくれず、階段の上に立つ私達を見上げてくる2人組に対して、私はゆっくりと、見せつけるかのような笑みを作って、彼らを見返した。

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