第99話・二度目のキス


 その日、王都では緊迫していた。王都の外を取り巻くように張り巡らせている城郭の外に、武装した一軍が押し寄せてきたと知らせが入ったからだ。ルイはエメラルドグリーン家の裏切りを知って、すぐに城郭を閉ざすことをガルムに命じた。そして王都の住民たちには固く門扉を閉めて家から出ないように通達を出していた。 王都の外は、いま人っ子一人見当たらない状態で静まり返っている。


 わたしは数日間の間、屋敷に引き篭もって父やルイの無事を願った。本当なら父に我が儘を言ってでも宮廷に連れて行ってもらいたかった。ルイが心配でならなかった。彼の側にいて支えてあげたいと思ったのだ。

 でもそれを口に出せば、所詮、平和な暮らしに慣れきったお嬢さまの周囲の空気を読まない発言にしかならない。お嬢さま暮らしで戦う術など知らない自分が行っても足でまどいなのは分かっているし、せめて侍女のダリー達のように多少なりと武器をもって戦うことが出きれば自分の身を守ることぐらいは出来たはずなのに、自分はそのダリーたちに守られる身でしかない。


 公爵邸も物々しい様子で、警護の者達に取り囲まれていた。朝早く出立して行った父やルイを思い、不安になっているとダリー達が「お任せ下さい。何も心配はありません」と、言ってくれるのに、先ほど出陣して行ったルイの言葉が気にかかっていた。


 出陣前にルイは父と共に会いに来てくれた。父はふたりで語り合う必要もあるだろうと、ルイを謁見室に通しわたしとふたりきりにした。その時に、二人は決死の覚悟で城郭に向かうのだと察した。

 この戦いは命がけなものになるに違いないと。相手は教皇やギルバードを旗印にあげているとはいえ、戦い慣れしたエメラルドグリーン家の者達なのだ。将軍が指揮しているのは誰にも知られている事だ。


 我が国の戦神とも呼ばれた男を相手に立ち向かう。いくらパール家とアンバー家、アズライト家が陛下に味方しようと、それが容易ではないことは見て取れた。まだ十五歳だというのにルイは堂々としていて鎧姿も凛々しく、それを見て目頭が熱くなった。

 こんなにもこの世界はルイに手厳しいのか? ルイは運命を切り開こうとしただけなのに。わたしが処刑ルートから外れたから彼にしわ寄せが行ってしまった?

そんな気がしてならなかった。ルイは優しくわたしの頬に手を伸ばした。


「ジェーン。そんな顔しないで。全て終わらせてここに戻ってくるから」

「ルイ。お願いよ。無事に帰ってきてね」

「きみのお願いには弱いから叶えたいところだけど……、なるべく守るようにするよ」


 どうなるか分からないからね。と、ルイは言い、頼みがあると言ってきた。


「仮にもしも余が倒れることがあったりしたら、きみに即位してもらいたいんだ。ジェーン」

「何を言うの? ルイ。そんな事言わないで」

 

 不吉な言葉を言い出したルイに、嫌だと首を振れば諭されるように言われた。


「きみは王位継承権を手放したけれど、枢機卿に手を回してもらってあの時の書類は破棄させてもらった。この国を教皇の意のままにさせてはならない。余が倒れれば王家の血筋を組むのは教皇らの他にきみだけになる。余はこの機会にきみにとって障害となる者は根絶やしにするつもりだ」

「そんな危ない事は止めて。わたしはあなたに生きていて欲しい。どんな形でも。この国よりもあなたの命の方が大切なのよ。わたしにとっては……!」


 ルイをこのまま行かせてしまったら後悔しそうな気がして、思わずルイに向けて両手を伸ばしていた。そんなわたしをルイは抱き寄せて唇を塞ぐ。ルイとの二度目のキス。彼は唇の角度を変えて何度も啄ばむように口づけてきた。優しく労わりに満ちたものだった。


「これ以上は言わせないよ。きみからそんな言葉を聞いてしまったなら余の気持ちが揺らいでしまう」


 わたしを抱いていた腕をゆっくりと放し、名残惜しそうな目線を残しながら、ルイは命じてきた。


「パール公爵令嬢ジェーン・シルバー。そなたを余の後継者とする。異論は認めない。なおこの事は、宰相やパール公爵も納得している」

「ル、ルイ……」


 わたしの前に立つ彼は、国王の顔を見せた。わたしによく甘えていた小さな弟のようなルイはそこにいない。彼の肩にはこの国の未来がかかっている。彼が望むなら心置きなく彼が出立できるようにその背を明るく見送るのが妥当なのだろう。


「はい、陛下。わたくしパール公爵令嬢、ジェーンは……謹んでそれを拝命致します」


 目の前が揺らいでルイの顔がしっかり見えない。でも彼がほほ笑んでいるように思えた。

 頭を下げれば清々しい声が降りてきた。


「では行ってくる」

「ご武運をお祈り致しております」


 それがわたし達の交わす最後の言葉にならないように願っていた。


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