14.ミイラになった男 <後編>

後少しで、男の言う非常階段まで辿り着く。

私達は、不気味な態度を見せる男から遠ざかるように、逃げるように後退っていたが…

男の方も、私達に何か出来るような素振りは見せていない。


ただ、私達に近づいてくるだけ。

それが、私達にはこれ以上なく不気味だった。


「そこから外に出られる」


男が言った。

私と慧の足が止まる。

ここまでくる間に恐怖心は薄れていた。


「そうですね。外に出たところで、霧の中に逆戻りですが」


私はそう言って、非常階段の扉に手をかける。

ガチャリ…ノブを回して扉を開けた。


「ああ」


そこまでやって、何かを思い出したかのように動きを止める。

微かに見えた扉の奥の景色は、非常階段ではない。

その事実を私だけに見せて…再び扉が閉まった。


「先生、今度はその教室に連れ込まないで下さいね?」


そう言って、男の方に振り返った私は、これ以上にない笑みを浮かべている。

男の反応は、一気に豹変した。


「な…」

「彩希は必ず連れ込んでたもんな。俺は最後の1回だけ逃れたけど」

「何の話だ?」

「俺から言わせるか?アンタから後退ってんのに何も言わねぇでチンタラついてきやがって」


豹変したのは私達も同じ。

一度は階段側に向けた体を、男の方に向けた私達は、一歩ずつ彼ににじり寄っていく。


「私は死ぬまで誰が犯人かなんて分からなかったけど、慧が全てを覚えて居てくれた」

「俺を殺さずに放っておいたのが仇になったな。ミイラを作りたい欲は、墓場まで持ってくべきだぜ」

「私を殺して、死体に手間をかけて下処理をして…ミイラにして…最後はガムテープで丸めてそこの教室のロッカーに詰め込んだって聞いた」

「ああ、ガムテープに指紋を残したのが決めてだったしな」

「どう?先生…"思い出さない"?」

「アンタ目線で可愛い子を狙ったんだってな。大した趣味をお持ちで」


男に手を伸ばせば触れる距離で、私と慧はそう言って彼をじっと見つめる。

目を見開いて驚いた様子を見せた男は、額から汗を一滴流した。


「何を言ってる?俺はそんなことを…それに、お前たちは昨日も学校に…」

「そこに居た俺らは俺等じゃないんだぜ」

「それに、ミイラを作りたいって変な趣味は否定しないのね」

「なんなら、」


初めて見せた男の狼狽する姿。

彼の目線…彼はどこからこの霧の中にやって来たのかは知らないが…

徐々に余裕を崩していくのではない、アッサリと仮面が外れた男を目の前で見るのは、中々に滑稽だ。


「いや、それも…そんなことするわけないだろ!揶揄うのも……」


狼狽えながら言葉を放つ男。

その表情は、焦っているのだろうか?それともこの状況への恐怖だろうか?

恐らく、私達がここまで態度を変えるなどと想像しているはずもない…

表の世界…生きていた頃の私達は、今よりもずっと弱々しくて、それでいて優等生だったのだ。


「じゃ、思い出させてやる」


低い慧の声が男の言葉を遮った。

直後、鋭く右手が男の腹部に伸びてゆく。

手に持っているのは、刃が飛び出たカッターナイフ。


「うぉ!」

「暴れるなよ?腹の中で刃が折れても知らねぇぞ?」


サクッという音もせず、簡単に、深々と突き刺さったカッターナイフ。

男の顔は苦悶に滲み、慧は嘲笑うかのような笑みを男に向けた。


「今は"思い出さねぇ"かもしれないが、"思い出させて"やる。アンタに何度ミイラにさせられたか、そん時にアンタは何て言ってたかみっちりとな!」


慧はそう言うと、目の前にあった教室の扉を雑に開けて男をその中に突き飛ばす。

そのやり取りの中で、彼は力ずくでカッターナイフの刃を折っていた。


「…!」

「おっと、折れた。こりゃロクに動けないな。彩希、コイツは俺に任せてくれ」

「分かった」

「彩希の分も取っておいてやる。あんまり遅いと保障は出来ないけど」

「ありがと」


暗い教室の中に倒れた男。

それを見下ろす慧と私。

私はこの場を彼に任せて、教室を出て行った。


向かう先は職員室…

ガムテープさえあれば、あの状況は再現できる。

だけど、私の足は職員室に向く前に別の方に向いていた。


職員室前を素通りして、階段を降りて1階へ。

向かう先は、家庭科室。

欲しいものは、なるべく刃渡りの長い包丁だ。


自然と駆け足になっていた私は、少しだけ息を切らしながら家庭科室の扉を開けて中に入る。

8卓並んだ実習用のテーブルに、教室脇の棚にズラリと並んだ食器類

窓際には何もなく、窓の外に見えるはずの職員駐車場と、その先に見える住宅街の景色は霧が掛かって良く見えない。


私は記憶を頼りに教室内を歩き、先生が居た教卓近くの戸棚を開ける。

そこは、取扱注意な物を仕舞っておくための棚。

私はそこから幾つかの包丁を適当に取り出して教卓に並べた。


「……」


私は幾つか取り出した包丁の長さを手で測り、その長さを自分の腹部に当てはめる。

右側のお腹から、ちょっとだけ胸の方に向けて、真っ直ぐ突き刺さったのが、私が覚えている最後の痛み。


丁度、胸元の何かに当たった感覚で意識が途切れたから、そのあたりまで届く長さの包丁が良い…

そう思った。


「これじゃない」


目についた、刃渡りの短い包丁を床に落とす。

残った包丁は3つ。

長さは微妙に違うが…恐らくどれでも条件は満たせるだろう。


私は3本の中から、長い順に2本、手に取ると直ぐに家庭科室から出て行って階段を駆け上がる。

職員室に寄って、一番奥の段ボールに入っているガムテープを2梱包分取って、一番奥の教室へ…

歩かずに、先を急ぐかのように駆け抜けた。


「慧、お待たせ」


開きっぱなしだった後ろのドアから中に入る。

そこには、新たに何か所かに血の滲みが増えた男と、少し汗ばんだ慧の姿があった。


「その包丁は?」

「オマケ。それより、思い出してくれた?」

「バッチリ」

「ありがと、これお願いしていい?」


彼にガムテープを預けると、私は包丁を手に男の傍に寄っていく。

あいさつ代わりに、肩に一本包丁を突き立てると、ぐったりとしていた男が悲鳴を上げた。


「私ですら叫ばなかったのに」


私はそう言って男の顔を覗き込む。

もう一本、手にした包丁を彼の眼前に見せつけると、私は真顔のまま男に目を向ける。


「思い出したみたいね。私をミイラにしたがった変人さん」

「あ…あ…」


私が声をかけると、男は最早声にならない声で反応する。

暗がりで分からなかったが、よく見ると、顔を何度も殴られたのだろうか?

おびただしい数の痣が見て取れる。


「偶に嫌な目で見られてるなって思ったけれど、生憎、当時の私に人を怪しむ考えは持ってなかったの」

「……」

「何処で貴方に捕まったのかも覚えてない。気が付けば、貴方の家に居て、私は縛られてた」

「……」


私がそう言う後ろで、慧が手際よくガムテープの梱包を解いてくれている。

ビー!っとガムテープのロールからガムテープが剥がれる音が聞こえると、私は男に目を向けたまま、男の足元を指さした。


「足からやって」

「分かった」


短いやり取りで、慧は足元からガムテープを巻き始めてくれる。


「生憎、私達はミイラの作り方なんて知らないから、このままグルグル巻きにしてあげる。貴方の家で、私が何をされたかなんて覚えてないしね」


私は男の耳元でそう囁いた。


「や…やめ…」

「安心していいよ、私達みたいな袋小路に入るわけじゃない。悪い夢を見ただけ…明日からは元通りだから」

「すまない…ごめんなさい…」


私の言葉を投げかけるだけで、男は顔をくしゃくしゃにしていく。


「慧、この人をここまでにするのに何したのさ」

「さぁ?打たれ弱かっただけじゃねぇの?」


丁度、腹部までガムテープを巻き終えて1ロールを使い切った慧と言葉を交わすと、私は肩に刺した包丁を抜き取った。


「今で何個目?」

「1つ」

「じゃ、全身に巻いてもまだもう一周できるんだ」

「ああ」

「じゃ、一周させちゃおう。目と鼻と口をあけて」


血の付いた包丁を教室の隅に放り投げた私は、そう言って新品のガムテープを手に取る。

ビーっとテープを出して、震えが止まらない男の頭に近づけた。


「まだ、目は覚ましてあげない」


そう言うと、男の髪の上からガムテープを躊躇なく貼り付けた。

そこを起点に、ビーっと巻いて数周…目と鼻と口だけを避けて、胸元までガムテープを巻いていく。

慧も腹部と腕の辺りにガムテープを巻いて、丁度私の巻いた先と繋がった。

これで、目の前にはガムテープに巻かれた男が出来上がる。


「もう一周?」

「ええ。お腹だけ最後にしてね」


それをもう一周。

私と慧にとっては最早作業。

今後は目と鼻と口まで巻いてやった。

最初からまかなかったのは、少しでもこの世界で生きてもらうため。

微かに空気は通るだろう…


「よし」


私は後少し残ったガムテープを男の腹の上に置いた。

ピクっと反応する男の体。

まだ、彼には意識があるらしい。

それを見て、ニヤリと笑った私は、残しておいたもう一本の包丁を手に取って、それを男の右側面のお腹に突き立てる。


腹から、微かに胸元に切っ先を向けて…

巻いたガムテープをジワジワと切り裂くと、やがて刃の感触が変わった。


「最後、こんな感触だったんですよ?何かが突き破って、体の中に入り込んできて…ああ、終わったって。そう思うでしょ?」


私はそう言うと、ほんの少しだけ刃を入れる。

男はガタガタと反応して見せた。


「大丈夫ですって、どうせここで事切れれば、次の光景は明日の朝なんですから」


私は笑顔でそう言うと、そこから躊躇なく、勢いよく包丁の柄まで突き刺した。

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