ミイラになった男

14.ミイラになった男 <前編>

私が霧の中から外に出なくなってどれだけ経ったかなんて、最早数えるだけ無駄になった。

この間、私がバイトしていた喫茶店…メープルで、男を一人始末してからは、慧と共に霧の中を転々としている。

転々としている…というか、その時々で、この世界が私達を置く場所を変えているかの様…

最初は、ちゃんと私達が住んでいた街そのものだったのに、最早そんな整合性など何処へやらという様相。


私達はある程度意思を持って動いている筈なのだが…何処かに行こうと腰を浮かせて、扉を出たりすると、全く見当違いの場所に繋がって居たりする。

今も、そんな現象に遭遇したばかりだった。

彼の家で、何をするわけでもなく、淡々とした時間を過ごしていて…ふと、彼が「散歩でもしようぜ」なんて言って、2人そろって外に出たら、繋がっていた先は随分と懐かしい場所だった。


「中学校だ」


彼の自室の扉を開けた先。

世界は一気に様変わりして、懐かしい景色が周囲に現れる。


「ご丁寧に、服も制服に変わってる」


私は自分の身体に起きた変化を見ながら、淡々とした声色で言った。

この程度の事で、最早驚きはしない。

メープルで男を一人やってから、いよいよ私達はこの霧の中に閉じ込められたのだろう。


「…懐かしい、私がこの席で、前は慧だったもんね」

「何時の話だ?」

「んー……どっかであったかもしれない回の話」

「もう、一つ一つ、どうだったかなんて覚えちゃいねーよ」

「それもそっか」


霧の中…微かに夕暮れの、オレンジ色が白い霧に混じった空間で、私と慧はそう言って笑いあう。

これからどうしようかなんて、先のことを考えることは当に諦めていた。


「お?」


教室内、窓際に近づいて外を見ていた慧が声を上げる。

私が彼の下に駆け寄って行くと、彼はニヤニヤしながら下の方を指さした。


「1人来たみたいだ」

「…慧が連れてきたの?」

「いや、その聞き方だと、彩希でもねぇのな」

「……いよいよ、永遠に霧の中ってのもあるかもね」

「難しいことは後だ、あの禿頭見ただけで、何すりゃいいかは分かるよな?」

「予習は実技含めてバッチリだしね、そうしよう」


私達は言葉を交わすと、早速行動に移る。

今、校舎に入って来た男はこの学校の教師だった男。

ピカッと光るくらいの禿げ頭が特徴的な、中年の男。

私達が彼に殺されてミイラになったのは何度あるだろう?

社会科担当の、少し…いや、結構なレベルで論理的な思考が出来ないタイプの男だった。


私は教室に備え付けられていた戸棚の中にあったガムテープを1ロール手にすると、先に教室を出た慧の後を追いかける。

彼は教室の外…廊下にあった消火器を手にして私を待ってくれていた。


「1つしかない」

「職員室に行けば予備は幾らでもあるさ」

「家庭科室にも寄りたいな、その消火器じゃ大きすぎて扱いにくそうだよ」

「確かに」


私の指摘に、彼は苦笑いを浮かべて手にした消火器を足元に置く。

今いるのは3階…職員室は2階で、家庭科室は1階だ。


「鉢合わせしねぇかな」

「ああ…確かに」

「なら、職員室だ。カッターの一本位あるでしょ」


言葉を交わしながら廊下を歩き、階段を降りて行く。

入って来たであろう男の位置を考えれば、彼が走りでもしない限り職員室に来るのは私達の方が早い。

十分に探索できる時間もあるはず。

私と慧は、階段を駆け下りると、そのまま職員室の方へと歩いていき、中に入った。


「ラッキー、使いかけのカッターだ」


入ってすぐ、誰の席かも分からないが…机の上にカッターが置かれている。

慧がそれを掴むと、カチカチ…っと歯を出し入れする。

私はそれを横目に見ながら、ガムテープが無いかを探し始めた。


「教室にあるなら、何かの行事前だよね」

「多分。じゃ、どっかに買いだめしてるはずだよな」

「ああ、あれだ、あの箱」


それも直ぐに見つかる。

職員室の奥に置かれた段ボール。

何処かからまとめ買いしたのだろうか、見たことある店のロゴが入った段ボールの中に、3つで1纏めに梱包されたガムテープが見えた。


「テープには困らない」

「これでミイラが作れるね」

「あのオッサンの様な本格的な物じゃないがな」

「中身抜かれてたんだっけ?」

「処理とかはバッチリだったらしい。最後、表側をガムテープでグルグル巻きにしてたのは…何かと誤魔化したかったか…知らねぇが」


慧は妙に詳しく話すと、私の方を見て少しだけ神妙な顔つきになった。


「どうして知ってるのさ」


私は彼に尋ねてみる。

首を少し傾げて、声を潜めた。

ミイラにされる時にバラバラだった記憶は無いから…覚えているはずもないと思った。


「偶々、俺だけ生き残った回のせいだ。お前が見つかって、そこから奴の犯行がバレた時、顛末を聞いた」

「えぇ…」

「動機は簡単、学年で一番可愛いと思った子のミイラを作りたかったんだと」

「気持ち悪い…そんな褒められ方はしたくなかったね」

「で、やって製法もバッチリ決めて、"表側"まで作り込んで、それをガムテープで捲いてあの教室のロッカーに」

「…なんで犯行がバレたの?」

「アイツが居て、彩希が家に帰ってない。それだけで分かるだろ?」

「じゃ、私は一番奥の教室に居たんだ」

「ああ。ガムテープから指紋が出て、家宅捜索で決まりだ」


慧は苦い表情のままそう言うと、直ぐに自嘲するように鼻で笑った。


「そこまで見届けようって生き延びた」

「そのまま生きてれば良かったのに」

「……」


私の返しに、彼は何も言わずに苦笑いを浮かべる。

言わなくても、答えは知ってる。

そうじゃなければ、今の状況下で共に行動していない。

私も小さく笑うと、直ぐに表情を消した。


音がしたのだ。

遠くから誰かが歩く音、多分走り出した音だろうか?

…職員室に近づいてくる。


「どうする?」

「あの人と会う時の最期の記憶は必ず、一番奥の物置部屋だったね」

「誘いこむか」

「そうしたい」

「ガムテープは隠しとけ、仕上げの時に取りに来たらいい」


数秒の間に方針を決める。

ただ、やられるだけだった…いや、死ぬのを待つだけだった時とは違うのだ。

霧の中…私達のテリトリーで、男は"狩られ役"。


私達は入って来た扉よりも、もっと奥側にある方の扉から職員室を出て、入って来た方に顔を向けた。

遠くから聞こえてくる足音…それは直ぐに近くまで来て…やがて私達の視界の奥に一人分の人影が浮かび上がる。


「あぁ!」


少々息を切らした男が、私達の姿を見止めて情けない悲鳴を上げた。

それを見て小さく笑う私達、慧は私を庇うように一歩前に立つと、男に話しかける。


「久しぶりですね。先生?」


慧が、輪郭のハッキリとしてきた人影に声をかける。

手にしていたカッターはポケットの中…今の私達は、男から見れば完全に丸腰だ。


「あ?…ああ、影林に空野か…ここは何なんだ?どうしてここに居る?」

「さぁ…夢の中なんじゃ無いですかね?…俺らもサッパリで」


彼はそう言いながら、薄笑い顔を張り付けて一歩後ろに下がって来た。

私は何も言わずに、彼の腕にしがみ付いて同じように一歩後ろへと下がる。

互いに、余裕を醸し出していながらも、微かに手足は震えていた。


何度も殺されてきた相手なのだ。

その相手が目の前に居て、殺された時と全く同じ顔をしている。

恐怖が染み付いた体を誤魔化すことなど出来なかった。


「とりあえず、学校の中を歩き回ってるんですが、電話も通じないですし…」

「外を見ても、霧が濃くて…それなら学校の中の方が安全かなって」

「そうか…打つ手は無い…と」


彼は平然を装いつつも、一歩ずつこちらに近寄ってくる。

何も言わず、私達が後ずさりすることすらも気に留めない。

それはそれは、不自然極まりない行動と言えた。


「あっち側に、非常階段があったはずだ。1階の生徒玄関から入って来たんだが、入っては来れたんだが、出られないんだ。鍵を開けても扉が開かない」


男はファンタジーみたいなことを言い出した。

平素なら信じられるかと言いたくもなるが、慧の部屋の扉を出た先がこの学校だ。

何があってもおかしくはない…のだが…


「はぁ……古いですからね」


私は戸惑いつつもそう返した。

ジリジリと後ずさりする私達。

それに対して距離を詰めてくる男。


会話の調子は普通なのに、私達2人と男の間には明確な壁があった。


「…にしても、ちょっと聞きたいんだ」


やがて男が重々しい口調で口を開く。

その表情は、すっかり狂気に染まったとでも言えば良いのだろうか?

ニヤリと口角を上げた口元、瞳は一切の光が無く…ロウで固めたかのように動いていない。


私は慧を掴む手に力が入った。


「どうして、俺から離れるんだ?…何も、毎日会ってるだろうに。明日も授業があるのにな」

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