3.夕闇に染まった校舎内で<後編>

「ん……」


気が付くと、僕は自室のベッドの上に居た。

驚いた顔を浮かべたまま、周囲を見回すでもなく、まず真っ先に幼馴染の顔が視界に入ってくる。

彼は、驚愕に染まった僕の事を心配そうな視線で見つめていたが、やがて小さくため息をついて肩を竦めて見せた。


「一抜けした割には遅かったな」


そう言って、彼は机に置かれていた蓋の開いていない缶ジュースを僕に手渡す。

僕はそれを受け取ると、徐にタブを開けて一口口に入れ、喉を潤した。


「ごめん。慣れてなくて」


そして、ようやく落ち着きを取り戻し…ようやく一言、そう言った。


「慣れてたまるかよ」


彼は直ぐにそう言って苦笑いを浮かべる。


「しっかし、俺だけじゃねぇとはな…前に喫茶店みたいな所で見た彩希は"本物"の彩希だったって事だろ?」

「うん…扉を開けたのは慧だったんだね」

「ああ…あの時も、ひしゃげたロッカーを叩き開けてみたら…」

「ああ…皆まで言わなくても分かるよ」


僕はそう言って耳を塞ぐ仕草を見せる。


平日の夜…親が昔馴染みの店に行ってる最中、僕は慧と会いたいからと言って家に残って彼を迎え入れていた。


彼の"相談事"を聞くために…


だが、その最中…僕は再び深い霧の中へと誘われ…どういうわけか、その中には慧も巻き込まれてしまい…そこから抜け出して今に至る。

彼の"相談事"はこの霧の中の出来事についてだった。


誰に話しても、信じてもらえなさそうな話…

僕なら茶化してでも聞いてくれるだろうと思ったって。


「最近になってからなんだ。霧の中で体が動かせるようになったのは」


僕は体を起こしてベッドに腰かけるように座る。

ポンと僕の横の方を叩いて、ベッド横の床に座っていた彼をベッドの上に誘った。


「悪い」

「良いの」


間違い何て起きやしない…僕達の仲もあるし、今起きた出来事の後に発火出来るなら、きっとソイツは人を殺したことがあるに違いない。


「続けるけど…最初の方の霧の中は、視界だけが動いてて、夢の中みたいだけど、確かに感覚があったの」

「俺も同じ」

「なら最後も同じじゃないかな…体を動かせない時の霧の中の僕は、手際よく見つけた人間を殺すんだ」

「……」

「まだ2回しか見てないけれど…1回目はマンションで、もう1回はネカフェだ」

「なるほどね…事件にはなってないんだよな」

「そう。マンションの時は、次の日が休みだったからバイクで見に行ったんだ。警察が居たら自首しようかなんて考えて」

「お前らしい」

「でも居なかった。それどころか、見覚えのない母娘が居たよ。小さい子供が居る部屋に変わってた」


僕は今までに体験した、誰にも話せないようなことを淡々と語っていく。

慧は僕の横で、丁度よい聞き手になってくれていて…彼も似たような経験があるのか、言っていることが伝わっているのが手に取るように分かった。


「だから、2回目の後は何もしなかったんだ。2回目は…雪の日で、僕もそこに居たし…霧が晴れた後は葵と一博に会ったよ」

「ああ…学校で聞いたな。会ったって」

「僕は普通にビリヤードをしていたんだ。その最中…30分ほど意識が飛んでいたはずなのに…"戻って来た"時はちゃんと9ボールを終わらせてたの」


僕の話を聞いていた慧は、一旦話が途切れた隙に、不意に口を開く。


「夢遊病みたいだよな」


そう言うと、彼はベッドの上にゴロンと転がる。

座った状態から、上半身だけを後ろに倒れ込ませた姿勢になると、彼は改めて溜息を付いた。


「普段は女の子が寝てるベッドなんだけど」

「気にするタチか?」


慧を軽く弄ると、彼は直ぐに薄笑いを浮かべて言い返してきた。


「全然」


私は素っ気なくそう答えると、彼と同じように背中を後ろに倒す。


「俺も似たようなもんだなぁ…今日を除けば3回霧の中に入って…最後の一回、彩希のバイトしてる喫茶店で初めて自分の体を動かせた」


少し間を置いた後で、今度は慧が話し始める。


「…その前の2回は…見るに堪えないスプラッタ―ショウみたいな、思い出すだけで食欲も失せそうな映像を見せられたな」


彼の話し方や声色から、何となく彼が言いたげな光景が脳裏に浮かんできた。

長い付き合い…性格も言動も、何となくわかってしまう仲だったが…こんな時までそれを発揮しなくていいのにと思う。


「言わないでね。慧の言い方で想像出来そうだから」

「言うかよあんな気味の悪い」

「なら、よく喫茶店の時はあんなことできたよね」

「何故かバットも持ってたしな…それに、彩希の店なら、もしかして…と思って」

「ああ…あの店、店名とかメニューを見たんだけど、別の店だよ。作りはまんま同じでも」

「マジか…じゃ、一体何なんだ?さっき俺らが居た中学校も違うってか?」

「さぁ…何処かで学校名でも確認してた?」

「全然。作りも、制服も同じだったから」


彼も僕も、徐々に声色を小さくしていく。


「……」

「……」


そして、互いに黙り込んでしまった。

白い白色光の下、時計の秒針の音が耳に聞こえてくる。

だがその音は、直ぐに別の音に掻き消された。


「雪だ」

「なごり雪?」

「まだ早いって。そーいや、夜から吹雪くって言ってたっけ、天気予報で」

「そうだっけ」

「ああ」


これ幸い…というわけでもないが、僕も慧も意識的に話題を逸らす。


「ま、この音じゃ…そんなに積もらないだろうけど」

「だね」


だが、雪の話題も続くはずがない。


「……」

「……」


再び黙り込んだのち、彼が僕の方に顔を向けた。


「……で、だ。彩希、こっからどうする?」

「どうするって?」

「アレをただの夢だと思うか?ってことだ。調べてみるか?それとも…無視し続けるか」

「あー……」


慧は再び話を進めて行く。

誰に伝えても気でも狂ったんじゃないかと思われそうな非現実的な、非現実の話。

今日、そんな非現実な世界に居たのが僕一人だけじゃないと分かっただけでも、大分救われた気分になったものだが…僕の横に居る彼は、僕よりも一歩進んだ視線を持っているようだった。


「これが続くようなら、病院にでも行って相談しようって思ってるけれど…」


僕はそう言った後で、直ぐに首を左右に振った。


「親に余計な心配掛けさせたくないな。ただでさえ高校辞めたんだから」

「…なら、無視するか?」

「いや、無視は出来ないよ。というか、気になって仕方がないし…何時か自分が殺される立場になるかもしれないのに」


どこか決意めいた事を呟く。

彼はベッドから体を起こして僕のことを見下ろした。


「よーし、だったら調べて回ろうぜ。手掛かりは無いが」


さっきの、少しだけ追い込まれたかのような声色からは一転して…

クールな彼にしては随分と威勢のいい声色でそう言った。


「……」

「……」


何事にも、最初は少し斜に構えるタチだった気がするのだが…

今の慧は、少しだけやる気が出て来ているらしい。

そんな彼を見た僕は、何処かで何かが変わっていくような感覚を味わっていた。


「慧が居るなら心強い。ま、学校もあるし、僕はバイトもあるから偶にだろうけれど」

「それでも週一位は出来るだろうよ。霧の中で見たことを少しでも鮮明化させて、それで何かに引っ掛からないか調べるんだ」

「威勢が良いね」


彼の言葉に、徐々に僕もその気になって来た。

悲観的だった数分前の僕は霞み…今は彼となら解決できそうかもしれないという、根拠のない自信が湧いて出て来ている程に…


「当り前さ。俺だけじゃねぇってんなら、彩希もそうだし、彩希以外にも居るかもしれないだろ?」

「まぁ…それで?霧の中に迷い込まない様になれば恩の字だって?」

「ああ…あの中に入ってると、な…」


彼はさっきまでの威勢のよさを少しだけトーンダウンさせる。

だが、今度は僕の方が少しだけ頭のネジが外れてきたような感覚に陥った。


「人を殺したくなってくる?」


冗談半分にそう言ったとき、僕も彼も少しだけ顔をハッとさせて顔を見合わせる。


「悪い冗談だ」

「思っても無い事を」


直ぐに僕はそう言って苦笑いを浮かべたが、彼には直ぐに作り笑いだと看破された。


「さっきまで腰抜かしてた割には、そう思ってたんだな」

「え?」

「誤魔化すの下手か。俺だって否定しねぇよ」

「あー……」


僕は曖昧な表情を浮かべると、ワザとらしく首を傾げて見せる。

その裏では、恐怖心や不気味さに圧倒されていた僕の裏で、微かに蠢く"衝動"的な気持ちも徐々に湧き上がってきていた。


「うん」


そして、短期間でグルグルと蠢いていた思考が纏まりかけた頃。

裏の顔のように蠢く、嘲笑うような顔を持つ僕の影から逃れた頃。


僕もベッドから体を起こして彼と向き合う。


「やろう」


短く、彼にそう告げる。


「僕達が正気を失う前に、霧の中で、"自分から"人を殺める前に抜け出すんだ」

「オーケー。人を殺さない…ってのは冗談じゃないよな?」

「当然だろう?…そんなのに慣れちゃったら、コッチでも気にしなくなるだろうからね」


現実世界の正気が勝った僕は、正気でいられるうちに彼に宣言するかのように口を動かしていた。


「霧の中では"シリアルキラー"だったとしても、僕達は"自分の意志で"人を殺さない…ヤバくなる前に止めるんだ。止めて…思い出の彼方に飛ばしてやろう」

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