第109話◇番外編◇ある雪の日の洗礼
「ギル~。ギルっ」
「うっ。うわあ」
いきなり目の前に飛んで来た白い固まりにギルバードは驚きの声をあげた。雪玉を避けた先で「あ~あ」と、いう聞きなれた女性の面白くなさそうな声があがり、こちらを見ていた彼女と目があった。
赤茶色の髪にこげ茶色の瞳をした彼女は、ギルバードと同じく厚手のコートを着て首にはマフラーを巻いていた。毛糸の手袋には白い雪玉が握られている。
「リア。来てたのか? 仕事は?」
「お休みよ。雪が振ったからね。早く帰されたの。あなたこそ遅いのね?」
「明日から店を休みにするから色々と片付けて来たのさ」
「そう」
大雪が振ったせいで、王都にある店を早めに閉め帰って来たところだ。住んでいるアパートは王都の外れにあるので、膝下まで積もった雪を掻き分け帰って来たところに雪玉の洗礼を受けて驚いた。
ハナリアはそばかすの散った鼻先を、赤く染めながらぶつぶつ言う。
「もう。あなたって反射神経が良いのね。ぶつけることが出来なかったわ」
「きみは鈍そうだからすぐ動きが読めてしまうのさ」
「なんですって? ギル」
許さないわよ。と、至近距離で雪玉を次々と投げつけられて、ギルバードは早々に降参した。
「わあ。参った。参った。きみの勝ちだよ。リア」
ハナリアとはギルバードがこの国に来て三年目にして出会った。きっかけは友人の紹介で、彼の出入りしている大商人宅で知り合ったという女性だった。
ハナリアは初対面からして遠慮がなかった。
『わたしハナリアよ。親しい人達にはリアと呼ばれてるわ。宜しくね。あなたのことギルって呼んでもいい?』
と、女性にしては積極的で驚いた。ギルバードの知る女性たちとは(特にアマテルマルス国の女性たちは)、もっと慎ましやかなものだと思っていただけに、彼女の態度はあまりにも異性に対し警戒がなさ過ぎないか? と、思ったものだ。彼女は一応、貴族階級者らしいのに。
でもハナリアはそれを気にしてないようで「うちは貧乏だし、お貴族さまなんていわれるような生活してないからね」と、笑っていた。
友人の話では、彼女の父がお人よしでありとあらゆるところに融資をし、その先が破産して借金を抱え、それまで持っていた領地や屋敷を売り払って完済したということだった。そのせいで父は痩せこけて病死し、母を連れて王都にやってきたハナリアは、カヴァネスの仕事をして生計を立てていると言う事だった。
話だけ聞けばそうとう苦労しているはずなのに、彼女はその様子を他人に微塵にも見せなかった。そこに彼女の強さを感じて、祖国から離れて商売を起こしたギルバードは、彼女を見習うことにした。
ハナリアはくるくる動き回って、ギルバードから見た彼女はリスのような小動物のように思えて愛くるしい。
大雪が降るとこの国では、皆が家に引き篭もって家族との時間を過ごす。彼女は母親と過ごしながら時折、ギルバードを外へと連れ出す。彼女曰く、この国のよさをもっと知って欲しいの。と、遊びに連れ出すのは良いのだが、彼女は運動神経があまり宜しくない。
スキーもスケートも教える側の彼女がそそっかしく危くて、見ていてハラハラした。ギルバードがすぐにコツを飲み込むと、大抵彼女はこけたりすっ転んで、終いにはギルバードが彼女を背負って家まで送る事になり、母親から「いつもすみませんね。娘が面倒をおかけして」と、同情の眼差しを受け、「お夕食を一緒に如何?」と、誘われる流れとなっていた。
でもギルバードはそれが嫌ではなく、大雪が降ると彼女がやってくるのを待ちわびるようになっていた。
「今日はね、お母さまがチキンクリームパイを焼いたの。ギル。あなたを迎えに来たのよ」
「それはあり難いね」
「ギルはチキン好きだものね」
この国に来るまでギルバードは、特別食べ物に興味を持つことはなかった。チキンが好きだとハナリアは言うが、それが大好きなのは彼女の方だ。美味しそうに食べる彼女に釣られるようにして皿を開けてしまうから、彼女やその母には誤解されてしまったようだった。
「さあ、行きましょう。お母さまが待っているわ」
「あ。ちょっと待ってくれ。誰か来ている様だ」
ギルバードは、自分の借りている借家の前に一人の男が立っているのを見つけた。自分を訪ねて来るなんて友人の誰かだろうと思いつつ、近付くと黒いコートの男がこちらに近付いてきた。気のせいかポケットが異様に膨らんでいるような気がする。黒髪にギルバードと同じ新緑の瞳が笑っていた。
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