夕日に染まった教室で
4.夕日に染まった教室で <前編>
慧と"霧の中の世界"を漂ってから1か月が経過した。
その間に、僕達は週に1度は会うようになって、説明の付かない現象の答えを探し始めた。
…例えそれが、僕達の頭脳では答えに辿り着かなかったとしても、ただただ黙って霧の中の世界に取り込まれていくのは、僕達の本意とは言えなかったからだ。
無理を承知の上で決めた事…僕も彼も、決して他人に話すことの出来ない"秘密"が共有事項になったことで、僕が高校を辞めてから出来た何とも言い難い溝を埋めるのにも一役買ってくれていた。
気分は複雑そのものだったが、僕はバイトと家の往復だけではなく…幼馴染とはいえ、人と繋がりを再び持てたことで、どこかマンネリとしていた日々がほんの少しだけいい方向に変わった事に一定の満足感は得られている…
素直に言ってしまえば、彼と居るのがこれ以上にない心の支えになっているわけだ。
現実世界でも、霧の中の世界でも、彼が横にいてくれれば、それだけで僕は安心できる。
…雪も解けて、そろそろバイクにも乗れそうな季節がやってこようとしていた。
そんな季節の、何てことのない週末のある日の事。
僕が慧の家に招かれて、他愛のない会話に興じていた僕達を、再びあの霧が覆いつくした。
「また学校…」
5回目の霧の中。
人間の慣れは恐ろしいもので、毎回のように取り乱し、心臓に早鐘を打たせていた僕も、すっかり落ち着いた口調で周囲の状況を把握しようと動けていた。
霧は室内や外といった環境に関係なく全体にかかっており、夕日に染まって薄っすらとオレンジ色に染まった霧が、空間全体を薄く包み込んでいる。
「夕方だ。…時計が正しけりゃ、下校時刻のちょっと前ってとこか」
横には同じ境遇の幼馴染が呆然とした表情でそう言って周囲を見回した。
彼に言われて教室に掛けられた時計に目を向けたが、彼の言う通り、今の時刻は下校時刻の5分ほど前を指している。
「…先生とか、他の人も居るかもね」
僕はそう言って、座っていた席を立って彼の横に並ぶ。
僕達が目を覚ましたのは、丁度僕と慧が前回霧の中の世界で訪れた学校だった。
「誰かが居たとしても、ロクな人間じゃなさそうなのが問題だな」
「ああ…そうだった」
前回と違うのは、生徒会室ではなく…何処かの教室で目を覚ましたという事。
窓の外の景色や廊下の景色から察するに、2年3組の教室に居る事が分かる。
僕が目を覚ました時に座っていた席は、何時だったか分からないが…何処かの季節で座っていた席だった。
「3組だね」
「2年だよな?」
「そう。制服のピンは…ああ、2-3ってなってるよ」
僕達は取り乱さず、冷静に会話を進めて行く。
前回のように、真夜中の学校に放り出されず…放課後の下校時間間際という、何度か経験したことがある時間帯に居るのも多分に影響していそうだ。
…また真夜中の学校だったら、今度も僕は彼の腕に引っ付いて離れなかったと思う。
「ここに居てもしょうがないか…」
「だね…とりあえず、職員室にでも行ってみる?」
「そうすっか…誰も居なけりゃ虱潰しに回ろうぜ。外は嫌な予感がすっから最後に回して」
「オーケー」
慧の席で、これからの方針を決めてから僕達は行動を開始した。
私服姿で語らっていた先程の格好からは、随分と見てくれの違う…懐かしい制服姿に身を包んだ僕達は、ゆっくりと今の状況を把握するために足を踏み出す。
「背格好も戻ってるよね。これ」
廊下に出てすぐ、僕がそう尋ねると、彼は僕の方をじっと見てから小さく頷いた。
「みたいだな…俺も背が縮んでる。彩希と並んだ時の差は変わんないが…目線が少し低いぜ」
「そうだ。慧は生徒手帳とか持ってないかな?」
「持ってない。鞄に突っ込んで放ってたから」
「僕も…」
「学校名か」
「そう。手帳でも持っててくれればすぐわかったのに」
僕はそう言って苦笑いを浮かべると、慧も同じような表情を浮かべて頷いた。
「職員室探れば出てくるだろ」
彼は楽観的にそう言うと、霧に包まれた階段の方を指さした。
「気を付けろよ」
「慧もね」
僕達は互いにそう言い合って、階段を降りて行く。
ただでさえ、踏み場の小さくて急な階段…それを分かっているとはいえ、夕方で薄暗く、霧で少し視界が悪い中で降りるのは少し気を使った。
「俺等の時は何人けがしたかな」
「葵が派手にこけたのは覚えてる」
「ああ…あの時は焦ったな。気絶してたし」
ゆっくりと、過去の思い出話に花を咲かせながら階段を降りると、3年生の教室が並ぶ2階に繋がった。
職員室はこの階の奥にある。
僕達は階段を降りると、少しホッと一息をついて、そしてゆっくりと霧の奥へと足を進めて行った。
「確認なんだが」
職員室までの道中、彼がそう切り出してくる。
僕は彼の方に目を向けて、彼に続きを促した。
「今やるのは情報収集で良いんだよな」
「そうだね。ココが何処で、どういう名前の施設なのか…そして、ああ…そう言えば」
「そう言えば?」
「疑ったこともないけれど、僕達が何者かも調べておこうよ。空野彩希と影林慧がちゃんと存在しているのか」
僕は彼の問いに答えながら、今更思い浮かんだことを一つ付け加える。
彼は少し考えるような素振りを見せた後で、ああ…と言って頷いた。
「ここが俺らの通ってた学校と違う名前だったらってことか」
「そう。名前が違えば、僕達はここに居ないはずだよね」
「だな…なら、職員室にはそれなりに書類だのなんだのが置いてあって欲しいものだが」
慧はそう言いながら、丁度辿り着いた職員室の扉の前で足を止めた。
僕は彼の横にピタっと並んで、少しだけ、彼の右腕に自分の体を寄せる。
「ノックは必要か?」
「体に染み付いてるよね」
「ああ…何となくわかる」
扉の前で軽口を交わした僕達。
ここまでで、僕達以外が発する物音を聞いていないのだから、この扉の先がどうなっているかなんて分かっているのだが…
慧がニヤニヤしながら、中学時代のように職員室の扉をノックしてから扉を開けた。
「失礼します。2年3組、影林慧です」
彼は冗談っぽい口調でそう言いながら職員室に足を踏み入れる。
僕は噴き出しそうになりながら、彼の横に付いて行った。
「同じく。空野彩希です。失礼します…とでも言えば完璧だった?」
僕はそう言って中に入り、そして霧に包まれた職員室を見て回る。
慧も、僕とは別の通路を歩きながら、職員室の中を歩き始めた。
探すのは、この空間が一体何なのかという事のヒント。
ここが何処で、僕達は一体何者なのかという情報。
僕は、適当に目についた机の上に並んだファイルやプリントを手にとっては目を通し、そしてそれらを捨てていった。
行事のお知らせに、国語用と思われる授業用プリント…
1年生の名簿を見る限り、この一帯の机は1年生の担任が集まる区域なのだろう。
「学校名は出てきたぜ。多分これだ」
慧の声が耳に届く。
僕は直ぐに彼の下へと駆け寄った。
「見つかった?」
「ああ。ここは変わりないみたいだぜ」
彼がそう言って手にしていたプリントを僕に寄越してくれた。
「汐月市立苫見賀中学校…ああ、確かに懐かしの母校だ」
プリントに書かれた母校の名を読み上げると、彼はまた別のファイルを寄越してくれる。
受け取って見てみると、どうやら僕達が目を覚ました2年3組の出席簿のようだ。
「見てみろよ」
彼は多くを語らずに、僕にそう言った。
「…何かあったの?」
僕はそう言いつつも、彼に言われた通り、出席簿のファイルを開いて中身を読み進める。
当時の僕達の出席番号は、男女別に並んでいて…僕が7で彼が3…直ぐに僕達2人の名前が見つかった。
「僕達は僕達らしい」
僕はそう言いながらも、直ぐにこの出席簿の違和感に気が付いた。
「だけど、それ以外の生徒の名前は違うね。誰一人知らないよ」
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